064 sideB
メリは馬車に揺られながら……もどかしい気持ちを必死に抑え込んでいました。
王都出発直前、ギルドの通信用魔具に届いた知らせは、「国境城壁、未だ健在。然れど、至急の来援を請う」というものだったそうです。城壁が抜かれていない事には安堵しつつも、国境守備軍が劣勢である事は明白で、今この瞬間にも戦線が崩壊してしまうのではないかと、焦る気持ちが膨らんでいっています。
徒歩で向かうよりは確かに速い馬車ですが、国境までは二日から三日ほど掛かってしまいます。なので、まだ着かないのかと……落ち着きなく身体を揺らして、大層険しい表情を浮かべていたのだと思います。……シルバさんに心配されるほどに。
「メリちゃん。気持ちは分かるけど……今は、我慢だよ」
「は、はいなのです……。ですけど、この瞬間にも――」
「駄目だよ。それ以上言っちゃ。不安を口にしたら……現実になっちゃうって言うじゃん?」
優しく諭されて、メリは口を噤みました。言霊という呪い、或いは呪いがあるなんて話を聞いた事があります。学術的に解明されている話ではないにしても、経験則のようなものと考えると……確かに、不用意に口にしないのがいいように思います。
なにより、シルバさんが伝えたいのは、「必死に戦ってくれている守備兵さんたちを信じてあげよう」って事なのだとも……。それなら、メリも信じてみようと思います。きっと、耐え抜いてくれるって。
急ぐ行軍であっても、休憩は必須です。馬さんを速く走らせては休憩を挟み、また走らせる。その馬さんの休憩の時間に、ハイランド様やジゼル様から、小まめに追加情報がもたらされます。出発を早めるため、事前に伝えきれなかった様々な情報という事です。そして、先ほど共有された情報が――
「敵魔獣は、ゴブリンとオーガか……。たちが悪ぃな」
「うむ。数で押すゴブリン。質で圧倒するオーガ。厄介だ」
ベテラン二人が、明らかに嫌な顔をして話し合っていました。ゴブリンが厄介なのは……以前の迷宮攻略で理解しています。様々な変異種がおり、個々の弱さを数と多様性で補う。……なにより、見飽きるほどに見た魔獣なので、しばらくは見たくはない相手でしたが。
ですが、オーガという魔獣は図鑑でしか知りません。確か……ゴブリンが小鬼と表現されるのに対して、オーガは大鬼と表現される魔獣で、基本種でもD級に分類される大型魔獣だとか。ただ、マジシャンなどの変異種は確認されておらず、個体数も少ないと書かれていました。
ゴブリンを厄介と表現するのは分かりますが、オーガに対しても厄介と表現するのは何故なのでしょうか?
「オーガは、なにが嫌なのです? 個々の強さなのです?」
メリの問い掛けに、ディンガさんとドーリスさんは互いの顔を見合わせて、少し困ったように言います。
「強ぇのは否定しねぇが……なんつうか、戦い辛いんだよな」
「然り。魔獣の知恵が実証された今だから言う。あれは、こちらの動きを読んで動く知恵がある」
これまでは、魔獣に知性は無いと言われてきました。なので、なんとなくやり辛い相手程度の認識だったのでしょう。ですが、魔獣の知性が認められた今……ドーリスさんの見立てでは、オーガは高い知性を有しているという考えに至った。だから、厄介だと……。
「大きくて強い上に、狡賢いって事なのです?」
「そうそう。こっちの連携を切ろうと動きやがるし、個体によっちゃあ武器まで持ってやがる」
「うむ。基本のオーガでそれだ。上位種になれば、更に厄介だろう」
ゴブリンと同様の法則が働くなら、ハイやグレートと格が上がるにつれて、より強くより賢くなる事が予想されます。更に言えば……図鑑で見たハイオーガの級はC。グレートに至っては……A級です。単純なマナ量や戦闘能力で級別けが為される事を考えれば、高い知性を持ち合わせる以上、級相応とは言えないほどの強敵となります。これは……厄介です!
「でも、戦い慣れしてるベテラン冒険者さんたちなら……」
「いやな、この国の冒険者で戦い慣れてる奴は少ねぇ」
「オーガは、この国の迷宮には出現せぬ」
「あっ……」
そうでした。メリが書物上の知識しか持ち合わせていない、それも……頭の片隅にある程度だったのは、それが理由です。王都近辺は勿論、中部にも南部にも……オーガが出現する迷宮は無いのです。なので、王国でしか活動していない冒険者からすれば……未知の敵。メリのように魔獣図鑑に目を通す冒険者は少ないでしょうし、オーガという名前すら理解していない人も多くいそうです。
「でも、ハイランドさんなら、その辺も上手い事やるんじゃない?」
シルバさんがそう言うと、ディンガさんたちが微笑みを浮かべました。そして、こう返します。
「違ぇねぇな。旦那の事だから、次の休憩のタイミングで……”オーガへの必勝法”とか話してくれそうだぜ」
「然り。私たちは、ハイランド殿の指示通り動けば良い。それだけで充分」
ディンガさんの言葉は、本気だったのか冗談だったのか分かりませんが……実際に、次の休憩ではオーガについての解説や対処法が共有されました。流石に必勝法とまでは言えませんが、不安を抱えていた人たちに自信を持たせるに充分な、適切かつ的確なものばかりでした。
そして、王都を発って二日目。まだ目視で国境城壁は確認できませんが……空気が変わったのを感じました。より明確に言うならば、マナ濃度が上がったと言うべきでしょう。いよいよ戦いが近付いてきたのだと、馬車の中の空気まで重さと緊張感が漂い始めます。
そんな中、今回もこのパーティのリーダーとなったディンガさんが、努めて明るく言い放ちます。
「今回の依頼は楽勝だな! だってよぉ、この前の大氾濫と違って、大量に味方がいるんだぜ?」
本心から言っている訳ではない。それはメリにも分かります。決して楽な依頼ではなく……多くの死者も出るんだと思います。沢山の味方と言っても、手の空いている冒険者と魔術師の全員が動員されている事から、下級冒険者も多く、実戦経験の浅い魔術師も多いのです。
ですが……だからこそ、ディンガさんは言ったのだと思います。不安が現実になるように、期待や希望もまた……現実になると信じて。だから、メリは答えます。
「そうなのです! さくっと魔獣をやっつけて、さっさと王都に凱旋するのです!」
そうなって欲しいと期待しながら、自身を奮い立たせるよう言いました。そんなメリの言葉に続くように、ドーリスさんやシルバさんも口を開きます。
「うむ。狩って、勝って、帰る。普段通りだ」
「そうだね! 守備軍の人たちも頑張ってくれてるだろうし、俺たち魔獣討伐のプロが合流するんだし……楽勝だよ!」
重苦しい空気は払拭されました。不安材料が無くなった訳でも無いのに、とても不思議です。そんな心地よい高揚感に包まれながら、城壁が見えてくるであろう方角を見つめ続けるのでした。
しばらくして、遂に目視で国境城壁が確認されました。幸いな事に、城壁のこちら側に魔獣の姿は見当たりません。……持ち堪えてくれたんだ。そう安堵したのも束の間、近付くにつれて大きくなっていく戦闘音。怒号のように飛び交う指揮官の声と、それに応じる兵たちの声も聞こえてきます。それらの激しさから、予断を許さない状況なのは疑いようもありません。なので、メリは催促しました。
「ディンガさん! 到着前に指示をお願いなのです!」
「ああ! 指示は単純。……全員、到着次第城壁上へ! 手当たり次第に魔獣を屠れ!」
「「「了解!」」」
こうして、この後に世界規模へと広がっていく大事件の一幕に、メリやシルバさんも巻き込まれていくのでした。いえ……この時にはすでに、主要人物だったのでしょう。それに気づいていなかっただけで……。




