044 sideB
メリは動く事が出来ませんでした。それは……恐怖によるものと、濃すぎるマナによる気分の悪さからです。
昨日、上級魔術で倒したグレートゴブリン。あの結果だけで考えれば、一方的な勝利だったと言えます。ですが、もし上級魔術を使えていなかったら……あれほどの圧勝は無かったはずです。……そんな相手が、この最深部にはゴロゴロいます。両手の指で足りないほどのグレートゴブリンに、その何倍もいるハイゴブリン。しかも、見た事の無い変異を遂げている個体ばかりです。そして、極めつけは……喋るゴブリンでしょう。
高い知性を感じさせるだけでなく、グレートゴブリンに勝るとも劣らない体格。統率力も脅威的だと思います。だって、侵入者であるメリたちに、配下のゴブリンたちが即座に襲い掛かってこないのも……あのゴブリンが、完全に配下を掌握しているからでしょう。そして、一番恐ろしいのは、あのゴブリンから感じるマナ。明らかに、他のゴブリンから感じるものと一線を画しています。
魔獣の強さというのは、魔獣を構成するマナの量と密度である程度が決まります。少ないマナから生まれた魔獣は弱く、膨大なマナを圧縮して生まれた魔獣は強いのです。そして、あのゴブリンは完全に後者。人が見上げるほどの体格ではあるものの、内包しているマナは……まるで、伝説のドラゴンのようです。いえ、ドラゴンを見たことが無いので例えなのですが、それくらい膨大なマナが凝縮されていると言いたいのです。
そして、そんな魔獣たちを産み出したこの空間は、マナの感知を得意とするメリのような森人……いえ、それ以外の種族の人であっても、毒のように感じるであろうマナ濃度なのです。
魔獣はマナによって生きています。ですが、人や獣はマナを絶対に必要とする訳ではなく、多少の濃度の変化では違いさえ気付きません。しかし、極端すぎるマナ濃度の変化は体調に異常をきたすという事が、この場に来た事で気付きました。自然界ではあり得ないほどの高濃度のマナの中では、人は息をするのも大変なようです……。まるで、超高温の蒸し風呂の中に押し込まれているような感覚で、気を抜けば意識さえ失ってしまいそうなものです。
そんな、恐怖と過ぎたるマナの中で、シルバさんは平然と口を開いたのでした。それも、あの明らかに異様なゴブリンと対話をするために、です。その対応が意外だったのか、あのゴブリンは首を傾げながら返答します。
「オ前、平気ナノカ?」
「平気? なにが?」
「ソウカ! オ前、特別ナノダナ。憎キ神ノ力ヲ感ジルゾ!」
絶妙に話が噛み合っていないように思います。対話を試みたシルバさんでしたが、返ってきたのは質問と憎悪の言葉だけ。それも……シルバさんを通して、神様へと向けた悪感情。という事は、シルバさんが神人である事に気付いたのでしょう。知性や膨大なマナだけでなく、神力視すらも扱えるとは……どこまで規格外の存在なのでしょう。
ただ、シルバさんはそんな事を気にする素振りも無く、会話を続けようと試みます。
「神々が嫌いなのは分かったし、俺は特別だとも思う。けどさ、お前だって特別じゃないか?」
「ソウダ。我モ特別。神ノ僕デアルオ前ト、世界ノ僕デアル我。共ニ、意思ノ執行者。ソシテ、不倶戴天ノ敵」
神の僕というのが神人を指すとしたら、世界の僕とは? 意思の執行者という言葉も、神人は地上での神様の代行者と理解できますが、世界の意志とは? 神様が創り賜うた世界なのだから……神様の意志こそが、世界の意志なのでは? 正直、疑問が尽きません。
意味深長な言葉を連ねるあのゴブリンに対して、シルバさんは簡潔に感想を述べました。潔いほどにさっぱりと……。
「分からない!」
「分カラナイノカ? 我ハオ前タチガ憎イガ、オ前ハ我ラガ……」
「憎くないよ。だって、神だの世界だのの意志なんて、知らないし分からないから。そもそも、憎いって感情もよく分からないし」
シルバさんの言葉に、あのゴブリンは相好を崩して笑い始めました。魔獣が笑うところを目撃するなんて、人類初の快挙じゃないかと思います。
「クハハハハ! 変ワッタ奴ダナ、オ前」
「お前もな。喋って笑う魔獣なんて、そうそういないと思うぞ?」
「魔獣? 我ラノ事カ?」
それまで笑っていたあのゴブリンでしたが、魔獣という単語に敏感に反応し、再び険しい表情へと戻ったのです。
「そうだよ。だって、お前たち魔獣だろ?」
「ソウカ……ソウダナ。オ前タチノ中デハ、我ラコソガ消シ去ルベキ敵」
「まあ、そうなっちゃうかな。でもさ、お前とは話が出来るだろ? だったら、話し合いで解決……」
「ナラン! ソノヨウナ未来ハ存在シナイ! 生キ残ルノハ……神ノ子ノオ前タチカ、世界ノ子ノ我ラノ一方ノミ!」
魔獣との和解を提案しようとするシルバさんにも驚きですが、頑なに拒絶するあのゴブリンにも驚きです。きっと、これが世界の意志というものなんでしょう。世界というのが何を指すかは分かりませんが、神様に敵対する存在だという事だけは分かります。それも、徹底的に、です……。
そのような態度を示されては、シルバさんであっても諦めざるを得ないと理解出来たようです。どこか悲し気にも思える声色で、あのゴブリンへと語り掛けます。
「じゃあ……争うしかないんだね。だったら、最後に一つだけ聞いていい?」
「戦ウ未来シカナイ。ソシテ、手向ケ代ワリニ最後ノ問イヲ許ス」
「ありがと。……なんで、世界とやらは神々を憎むの?」
核心の部分に斬り込みました。神様のように周知された存在ではない、謎しかない世界という存在。その意志の根っこの部分へと。
「神ガ、越エテハイケナイ一線ヲ越エタ。ソウ聞イテイル」
「越えてはいけない一線?」
「神ト世界ノ間ノ取リ決メ。ソノ中デモ最モ重要ナ決マリヲ破ッタソウダ。ダカラ、世界ハ動キ出シタ。三百年前カラ」
三百年前といえば……今にまで続く大争乱の時代が始まった頃。その時になにがあったのでしょう? そんな風に考えたその時でした。聞こえてはいけない声が聞こえてきたのは……。
「そんな……まさか!」
シロ様でした。分神である事を知らない人もいる中で、誰の耳にも届くほどの声量で叫んでいました。……ですが、そんな事を気にしている余裕はもう無いようです。
「愛玩動物、オ前モ神ニ連ナル者カ。ナラ、マトメテ葬ッテクレヨウ。デハ、始メルカ」
「ああ。みんな、戦いが始まるよ。身体は馴染んできた?」
シルバさんが長々と会話に時間を割いたのも、高すぎるマナ濃度への順応を促す意味もあったようです。そのお陰で、さっきよりは気分の悪さも緩和されています。ですが……絶望的な戦力差である事は変わりません。
B級のグレート、CからD級のハイとその変異種の群れ。あのゴブリンに関しては……低く見積もってA級、普通に考えればS級でしょう。質も量も圧倒的ですが、地の利の部分でも最悪な状況。高濃度のマナが漂うこの場所は、魔獣には力を与え、人間からは本来の調子を奪い去ります。それに……大規模な魔術は、多すぎるマナに影響されて暴発の危険が高いのです。要するに、上級魔術で一掃という選択肢は、メリたちをも巻き込む事が前提の最後の手段。
正直言って恐いです。命を落とす事も、その後……溢れ出た魔獣が、多くの人の命を奪う事も。でも、だからこそ……乗り越えなければいけません! この恐怖と絶望の戦闘を。なので、メリは声を張りました。自分自身を、パーティのみんなを奮い立たせるために!
「メリはいけるのです! 絶対に……勝ってみんなで帰るのです!」




