008 sideA
これはよろしくない展開だ。俺は馬車に揺られながら考えていた。神殿での鑑定の説明的に、俺が神人である事が判明するのは間違いない。それ自体は、そこまで大きな問題では無い……はずだ。だが、その後が大問題なのだ。
神人が現れたという噂は、きっとすぐに広まる。そうなれば……グレイにも噂は届くだろう。そして、この街で彼が暴れるような事があれば、大惨事に発展するのは疑うべくも無い。この巨大都市が壊滅するとまでは考えられないが、多くの人命は確実に失われる。そうならないために出来る事は――
「領主様。鑑定の前に、お願いしたい事があります」
「ん? シルバ君、言ってみたまえ」
訝しがる様子の領主様だったが、どうやら話は聞いてくれるらしい。
「鑑定の結果を広めないようお願いしたいのです」
「……それは、君が罪人であるという事か?」
「いえ、違うはずです」
「……? まあいい。人の鑑定結果を軽々しく公表するつもりもないから、その点は約束しよう」
昨夜のレイナ様では無いが、言質は取った。これで充分かと言われると怪しいが、何も手を打たないよりはマシだろう。人の口に戸は立てられぬとも言うし、時間稼ぎでしかないのだろうが……。
そして、神殿に到着した。してしまった。だが、俺の好奇心は正直なようで、荘厳な佇まいのこの建築物に興味が湧くばかりだ。俺の目覚めた神殿よりも遥かに大きなここには、どれだけの神々が祀られているのだろうか。そんな気持ちが顔に出てしまっていたようで、レイナ様がそっと耳打ちしてくる。
「この国の神殿は、正も負も関係ありませんの。どちらの陣営におもねる事無く、多くの神々を信奉していますわ」
「だから、神殿がこんなに大きいのですね」
「ここが大きいのは、代々キャンベル家が寄付を続けた結果ですわ。という事で、お父様を追いかけましょう」
ずんずん進んでいく領主様に追いつこうと、俺とレイナ様は足を速めたのだった。
神殿内には、思っていた以上に多くの神像が祀られていた。もっとも目立つ祭壇の奥には、八大神と八従神が。参拝者のための長椅子を囲むように、上級や中級の神々が。そのいずれもが丁寧な仕事で作り上げたと分かるほどの見事な出来で、俺はただただ見入ってしまっていた。だが、祭壇に到着した領主様の声掛けにより、俺は正気へと引き戻された。
「シルバ君。神々を敬う気持ちは理解するが、まずは鑑定を済ませてしまおう」
この時が来てしまったと、俺は覚悟を決めて祭壇へと向かった。そこには司教様が待ち構えており、祭壇の上には磨き上げられた鏡が置かれている。
「キャンベル卿、こちらが鑑定対象のシルバ様でよろしいですね」
「ああ。彼が罪人かどうかを調べたくてな。よろしく頼む」
「承知しました。では、シルバ様。こちらの鏡面をご覧ください」
促されるままに、俺は鏡を見つめた。興味深い事に、鏡の中の俺はぶれるように不鮮明で、実像をはっきりと映し出せていない。と思った瞬間だった――
鏡が光り輝き、神殿内を大いに照らす。眩しさに顔を背けると、司教様や領主様が驚きの表情を浮かべていた。二人の反応的に、これは異常事態なのだろう。世にも稀な、神人に対する特別演出という訳だ。そして、光が徐々に治まると、鑑定結果を確認した司教様が驚愕の声を上げた。
「か、鑑定不能! 表示されているのは……愛の女神様の神人であるという事だけです!」
「「神人!」」
領主様とレイナ様は、同時に叫んでいた。あまり騒がないでもらえるとありがたいんだけどな……。俺のそんな願いは届かず、領主様は興奮した様子で司教様に詰め寄っている。
「この鑑定具の故障の可能性は?」
「あり得ません。神々のお力による御物ですので、万が一にも」
鑑定結果が間違いないと聞くと、領主様はより一層興奮を増していった。
「愛の女神様で間違いないのだな? 八従神第一位の、あの女神様で!」
「は、はい。この国の歴史上、最高位の神人ということになります」
「そ、そうか……。シルバ君、いや、シルバ様……この事をご存知だったのですか?」
「あはははは……まあ」
とりあえず笑って誤魔化そうと試みるが、どうやら思っていた以上に大事になってしまっているようである。レイナ様に至っては、叫んで以降ずっと固まったままだ。ただ、ここまで騒いでおいて今更かもしれないが、領主様に確認しなければならない事がある。
「領主様、先ほどの約束……覚えておりますよね?」
「公表しないという件ですね。ですが、本当によろしいのですか?」
「よろしいとは?」
俺の疑問に、領主様と司教様が答える。なんでも、神人であれば貴族に叙されるという。それだけ神人という存在は別格なんだとか。だが、そんな話を聞かされても、俺の考えは変わらない。
「よろしいです。それと、領主様もレイナ様も……これまで通りの態度で俺に接してください」
「シルバ君、分かった。では、続きは屋敷で話そうじゃないか」
屋敷に戻り、先ほどの部屋に再び案内される。先ほどと違うところと言えば、シロの同伴が許された事だろう。ペット厳禁だったはずなのに、俺が神人だと分かると……とんだ手のひら返しだ。それに、俺から聞こえないように気を付けながら、領主様とレイナ様が密談している。そして、密談を終えると、レイナ様が俺の隣へと席を移した。
「それではシルバ君。レイナちゃんの従者として働く意思、今も変わっていないだろうか?」
「はい、レイナ様と約束しておりますので。ですが、期間について相談したいと思っております」
「それについてはレイナちゃんから聞いている。だから、こちらからは一年毎の契約更新制を提案したい」
「一年毎に意思確認が入るのですね。それならば問題ありません」
俺の了承を聞いて、レイナ様が横から抱きついてくる。領主様の前で……これは不味いのでは? ちらっと領主様の顔色を窺うが、特別咎める様子も無いようで一安心だ。
「シルバ様! これからよろしくお願いしますわ!」
こうして俺は、キャンベル家に雇われる事となったのだった――
従者としての生活は、これはこれで面白いものだった。他の使用人たちと共に日が昇る前に目を覚まし、始業前の準備を始める。支給された上質な衣服を纏い、身だしなみを整えるのも従者には必須。執事のセバスさん曰く、「従者の乱れは主人の恥」だからだ。なので、朝から鏡とにらみ合い、レイナ様に付き従うに相応しいよう自身を磨き上げる。それでやっと、業務へ向かう準備が終わるのだ。
その後は、セバスさんやメイドさん達と一日の予定を確認し合い、始業を迎える。レイナ様を起こしに向かい、着替えとヘアセットを行う。……常々疑問なのだが、これは男の俺の仕事なのだろうか。淑女の身支度は、メイドさんの仕事な気がするのだが。しかし、レイナ様が嫌がる素振りも無く、むしろ嬉々として身を任せてくる以上、従者としては従うしかあるまい。
レイナ様の支度を済ませると、朝食の時間だ。そこで俺も同席させられ、領主様ご夫妻までを含めて食事を摂る。従者として破格の扱いのように思うが、どこからも異議申し立てが無いため、俺も受け入れている。
食事を終えると、レイナ様は貴族の務めに動き出す。公務に出掛ける事もあれば、屋敷内で教育を受ける事もある。そんな彼女の傍に侍り、その身を護るのが俺の役目。外出時は勿論、屋敷の中であっても油断は出来ないのだ。
そして、夜になると朝食同様に食事を摂る。その後、レイナ様を部屋へと返せば一日の業務が終了だ。そこから就寝までは自由時間。大概の日は、書庫で情報収集に努めている。記憶を取り戻し、自身が何者なのかを知るために。未だに成果は上がっていないが、こんな毎日を繰り返すのだった。