125 sideC
パトゥーテの街での様々な出来事は、主様の心を大きく揺さぶったようでした。このような事を考えるのは良くないとは思いますが……大いに迷い、大いに悩んで欲しいと考えています。そして、主様には定めて欲しいとも思っています。今後、お力と記憶の全てを取り戻した際、どのようにこの地上と関わっていくのかを……。
幸か不幸か、この逃避行を完遂するには、まだまだ時間が掛かります。南北に長い国土を持つ信帝国ですから、南端の国境までは二か月ほど。そこから負側の国を迂回するようにトラスト内海北沿岸を移動し、神聖国の西側国境へ。そして、神聖国を横断。最後に南下すれば……トラディス王国の国境へと到着です。残り五か月ほどの旅程でしょう。
そして、そこまで辿り着く間には、多くの街があり多くの人々の生活があります。それらをよく見て、よく考えて頂きたいのです。主様が地上に堕ちたという事実は、負の神々による奸計だったとしても。管理者や魔人という敵性存在が跋扈しているとしても……主様だからこそ出来る事を主様自身が見付け、目指して欲しいのです。
そのためになら私は、全てを懸ける所存です。あらゆる手段を用いて、主様が思考に耽る時間を作り出しましょう。万難を排し、主様の身を護りましょう。ですから……。
隣を歩く主様を見上げました。心ここにあらずといった様子で、あまりにも無防備に考え込む主様。逃避行の最中とは思えぬ様子に私はふっと笑ってしまい、いけないと思い視線を前へと向けます。その御心までは導けずとも、この旅路だけは導こうと張り切って……。
信帝国を南下する私たちは、様々な街へと立ち寄りました。単一人種のみが暮らす街が大多数を占める中、多くの人種が共存する街というのも……未だに少数は残っていました。そういった街では主様の希望により、若干長めの滞在期間を設け、街並みや人々の文化・生活を見て回ったりもしました。
ですが、私たちの居場所は負の神々にも筒抜け。懸念していた負の国々による侵攻は、この国にも手を伸ばしてきたのです。しかし、この国を中心とする大地の北西部は、正側の国々が圧倒的優勢な土地柄。更に、有力な負の国々が不在という事もあって、侵攻は早期に頓挫。さしたる妨害を受ける事無く、信帝国南端へと到着していたのでした。
「この先は山岳国ですにゃ」
「ええと、確か……小人と土人が多く住む、正側の神である好奇の神キュリアスを信奉する国だよね」
厳密には多少の間違いがありますが、私は頷いて応えます。小人や土人が多く住むのは、国土の中央を南北に縦断する大山脈周辺部のみで、その豊富な資源を掘り出し、武具や工芸品へと加工。それらを扱う商人である只人が山岳地帯以外の広範囲に居住しているため、人口上の多数派は只人なのです。ですが、いちいち訂正する程の事でもありません。
「そうですにゃ。その国の山脈に沿って南下し、トラスト内海沿岸を目指しますにゃ」
「このまま南東に突っ切れば、神聖国まですぐなのに?」
主様の問いに、私は首を横に振ります。信帝国が南部で隣接する国は二つ。一つは山岳国で、もう一つの国は、負に属する絶望の神ディスピアを信奉する絶望国。最短ルートを進むためには絶望国を抜ける必要があるため、主様の身の安全を考えるなら取るべき進路とは言えません。
「負の国に足を踏み入れるのは、絶対に駄目ですにゃ」
「でも、絶望国って……負の国々の中では穏健派の国だって聞いたけど?」
それは、平時であればです。周囲を正側の大国である信帝国や神聖国に囲まれ、下手に刺激出来ないからゆえの穏健的態度。なので、先日失敗に終わった信帝国侵攻にはしっかり名を連ねており、チャンスとあれば攻め込む程度の気概は持っています。ですから、穏健派とはいえ主様に害を為す意思は明確で、大神託によって踊らされている国の一つなのです。
「真に穏健な国であれば、侵攻なんて企てませんにゃ」
「えっ、侵攻?」
「あっ……」
やらかしてしまいました。実は、負の国々による侵攻があった事は、主様の耳には入れていません。いずれの方面からの侵攻も規模が小さく、信帝国の国境守備軍のみで追い返せたものですから……主様の御心を慮って隠蔽いたしました。
「シロ……また、隠し事?」
「い、いえ。結局、国境部での小競り合い程度の戦闘だったので、伝えるまでも無いと考えましたにゃ」
「……それだけじゃないよね? 俺がきっかけで起きた争いだから、意図的に隠したんだよね?」
完全にバレています。仕方なく、全てを洗いざらい白状しました。すると……。
「とりあえず、ほとんど被害は出てないんだよね?」
若干呆れ気味に、主様が問い掛けてきました。なので、力強く頷きながら答えます。
「そうですにゃ! 彼我の戦力差が圧倒的だったため、負の国々は早々に撤退しましたにゃ」
「まあ、そういう事なら……目くじらを立てる程の事でもないか」
信帝国の強大な軍事力に救われた形となり、私は心よりの感謝を胸の内で呟きました。そして、更なるボロが出ない内にと、急いで山岳国へと入国したのでした。
その後、大山脈周辺の小人や土人の集落を順に経由し、着実に南下を進めていきました。もしかしたらと身構えてはいましたが、絶望国による侵攻も無く、そして到着したのは……。
「海王国との国境ですにゃ。この国は、領土をあまり持っていない国として有名ですにゃ」
「らしいね。代わりに、ほとんどの国民が内海上に家を浮かべてるんだっけ?」
「そうですにゃ。ですので、ここが……逃亡の山場とも言えますにゃ」
内海北沿岸に沿って東西に細長い海王国は、南北の幅が非常に狭い。要するに、絶望国との国境も非常に近いため、陸路を進むのはかなりの危険が伴います。なので、山場。海辺ですが山場なのです。
「じゃあ、船を使うのは?」
「そのつもりでいますにゃ」
「だったらさ、トラディス王国まで船で向かうのは?」
主様の提案は、一見名案のようにも感じますが……頷く訳にはいきません。近海を短距離進むのであれば、船旅も良いものです。ですが、ある程度の沖合……それも長距離を船で進んだ場合、いくら主様や私であっても、逃げ道がありません。内海上には明確な国境が存在しない以上、負の国々の海上戦力と遭遇してしまう可能性があるため、残念ながら……。
「神聖国手前までが妥当ですにゃ。もしくは、海上で負の国の船に見つかった場合、悉くを沈めるのであれば……ありだと思いますにゃ」
「……それはやめとこうか。無闇に力を振るうのは、最悪な考え方だからね」
なるべく危険の少ないルートを選んだ私たちは、国境を抜けてすぐにある港町へと向かい、海王国東端まで運んでくれる船へと乗り込んだのでした。
結論から言いましょう。優雅な船旅であったと。懸念していた絶望国からの侵攻は起きず、海上で負側の船と遭遇する事も無く、無事に海王国東端へと到着出来てしまったのです。というのも、絶望国は内陸国であり、海上戦力を保有していません。海王国へと侵攻したところで、海を行く私たちを追う事は叶わないと理解しており静観。内海上に戦力を保有する国々も、海の民と呼ばれる海王国民が操る船には追い付けないと判断し、海上での追跡を断念。
お陰様で、無事に神聖国へと入国を果たしたのです。あとは、この国を抜けるのみ。ここまで来たのなら、すでに逃避行の終わりも目前です。
――この時の私は、不覚にも慢心していたのでした。トラディス王国が目前へと迫り、ここまでの旅路も順調そのものだったからです。なので、気付かなかったのでしょう。ゴール地点が敵にも筒抜けである以上、その直前にこそ最大の危機が待ち構えているであろう事を――




