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魔導国内の八か所、東西南北と北東、北西、南東、南西。国土を囲むように発生した大氾濫は、一か月以上が経った今も勢いが衰えていない。特に、外海沿いである北部の大氾濫。その防衛線上では……。
「くっ! 総司令部からの指示はまだか?」
「依然、防衛線を堅守しろの一点張りです!」
魔導兵団北部方面軍は、苦戦を強いられていた。他の大氾濫発生迷宮と違い、ここはすぐ北が海。なので、魔獣のほとんどが南下してくる。溢れ出る魔獣の全てを相手にしなければならないのだ。そのため、総司令部には、増援の要請と戦線の後退を打診していたのだが、明確な指示が返ってこない。
それどころか、最近では物資の補給すらも滞ってきている始末。方面軍での備蓄分でなんとかやりくりし、魔獣の猛攻を押し留めている訳だが……。
「クソ! 限界だ……。戦線を後退させる。冒険者と魔術師にも通達をしておけ」
「それが……冒険者も魔術師も、すでに戦線を離脱済みで……」
北部の中心的魔導都市へと、すでに撤退を完了させている。その話を聞いた方面軍司令は、頭を抱えてしまっていた。あれだけ連携して動けていたはずなのに、どうしてこうなってしまったのか、と。中央……総司令部や各ギルドの総本部は、一体なにをやっているのか、と。
「分かった。ならば、我々もそこまで後退。都市を中心とした防衛線を再構築だ」
「了解しました!」
急いで指示を伝えに行く副司令を見送ると、司令は独りごちる。
「本当に、なんだというのだ。中央は……この国難に対して、乗り越えるつもりがないのか?」
その日、北部方面軍は防衛線を大きく後退させた。それに追随する形で、北東と北西方面軍も後退。その決断は、多くの街や村を放棄する事を意味し、多くの北部一帯の民が……中央方面への避難を余儀なくされたのであった。
一方、南西方面。そちらでもまた、中央の司令機能の麻痺によって、前線の混乱が起こっていた。
「ハイランドさん! 今が攻め時ですわ!」
「ええ。ですが、魔導兵団は前線を押し上げるつもりは無いようです」
現地のギルド戦力に合流したハイランドとジゼルは、最前線で戦っている。北部の大氾濫と違い、南西方面は互角以上の戦いが出来ていた。その理由としては、溢れ出した魔獣が神聖国側へも向かっているからである。全ての魔獣を相手にしない分、戦力的なゆとりがあったのだ。
しかし、戦況は好転しない。南西方面の魔導兵団は、戦線の維持に終始し、前にも後ろにも動かない。今も、冒険者や魔術師が苦労して作ったチャンスを、みすみす逃しているところだ。
「では、私たちだけで、とはいかないのが……歯痒いですわね」
「はい。軍も足並みを揃えて頂かないと、いつまで経ってもジリ貧です」
そうは言うものの、ギルドに関しても動きがおかしい。総本部からの指示は、ある日を境に精彩を欠いている。無理をせずに現状維持。根本解決を先延ばしするような、決断力の欠如した指示ばかりだ。せめてもの救いは、それでなんとかなっている現状という事だが……。
「やはり、本部の意向を無視してでも……迷宮突入部隊を編成すべきですわ!」
「ええ、それが出来たら……ですが」
この国はギルドのお膝元な事もあり、優秀な上級冒険者や魔術師が揃っている。魔人のような規格外の強敵が居ない限りは、この場の戦力での突入は可能。しかし、事はそう簡単ではない。
縦の指揮系統が乱れているだけでなく、横の協力体制……軍と冒険者ギルド、冒険者ギルドと魔術師ギルドのような連携も、ある日を境に断絶した。この場にいるハイランドとジゼルは、個人間での信頼関係によって共闘しているだけであり、全体としては各個バラバラに動いてしまっている。
なので、突入作戦を行うのは困難。足並みが揃わぬ以上、下手に突入に戦力を割けば……戦線が崩壊する可能性が極めて高いのだ。
「本部は……なにをしているのですか? このような時に指導力を発揮してこその本部でしょうに……」
「全くです。しかし、本部……いえ、中央でなにかが起こっているのかもしれませんね」
ハイランドとジゼルは、どうにもならない現状に苛立ちと困惑を感じながらも、ただただ魔獣をその場で食い止める事しか出来ないのだった。
そしてその頃、シルバたち一行は、神聖国・魔導国間の国境を突破していた。神聖国軍やギルド戦力との共闘で、攻め寄せる魔獣の多くを駆逐。攻め手が緩んだところを力尽くで突き破り、見事に魔導国へと入国を果たしていた。
「魔導国側の国境城壁は……やっぱり放棄されていたんだね」
「仕方がないって分かってはいても、なんとも言えない気分なのです……」
シルバとメリサンドは、無人となって打ち壊されている城壁上で、簡易の生存者捜索を行っている。そして、以前の大氾濫の時と同様、国境守備軍が早々に引き上げた事に……少しの安堵と多くのやるせなさを感じていた。無事に逃れた事への安堵と、周辺国への拡散防止を怠ったやるせなさだ。
世界最強を誇る魔導国の軍でも、内側からの脅威には対処出来なかった。なので、早々に放棄を決断したのは正しい判断だ。しかし、その影響が周辺国にも及んでいる事を考えれば、大氾濫が終息した後も……もう一波乱がありそうだ。特に負の国々は、これをきっかけとして戦端を開くのではないだろうかと、二人は考えてしまっている。ただ、今はそれどころではない。
「とりあえず、取り残された人は居ないようだし、馬車へ戻ろっか」
「はいなのです。ただ、この後は……何か所の悲劇の光景を見る事になるのでしょう……?」
メリサンドは、知っていた。いくつもの街や村に被害が及んでいる事を。この城壁のように、ただの防衛施設が破壊の限りを尽くされるなら……まだいい。しかし、人の安住の地である生活の場が壊され、もしかしたら……避難すらも出来ず、殺されてしまった人々の痕跡を見る事になるかもしれない。
「多分、たくさん……」
「そうなのです……。メリたちが、もっと早くに到着出来ていたら……」
たらればを語っても仕方がないと分かってはいるだろうし、早く到着していたとしても……全てを救えるなんて事はない。それでも、メリサンドはそう思わずにはいられなかったのだろう。
そして、馬車に乗り込んだ二人は、ディンガとドーリスに生存者がいなかった事を伝え、再び馬車は走り出したのだった。
二人の魔人が、椅子に座っていた。魔導国のどこか。洞窟のようなアジトの一角。
「キララちゃんは、しっかりお仕事を果たしてくれたのねぇ。お姉ちゃん、嬉しいわぁ」
妖艶という言葉が似あう美女が、魔人ダスターへ聞こえるように言葉を発した。ダスターは、その甘ったるい喋り方にため息を吐きながらも、続きを促すように言葉を返す。
「はぁ、締まらねえなあ……。だが、まあいい。それで、俺はどうすりゃいい?」
「ダスター君は、南西でのお仕事に取り掛かって下さいな。でもぉ、無理だけは禁物よ?」
ダスターは頷いた。妖艶な美女の立てた計画は見事であり、その通りに動く事が最善だと理解しているから。しかし、一つだけ言いたい事があったようで、アジトを出る前に言い放つ。
「次、あの■■■クソ■と戦えば、殺すのは無理でも……勝てる。計画がなけりゃあ、勝てるんだぜ!」
「はいはい、そういう事にしておきますねぇ。でもぉ、お仕事はお仕事。計画通りにお願いね?」
「チッ!」
舌打ちをしながら出ていくダスターを見送ってから、妖艶な美女はただ一人、誰に向けるでもなく口を開く。
「蝕むように広がる毒は、多くの国を巻き込んでいくの。うふふふふ、あはははは!」
その嗤い声だけがアジトの中を満たし、響くのだった。




