029 sideA
「そうなのです? じゃあ、依頼を受け始めるのも、もうすぐなのです?」
隣に座ったメリちゃんが、心なしか嬉しそうに問い掛けてきた。まさか、メリちゃんがそこまで依頼を楽しみにしていたとは思っておらず、申し訳ない気持ちが思わず口を衝いて出てきていた。
「俺の訓練のせいで待たせちゃって……ごめんね」
「えっ、シルバさん? それって、罪悪感なのです?」
「ん? 罪悪感? たぶんだけど、そうだと思うよ。そっか、この気持ちが……」
自身が人らしさを取り戻していっている、そう考えた俺だったが……ふと別の考えが頭をよぎる。本当に取り戻したのだろうか?
記憶が無い以上、断言はできない。だが、昔の俺は……そもそもこれらの感情を持っていたのだろうか。負の感情を取り戻したのではなく、新たに知っていっているのではないだろうか。ただ、もしそうだとしたら……記憶を失う前の俺は、どのように生きてきたのだろう?
しかし、今の俺には答えを知るすべがない。記憶が戻らない限りは……。そんな風に考えるのを止めた俺に、メリちゃんは優しく微笑み掛けてくる。
「シルバさん、少しずつでも心を育てていきましょうなのです。ゆっくりと、でも確実に……」
教え導こうとするメリちゃんの言葉に、自身の心の未熟さを悟った。こんな、遥かに年下の女の子にまで心配されるなんて、と……。
「そうだね。そのためにも、色々な経験を積んでいかないとね!」
俺自身にも向けた言葉に、メリちゃんが笑顔で頷く。そんな時だった。女将さんが奥の部屋から食材を持って現れたのは。
「あらあら、あんたたち。今日はタイミングが悪かったようだね。ご覧の通りの大繁盛さね」
「らしいですね。ロニャちゃんも、オーダーを取りにくる余裕すら無いようですし」
店内を見渡すと、カウンター席以外は満席。ロニャちゃんが忙しそうに走り回り、酒類の提供に勤しんでいる。だが、新たな注文のスピードのほうが速いらしく、完全に手が足りていない模様。そんな状況を見て、メリちゃんが不思議そうな顔で問いかける。
「見た所、冒険者さんが多いような気がするのですが、なにかあったのです?」
メリちゃんの言う通り、普段以上に冒険者の割合が多いように見受けられる。ただ、ギルドで顔を見かけた事のある人数は半数以下で、ほとんどが見覚えの無い冒険者だった。
「なんだい、知らないのかい? あんたらはギルドに顔を出してるんだよねぇ?」
「知らない? なにをなのです? ギルドには行ってますけど、メリは魔術師ギルドなのです」
「俺は冒険者ギルドにいたけど……もしかして、魔獣が活性化するって話ですか?」
小耳に挟んだ程度の話だが、近々魔獣が増えるとの事だ。そして、その原因が大規模な争い――
この国の北、正と負の最前線である神聖国と怒王国とを別つ国境。この地は、年中小競り合いを繰り返す激戦地。だが稀に、大規模な侵攻が行われる事があるという。怒りの女神アンガーを信仰する怒王国が、ため込んだ怒りを爆発させるが如く行われる攻勢だ。森人を中心とした神聖国と黒森人が中核種族の怒王国というのも、より激しい怒りを生む原因なのだろう。だって、メリちゃんと魔術師ギルドマスターの最初の接触は……火花バチバチだったからね。
そんな訳で、怒王国の侵攻準備を察知した王都の各ギルドは、それぞれ動き始めたようだ。商人や職人ギルドは軍需物資を増産し、特需への対応で利を貪ろうと。医薬師ギルドは増える事が予想される傷病者に対応するため、薬品のストックを始めた。そして、冒険者ギルドは魔獣の活性化に対応するため、王国中部や南部から冒険者を呼び寄せているらしい。では何故、争乱の激化と魔獣の活性化が結びつくのか……?
それは、マナの供給と消費が関係している。マナは世界中に存在するが、供給元は迷宮だとされている。迷宮に魔獣が多く生まれるのも、それが理由との事。対して大規模な争いでは、多くの魔術が行使される。すなわち、多くのマナが消費される。それによって、当該国だけでなく周辺国の迷宮でも、不足分を補おうと供給されるマナの量は増加する。この国で言えば、ここ王都を含む北部一帯だ。だから、冒険者の増員が必要という事なのだ。
俺の問い掛けに女将さんは頷き、メリちゃんも察したようで苦い表情を浮かべる。
「争乱なのですか……。怒りに任せて攻める怒王国は、迷惑以外の何物でもないのです!」
メリちゃんは本当に迷惑そうな口ぶりだったが、女将さんは頭を左右に振って否定する。
「それはあんたにとって、だろ? あたしとしちゃあ、人や物の動きが活発になるから……絶好の稼ぎ時さね」
「そ、それは……。でも、多くの人が傷付くし命を落とすのです!」
メリちゃんは必死の形相で食い下がる。俺としては、どちらの言い分も理解できる。他所で起きる争いに利を見出す気持ちも、罪なき人々まで巻き込まれる事を悲しく思う気持ちも……。だからこそ、どちらが正しいかなんて判断が出来ない。だったら、出来る事をコツコツとやっていくしかないんじゃないかな?
「メリちゃん。俺たちは、冒険者になったんだよ。だったらさ、争いは止められなくても……この国の人が魔獣被害に遭わないように、依頼をこなしていく事は出来るよね?」
「うぅ……そうなのです。メリの力で少しでも被害を減らせるって期待して、小さな事を積み重ねるのです!」
そう言って、メリちゃんは力強く頷いた。それに俺も頷き返すと、女将さんが鼓舞するように言う。
「そういう事さね。あんたたちはあんたたちが今やれる事をやる。いくらあんたたちが強いからって、駆け出し冒険者のあんたらじゃあ……出来る事も限られてるんだからね」
女将さんの言葉に、俺たちは頷いた。そして、女将さんが他の客の分の調理を終えたところで、俺たちの遅くなってしまった夕食を注文したのだった。
翌日。俺とメリちゃんは、揃って冒険者ギルドへと赴いた。俺は訓練の総仕上げ。メリちゃんは、王都周辺の迷宮や魔獣についての情報を資料室で集めるため。エントランスで別れた俺は、ゴンツ教官の待つ訓練場へと足を運ぶ。すると、そこにはギルドマスターまで待っており、俺に向けて声を掛けてきた。
「シルバ君。折角だから、訓練の成果判定は私が請け負う事にしました」
「マスターが直々にですか?」
「ええ。ゴンツ相手だけに加減が出来るようになっても、意味の無い事でしょう」
マスターの言う事は、至極当然の内容だった。相手の力量が変われば、俺も加減の程度を変えなければいけないのだから。ただ、ゴンツ教官はB級冒険者だが、マスターは超一流と言われるA級冒険者。「閃光」なんて二つ名まで与えられている、この国の冒険者の頂点という実力者。……果たして、加減をする必要があるのだろうか?
「あの……マスターが相手では、手加減が無用って可能性は?」
「それも含めての卒業試験です。初見の相手を観察し、適切な対応をする。実戦を想定するなら、それが出来なければ話にならないのでは?」
ごもっともである。俺はそれ以上の質問を打ち切り、木剣を手に取りマスターの前に立つ。同様に、マスターも木剣を握り、俺を見据えながら合格の基準を説明し始める。
「私と数合打ち合って下さい。その後、私に致命打をいれる事なく制圧。これが出来れば合格です」
その説明に頷き、俺は木剣を構える。対するマスターも油断なく構えを取り、訓練場は緊張に包まれた。そんな俺たちの立ち合いを見学すべく、いつの間にやら周囲には観客が集まっているのだった。




