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プロローグ 『死亡』

 「――――寒いなあ……」


 耳が痛くなるような寒空の下、使い古されたオンボロ自転車を必死に漕ぐ若い男の姿があった。

 年末セールで購入した黒いパーカーとズボンに身をつつみ、父親から貰った宝石のついたネックレスを下げている。

 勢いよく向かい風が顔に当たるので、思わず自然への文句をこぼしてしまう。


 来生翔英(きすぎしょうえい)。二十歳。


 これといって特徴のない男だ。


 外見も、経歴も。


 都内の大学に通いながら一人暮らしをしている、どこにでもいるごくごく普通の大学生である。

 おそらく何度すれ違ったとしても印象に残ることはないだろう。

 

 黒髪を伸ばした量産型の髪型。

 個性が控えめな平凡な顔立ち。

 高くも低くもない、平均的な身長。


 学力も運動も人並み。

 苦手ではないが、得意ともいえるデキじゃない。

 

 小・中・高・大と何事もなく、ただただ普通に過ごしてきた。 


 ここまで普通だと逆に普通じゃないかもしれない。

 そんな男だ。


 現在は冬休みの真っ只中だ。

 だが、休日は特に予定もないので、自宅で娯楽に興じるか、近場のゲームセンター等で暇を潰すかの二択しか基本ない。

 学校で話す友人は数人いるが、プライベートで遊ぶ仲の友人は一人もいない。彼女もなし。

 別に人間性に問題があるわけではない。

 むしろ心の中だけに限った正義感は人一倍強い自信がある。

 ただ、向こうから誘われることはない。こっちからわざわざ誘うのもなんかめんどくさい。

 という理由で、一人で過ごすのを楽しむ生活を送っている。


 翔英は今、一年以上勤めているバイト先に向かうため、自転車を飛ばしている。

 時間にルーズな彼は、信号運が悪かったら遅刻してしまうようなギリギリの時間に家を出る癖があるため、毎回猛ダッシュする羽目になる。

 通勤の際に必ず「次こそは余裕をもって出よう」と決心するも、実行できたことは一度もない。

 それはバイトに限った話ではないが。

 しかし、持ち前の運の良さと鍛えられた立ち漕ぎにより、遅刻したこともただの一度もないのだった。


 「(……あっやべ……! 赤んなる……!)」


 遅刻を防ぐのと同時に、一刻も早く顔面に強烈なブローを浴びせてくる冷風から逃れたい彼は、切り替わろうとする青信号目掛けて急加速する。

 まあいつものことだ。

 毎回、毎回行ってきた、何でもない、いつもの日常。

 

 

 ――――だが、今回はそうではなかった。 


 「(よし! ギリセーフ!)」


 間に合ったことに心のガッツポーズを決める翔英。

 その時、死角となっていた曲がり角から、同じく加速していた自転車が飛び出してきた。


 「アブねえ!!」


 突然の危険の前に反射的に声が出てしまう。咄嗟にハンドルを傾け、衝突の回避には成功する。


 「(ふー! 死んだかとおも―――)」


 

 ――――はねられた。

 

 回避した先でバランスを崩し、すぐ隣を走っていた車に。


 「――――え……? ……なにこれ。痛え。轢かれたの……? 俺死ぬの……?」


 意識が朦朧とする中で、長かったような、短かったような、凡庸な二十年分の記憶が駆け巡っていく。

 

 ――――走馬灯か。これが。

 

 悪くはない、むしろ良いといえる人生を振り返る中で、翔英に一つの後悔が浮かび上がる。


 

 『俺はまだ何もやれてねえ』


 

 二十年の生涯の中『成し遂げた』と誇れるものが、なにも見えないことが辛かった。



 『――――俺は、まだ…………』 


  

 『死にたくねえ』


 

 2025年 2月11日 

 

 この日、来生翔英の「第一の人生」はそっと幕を閉じた。


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