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――シルバ、西へと逃亡を開始。
この知らせは、遠見によって負の神々が把握し、神託という形で負の国々へと伝えられた。同時に、管理者からも魔人たちへと伝えられ、各陣営は動きを加速させていく事となる。
最も早く対応を始めたのは、北東部を進んでいるシルバ捕縛軍だった。総員での行軍の計画を取り消し、足の速い騎兵三千と追従可能な輸送部隊のみを先行させる事を決定。この先行隊の目標をシルバのみに絞り、北部中心都市ガーベラ包囲戦には参加させない事とした。
次に対応を始めたのは、首都へと向かっていた侵攻軍。各国の上層部が協議した結果、南西部から首都を目指していた軍勢を西部へと差し向け、シルバの逃亡経路を押さえに掛かる。首都の制圧よりもシルバ追討を優先する形となったのだ。
そして、最も悠長に構えていたのが魔人陣営。負の国々の動きを把握するに留め、機を窺いつつ準備を進めていた。
「パパ、キララちゃんとダスター君の現在地はどこですかぁ?」
(キララは東部と南東部の境界上で待機。ダスターは南部魔導都市へ向けて移動中だ)
「そうですかぁ。ダスター君が到着次第、第二段階作戦の総仕上げを始めちゃいましょう!」
魔人たちは各地に散らばり、次なる一手へ向けて……雌伏を続けていたのだった。
一方、逃走中のシルバは、順調に西へと向かっていた。身体強化を用いた移動により、馬車や馬での移動を遥かに超える速度で北西部へと到着。現在は北西部の中心都市である「魔導都市リコリス」へ向け、着実かつ迅速に足を進めている。
「主様、予想通りに負の国々は軍を割りましたにゃ。これで、早期の首都陥落は避けられるはずですにゃ」
「そっか、それは良かった。ちなみに北部は?」
「北部を目指していた軍も同様ですにゃ。足の速い部隊を先行させ、主様のみを狙うつもりのようですにゃ」
それらの話を聞いて、シルバは顔を綻ばせた。囮役とはいえ、逃げ出した事に後ろめたさを感じていたのだろう。しかし、予想通りに事が運んだ事で、若干の心の余裕を得たといったところか。だがそれも、あくまで若干。負陣営の軍勢は健在であり、魔導国の命運は風前の灯火のままだ。
「戦力分散の愚を犯してくれたけど、それでもね……」
耐え忍ぶ事が可能にはなったが、戦局を覆し得る一手が無い。それは即ち、ただの延命に過ぎないのではないか。シルバはそう言いたいのだろう。そんな主の悲し気な様子を見て、シロは言うべきか悩みながらも口を開く。
「主様、引き返さないと誓って頂けるなら……伝えておきたい話がありますにゃ」
「……その口振りだと、かなりヤバい話って事だよね?」
「そうですにゃ。ですが、一時的には魔導国を利する話ですにゃ。それで……お返事は?」
「誓うよ。俺は逃亡を続けるから、その話……聞かせて?」
主からの誓いを聞き届けたシロは、女神ラブと共に調査を進めていた各地の迷宮の情報を伝えていった。このままいくと、東方と南方全域で……大氾濫が頻発すると。それにより、負陣営の侵攻軍は補給線が断絶し、撤退と魔獣との激突が避け得ぬだろうと。そして、それらは魔人の企てだろうとも……。
一通りの話を聞き終えたシルバは、明らかに不機嫌そうな表情を浮かべ、ぴたりとその場に立ち止まってしまう。そして、それに合わせて立ち止まったシロへと……苛立たし気に声を掛ける。
「シロ、このやり方はズルいよ。そんな大事な事を、ここで……それも、誓いの言質を取ってからなんて」
「それは理解していますにゃ。ですが、こうでもしないと主様は……逃亡を決断して頂けませんでしたにゃ」
「そ、それはそうだけど……」
この魔人の企みは、短期的に見れば魔導国を救う事に繋がる。負陣営の軍勢は補給を失い、その上で魔獣の群れを背後に背負う事となる。その状態で侵攻を続けることは不可能であり、取れる選択肢は一つしかない。魔獣の群れを駆逐しながらの撤退だ。
しかし、長期的に見れば……敵が再び魔獣へと戻っただけだ。それに、大氾濫からの防衛に戦力を割かなければいけない以上、失陥した東方・南方全域の奪還も困難。それらの地域から避難してきた国民を、大幅にすり減らした領土内で養わなければならず、国力の低下も著しいのだ。
だが、シルバは引き返す訳にはいかなかった。誓いを立てた以上、反故にする事は出来ない。渋々といった様子で歩みを再開させ、西へと進んでいくのだった。
その後、シルバがリコリスの街を通過。そろそろ魔導国から出国するというタイミングで、負陣営の各軍勢による各地の魔導都市攻略戦が開始されようとしていた。首都ゼフィランサスを囲むのは、三方面から侵攻した連合軍。その数は五万に届きそうな大軍だ。メリサンドらが籠る北部ガーベラには、一万を優に超える嫌帝国軍が包囲を進めている。そして、西部ベロニカにも、南西部より北上した一万ほどの軍勢が迫っていた。
そんな時だった――
東方と南方各地の迷宮が、大氾濫を起こした。一つ一つの規模としては、これまでの大氾濫よりも小規模。溢れ出る魔獣の数や質は、それほどのものでも無い。しかし、侵攻速度を重視するあまり補給線構築が不十分だった負陣営では、補給の足が完全に停止。奥地まで入り込んでいたそれぞれの軍勢は、数日分の携行物資を残すのみの状態へと陥る。
事ここに至って、各地の侵攻軍は決断を迫られる。神意を遂行するための戦いか、生き延びるための撤退か。正常な思考であれば、迷う事も無かっただろう。撤退しか考えられないと。しかし、一部の盲信者たちによって攻撃命令が下された。……狂気の沙汰としか言えない攻撃が開始されたのだった。
しかし、追い込まれた魔導国側の抵抗は、負の神々の傀儡たちを目覚めさせるに充分だった。必死、決死。短期決戦を意図した攻勢の悉くを弾き返し、物資の枯渇を恐れた侵攻軍を撤退へと追い込む事となったのだ。
そして、本国への撤退を進める各軍勢は、魔獣の溢れる領域へと足を踏み込む。遂には糧食も尽きており、多くの将兵が飢えと魔獣との戦傷によって倒れていく。そんな惨憺たる様子を眺め、悦に浸るのは一人の魔人。しかし、喜びもそこそこに、周囲の魔獣へと指示を下す。
「お前ら、殺り過ぎんじゃねえぞ。ある程度殺ったら、道を開けてやれ」
魔人ダスターの指示に従い、魔獣たちは攻勢を弱める。適度に殺し、適度に逃がす。そんな、指示を守る魔獣たちへ、ダスターは不気味に嗤いながら言う。
「やれば出来るじゃねえか。そうそう、片一方が勝ち過ぎちゃいけねえから、数を調整してやらねえとな」
これまで、正と負のバランスは、負の側に傾いていた。また、魔導国と周辺の国々でも、魔導国の側に傾いていた。それらを調整するために、魔人たちは計画的に争乱を操っている。そして、そのバランスは……なにも人だけに限った話ではない事も。
「よしよし、お前ら。この仕事が終わったら……互いに殺し合え。お前らが増え過ぎちゃ、弱り切った魔導国がぶっ潰れちまうからな。じゃあな、ちゃんと命令を覚えとけよ」
そう言い残すと、ダスターの姿は消えていた。そして、人と魔獣の戦いが一段落した戦場では、魔獣と魔獣の争いが始まっていくのだった……。
魔導国と周辺の負陣営の国々の争いが一旦の終結を見た頃、すでにシルバは魔導国を出国。魔導国の北西に位置する正側の小国、獣人が国民の大半を占める通称獣人国を西に抜け、次なる国へと差し掛かっていた。その国の名はトラスト正神帝国、通称信帝国。正の主神である信頼の神トラストを最上神として崇める、正陣営最大にして盟主を務める国だった。




