断罪後の舞台で、令嬢は自由に踊りたいと思います
「……あのさ、リリアナ様って、やっぱり何か訳があるんじゃない?」
「わかる……あれだけ完璧だった人が、突然婚約を断つなんて普通じゃないわ」
「でも最近、挨拶してくれるのよ。私たちみたいな平民枠にも」
「それ、私も思ってた。笑顔が、前より……柔らかい気がするの」
――これは、リリアナが教室に入るとき、耳に入った囁きの一部だ。
彼女の視線は揺るがない。だが内心、少しだけ緊張していた。
(……人の目って、こんなにも重かったかしら)
婚約破棄が宣言された舞踏会から、三日が経った。
そのあいだ、彼女の周囲は騒がしくも静かだった。
取り巻きだった令嬢たちは、早々に“新たな派閥”を立ち上げ、距離を取っていった。
一方で、今まで彼女に話しかけたことのなかった生徒たち――とくに庶民の特待生たちが、少しずつ様子をうかがうようになった。
「おはようございます、皆様」
リリアナは、扉をくぐると同時に笑顔で頭を下げる。
かつてはそんなことあり得なかった。
一瞬の沈黙――だが、数名の生徒が会釈を返した。
それだけで、彼女は胸の奥にふっと灯るような安堵を感じた。
(……本当に、少しずつ)
⸻
昼食時間。
リリアナはこれまで、専用の高貴なサロンで取り巻きたちと食事をしていた。だが今は、学園内の一般的な中庭スペースで、一人。
――そこへ、ふわっと風を運ぶように現れたのは、ユリウス=ヴェルシュタインだった。
「隣、座ってもいい?」
「……ユリウス。ええ、どうぞ」
彼はリリアナの幼なじみであり、最初にフラグが立った攻略対象の一人。
だが、彼の表情には笑みも怒りもない。ただ、真剣だった。
「どうして、あんなにきっぱりと言えたの?」
その問いに、リリアナはゆっくりと手を止めた。
「怖くなかった、と言えば嘘になるわ。でも……怖がって、縛られていたままじゃ、本当に大事なものが見えない気がして」
静かな、でも真っ直ぐな言葉だった。
ユリウスは一拍の沈黙のあと、ふっと笑った。
「……君、変わったよね。でも、嫌いじゃない。むしろ、今の君の方が……」
言いかけて、言葉を飲み込む。
その代わりに、彼はサンドウィッチの包みを差し出してきた。
「これ、俺の手作り。食べてみて」
「え……? 手作り?」
「ほら、“今のリリアナ”ってやつと、ちゃんと会話したいから」
リリアナは驚きながらも、思わず微笑んだ。
(こんな時間が、来るなんて思ってなかった)
⸻
午後の授業は、実戦形式の魔導演習。
組分けは、くじ引き形式だ。
そして――リリアナのチームメンバーは、まさかのレオン=アルフォード(第二王子)。
「へぇ、俺と組まされるなんて。これは神様の気まぐれか、それとも教師の悪意か?」
「神様だとしたら、ずいぶんと茶目っ気がおありですね」
笑いながらも、レオンの目は鋭かった。
この王子は、表面上ふざけているようで、誰よりも“人の本質”を見抜く観察眼を持っている。
「なあ、リリアナ。ぶっちゃけさ、婚約破棄して、すっきりした?」
「……正直に言えば、ええ。少し、肩の荷が下りました」
「ふーん。でもそれだけじゃないな。もっと奥に、何かがある」
リリアナは返答せず、魔力を手に集中する。
だが、レオンは確かに見ていた。
彼女の魔力が、以前よりずっと澄んで、そして"何か"変化していることを。
「……お前、ほんとに“何か”隠してるよな」
「さあ、なんのことでしょう?」
「楽しみだな。どこまで転がっていくのか、リリアナ・ヴェルシュタイン」
⸻
放課後、誰もいない図書室の片隅で、リリアナは一冊の古書を読んでいた。
魔導理論の中でも、人の意識や感情を読み解く特殊魔法――
すると、声がした。
「……君は、本当に変わろうとしているんだね」
その声は、王太子・セシル。
リリアナは本を閉じ、彼に静かに向き直る。
「殿下。……お心を煩わせてしまったのなら、申し訳ありません」
「いや、謝ることじゃない。むしろ――感謝してるよ」
「え……?」
「君が、自分の意思で“道”を選んでくれたことを。俺は、あのときようやく……君を“ひとりの人間”として見ることができた気がする」
その言葉に、リリアナの胸はわずかに震えた。
――これはきっと、始まりなのだ。
かつて用意された「ゲームの筋書き」とは異なる、彼女だけの人生の物語が。