プロローグ
「ライル、お前の料理は……もう必要ない。」
無機質な声が、静まり返った謁見の間に響いた。
王の言葉に、俺――ライルは微かに眉を動かしただけだった。
「……かしこまりました。」
俺は静かに膝を折り、深く頭を下げる。
これが、十年間王国に尽くした料理人への最後の言葉か。
王国宮廷料理人としての俺の腕前は、一流を超えていた――と自負していた。
ただ美味い料理を作るだけじゃない。
《料理付与》の技術で、料理に魔力を宿し、戦士には力を、魔導士には集中力を与える“バフ料理”の第一人者だ。
だが、その力も、権力と信仰には勝てなかった。
最近、王宮に取り入った新興宗教の神官が、王にこう進言したと聞く。
「料理に頼る時代は終わりました。神の祝福こそ、真なる加護なのです。」と
(バカバカしい。神の祝福? 確かに強力だが、持続も融通もきかねぇ上に、回数制限まである。むしろバフ料理と併用すれば何倍もの相乗効果を出せるってのに……。)
(まあ……言っても無駄か。これも“政治”ってやつだろう。)
腐った権力者どもは、目新しい神の奇跡とやらに飛びつき、長年仕えてきた俺の功績など一瞬で忘れ去っていた。
俺は黙って包丁を鞘に収め、鍋や調味料を詰め込んだ袋を背負い、宮廷を後にした。
宮廷を追われてから数日、俺は、王都の石畳を軽い足取りで歩いていた。
背中には鍋や包丁、香草瓶や調味料をぎゅうぎゅうに詰め込んだ荷袋。
重いはずのそれが、今の俺には不思議と心地いい。
(あれこれ縛られず、俺の料理を貫ける。これ以上の自由がどこにある?)
もはや後ろは振り返らない。
宮廷だの格式だの、どうでもいい。
今はただ、自分の腕一本でこの世界に挑み――最強の料理人になる。それだけだ。
そんな独り言を心の中で呟きながら辿り着いたのは、冒険者ギルドだった。
冒険者ギルドの中は昼時ということもあってごった返していた。
報酬を受け取りに来た冒険者や、依頼掲示板を見上げる人々の活気で溢れている。
俺は受付の列に並び、やがて自分の番が来ると、赤髪を結い上げた快活そうな受付嬢の前に立った。
「ご用件をどうぞ、登録ですか?」
「そうだ。」
「では、まず氏名とご職業をお願いします。」
「ライル・アルバトロ。……《料理付与師》だ。」
受付嬢は頭上に疑問符が見えるような顔で口を開いた。
「フード・エンチャンター?聞いたことがない職業ですね。 いや失礼、登録は職業問わずですからね。戦闘の心得は?」
「問題ない。腕っぷしには自信がある。」
俺は腕を曲げて力こぶを作って見せる。
「確かに。しなやかな筋肉の付き方をされていますね。」
にやりと口角を上げ、針のついた小さな器具を取り出す。
「じゃあまず血印をいただきますね。これであなたがあなたである証明になります。」
小さな痛みのあと、赤い光が俺の指先から器具に吸い込まれた。
次に手を水晶球へ乗せる。
「魔力量を測ります。……力を抜いてください。」
青白い光が水晶の中で静かに波打ち、深い湖底のように輝く。
受付嬢が目を見張る。
「すごい……、なかなかのものですよ。では、これで登録は完了です。こちらがあなたの冒険者カードです。」
木札に銀の縁取りが施され、中央には俺の名前が魔術文字で浮かんでいた。
「これでギルドから依頼を受けられますし、正式に冒険者を名乗れます。
ちなみにランクはFから始まります。」
「F?」
「ええ、ギルドのランクはF、E、D、C、B、A、そして最高位のSランクまで。
依頼の難度によって受けられるものが違うんですよ。」
受付嬢は人差し指を立てて楽しそうに言う。
「Fはまぁ……雑用や小物の討伐がほとんどです。
ですがランクが上がれば危険も報酬も跳ね上がります。
Sなんてもう国単位で動く規模ですからね。」
「なるほど。……そいつはいい。」
俺はカードを受け取り、ゆっくりと撫でた。
(これが……俺を縛るものじゃない。俺の自由と、この世界で最強の料理人になるための鍵だ。)
受付嬢が軽くからかうように笑った。
「ちなみに料理人さん、最初のうちはFの依頼であっても躓く方も多いですから、お気をつけて。」
「心配無用だ。むしろ俺にとっては未知の食材探しだ。」
「未知の……? あはは、面白い方ですね! 怪我だけは気を付けてくださいね。」
「おう。」
登録を終え、カードを懐にしまいながらギルドを出ようとすると、すぐ脇のテーブル席から賑やかな声が耳に飛び込んできた。
「また保存食? もう干し肉とビスケットは飽きたよー!」
長い金髪を揺らすエルフがふくれっ面で嘆く。
「贅沢言うな。食えないよりマシだ。」
銀髪に褐色の肌を持つダークエルフが低く返す。
「でも魔力が回復しなくて……このままだと戦闘途中に魔力が切れる……」
青髪で魔導士の風貌をした少女が小さく声を落とす。
「大丈夫よ。私が守るから。」
盾を軽く叩き、朗らかに笑うのは栗色ボブの盾剣士だった。
(ほう……見た感じ初心者パーティか?)
俺は口元に自然と笑みが浮かんだ。
(ちょうどいい。俺の料理を食わせて――あいつらを世界一のパーティに仕上げてやる。
それが俺の料理人としての最高の証明だ。)