第10話 不器用なんだよな、この人
こちらは、元々の「第8話 逃げ道なんてどこにもない!」が9000字超えだったので、読みやすいよう分割したものです。
以前の8話と内容は一切変わっておりません。
え。
いいの? そんなあっさり??
リーネの肩が、ほんの僅かに緩む。だけど、表情は崩さない。
「ありがとうございます、アルミリア様」
深く頭を下げるリーネに、アルミリアは片手を上げて制した。
「礼はまだ早い。これは取引、そう言ったのはリーネフォルテ殿だ。ならば、こちらも条件を出すのは当然だろう」
うん、そうだよね、タダで飲むわけないよね、知ってた。
「一つ。協力者扱いはしない」
その言葉だけ切り取れば拒絶だ。でも、穏やかに笑うアルミリアの顔が、それを否定している。
「元より私は、二人をただの協力者で終わらせるつもりなどなかった。拘束はしない、監視もつけない。私たちは、あくまで対等だ、そうありたい」
それは、つまり……
「らしくない表現ではあるが、我々は仲間だ。それで構わないだろうか」
―――仲間。
その単語だけが、机の上で小さく跳ねたみたいに感じた。
協力者でも、保護対象でも、駒でもない、対等の関係。
リーネが一瞬だけ目を見開いて、それから、ほんの僅かに笑った。
余所行きの微笑みじゃない。祈るみたいな、静かな安堵。
「光栄です、アルミリア様」
深く頭を下げて、それでも声は揺れない。
さすが王女。さすが聖女。あたしみたいに胃を押さえたりしない鋼メンタル。憧れちゃうな。
対して、アルミリアは頷きもせず淡々と続ける。
「二つ。担い手の秘匿については、希望通りにしよう。ただし、情報の共有対象はこちらで選別する」
「構いません」
覚悟の決まった即答だった。
でも、あまりにもあっさりで……逆に怖い。
「取引はこれで終了だ」
アルミリアはそう言って、ふっと肩の力を抜いた。
さっきまでの圧が、少しだけ薄まる。
「ここからは、私個人の話なんだが―――」
言いながら、彼女は視線を机の木目に落とした。
返事を待つ沈黙の間、指先が肘掛けを一度だけそっと撫でる。……落ち着かない、みたいに。
「君たちの目に、私はどう映っただろうか?」
そんな突拍子もない質問の意図が読めなくて、あたしとリーネは二人して息を呑んだ。
ズキリ、と頭が痛んで、見たことのない光景が流れてくる。
どす黒い赤に染まった絨毯、血に塗れたナイフ、深紅の海に沈む金髪の少女の小さな身体。
見たことはないのに、あたしの心はそれを「現実」だと認識している。
言わなきゃ。ここで言わないと、せめて、あたしだけは理解者でいないと。あの最悪の結末だけは避けないと。
何故だか、そんな失意と衝動が胸の奥で疼いていた。
「世界のために自分すら駒にした、冷酷非道な為政者を演じている少し抜けた女の子」
気付けば、あたしの口は勝手に動いていた。
―――終わった。
言った瞬間、血の気が引いた。今のは……どう見たって初対面の言葉じゃない。
「……演じてる?」
窓際のノアが一度だけ瞬きをして、声の温度を落とした。
「根拠は? 推測? それとも……誰かから聞いた?」
凍てつくような視線が、ぐさりとあたしの心に突き刺さる。
そりゃそうだ。今のあたしのこれは、見てきた側の発言だ。迂闊だった、せっかくリーネが頑張ってくれたのに、それを帳消しにするような大ポカだ。
「あ、いや、これはその、えっと……」
言い訳が見つからない。
沈黙が、どんどん重くなる。
「ははっ、そうか、君には私がそう見えるのか」
「ち、違っ……! 今のは雰囲気! そう、雰囲気で! だから深い意味はなくて!!」
黙れ、本当に黙れ、あたし。
アルミリアが口元を隠すように手を当てて、笑いを飲み込む。
その仕草が妙に年相応で、さっきまでの冷たい長の像が、少しだけ揺らいだ。
「気にすることはない。そもそも、ここまで空気を重くするつもりはなかったんだ」
言って、彼女は小さく息を吐く。
「怖がらせたのなら、悪かった」
謝るんだ。意外と、ちゃんと。
それから、アルミリアは姿勢を正す。
「では改めて。残火守の長であり、聖都を統べる烽火院の主―――アルミリア・ヴァールゾルグだ」
そして、手袋をしていない右手をこちらにそっと差し出した。
「君たちとは、友好的な関係を結びたい。どうか、よろしく頼む」
「本当に、それでよろしいのですか?」
息を呑んで、恐る恐るリーネが問う。
警戒が抜けない声。それでも、礼節は崩さない。
大丈夫だよ、リーネ。この人……ううん、この子、それほど怖い人じゃないから。
って安心させてあげたいけど、ゲーム体験からくるものだから根拠がないんだよな。
「剣の聖女を旗印にすることが目的なら、監視と拘束で飼い殺しにし、いくらでも利用できたはずです。それなのに、これは―――」
「先に仕掛けたのはリーネフォルテ殿だ。私はそれに乗っただけだよ」
リーネがハッとして口を押さえる。
一連のやり取りの先攻が自分だったことを、今更思い出したみたいに。
その行動は間違いじゃない。この人が本気であたしらを「使う」つもりなら、もっと簡単に、静かに首輪を嵌められてる。
でも……そうじゃなかった。
「で、ですが……それは、あまりにも……」
リーネの声が、尻すぼみに消えていく。
多分「甘すぎる」って言いたいんだと思う。言いたいけど言えない。だって今更相手の好意にケチつけるみたいになるし。
アルミリアは差し出した手を引っ込めるでもなく、肩を竦めた。
「甘い、と言いたいのかな」
「……っ」
言い当てられて、リーネが一瞬だけ目を泳がせる。
「まず前提として。剣の聖女が必要なのは事実だ。旗としても、切り札としても」
「でしたら―――」
「だが、剣は折れる」
アルミリアは、真っ直ぐにリーネを見る。
視線の強さは同じなのに、さっきまでの圧はない。
「優れた名工の作品だろうと、折れない剣は存在しない。そして折れた剣の代わりは、簡単には用意できない」
一度だけ、彼女の目があたしに向く。
心臓がびくりと跳ねる。やめて、こっちはまだ慣れてない。
「だから私は、『剣を隠し、旗を剣と成す』という君の案を合理的だと評価した。筋も通っている。実に見事だ」
褒めてるのに、胃がすごく痛い。
「しかし……旗は盾ではない。民の希望だ。剣を守るために、旗が傷つくことを前提にするのは―――私は好きじゃない」
アルミリアは、少しだけ口角を上げる。
でもそれは嘲りじゃなくて、頑固さの表れみたいなものだった。
「旗を削って剣を守るより、旗も剣も折れない形を探すべきだろう」
「それは、理想論ではありませんか……?」
「世界を取り戻すのなら……」
アルミリアはきっぱりと言い切る。
「理想の一つや二つ、掲げなくてどうする」
瞬間、胸の奥のどこかがちくりと痛んだ。
理想論、綺麗事。
これがゲームなら、そういうセリフに拍手して、スクショして、「ここ神」だよ! と一人で盛り上がって終わりだった。
綺麗事だって笑うのは簡単だ。けど―――この人は、それを笑われても掲げ続けるタイプの人間だ。
だからこそ怖い。だからこそ、少しだけ……眩しい。
「……わかりました」
リーネが強く頷いて、アルミリアの手を取った。
その瞬間、さっきまで机の上に張りついていた緊張が、ふっと糸を切られたみたいにほどけた気がした。
「リーネフォルテ・エル・クレストリアです。世界を救い、民に故郷を返すために、この身にできることなら何なりと」
リーネの声は凛としていて、少しも揺れない。
そのくせ、握った手の指先だけが、ほんの僅かに強張っているのが見えた。
……緊張しているのは、あたしだけじゃないんだ。
「少し固いな。肩の力を抜いてくれないか?」
「え、いや、ですがこれは……その、私の性のようなもので」
やり取りの温度が、少しずつ上がっていく。
重たい沈黙で耳が痛かったさっきまでが嘘みたいに、取引のための形式的な言葉の数々がちゃんと会話になっていく。
イルセナリアが、少しだけ目を細めた。
「ふふっ、そうやって毎度他者を気付かず委縮させるのは、アルミリアの短所なんですよ。彼女、あまり自分を表現するのが得意ではありませんので」
「イルセナリア……黙っていたかと思えば、急に何だ?」
「いえ。わたくしはただ、友人がひどく不器用なせいで、リーネフォルテ様やカノン様があなたに恐怖を抱いたまま、この場を去ってしまわぬように機を見計らっていただけのことですよ」
祈の聖女の微笑みって、もっと神々しいものかと思ってたけど―――今のそれは、普通の女の子が「いたずらが成功した」と喜ぶような、そんな顔だった。
空気、だいぶ和んだかな。
あたしの胃の痛みは……まだ消えてくれないけど。
「……なら、もう少し早く口を挟めばよかっただろう」
「面白かったので、静観させていただきました」
イルセナリアがさらっと言い切ると、アルミリアのこめかみがぴくりと動いた。
「……君は本当に、そういうところだぞ」
「えへへ」
えへへ、じゃないんだよなぁ……って思ったけど、口には出さない。出せない。今のあたしが空気読めない発言を一回でも挟んだら即死する気がする。
けど、不思議なものでさ。
さっきまで耳が痛かったあの重たい沈黙が、少しだけ遠のいた。
この部屋の空気が、やっと息を吸っていいって言ってくれたみたいに。
「ともあれ」
アルミリアが、差し出した手を一度引き、机の上に軽く置く。
指先が木目をなぞって、今度は仕事の顔に戻る。
「リーネフォルテ殿、カノン殿。君たちを残火守の仲間として迎えよう。―――その代わり、こちらも率直に動く。遠慮はしない」
「望むところです」
リーネが即答する。
声が揺れない。すごい、あたしなら今この状況だけで胃がねじ切れそうなのに。
いや、もうねじ切れてんだけどさ。
ひとまず、第一関門は突破ってところかな。
用心深いシリウスとノアには疑われてるままかもしれないけど、一旦は原作通り、残火守の仲間になることができた。
少しずつズレていく展開に、あたしの知識がどれだけ通用するかはわからない。
それでもさ……足掻いてみるよ、出来る限り。
地盤はできたんだから、あとはあたしが、世界を救うために戦うだけ。
リーネの負担を減らしながら、あの子が思い詰めることがないように世界も救っていく。
やることが多いな。と心の中でため息をつきながら、あたし、カノン・フィリアは決意を新たに固め直したのです。
そう、思い出せ、あたし。
全ては……リーネが自分を犠牲にしない未来のためなんだ。




