007 sideB
門をくぐった先には多くの露店や商店が軒を連ね、多くの人々が行き交っている。そんな私には当然の光景も、シルバ様にとっては真新しい発見であるかのように興味津々。記憶喪失とは聞いておりますが、まるで世の事を知らぬ無垢な子供のような反応です。それは可愛らしくもありますが、非常に危険な事でもあります。ここは、大平原のような田舎ではないのですから。
大平原は通貨も出回らぬほどの僻地。人々は互いに助け合い、支え合う。悪い獣人も中にはいらっしゃるでしょうが、基本的にはおおらかで義理人情に厚い人々です。ですが、只人は違います。富や名声のためなら簡単に他人を陥れ、利用できるものは誰であろうと利用する。そして、私たちキャンベル家が治めるこの街は、経済の中心地なだけあってその傾向が顕著なのです。そんな、人々の悪意が渦巻くこの街に、無垢なままの彼を投げ入れるのは……狡賢い獣に餌を与える様なもの。……私が守って差し上げなければ!
「シルバ様、物珍しいのは理解できますが、まずは私のお屋敷に参りましょう?」
「はい、レイナ様。屋敷へ送り届けるまでが依頼ですからね」
この反応についてもです。依頼とは言っても、ただの口約束。契約魔術で結ばれた訳でも、ギルドを通したものでも無い。それも、私のような貴族が騙すような形で取り付けた約束を、頑なに守ろうとしている。もし、私ではなく悪意ある者が利用しようと近付いてきても、彼は簡単に騙されてしまうのではないでしょうか……。
「あの……私を送り届けた後のご予定を伺っても?」
「特には決めていませんが、折角なので只人領域を満喫してから大平原に帰ろうかと」
「この街にもしばらく滞在するという事ですの?」
「そうですね。お金が尽きるまではこの街を拠点に生活して、無くなれば大平原へという感じですかね」
これはいけないですわ! お人好しでイケメン、更には武術や魔術にも精通した彼では、この街の住民が放っておく訳が無いのです。なにか理由を付けて、私の目の届く範囲に囲い込まなければ。これは無垢な彼を保護するという、崇高な行い。決して、彼を独占しようという下心ではありませんの。……たぶん。
「でしたら、我が家に住み込みで働いてはいかがかしら? お給金は弾みますし、食事も提供しますわ」
「ありがたい申し出ですが、それではいつまで経っても大平原に帰れなくなってしまいますし」
「でしたら、書庫への出入りも許可しましょう! 失った記憶を取り戻す手助けになりますわよ?」
「それは……」
あと一押し。あと一押しで彼が我が家、いえ、私のモノに。私専属の従者兼護衛としていつも一緒なのですわ! そして、私の魅力で彼はいずれ虜に、ふふふ。……おっと、違いましたの。あくまで可能性の話なんですの。
「シルバ様、我が家は大貴族ゆえ敵も多いのです……。ですが、貴方のように腕の立つ御方が傍にいれば、私も安心できるのですわ」
「……分かりました。ですが、期間の定めをしませんか?」
「ええ。そこら辺はお父様とも話し合いましょう」
私は心の中でガッツポーズを決めた。これで後は、お父様へとおねだりするのみ。なんでも欲しい物を与えてくれるお父様の事だから、シルバ様を欲しいと言えば今回も大丈夫ですわ。そうやって私は、高を括っていたのだった。
屋敷に到着した私たちは、早速お父様のもとへと向かっている。その途上、シルバ様は邸内を見回しては感嘆の息を漏らし、キラキラと瞳を輝かせながら言った。
「外から見てもお城みたいでしたが、中に入るともっと凄いのですね!」
「我が家の屋敷、気に入ってもらえましたでしょうか?」
「はい! ですが、本当に俺がここで働いてもいいのでしょうか?」
「いいのですわ。っと、お父様のお部屋に着きましたの。では、参りましょう」
部屋に入ると、お父様が飛びついてきた。……視察帰りの恒例行事ですわね。黙っていれば威厳があって格好いいお父様なのですが、こうなっては……残念なおじさんですわ。
「レイナちゃん! パパ、心配したんだよ!」
「お父様、客人を連れておりますので……その、離していただけないかなと」
「あっ、ああ。そうだったな。とりあえず、報告とやらを聞こうじゃないか」
貴族としての品格を取り戻したお父様と共に、テーブルセットへ腰を下ろす。そして、シルバ様が大平原で起きた事件を報告していった。話を聞き終えたお父様は、複雑な表情でシルバ様へと問いかける。
「事件の犯人である狼獣人のグレイは、羨望の神の加護持ちなのだな」
「はい。狼獣人は機動性に優れる種族ですが、加護の影響でより速く強くなっておりました」
「そうか。加護持ちとあらば我が家で召し抱えたい人材なのだが……事件さえ起こさなければ、だったな」
お父様は書類へと何かを書きこみ、控えていたセバスへと手渡した。
「冒険者ギルドへ届けてくれ。ラ=ズンダ村へと調査人員を送り、結果次第で懸賞首に指名する」
お父様は、セバスが退室するのを見送ると私の方へと向き直り、凛々しい貴族の顔からだらしない父の顔へと変わった。
「レイナちゃん……今回の家出について、話してくれるかな?」
私はお父様に説明した。南の山脈沿いにある鉱山街へ宝石の買い付けに出向いた事。帰還途中、他家の手の者に誘拐されそうになった事。そして、シルバ様が助けて下さった事。特にシルバ様の華麗な手並みについては、それはもう熱く語りましたとも。セバスでさえも苦戦した賊を、いとも容易く制圧するその武勇伝を。すると、お父様は威厳を取り戻した表情で、シルバ様へと頭を下げた。
「シルバ君、娘を助けていただき感謝する。報告の件と併せて、望む事があるのなら報いよう」
「頭をお上げください。それと、お礼を頂けると言うのなら……大平原の統治について、在り方を見直しては頂けないでしょうか?」
「君は……金銭などよりも、そのような事を望むのか。だがな、申し訳ないが即座に頷ける案件ではないのだ。すまない」
「いえ、難しい事を言った自覚はあります。ですが、あのような惨劇が再び起こらぬよう、ご一考いただければ」
お父様は曖昧に頷いた。それは確約出来ないという意思の表れ。という事は、私にとって大チャンスです。お礼をするのが貴族の矜持であり、それが果たせたと言えない今……あのお話を持ち出せば、ふふふ。
「お父様! シルバ様へのお礼、このままでは不足もいいところですわ! ですので……シルバ様を我が家で雇い入れ、私付きの従者にいたしましょう」
「それは駄目だ」
私は呆然とした。まさか、お父様が私の提案を断るなんて! それも即答!
「何故ですの? シルバ様が善良な方だというのは、お父様もお分かりでしょう!」
「それは分かっている。だがな、聞けば身元不明。経歴も不明。流石に、南部一の我がキャンベル家で雇う訳にはいかんのだ」
「……お父様の馬鹿! おたんこなす! もう……口をきいてあげない!」
「レ、レイナちゃん! 分かった! 身元や経歴は目を瞑る。だが、罪科の有無の確認は必須。神殿で鑑定を行う」
そう言ったお父様は、私とシルバ様を連れて神殿へと向かった。何事か分かっていないシルバ様に、私は簡単な説明を行う。
「神殿での鑑定は、その人の全てを詳らかにしますの。それは神々のお力によるもので、例外はほぼ御座いませんわ」
「そうなんですね。それで、ほぼというのは?」
「加護持ちであれば、加護を与えた神の都合が反映されますの。そして、神人に至っては鑑定不能ですわ」
その話を聞いたシルバ様は、何やら考え込んでしまった。私は不思議そうに首を傾げるのだった。