010
シルバは北へと向かっていた。目立つ髪色を隠すようにコートに付いたフードをしっかりと被っており、人目を避けるように街道を外れた道なき道を進む。
「シロ、ほんと……助かったよ。あのままだったら、レイナ様と結婚させられちゃうところだったんだね」
「主様はもう少し危機感を持ってくださいにゃ」
シロが喋っていた。語尾は少し猫らしさを感じさせるが、それ以外は紛れもなく人語である。そして、黒猫がレイナたちの計画を察知し、主人へと伝えた事によって難を逃れる事が出来たのだ。
「そうは言っても、レイナ様白かったし……」
「その白黒の概念、私には分からないのですにゃ」
「分神のシロでも分からないとなると、愛の神の力じゃないって事だよね?」
「はいにゃ。そのお力は■■■■の物ですにゃ。……やはり、制約に掛かってしまいますにゃん」
シロが発した言葉の一部は、謎の力でかき消された。それこそが、シルバに関わる制約。神々ですら破る事が出来ないらしい、呪いのようなものだ。
「俺の事は、俺が思い出すしかないって事か」
「主様、申し訳ありませんにゃ」
「シロが謝る事じゃないだろ?」
「いいえ、あの時私が……。この先も、制約に掛かってしまうようですにゃ」
シルバは歩みを止め、しょぼくれるシロの頭を撫でた。とても優しい撫で方に、シロはうっとりと目を細めながら鳴いた。
「にゃー。って、主様! 猫の本能を刺激しないで下さいにゃ」
「元気が出たみたいだね。それじゃ、頑張って逃げ切ろう!」
シルバは歩みを再開した。王国南部、キャンベル家の力が及ぶ範囲を抜け出し、北部にある「王都ディストラ」を目指すために。
その頃、王国中部の森林地帯では、森人たちが己の生存と尊厳を懸けて戦っていた。いや、抗うと言うほうが正しいだろう。戦うと言うには、あまりにも一方的なのだから……。
森人は、名前の通り森に住まう種族。森を愛し森の恵みによって生きる彼らは、透き通るような白い肌と尖って長い耳を持ち、総じて美しい容姿だとされている。また、他種族と寿命においては大差が無いが、老化による身体変化の影響が少ない。簡単に言えば、美しいままの姿を維持し、美しいままに死んでいく。それゆえに、森人が少数派の国では……森人狩りによって攫われる事が多いとされる。
外見だけでなく能力面を見ても、他種族と比べて際立っている面が多い。マナの扱いに優れており、魔術の才は他種族を大きく凌駕する。その一方で、オドの保持量は最低で、肉体強度はずば抜けて低い。これらは、森というマナの溜まりやすい地で生活した恩恵であり、森の恵みでのみ腹を満たした事による弊害でもある。ただ、森での生活を続けるのなら、弊害は問題になり得なかった。続けられるのなら、だ――
「只人と獣人の開拓団が、またしても木の伐採を始めました! また、我々を攫おうとする賊の一団も、森への侵入を始めています!」
一人の森人が、慌てた様子で集会所へと飛び込んできた。まさに今、対策を話し合っていた集落の指導者たちは、助けを求めるかのようにその場にそぐわない女性森人へと視線を向けた。
その女性は、外見で年齢が判り難い森人であっても若いと判るほどだ。幼さが残る顔立ちに、体格も小柄。只人基準で考えるなら、十歳を少し過ぎた程度に見える。そんな少女のような彼女は、可愛らしくにこっと笑いながら指導者たちの視線に応えた。
「大丈夫なのです。あらかじめ罠を仕掛けてありますから、開拓団の皆さんは無理せず撤退してくれると思うのです」
「賊については?」
「そっちは迎え撃つしかないのです。ですけど、罠によって統率が乱れてるんで、各個撃破する感じでおねがいなのです」
「分かった! それでは皆、出撃じゃ!」
飛び出していく指導者たちを手を振りながら送り出した少女は、ぼんやりと天井を見上げながら呟いた。
「今回はなんとかなるっぽいけど、このままじゃジリ貧なのです。集落滅亡待ったなし。……救世主が現れるのを期待するしかないのです」
その後、少女のもとに勝利の報せが届いたのだが、数人の森人が亡くなった事を知る。少女は、冥福を祈る事しか出来ないのだった。
シルバは王国中部へと到達していた。平野に小規模の森が広がる南部と違い、中央に森人の森が広がる中部は、目立つ街道での移動を避けるとなると森を突っ切るしか北上の手段が無い。だが、王国の森人たちは只人に敵対的であり、すんなりと通して貰える可能性は低い。
「シロ、どっちにする?」
「街道を通るか、森を通るかですかにゃ?」
「そうそう。南部からは脱出したけど、中部にもキャンベル家の力は及んでると思うんだよね」
キャンベル家の力は強大。それは、一年間働いたシルバだからこそ痛いほど分かるのだろう。大平原ではなく王都を目指さざるを得なかったのも、キャンベル家が追っ手だからだ。
「だったら、森一択ですにゃ。森人は排他的ですが、正神の敬虔な信徒ばかりにゃ」
「そっか。俺もシロも、ばりばり正神側。ただ、証明出来れば、なんだけどね」
「それはたぶん問題ないにゃ。この森には……彼女がいるはずにゃ」
「彼女?」
「会ってからのお楽しみですにゃ」
勿体ぶるシロと共に、シルバは森へと踏み入った。そして、早々に森人に遭遇したのだが……敵意が無い事を示すも捕縛され、シルバは森人の集落へと連行されたのだった。
完全に無抵抗で捕縛されたためか、シルバは手を縄で縛られるのみで集落へと通された。当然、両脇を森人の警備兵に固められてではあるが。
「すっげぇ! 木の中に家がある! 木の上にも家がある!」
「おい、只人。あまり騒ぐな。お前は連行されている最中なんだぞ?」
「あっ、すいませんでした。ところで……俺はどこに連れていかれているんでしょうか?」
「長たちのところだ。そこでお前の処遇が決まる」
シルバは、猫の姿であるがゆえに捕縛されなかったシロへと視線を送った。それに気付いたシロは、安心しろと言うようにニャアと鳴く。
「ちなみに……処遇と言うのはどのような?」
「危険な存在なら処刑だろうな」
「処刑ですか。それはまた厳しいですね……」
シルバは再び、シロへと視線を送った。先ほどよりも切迫した様子の視線にも、シロは同じようにニャアと答えるだけだった。そして……。
「只人、着いたぞ。さあ、入れ」
他の家よりも大きく立派な建物に、シルバは半ば強制的に入らされる。そんなシルバに、険しい表情の長らしき森人たちの視線が突き刺さった。ただ一人を除いて。
「来たぁぁぁ! 期待通りの救世主だぁぁぁ! なのです」
重々しい空気の中、一人だけ緩い空気だった少女森人が、意味不明な事を叫んでいた。他の長たちも、困惑した表情へと変わっている。そんなタイミングで、シロは人語を発した。
「『メリサンド』、お元気でしたかにゃ?」
「メリは元気だったのです。分神様は……猫さんの真似っこ中なのにゃん?」
「これは後遺症のようなものですにゃ……。それよりも、主様を解放して下さいにゃ」
「うん、分かったのです。えい!」
シルバの拘束は、メリサンドの放った火の魔術によって解かれた。無詠唱で狙いも精密。縄のみを燃やすという離れ業に、他の長たちから拍手が起こるほどだった。
「流石はメリサンド様。それに、分神様もお久しぶりです」
メリサンドだけでなく他の長とも面識がある様子のシロは、全員の顔を見渡した後、窺うように尋ねた。
「以前立ち寄った時より森に緊張感があるのですにゃ。やはり、恐れていた事が起きたんですかにゃ?」




