032 sideB
迷宮攻略当日がやってきました。
メリは少しの緊張と共に、物資の確認をしています。食糧、救急セット、替えの肌着も少々。その他にもいくつかありますが、量としては大した事ありません。今回の迷宮はそこまでの広さが無いため、迷宮内で夜を明かす必要がないらしいのです。更に言えば、迷宮近辺にギルド員用の詰め所まであり、ベッドでの睡眠が可能。……何と言いますか、迷宮攻略といえばもっと過酷な状況を想定していたので、気が緩んでしまわないか心配なくらいです。
「メリちゃん、準備出来た?」
宿の部屋の扉が軽く叩かれ、シルバさんの声が聞こえてきました。メリは確認を終えた物資の入った背嚢を背負い、初実戦の革鎧を纏って部屋を出ます。
「はいなのです。じゃあ、初依頼へ出発なのです!」
酒場スペースを通り抜ける時、女将さんとロニャさんが見送ってくれました。気を付けてという言葉が、メリの心の中の余分な感情を追い出してくれます。緊張で固くなっていた表情は、解きほぐされました。たかがゴブリンという油断も、二人に無事に「ただいま」と言えるように消え去りました。今度こそ本当に、準備完了です――
メリたちは、王都の北門へ向けて歩きました。ギルドハウスが立ち並ぶ一角も抜け、王城を通り過ぎ、目的地に到着します。そこにはすでに、ディンガさんとドーリスさんが到着していました。そして、メリたちの姿をまじまじと観察してから、少しだけ表情を緩めてこう言います。
「なんだ。まるっきりド素人って訳じゃねぇようだな」
「なかなかの装備。悪くない」
ディンガさんは皮肉っぽく。ドーリスさんは端的に。打ち合わせの時のメリたちは普段着だったので、この装備を見ての感想だと思います。装備屋さんのおじいちゃん、いい装備を選んでくれてありがとう。そう心の中でお礼を言うのでした。
その後、メリたちは馬車に乗り込みました。この馬車、冒険者ギルドから無料で借りられるのだそうです。流石は三大ギルド、太っ腹ですね。ただ、中級冒険者以上という制限が付くので、下級冒険者のメリたちだけでは借りられないのですけどね……。これは、昇格を目指すモチベーションになります!
そして馬車は、北門から遠ざかるように動き始めました。正確に言えば、北の中央門からです――
ここ王都は、世界屈指の物流拠点。ですから、街の造りにも配慮が見られます。その一つが、門。一般市民や旅人が使う中央門の他に、貴族などの特権階級用の高貴門、三大ギルドがそれぞれ管理するギルド門など、混雑の緩和のための仕組みが施されています。……ですが、メリは心配にもなります。壁と比べて、門は強度に劣ります。もし、シロ様が言っていた侵攻があるとするならば、多くの門の存在は……防衛上の弱点になるのですから。
ただ、街の造りをメリのような一冒険者が憂いても仕方がないので、今は依頼の事を考える事にします。そうこうしている内に、冒険者ギルドが管理する門が見えてきた事ですし。
「冒険者タグの提示をお願いします」
門に着くと、ギルド職員というよりは守衛といった格好の職員さんに、そう声を掛けられました。ディンガさんに続くようにタグを提示すると、目的地と予定日数の聞き取りが行われます。どうやら出入管理以外にも、依頼中の行方不明または死亡をいち早く察知するためのシステムのようです。予定日数を大幅に超過した場合、捜索依頼が発行されるのだとか。今後、捜索される側にならないよう、注意して依頼をこなしていこうと心に刻むのでした。
そんな訳で、王都を発ったメリたちは、馬車に揺られながら穏やかな移動を……出来ていませんでした。馬車自体は動いています。ですが、穏やかなの部分が間違っています。それは、空気の悪さでしょう。決して煙いとか埃っぽいとかではありません。精神的な部分の話です。
「あの、ドーリスさん。これまでどんな活動をしてきたのか、駆け出しのメリたちに教えて欲しいのです」
「断る」
「じゃあ、ディンガさんは?」
「面倒だから御免だ」
これである。今回の依頼関係の話を終えた途端、二人はムスッとした表情で口を閉ざしたのです。こちらから話し掛けても、このように……にべもなく断られるばかり。お陰様で、馬車の中の空気は重くて刺々しい。シルバさんと会話をするのすら憚られるほどに……。
それでも、シルバさんは挫けませんでした。いえ、そもそも……空気の悪さを気にしていないのかもしれません。こういう時だけは、感情が欠落している事を羨ましく思ってしまいます。
「お二人は、俺たちの事が気に入らないんですか?」
シルバさんは歯に衣着せぬ、あるいは馬鹿正直に切り込みました。ついさっき羨ましいと思いましたけど、流石にこれは羨ましいとは思えません……。実際、ディンガさんはあまりにも直線的な問い掛けに、たじろいでいる様子。ドーリスさんも表情にこそ出しませんが、どう返答するか迷っている模様。しばしの沈黙の後、ディンガさんは我に返って、声を荒げながら返答します。
「当ったり前だろ! ハイランドの旦那にお願いされたから、渋々受け入れただけだ!」
「マスターがお願いですか?」
「そうだぜ。お前たちに冒険者のイロハを教えてくれってよ。ったく、なんで俺たちが……駆け出しの世話しなきゃいけねぇんだよ」
そう言って、ディンガさんは顔を背けてしまいました。そんな状況を気にする事なく、シルバさんはドーリスさんにも声を掛けます。
「ドーリスさんも、ですか?」
「然り。ハイランド殿には恩がある故、頷いた。貴殿らが将来有望な若人だとも言っていたが、疑わしい限りだ」
ドーリスさんは、メリたちの装備を一瞥しながらそう言っていた。きっと、装備の見立て自体は評価しつつも、新品同然の使用感の無さに疑念を抱いている、そんなところのようです。
そして、二人の口ぶりから、メリやシルバさんの試験結果や内容は知らない様子。ハイランド様も、メリたちの事はほとんど教えてはいないのでしょう。ただ、ハイランド様のお気に入りだと思われているようで、色々と複雑な心境なのでしょうか?
そんな風に分析していると、ディンガさんが顔を背けたままに、不満と呆れが混ざったような声で指摘します。
「なによりだ……ペットを迷宮に連れてくるなんて、お前たち馬鹿だぜ!」
「あ、え、それは……。こいつはシロって名前で、ペットというより仲間なんですよ」
「いや、お前の認識は仲間だろうが……俺からすりゃあ、猫はペットだ!」
全くもって正論でした。こればかりは、メリとしても反論の余地が見出せません。シロ様の正体を明かす訳にはいかない以上、周りから見れば……ペット同伴の駆け出し冒険者なのですから。門前で集合した時、多少態度が軟化しましたが……馬車にシロ様が乗り込んだ後、再び硬化したのはそういう事でしょう。
「でも、シロは優秀なんですよ?」
「知るか! とりあえず、迷宮に着くまで黙っててくれや。俺は虫の居所が悪いんだ」
「そうしてくれ。依頼はこなす故、無用な馴れ合いは勘弁」
ディンガさんもドーリスさんも、メリやシルバさんでさえも……迷宮に到着するまで、一言も発する事は無かったのでした。それはもう地獄でした。せめてもの救いは、迷宮がそこまで遠くなかった事でしょう……。
地獄を越えて到着した迷宮は、静かに口を広げて獲物を待っていました。外からでは暗い内部の状況を見通す事は出来ず、消え去ったはずの緊張感が戻ってくるのを感じたのでした。




