028 sideB
「多くの人々の命よりも、主様のほうが大事にゃ。天秤にかける必要すらないにゃ」
シロ様は、あまりにも冷たく言い放ちました。人々を愛する女神様の言葉にしては、あまりに残酷な言葉です。だから、メリは反論しました。相手が神様であろうとも。
「そんなのおかしいのです! シルバさんが大切だとしても……平和な未来を期待する人々を犠牲にするなんて、間違ってるのです!」
「メリサンド、聞きなさい。正しいか間違いかを決めるのは、貴女ではありません。私たち神が決めます」
シロ様の声は、毅然としていて迷いが一切ありません。これが神様、そう思わせる迫力もあります。でも、ふと考えてしまいました。正しさとはなにかを――
正神の”正”という言葉は、正しさや正義を表す言葉ではありません。もしそうであったなら、負神ではなく悪神もしくは邪神と呼称されるはずなのですから。なので、正と負という区分は、生物が抱く感情の方向性でしかありません。だから……正の神々であっても、正しさを正しく体現している訳では無いという事です。
例えばですが、深すぎる愛情が、人を狂気へと向かわせる事があります。期待や好奇心が、大きな過ちを招く事もあるでしょう。逆に、羨望の心は人の成長を促し、世界をより良くする一石ともなり得ます。怒りや悲しみ、恐れに嫌悪……そういった負の感情も、大事を成す原動力になる事だってあると思います。なら、正しさや正義というのは、なんなのでしょう?
結論は……分からないです。神々ですらそれぞれの正しさを主張しているのに、人の身のメリが分かるはずありませんでした。ですが、絶対の正しさは分からなくても、自分の考える正義だけは分かります。他人から悪だと言われようと、メリはメリの信じる期待の道を突き進むだけなのです!
「シロ様の考える正しさは……この国を争乱に巻き込んででも、シルバさんを護る事でいいのです?」
「はい。どこに拠点を移そうが、負の神々が諦めない限り脅威となるのです。なら、この国にいるのが最良手」
「……シロ様の正義が譲れないものなら、メリもメリの期待を譲りません!」
メリの言葉を聞いて、シロ様は猫らしからぬため息を吐きました。そして、呆れたような声色で問い掛けてきます。
「貴女も強情ですね。それで、貴女はどうすると言うのです? 主様を連れ去ろうとするなら……私も容赦しませんよ?」
「神聖国への逃亡は諦めたのです。その代わり、この国に大軍が押し寄せる可能性が高いのなら、この国の人々を強く育てるのです!」
シロ様は首を傾げました。荒唐無稽な話だと思っている事でしょう。確かに、この国の兵は数が少なく、練度も低い。多少強くなったところで、大軍を相手に戦えるはずありません。ですが、この国の立地や国際的な立ち位置を考えれば……やりようはあるはずです。
陸上での侵攻は、怒王国からに限定されます。周辺の負側の国々が連合したとしても、動員できる兵力は限られてくるでしょう。なのできっと、主力は海上。二つの内海の沿岸国の海軍、これらが王都近辺に殺到すると考えています。……なら、到着する前に沈めてしまえばいいのです。強力な魔術であれば、一方的な攻撃が可能でしょう。森人が受け継いできた魔術をこのように使うのは心苦しいですが、護る対象が森ではなく王都の人々に変わったと言うだけの事です。
「貴女に練兵は出来そうもありませんし、その権限もないでしょう?」
「兵を育てるのは無理なのです。でも、魔術師なら育てられるのです。森に住む森人以外から失われた魔術の知識を、魔術師たちに教え込むのです!」
「……まあ、頑張ってみなさい。ですが、そもそもの前提が間違っていますが……にゃ」
今更になって語尾を戻したシロ様の指摘に、メリも頷きます。あくまで、戦争が起きるのは最悪のケース。そうならないために、メリたちは活動していかなければいけないのです。ですが……。
「分かっているのです。シルバさんの力を取り戻す事が重要なのです。でも、本当にそれで戦火が遠のくのです?」
「間違いないですにゃ。例えば、最強の魔獣であるドラゴンを討つために、蟻を十万匹差し向けるにゃ?」
「極端な例え話だと思うのです……けど、メリなら無駄な事はしないのです」
ドラゴン。それはおとぎ話の中で語られる、魔獣の頂点。大昔の魔獣の大氾濫期、人類の多くを屠り、圧倒的な力の象徴として描かれる絶対的強者です。もし、現在の世界に現れたとするのなら、人類は生き残る事が出来るのか疑問です。何故なら、おとぎ話の結末では、多くの神人や加護持ちが協力して討ち果たす。そう描かれているのですが、そこには正も負もない協力関係があったとされています。大争乱の時代の今、人類はそこまでの結束が可能なのでしょうか?
「全てを取り戻した主様は、それだけの存在だと思って欲しいにゃ。それと、おかしな事を考えているようですが、主様が人類の敵に回る事はありえないにゃ」
シロ様はそう言いますが、メリには心配事がありました。シルバさんが人類の敵になる事が皆無とは言えず、それ以上に人類がシルバさんの敵になる可能性がある事を――
シルバさんは、多くの感情を失っています。怒りに恐れは勿論、憎悪や軽蔑といったものもです。そこだけを考えるなら、善き心の持ち主だと言えるでしょう。ですが、罪悪感や後悔といった情すらも無いのは……とても恐ろしい事だと思います。
実際、森人の集落を襲う賊に対し、シルバさんは一切の手心を加えませんでした。ただ必要だからと剣を振り下ろし、矢を放ち、魔法まで使い……賊の命を刈り取っていきました。
シルバさんが考える正しさや正義、それがどこにあるのかはメリも知りません。ですが、もし人々の常識と相容れないところに彼が正義を求めるのなら、彼は罪悪感を抱く事なく敵として立ちはだかるのではないでしょうか?
しかし、それ以上に恐れるべきは……人の心だと思います。シロ様と話していると、神々と人との考えのズレを感じるからです。……見えているものも、住む場所も、持っている力も違うのですから当然でしょうが。
人は神々ほど多くを知りません。ある程度の力ある存在は、手放しに受け入れるでしょう。ですが、神々が危険視するほどの力を持つ存在を、人々は受け入れられるのか疑問です。シルバさんと関わった人であれば、彼の善き心を知っているので大丈夫でしょう。しかし、関わりの無い人々はどうでしょうか?
シルバさんにその気が無くとも、人々はドラゴンと同様に捉えるかもしれません。世界を滅ぼしかねない危険な敵と……。不死の存在と言われる神々には分からないでしょうが、気持ち一つで多くの命を奪える存在は、か弱い人類にとって……脅威でしかないのです!
「シロ様は……なにも分かってないのです。やっぱり、メリが頑張るしかないのです!」
「メリサンド? 失礼な事を言うんじゃありませんにゃ!」
シロ様が文句を言っているのを聞き流しながら、メリはシルバさんの心も育てないといけないと心に誓うのでした。
メリとシロ様が酒場宿「酒飲み猫」に到着すると、すでにシルバさんがカウンター席に座っていました。入店のベルの音でメリたちに気付いた彼は、世の女性の大半を魅了しそうな笑顔と共に、声を掛けてきます。
「メリちゃん! 訓練はすっげぇ順調だよ! ゴンツ教官のお陰でね」
本当に嬉しそうに言うので、メリまで嬉しくなってしまいます。やっぱり……この人が人類の敵とならないよう、メリが頑張るしかないのでしょう。そんな風に考えながら、メリもカウンターへと腰を下ろすのでした。




