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京都出身の美少女転校生が毎日京都弁で話しかけてくるので、いつぶぶ漬けを勧められるかビクビクしているんだが、思わせぶりなセリフは全部皮肉なんだよな? そうだよな?

作者: 小萩月歌

 ※注意※

 今回のお話では「京都弁」を題材としていますが、作者は関西弁ネイティブではなく、リアル京都人の読者さまからすると、「エセ関西弁や! 見てられへん!」となる場面が多々あるかと思います。

 寛大なお心でご容赦いただけますと幸いです。

 また、主人公の京都人に対するイメージはとても偏見に満ちています。作者に、京都の方を馬鹿にしたりする意図は一切ございません。

 ご理解いただける方のみ、作品を楽しんでいただければ……と思います。

 俺――浅木 蓮司(あさぎ れんじ)の朝は早い。

 ……いや、普段はそんなことないけど、っていうかなんなら寝坊常習犯だけど、今日ばかりは間違いなく早起きをしている。

 理由は簡単。身だしなみを整える時間をゆっくりと確保するためだ。


「ふん、ふん、ふん~~♪」


 鼻歌混じりに階段を降り、真っ先に洗面所へと向かう。


 なんといっても、今日は――俺のクラスに、季節外れの転校生が来る。

 しかも、聞いた話では女子だという噂だ。


 少しでも転校生からの印象を良くしたい俺は、朝から張り切って顔を洗い、化粧水をペチペチ塗って、入念に歯を磨き、髪のセットに取り掛かった。


 俺は決して誰もが認めるオシャレボーイではない。むしろ、どちらかというと見た目には無頓着なほうだ。

 なので普段は無造作なボサボサヘアでいいやと、遅刻ギリギリの時間までぐーすか眠っているわけだが。


 今日は特別な日なので、洗面所でホコリを被っているヘアワックスのフタを開けて、髪が少し立ち上がるようにセットする。全体にワックスが馴染んだら、部分的に髪を指先でねじって、微調整。

 セットが終わると、鏡を見て、「よし!」と力強く頷いた。


 ――今日の俺は、一味違うのだ。


「俺に惚れると……ヤケドしちまうぜ? 転校生の子猫ちゃん……」

「お兄ちゃん、キモイ。早く洗面台どいて」


 妹の容赦ないツッコミ(いつものことだ)も華麗にスルーを決め込み、俺はうきうきと家を出た。



***


「今日は予告通り、転校生を紹介するぞ~」


 担任の後ろから、しゃなりしゃなりと優雅に一人の女子が現れる。


「京都の学校から来ました、東雲 碧乃(しののめ あおの)いいます。生まれも育ちも京都どす。標準語に慣れてへんさかい、喋り方が田舎臭くて照れてまうけど、よろしゅうお願いします」


 転入生が緊張気味にお辞儀をすると、クラス中から大きな拍手が巻き起こった。

 東雲碧乃、と名乗った彼女は、艶やかな黒髪ロングが印象的な女子だった。光の加減により、濃紺のようにも、深緑のようにも見える、美しい髪。


 女子にしては身長が高く、落ち着いた雰囲気を醸し出している。スラリとしなやかな体つきをしているように見えて、出ているとこはしっかり出ているのが、制服の上からでもばっちりとわかった。


 切れ長の涼しげな瞳に、すっと通った鼻筋。薄い唇は、淡い桜色をしておりとても風流だ。透けるように白い肌だって、普段からきちんとケアを行っているに違いない。

 

 ……おっと。もっと率直に、わかりやすく表現しようか。

 めっっっちゃくちゃ顔が良い! 可愛い! オマケにスタイル抜群の超絶美少女!



「席は……えっと、浅木の隣が空いてるな。浅木、ちょっと挙手してくれ」

「はい!」

「い、いつになく反応がいいな……。東雲、あいつの隣の席に座るといい」

「はい~」


 これは……仲良くならないという選択肢があるだろうか! 否、あるはずがない!


 珍しく早起きして、万全のビジュアルで登校してきたことを心の底から良かったと思った。まあ、そんなこと言っても、俺の容姿なんて元が地味だし、東雲の眩さとは比較にもならないレベルだが。


「よろしゅうなあ。えっと……」

「浅木 蓮司だ。好きに呼んでもらっていいぞ」

「ほんなら……蓮司くん」


 いきなりの名前呼びキタ!

 俺は東雲に悟られないよう、内心でガッツポーズをする。

 近くで見ると、本当にそこらの女優顔負けなくらいのド級の美人だ。もっとよく観察したいのに、無意識に視線が泳いでしまうほど。


「……」


 しかし俺が目を逸らしても、東雲はずっと俺の方を凝視したまま。

 これは……まさか早速恋の予感?!


「蓮司くん。あんた、えらい洒落てはりますなあ……」


 京都人らしく、東雲はゆったりした口調で、そんなことを呟く。

 ファーストインプレッション最高! これはワンチャンあるぞ! と喜んだのもつかの間――俺はふと、《《あること》》に気がついてしまった。


(あれ……? そういえば、京都の人ってこんなにストレートの相手のこと褒めたりするんだっけ?)


 俺は京都という地には縁もゆかりもなく、中学の修学旅行で訪れたくらいの薄っぺらい思い出しかないので、詳しいことはわからない。

 だが、最近ネットやテレビの影響か、京都の人はあまり直接的な物言いをしない、というイメージがうすぼんやりと頭の中にあった。


 例えば――有名なものだと、京都の人に「ぶぶ漬けでもどうどすか?」と勧められたら、間違っても「喜んで!!」などと浮かれてはいけない。

 言葉の裏に込められた意味は、「早く帰れ」という拒絶でしかないから……という話を、聞いたことがある。


 京都の人はたいへんに奥ゆかしい。

 たとえ心の中では不満に思っていても、それをストレートに言葉にすることはないのだ。

 その代わり、卓越したワードセンスから成る、的確かつ辛辣な皮肉で相手を地獄の底まで叩きのめす。


 東雲碧乃は、京都生まれ京都育ち。

 とどのつまり、その言葉の真意は――。


「都会の男はかっこええんやねえ」


 ――お前、めちゃくちゃダサい。


 そういうことだ!! 絶対に!!

 こんなスペシャルな美少女が俺のような人間を「かっこええ」と思うことはお世辞だとしても絶対にあり得ないが、皮肉だと考えると合点がいく。


「す、すいません……調子に乗ってごめんなさい……」

「え? な、なんで謝るん?」


 きっと張り切ってオシャレをした……否、オシャレを《《したつもりになっている》》俺は、天然美少女の東雲の目からするとそれはそれはみっともなく映っているということなのだ。

 変に気取って、鏡の前でカッコつけ、子猫ちゃんなどと鳥肌モノのセリフを口にしていた数時間前の自分を思い出すと、途端に吐き気を催すようになった。

 穴があったら入りたいとは、まさにこのことだ。


(くっ……! 彼女には全部お見通しってわけか……!)


 ぜひともお近づきになりたいと思ったのは撤回しよう。

 こんな地味でダサくて風流さのカケラもない俺という存在は、美しく洗練された東雲碧乃の視界に入ってはならない。

 俺はそう心に決め、彼女のほうをなるべく見ないようにして、ほのかな恋心をグシャグシャに丸めて心のゴミ箱に投げ捨てた。


 くそう、早いところ、気持ちを切り替えなくては……!



***



 しかしながら、隣の席同士というのは思った以上に厄介なものだった。


「あの、蓮司くん。教科書、前の学校のやつとは違うて、まだ新しいの届いてへんさかい、見してくれへん?」


 最初こそ、とんでもないアドバンテージを得られた、神様ありがとう、とさえ思っていたが……状況は一転、非常に困るシチュエーションとなってしまっていた。

 彼女の視界に入らないようにしたいのに、この席の配置では、転校初日で右も左もわからない彼女をサポートできるのは、間違いなく俺しかいない。


「……わ、わかったよ。これ一緒に見よう」

「わ、おおきに。蓮司くん、優しいわあ」

「……!!」


 脳内ジェネレーターで東雲の言葉を変換すると、つまり彼女は……俺がこの程度のことで恩着せがましくしているのを鬱陶しく思ったようだ。そうに違いない。


「す、すみませんんん……! いくらでも見てください……!」

「だから、なんで謝るん?!」


 授業はまったく身に入らなかった。




「見してくれて助かったわあ。最初は教科書なくてどないしようて思たけど、うち、蓮司くんが隣の席でよかったぁ」

「……!」


 生きた心地がしないまま授業は終わり、休憩時間になる。

 すると隣の席の東雲が、頬を赤らめながら話しかけてきた。


 一見感謝を口にしているようだが、落ち着け、これもきっと皮肉なのだ。

 変換すると、たぶん、こんな野暮ったいダサダサ男の隣で、新生活サイアク!! とか、そういった意味合いだ。

 俺は頭を抱えた。


「あ。もう教科書なおしてええよ。おおきに」

「……ん? なおす?」


 東雲の口にしたセリフが一瞬理解できず、俺はぽかんと口を開ける。

 しかしすぐに、それが方言であることに思い至った。


「なおす……えっと、しまえってことだっけ」

「あ、堪忍な。なおすっちゅうのんは方言やったね。蓮司くんの言わはった通り、もうしまってええよって意味やったんやけど」


 東雲もそれに気づいたらしく、は、と口元に手を当てる。


「田舎もんで恥ずかしいわ。引っ越しを機にうちも標準語にしたろ思たんやけど、やっぱり簡単にはなおらへん」


 そして照れくさそうに指先で髪をいじりながら、ふんわり笑った。

 ぐっ……可愛い!


 しかし、俺は本来彼女とは会話をすることすら許されないほどのドがつく脇役。

 たまたま都内で生まれ育ったというだけで、オシャレなシティボーイからは程遠い存在だ。


「……別に無理して矯正しなくてもいいだろ。そういえば、なおすっていうのは福岡とかでも使われてるらしいな」

「へえ、そうなん?」

「あ、いや……テレビで聞いただけだけど」

「よう勉強してはるんやね。……博識な人って、うち、憧れるわあ。かっこええ」


 東雲がうっとりとそう言うが、俺はその真意に気づいてハッとなる。


(あああ、やってしまった! きっと、テレビで見ただけのあっっっさいウンチク垂れ流してドヤ顔する、痛いヤツだと笑われてるんだ……!)


「調子乗ってすみませんッッ!!!」


 頭皮が擦り切れそうな勢いで頭を机にめり込ませ、必死に謝った。


 俺は一体、あと何度同じ過ちを繰り返せば良いのだろうか……。



***



 それにしても、運命というものはまことに残酷である。

 東雲と距離を取ろうとすればするほど、なぜだか次から次へと接近の機会が舞い降りてくるのだ。不思議なことに。


「蓮司くん、悪いんやけど、今から校内をざっと案内してくれへん?」

「…………」

「うち、まだ全然ここのことわからへんくて」


 昼休みになると、彼女は俺にそうお願いしてきた。

 チラリと周囲を見回せば、クラスの奴らが早く東雲と打ち解けたくてうずうずしている姿が散見されるが、東雲はそれよりもこの環境に慣れるほうが先だと判断したらしい。


 確かに、場所がわからないと、移動教室の時とか困るしな。

 誰かに聞けばいい話ではあるけど、そのたびに俺を頼られるのも困るし、それならば先に全部教え込んでおいたほうが、俺にとっても都合が良い。


「よし、じゃあ今から行くか」

「お、おおきに!」


 嬉しそうに椅子から立ち上がった東雲と、校内探索ツアーが始まった。



***



「ここが理科室。実験の時とかはここに来る」

「へえ」

「そんで、ちょうどこの上が音楽室になるな」

「ほお」

「あと、使う可能性が高いのは保健室か。保健室はこの廊下をずっと行った奥の方にあって……」

「助かるわ。蓮司くん、やっぱり優しい人やね」


 俺が先導する形で校内を練り歩いていると、東雲が辺りをきょろきょろしてから、ほっこりと柔らかい笑みを見せた。

 しかし、彼女の放つ京都弁にだんだん慣れてきた俺にはわかる。

 優しいというのは、イコール恩着せがましいという意味に他ならない。


「す、すまん……」

「え? せやから、なんで謝るん? 蓮司くんて優しいけど、ちょっと変な人やわ」


 くすくすと上品に口元を押さえて笑う。

 美少女との校内探索は癒しのひと時ではあるが、東雲にしてみれば今後の学園生活に支障が出ないよう、モブAである俺に仕方なく案内を《《させてやっている》》に過ぎないのだろう。

 隣の席になってしまったばっかりに、俺を頼らざるを得ない状況に陥ってしまった東雲が不憫でならない。


「……あんな、えと……蓮司くんって付きおうてる人とかいてはるの?」


 主要な場所だけを紹介し、早くツアーを切り上げようと急ぎ足になる俺に、東雲は突拍子もなくそんなことを聞いてきた。


「え……い、いないけど」

「あ、そ、そうなん。よかったあ……あ、よかったっちゅうんも、おかしな話やけど……」


 ……あっぶねえ!

 白い頬を桜色に染めて上目遣いでこちらを見てくる東雲の可憐さに、ついズキュンと撃ち抜かれてしまいそうになったが、きっとこれは罠だ。


 だって、こんな見るからに地味で、冴えないダサ男である俺に、彼女などいるはずがない。そんなことはわざわざ聞かなくてもわかる話だ。

 だから、きっと東雲はそんなこと見透かしたうえで、独り身の俺を憐れんでいるのだ……!


「うう……」


 またうっかり調子に乗ってしまった。これだからモテない男は!


「……。そしたら、うちにもチャンスあるかなあ……」

「……何か言ったか?」

「な、なんでもあらへんよ!」




***



 東雲が転校してきてから、一か月が経った。

 時の流れとは早いもので、東雲はすっかり新しい環境にも慣れてきて、クラスの人間とも仲良くやれるようになっていた。

 隣の席の俺に頼らなくてはならない状況もだんだんと減っていったが、完全に関わりを断つというわけにもいかず、なんだかんだ付かず離れずの状態を続けている。



「蓮司くん、おはよう」

「……東雲。おはよ」


 東雲はモブAの俺にも毎日丁寧に挨拶をしてくれる。

 基本的には優しく、礼儀正しいヤツなのだ。

 さすがに「おはよう」の裏に隠されている本心が「朝からお前の辛気臭い顔見なきゃいけないこっちの身にもなれよ! 今すぐ消えろ!」とかだったら、俺はさめざめ泣いてしまう。


「あんなぁ、蓮司くん。今日の放課後て空いとる?」

「え……なんで急に」

「あ、えっとな。うち、学校にはだいぶ慣れてきたと思てるんやけどね? けど、まだ引っ越して来て一か月やさかい、このあたりに何があるかとか、わからへんくて」

「ああ、買い物できる場所とか、飲食店とか、そういう?」

「そうそう。せやから……よかったらおすすめのお店とかあるんやったら、教えてもらえへんかな? って……」


 控えめにそう頼んでくる東雲を、最初はどう体よく断ろうかと悩んだものだが。


 家族全員で関西から関東に引っ越してきたとなると、なかなか頼れる知人も周りにいないのだろう。

 俺からの返事を待つ間、借りて来た猫のようにしおらしくしている彼女に、俺は関東の美味い店を教えてやりたくなった。


「放課後、空いてるよ。じゃあ、散歩がてらメシでも行くか」

「え、ええの……? 迷惑やない?」

「いいや、大丈夫だよ」

「おおきに! 嬉しいわあ……!」


 ぱっと花が開くように、東雲の表情が輝く。

 俺はちょっとだけ放課後が楽しみになって、そんな浮かれポンチな自分を律するべく、脳内で往復ビンタをした。




***



 放課後、俺が東雲を連れてやってきたのはとあるうどん屋だった。

 関東と関西では、ダシにかなりの違いがあると聞いたことがある。東京ではどちらかというと蕎麦屋のほうが多いけれど、うどんだって悪くない。

 関東風うどんに馴染みのない東雲にもぜひ味わってほしいと思い、俺たちは行きつけのうどん屋の暖簾をくぐったのだった。


 奥のボックス席に通されたので、ソファ側の席を東雲にジェスチャーで譲ってやると、彼女はおずおずとそこに腰を下ろす。


「な、なんかデートみたいやね」

「!?」


 東雲のようなハイパーウルトラS級美少女と、この俺がデート? ……まさか。

 きっと、俺みたいな陰気野郎と向かい合ってたらメシがまずくなると言いたいのだろう。彼女だって渋々なのだ。

 落ち着きなくそわそわしているように見えるのも、一刻も早く帰りたいという気持ちの表れに違いない。


「蓮司くん、どれがおすすめとかあるん?」

「うーん、トッピングは好みによるけど……俺はいつもきつねうどんを頼むことが多いな」

「あ! うちも好きなんよ。ほんなら、それにするわ」


 スムーズにメニューは決まり、俺たちは揃ってきつねうどんを注文した。


「初めてやわ。東京のおうどん」

「ふふ、味わって食べてくれよ」


 かくいう俺も関西のうどんのことをよく知らないので、明確に違いを説明できるわけではないが。

 うどんが運ばれて来るまでの間、東雲は楽しそうに足をブラブラとさせては、行儀が悪いことに気づいて、ばつが悪そうに顔を俯けていた。




「わあ、これが関東のおうどんなんやね。色、全然ちゃうわ」


 十分ほど待って、うどんがやってくる。

 それを見て東雲が真っ先に指摘したのは、つゆの色についてだった。


「ああ……確か関西では、もっと薄い色なんだっけ?」

「そうやねえ。関東のおうどんはこないに真っ黒なんや、すごいわあ……」


 大きなおあげの隙間から除く濃い色のつゆを、東雲は興味深そうにまじまじと色んな角度から見つめる。


「伸びないうちに食べてくれよ」

「あ、そやね。ほんなら、いただきます」

「熱いから気をつけろよ」


 フーフーと息を吹きかけて冷ましてから、東雲はまず、レンゲにすくったつゆをちろりと舌先で舐める。そして、こくりと一口。


「ん……!」

「ど、どうだ?」


 果たして生粋の関西人の東雲の口に関東のうどんは合うのか。

 俺は少し不安になって、ドキドキしながら感想をたずねた。


「これ、見た目だけやなくて、味付けも全然ちゃうわ! 関西のおうどんは、もっと薄味やさかい」

「あ……味、濃いか? 口に合わなかったら、無理に食べなくても」

「いや、これはこれで結構いけるわあ……確かに好みは分かれるやろうけど、うちは嫌いやないわ」


 東雲はまた一口、つゆを口に含み、味わうようにゆっくり飲み込む。

 俺はそんな姿を見ながら……。


(し、しまった!!! またやってしまった!! そうだよな、関西のうどんって味薄いって言うよな! 東京の濃いうどんなんて口に合うわけないよな……!)


 違いがあることをわかっていながら、関東のうどんも食べてみてほしいと思ったのは、関東人の俺のつまらないエゴだった。

 東雲からしたら、そりゃあ食べ慣れた関西のあっさりうどんのほうが好みに決まっている。


 俺は自分のアホな行いを猛省した。


「蓮司くんは食べへんの?」

「ごめん……ごめん東雲……俺ってヤツは本当に……」

「? 変な蓮司くん。うどん、伸びてまうよ?」


 首を傾げながらきょとんとしている東雲は、本当に愛くるしい。美人で大人びた容姿をしているのに、無邪気にうどんをすすっている姿はいつもよりちょっぴり子供っぽく見えて、そこがまたギャップ萌えの極みだ。

 こんな美少女に、口に合わないうどんを無理やり食わせるなんて拷問じみたことしてしまって、本当に申し訳ない……。


「俺の好みを勝手に押し付けるのってよくないよな……」

「え! う、うちはもっと、蓮司くんの好み知りたいし、な、なんなら好みに近づきたいと思てるけど……」

「なんか言ったか?」

「なんでもあらへんよっ!」


 俺はどうしていつまで経っても学習しないんだ。




***


 ある日、休み時間にどこかで昼寝でもするかと思い立った俺は、誰にも邪魔されないベストスポットを探して校内をさまよっていた。


(あれ? 東雲? 誰かと一緒なのか……)


 その途中で、よく目立つ艶やかな黒髪を見つけたので、無意識に足を止めてしまう。

 人気のない校舎裏で、東雲は何やら誰かと喋っている様子だった。目を凝らしてよく見ると、一緒にいるのは男子だ。確か、隣のクラスのヤツだっただろうか。よく知らないけど。


「…………すう」


 なぜだかモヤモヤとする自分勝手な心を、深呼吸で落ち着かせる。

 そりゃあ、東雲は控えめに言って千年、いや一万年、いやいや一億年に一人レベルのとんでもない美少女。異性にモテるは当たり前といえよう。

 転校してきてからまだ一、二か月程度だけど、その間に彼氏、ないしは彼氏候補の男子の存在が浮上していても、何ら不自然ではない。


 確かに最初に彼女と会話を交わしたのは俺だけど。

 机くっつけて、教科書見せたりもしたけど。

 休み時間に校内の案内とかもしたけど。

 放課後に一緒にうどん食ったりもしたけど。


 でも、あえてこの関係に名前をつけるなら、俺と東雲はただのクラスメート。

 しょせん、それ以上でもそれ以下でもない存在だ。


「……堪忍え。うちは鈴木くんとは付き合えへん」

「な、なんで……!」


 遠くて会話の内容はよく聞こえないが、二人の表情から、あまり穏やかな話でないことは読み取れた。

 痴話喧嘩だろうか。東雲は他の男からもモテるだろうから、彼氏(仮)がヤキモチやいてしまったのかもしれないなあ……。


「や、やめっ!」


 なんてことを考えながらぼーっとしていると、急に東雲が悲鳴を上げた。

 男のほうが、勢いよく彼女の肩を掴んで迫ったのだ。


「なんで、なんで振り向いてくれないんだ! 僕と付き合えば幸せにしてやるのに!」

「せ、せやから、うち、気になる人がおって……!」

「おい、やめろ! 困ってるだろ!」


 俺は無我夢中で二人の間に割って入り、気がつけば男の胸倉を掴んでいた。


「ヒッ! お、お前、誰だよ!」

「東雲の……隣の席の男だ!」


 ここで「彼氏だ!」とか言えたらカッコイイのだが、残念ながら彼氏ではないので、そう言うしかない。

 まったくもってカッコつかないが、男は俺の剣幕にビビったのか、冷や汗をダラダラと流し、「覚えてろよ!」と尻尾を巻いて逃げてしまった。


「ふう……大丈夫か。東雲」

「れ、蓮司くん」

「何があったんだ? 彼氏……というわけでもなさそうだったな」

「あ、えと……隣のクラスの鈴木くんにな? 手紙で呼び出されて、行ってみたら……付きおうてくれへんかって、言われたんよ」

「ほう」


 つまり、鈴木という男は東雲の彼氏や彼氏候補ではなく、ただ彼女に片思いをするモブBだったというわけか。俺と大差ないではないか。


「断ったら、逆上されてしもて」

「それは、怖かったな。たまたま俺が通りかがってよかった」

「……うん。蓮司くん、やっぱりかっこええ」


 ハッ! しまった!


(……出過ぎた真似をしてしまった……!!)


「ヒーロー気取りでダサいことしてすんませんッッ!!」

「え? 何言うてはるん? ほんまに助かったんよ。おおきになぁ」


 その屈託ない笑顔の裏に、果たしてどれほどどす黒い真意が隠れているのだろう。


「……そういえば、東雲……」

「ん?」


(さっき、気になる人がいるとか……聞こえてきたような)


「……いや、なんでもない」


 東雲のような完璧美少女に好かれる男って、一体どんなヤツなんだよ。




***



「蓮司くん、うち、黒板消しやろか?」

「いや、いいよ。そっちは俺がやるから、日誌のほう頼む」

「了解。任せとき」


 それから更に時が経ち、なぜだか席替えの機会も訪れないまま、俺たち二人に三回目の日直が回ってきた。

 誰もいなくなった夕暮れの教室で、俺と東雲は日直の仕事を分担して行う。三回目なので、手慣れたものである。


「……蓮司くんて、」

「んー? なんか言ったか?」

「うちが前聞いたこと、覚えてはる?」


 東雲は日誌の上を走るペンを止めないまま、俺にそうたずねた。

 下を向いている顔は、いつものようにはんなりとした柔らかい表情ではなくて、ちょっと強ばっているように見える。


「前聞いたこと……? なんだっけ?」

「えと、彼女とかいてはるんかっちゅう話」

「ああ……」


 前回それを聞かれたのは、確か東雲が転校してきて間もない頃だった気がする。


 何を誤解しているのか知らないが、俺のような生粋のモブが、ほんの二、三か月で、急激に女子と距離を詰められるとでも思っているのだろうか?

 まさか、そんなはずないだろう。


「いや、相変わらず俺は独り身だよ」

「そ、そうなんやね」


 なぜかほっと胸を撫で下ろす東雲。

 その真意はたぶん、こんな冴えない男、やっぱりモテるわけないよね。想像通りで安心した、ということなのだろう。

 この数か月の間に、俺は奥ゆかしい東雲の言葉の裏の本心をすっかりばっちり汲み取れるように成長していた。


「……あの、彼女作ろて思うたりはせんの?」

「え? う、うーん。そりゃ、できるもんなら欲しいけどな。俺って地味だし、モテないし」

「そ、そんなことあらへん。蓮司くんはかっこええよ」


 東雲という京都人との会話において、こういう、一見褒めているようなセリフを真に受けてはならない、ということは基本中の基本である。そんな単細胞男は、聡明な彼女に見下される対象なのだ。

 まあ、俺ぐらいになると、その言葉の裏に隠された「調子づくのも大概にせえよ、ボケナス」という真意を理解できるようになるのだが。


「……蓮司くんが彼女欲しいっちゅうなら……」


 変に間が空いたので、俺はくるりと後ろを振り返り、黒板から東雲のほうに視線を移す。

 東雲がペンを走らせる手はいつの間にか止まっていた。


「うちが、立候補してもええ?」


 オレンジ色の夕日に照らされた長い髪は、夜空のような濃紺とも、森林のような深緑ともつかない、不思議で、綺麗な色に光っていた。


「……!」

「……ダメ、やろか?」

「え……えっと、ごめん。俺みたいなヤツが東雲の周りをうろちょろしてて」

「え? な、なんでそうなるん?!」


 東雲は驚いた様子で、切れ長の瞳を思いきり丸く見開く。


「目障りなんだよな? 俺のこと。俺が彼女でもできてそっちに構うようになれば、自分は自由になれるのに、いつまで独り身でいるんだよって、そういう意味なんだろ?」

「は? は? え、ちょっと曲解しすぎとちゃう? 誰がそないなこと言うたん?」

「いや、だって京都の人ってストレートに本心を伝えず、遠回しに皮肉を言ってきたりするんだろ?」

「はああああああ?!」


 普段大人しい東雲が急に大声をあげたので、俺はビックリして肩を跳ねさせる。


「ど、どうした? 東雲」

「や、おかしいと思たわ! うちがなんか言うたんび、蓮司くん謝りよったもんなあ! なんでやろ思てたんよ! 変な人やなあって、それともうちのこと嫌いなんかなあって、それが、はあ?! 京都の人は……何やて?! 蓮司くん、もういっぺん言うてみい!」


 東雲がこんなに早口でまくし立てるところを初めて見たが、その冴え渡るツッコミからは、なんだか関西人の本気を感じられた。どちらかというと京都より大阪っぽいけれども。


「ほんなら、うちが京都出身やさかい、変な皮肉言いよるて思いよったっちゅうことやんな? あんなあ、うちの心配返してや! 大体うちはそんな性格悪くあらへんし、京都人のことも誤解しすぎや!!」

「ご、ごめんなさい!」


 どうやら東雲の怒りを買ってしまったようだった。

 そりゃあそうか。俺が持っていた京都の人に対する知識は全部ネットやテレビで聞きかじったものだし、本当にそれが正しいのかなんて調べもしていない。けど、東雲の反応からして、たぶん俺はずっと間違った認識で彼女に接していたんだと思う。


「はあ~~~~~~~」


 東雲はそんな俺にほとほと呆れ果てたという様子で、大きなため息をつく。


「蓮司くんて、ほんま救いようのないにぶちんやわ」

「そ、それはつまり……俺がものすごく冴え渡るイカしたヤツってことか?」

「アホ。んなわけあるかいな。そのまんまの意味や」


 それから冷めた目で俺を見て、鋭いツッコミを繰り出す。


「ゴホンっ! この際やからはっきり言わせてもらいますけど」

「は、はい」

「あんな、……うちは蓮司くんのことが好きや」

「!!」


 ……今、なんて言った?


 東雲が? あの東雲が?

 こんな完璧美少女が、ただのモブAの俺を好き?


 そんな夢のような話があるものか。

 きっとこれは他に意味が……。


「あ、言うとくけどな、この言葉に嘘偽りは一つもあらへん。隠された意味とか、本心とか、そんなのも無い。そのまんま、ストレートに受け取っておくれやす」

「……」

「蓮司くんのことが、好きや。うちと、付きおうてくれへん?」


 必死に東雲の本心を探ろうとしていた思考回路が、彼女のストレートな言葉や恥ずかしそうな表情を正常に処理できずに、エラーを起こして真っ白になる。


 何度も夢に見た。彼女の美しい横顔を。花開くような可憐な笑顔を。上品な佇まいや仕草を。ゆったりと心地よい喋り方を。

 どれだけ考えないようにしても、だめだった。

 夢の中だけは、どうしても制御できなかったのだ。


「……返事、聞かせてもらおか」

「あ、あ……ううう、」

「蓮司くん、顔真っ赤や。……かわええな」

「…………堪忍してや」


 あ、うつった。

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