第14話 聖都も複雑な事情があるみたいです
緋鋼街を抜けて、再び中心街へ戻る。
石畳は相変わらず賑やかで、荷馬車が行き交い、子供が走り、店先から漂う美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐる。
「……平和ですね」
「うん。フレアリスは、こういう街」
口にして、またハッとする。
「……って、聞いた」
「ふふ。今の言い直し、可愛いです」
やめてくれ。
そういう柔らかい肯定は、あたしの防御を貫通するんだよ。
通りを進むにつれて、カテドラルの尖塔がどんどん大きくなる。
近付くほど、街の空気が少し変わっていくのがわかった。
―――静かだ。
賑やかなはずなのに、どこか声が抑えられている。
祈りの場に近付いているせいか、それとも……。
「……あ」
人の波の隙間から、ふと聞こえた。
「残火守がまた―――」
「異国の小娘を―――」
「アルミリアが―――」
ひそひそ声。
はっきりとは聞こえない。でも、棘のある音だけが耳に残る。
リーネもそれに気付いたのか、歩みを少しだけ緩めた。
横顔が、ほんの少しだけ硬い。
「……カノン」
「ん~?」
「今の話、何でしょうか」
……来た。
この子は賢いし、誰よりも世界を、人々のことを想っている。
だから聞こえないふりなんて、できないよね。
「リーネが可愛いって噂してるんだよ」
「……そう、ですか」
リーネがそれ以上追及することはなかった。
ただ、袖を掴む指先が、少しだけ強くなった。
嘘ついて、ごめん。
あたしは、この聖都が抱える問題も知っている。
だからこそ、リーネにはそれを知って欲しくないんだ。
知れば―――きっとあなたは動いてしまうから。
◇
カテドラルの前は、広場になっていた。
白い石の床に、赤い意匠―――炎の紋様が、幾重にも刻まれている。
空気が澄んでいて、息を吸うだけで背筋が伸びる、そんな感じ。
入口の前には衛兵が立っていて、通行人を捌いていた。
だけど、あたしたちを見た瞬間、ただでさえ険しかった表情が、さらに引き締められる。
「止まれ」
合図と共に、数人の衛兵があたしら二人を取り囲む。
どう見ても歓迎されてる空気じゃ……ないよね。
なんだろう、リーネの顔が、あまりにもイルセナリアに似てるからかな。
「残火守が何の用だ」
礼装の金線に視線が集まる。―――敵意の対象はこっちか。
「イルセナリア様へ、書状を預かって参りました」
「……見ない顔だな。貴様のような者がいた記憶はないが」
「……カノン」
余所行き王女モードの笑顔のまま、リーネはあたしを呼んだ。
あたしは内ポケットから封筒を取り出して、衛兵に渡す。
衛兵は封蝋を確かめ、苛立たしげに突き返してくる。
「確認した。だが―――我々は雷帝の使いなど取り次がない。勝手に渡せ」
雷帝―――圧倒的な武力で五年前の内戦を終わらせたアルミリアに、聖都の民がつけた異名だ。
あたしは返された封筒を受け取り直して、胸元にしまう。
自分で渡せ、ということらしい。
衛兵たちはあたしらから目を離さず、道を開けた。
少し騒ぎになったみたいで、どこかから視線を感じて息を呑む。
アルミリアのことを思えば、あまり目立ちたくはない。
「……どうやら、複雑な事情がありそうですね」
「国なんてどこも一緒だよ。特に、こんなご時世じゃ猶更ね」
口にして、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
知ったような口を……あたしは当事者でもなんでもないくせに。
「行きましょう」
リーネは頷いて、ゆっくり顔を上げた。
カテドラルの入口―――巨大な白い扉が、ゆっくりと開かれる。
中は思ったよりも……いや、想像以上に明るい。
至る箇所に設置された照明が、影を軒並み潰している。
この世界において暗闇は、夜の象徴だ。そして夜は深淵の象徴でもある。
だからカテドラル内に影は存在しない。どこにいようと照らされて、真っ白な空間が広がっている。
足を踏み入れた瞬間、音が消えた。
静かだったけど、それでも僅かにあった外の喧騒が嘘みたいに、ぴたりと止む。
思わず、背筋がぞくりとする。
この空気は、祈りだ。祈りの声が、どこかから聞こえてくる。
純白の法衣に身を包んだ女性が、奥へ向かう。
白い布が床を滑って、細い鈴の音みたいな足音が、やけに大きく響く。
「こちらへどうぞ」
「……はい」
リーネが小さく返事をした。
その声が少しだけ震えている。
そりゃ、こんな異様な光景に囲まれてれば気圧されるよね。
あたしもそうだ。ゲームで見慣れてるのに、いざ現実で目の前にすれば、怖くて足がすくんじゃう。
白一色の廊下をしばらく進んで、案内役が立ち止まる。
炎の紋章が刻まれた扉が、この空間の中で異彩を放っていた。
彼女は扉に手を添えて、静かに言う。
「残火守より、使者がお見えです」
数秒。
沈黙が、呼吸の回数まで数えてくる。
「―――どうぞ」
澄んだ声が、扉越しに届いた。
鈴みたいで、でも芯があって、冷たくない。
扉が開く。
中は祈りの場というより、誰かの私室に近かった。
本棚、積まれた書類、整えられた寝台、火の灯った燭台、そして―――部屋の奥にある女神の像と祈祷台。
その前に立っていたのが―――イルセナリア・アリステリア。
白銀に淡く煌めく髪と、リーネより僅かに暗い琥珀の瞳。
笑っているのに、笑っていないような、不思議な表情。
昨日着ていた残火守の礼装とは異なり、純白一色の薄い法衣がやけに神秘的で、この世のものじゃないように思えた。
彼女の視線が、まずリーネを捉え―――
次に、あたしに滑ってくる。
「ようこそ、使いの方」
呼ばれた瞬間、喉の奥がひやりとして、心臓が強く跳ねた。
どうしてだろう。知り合いのはずなのに、初対面のような違和感がする。
イルセナリアはほんの少しだけ目を細め、一瞬、部屋の隅を見た。
気持ち悪いなぁ、この部屋。
なんていうか、色んな角度から視線を感じるし、何より窓がなくて、豪華な牢屋みたいな雰囲気。
祈の聖女―――聖都で主に信仰されている予言者ユスティアの声を聞き、人々に届ける神の代弁者にして、この国の象徴。
何が象徴だよ……こんなの、ほとんど軟禁じゃないか。
胸の奥が、みしっ、と軋んだ。
リーネも同じことを感じたのか、ほんの僅かに姿勢を正した。
表情は崩さない。王女の仮面のまま、凛と立っている。
「イルセナリア、きの―――」
昨日ぶりだね。と言おうとして、あたしは咄嗟に口を噤む。
イルセナリアが、自分の唇に人差し指を当てていた。
穏やかに笑うその顔が、「話すな」と言っている。
昨日のことは、表に出せないのか。
こりゃ……あたしはボロが出ないように黙ってた方がいいな。
リーネと目を合わせ、後は任せた、とアイコンタクト。
伝わったようで、リーネはこくりと頷いた。
「アルミリア様より、書状を預かって参りました。こちらを」
リーネのセリフに合わせて、あたしは胸ポケットから手紙を取り出し、イルセナリアに差し出す。
イルセナリアはそれを受け取ると、目を瞑った。
魔力がぽっと灯る。彼女が指先でなぞるように封筒に触れると、その軌跡を沿うように炎が上がって、手紙を焼いた。
「なっ……え、燃えた……?」
えっと、これどういう反応するのが正解なの?
リーネを参考にしようにも、笑顔のまま固まってて全然わからない。
「拝見しました」
イルセナリアが口を開く。
拝見……ってことは、えっと、今ので読んだって、ことでいいのかな。
『監視の目を掻い潜るため、アルミリアからの指示はこのような形で送られてきます。驚かせてしまい、申し訳ございません』
頭の内側から声が聞こえてきた。
うおっ!? な、なに!? 急にイルセナリアがあたしの脳内に!
リアクションを顔だけに抑えて、イルセナリアの方を見る。
彼女は胸元にそっと手を当てていた。
法衣で隠れてはいるけど、魔力の反応を感じる。
ハイネックの隙間から紐が見えた。
遅れて、耳元がひやりとする。
多分、紐の先にはあたしたちと同じ耳飾りがあるんだと思う。
それ、耳に着けなくてもいいんだ。
ギーザさんが言ってたっけ。慣れてるやつは頭の中から声を飛ばすって。
でもさ―――慣れてねぇんだわ、こっちは。
『わたくしがあなた方の協力者であることを気取られないでください。この部屋には、目と耳があります』
イルセナリアの脳内ボイスが、さっきよりも少しだけ低くなった。
静かなのに、背筋を撫でるみたいに冷たい。
視線の正体―――部屋の隅できらりと光る小さな水晶。
家具の陰、棚の隙間、燭台の裏。
言われてようやく気付くような小さい魔力の反応が、いくつもいくつも。
うわ、ほんとに監視されてんだ。
ファンタジー世界のくせに、やることが陰湿すぎるだろ。
あたしは咄嗟に口元を押さえた。
いや、今更だ。あたしの反応が既にアウトかもしれない。
イルセナリアはそんなあたしの動揺を見抜いたみたいに、ふわりと笑った。
笑顔だけど、目は笑ってない。
というか、笑う必要があるから、笑顔でいる、みたいな顔。
『残火守とカテドラルは敵対しているのですか?』
今度は、リーネの声が脳内に響く。
え、うそ、無言会話もうマスターしたっていうの!? 天才だろ、あたしの推し。
『敵対……ではありません。ですが、民の中にはアルミリアを快く思わない方もいます。聖都の象徴たるわたくしが表立って協力していると、いらぬ反感を買ってしまいますので……』
なるほどねぇ……だからアルミリアは、今後のために人々に慕われる旗印を欲してたわけか。
と心の中で口にするけど、二人にはどうやら届いていないみたい。
あーもう! リーネの才能が羨ましい!!
そんなあたしの焦りを、イルセナリアは笑顔で覆い隠したまま流し、口は全く別なことを発する。
「ご苦労様です。雷帝の書状、確かに受け取りました」
イルセナリアは、燃え尽きた封筒の灰を指先で軽く撫で、テーブルの上に落とした。
その所作すら儀式みたいで、やけに綺麗で目が奪われる。
「初めて見る使いの方ですね。よろしければ、お名前を教えてください」
「リーネフォルテ・エル・クレストリアと申します」
「あ、えっと、カノン……です」
黙っているのも違和感と捉えられるから、イルセナリアはあたしたちと初対面のふりをするつもりらしい。
「リーネフォルテ様とカノン様、確かに記憶しました。歳はおいくつですか?」
「十五……だと思う。孤児院出身だから、正確な歳はわからないけど」
十年、封印結晶の中で眠っていた分はカット。
あたしの答えに、リーネもこくりと頷いた。
「まぁ、同い年ですか。歳の近い知人は少ないんです。わたくしたち、良き友人になれるかもしれませんね」
にこり、と。
イルセナリアは本当に柔らかく笑った。
取り繕った笑みのまま……でも、その言葉だけは、妙に本音のように思えた。
友人―――ね。
思想が対立している残火守の人間を相手にその言葉を口にするの、あまりに皮肉が効きすぎてるよね。
『表向きは、急速に距離を詰めた同年代の友人ということにしましょう』
脳内に落ちてきた声は、同じ笑顔のまま、温度がまるで違う。
温かな陽だまりのような、安心させる不思議な音。
『どうかこの後も、わたくしに合わせてくださいね』
それだけ言って、イルセナリアは何かを思い出したように両手を叩く。
一瞬だけ、部屋の隅の監視水晶に視線を向けて。
「そうです。お二人共、この後時間はありますか? よろしければ、少々付き合って欲しい場所があるのです」
「……よろしいのですか?」
「わたくしも聖女である前に、一人の女の子です。友人と出かけたいと願うのは当然では?」
少しだけ、監視されている今の状況への皮肉が漏れていた。
とはいえ、イルセナリアは、表向きはそもそも監視自体に気付いていないふりをしているらしい。
で、外出に制限はない。向こうも、この半分軟禁みたいな状態に不満を抱かせないように、ある程度の自由は与えている……って感じか。
今頃目の向こうでは、「馬鹿な小娘だ」とか嘲笑されてるのかな。
ばーか。イルセナリアはそんな単純な子じゃねーよ。
「……わかりました」
リーネが小さく頷くと、イルセナリアの顔がぱっと明るくなる。
あまりにも大袈裟すぎて、演技臭い。
「では、早速向かいましょう!」
イルセナリアはあたしたちを連れて、部屋の外、真っ白な塔の中を進み、カテドラルの外に出た。
誰も彼女を引き止めようとはしなかった。
その代わり、嘲笑うか、哀れむ。そんな視線ばかりが向けられていた。




