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緩やかな時が流れ、優雅に、そして、怠惰に過ごす神々の座所。花が咲き乱れ、澄み切った清流が流れる。まさに楽園のような場所。それが、神の座。
不老不死ゆえの余裕に満ち溢れ、神々は忙しく動き回る事など無い、はずだった。しかし、今は騒然という表現が相応しいほどに、神の座は揺れていたのだった。
「三十二柱会議が開催されているらしいですね。はてさて、いつ振りだったでしょうか?」
「ええ。私たち下級神には直接関係ない事とはいえ、議題はやはり……?」
平時であれば、神々同士が顔を合わせるなど稀。思い思い好き勝手に過ごし、噂話に花を咲かせるような事は無い。しかし、事が事。今、神々の座の中心地である議事堂周辺には、呼ばれてもいない下級神たちまでもが集結。しきりに、三十二柱会議の行く末に思いを馳せている。
この三十二柱会議というのは、地上に大きな影響力を持つ中級以上の三十二の神が一同に集まり、今後の神々の方針を語り合う場である。そして、その開催は大きな問題が発生した時に限る。なので、過去……会議が開催されたのは、ほんの数回。初めての開催は、始まりの大氾濫期。その対応について。前回の開催は、三百年ほど前の事件。その対応について。箱庭の長い歴史の中でも、神々が問題と認識するほどの出来事はほとんど無かったという事。
それが今、開催されているという事は、それほどの問題が発生しているという事なのだ。ただし、それは一部の神にとっての、だが。
「彼の御方について、でしょうね」
「ええ。私たちにとっては……あまりピンとこない議題ですね」
神の座に住まう神々でも、下級に分類される神々にとっては……正と負の対立は、どこか他人事といった様子。
それもそうである。その対立は、力ある神々が始め、力ある神々が続けているだけ。人で言い表すなら、貴族間の勢力争いのようなもの。二大派閥である正と負に分かれ、どちらが箱庭を導く絶対的権限を得るのか。そんな話だ。
なので、神の座における市民階級である下級神は、大イベントに浮かれ、騒ぎに集まった野次馬に過ぎない。
「まあ、どのような決議が下るにせよ……私たちは従うだけですからね」
「ええ、ええ。願わくは、地上に幸多からん決議を……」
下級神たちは、まさに会議が行われている場所……議事堂を見上げながら、祈った。だが、その祈りが叶う事は無かったのだった。
時は少し遡り――
「皆、よく集まってくれた。これより、三十二柱会議を始める」
巨大な円卓に座する三十柱の神々。それらに向けて宣言するは、円卓の外……一段高所に設えられた二つの席。その片方の席に座す、尊大な態度が目立つ一柱の神。負の主神、現在の神の座での最大神力保持者、嫌悪の神ディスガスト。今回の会議の招集者であり、議長でもある。
その宣言に対し、負の神々は頭を下げて応じ、正の神々は不機嫌な表情を露にする。しかし、ディスガストは気にする素振りも見せずに、会議を進行していく。
「では、今回の議題についてだが……皆も知っておろう?」
ニヤリと笑うディスガストは、正の神々へと挑発的な視線を送る。そして、満足すると……チラッと隣の空席を一瞥した後、続きを口に出す。
「制約により名を出せぬ彼の者、『神の封鎖地』の主が、なにゆえか……魔導国領内で発見された」
「「少々お待ちください! その呼称、撤回して頂きたい!」」
数柱の正神たちが、声を揃えて抗議する。「神の封鎖地」の主という呼称は、どうしても受け入れ難いようである。しかし……。
「それでは、なんと呼ぶ? 名を呼ぶ事は出来ぬし、彼の者では……あまりにも他人行儀だと思わぬか?」
「でしたら、現在の名。地上で名乗っている”シルバ”という名で呼んで頂ければよろしいかと」
愛の女神ラブが、そう反論する。とても悔しそうに、とても恨めしそうに……。
その表情と声色に満足したのか、ディスガストは受け入れるために頷いた。そして、言う。
「そうだな、シルバと呼ぶ事にしようか。で、だ……。本題に戻らねばならぬ。何故、シルバが地上を彷徨っておるのだ?」
その問いに、誰からの返答もない。ただし、負の神々は嫌らしい笑みを浮かべて正の神々を見遣り、正の神々は忌々し気にディスガストを睨みつける。
しばしの間、誰もが口を開かず、さりとて穏やかでない時間が流れる。
その刺々しい沈黙を破るように、ディスガストはラブへと声を掛ける。
「シルバの傍らに、そなたの分神が侍っておった。……何故、我々に黙っておった?」
語気こそ強くはないが、詰問するような言い振り。ラブは開き直ったように反論する。
「お言葉ですが、ディスガスト様。私は貴方の下僕ではありません。報告の義務はないはずです」
「フッ……ハハハハ! それはそうだ! だがな、神として……義務は無くとも責任はある。違うか?」
神々は自身の裁量で、ある程度の事までなら自己判断が許される。しかし、箱庭の行く末を左右する程の出来事であれば、このように会議を執り行うのが慣例。義務とまでは言わないが、箱庭を創造し見守る神々の、最低限の責任。ディスガストは、そう指摘したのだ。
それは、ラブとて承知している。しかし、シルバの目覚めは、それに該当しないはず。そう考えているようで……。
「目覚め、旅立ったとして……箱庭には影響はないはずです。あるとすれば、ここ……神の座にだけでしょう!」
そう言い放つも、ディスガストは不気味に嗤う。そして、厳しい口調で声を発する。
「その事も問題だが、報告すべき事柄はあったろうが! 知らぬとは言わせぬぞ? 管理者なる存在について」
「そ、それは……」
ラブは当然、知っていた。管理者という存在を。シルバが目覚めて以降、遠見の術で見守り続け、シルバの身の回りで起きた事全て……把握している。だが、管理者については報告を怠った。なぜならば、その報告をする事により、シルバの目覚めが露見する可能性が高いからだ。要するに、私情を優先し……責任を放棄したという事。主と仰ぐ存在を護るため、管理者なる箱庭の脅威を……隠蔽していた。
これについては、申し開きの余地はない。ラブは黙り込み、ディスガストは話を推し進める。
「調査の結果、管理者なる不届き者は……シルバの再封印を望んでいるように感じる。さて、諸君。どうすべきだと考える?」
あえて自身からは口にしないが、ディスガストはシルバの再封印を議決する腹積もりのようだ。そして、それは事前に負の神々も承知していたようで……。
「「再封印を!」」
複数の負神が、声高に主張する。対して正の神々は、なにも言う事が出来ずにいる。というのも……管理者の目的の一つが、シルバの排除。これは間違いない事であり、再封印の処置には正当性がある。ゆえに、反論するだけの材料を持ち合わせない正神たちは、せめてもの反抗として沈黙するほかないのだ。
「ククク。この様子では、訊くまでもないだろうが……決まりは決まりだ。では、問う。再封印に賛成の者は挙手を!」
心底面白そうにディスガストが投げかけると、非常に多くの賛成の手が挙がる。そして――
「半数以上の賛成により、シルバの再封印を今後の方針とする! では皆、励め。解散!」
ディスガストによる解散の宣言に、負の神々は揚々と退出していく。しかし、正の神々はその場で肩を落とし、なかなか立ち上がれぬまま……悲嘆に暮れるのであった。
そして、直後。議事堂周辺に集まっていた下級神たちにも、決議内容が伝えられた。
「再封印ですか。とても穏やかな言い方ではありますが……」
「ええ。要するに、肉体的に殺害ですね。地上の争いは、より激しくなるのでしょうね……」
下級神たちは、互いにしか聞こえないほどの声で呟き合った。畏怖すべき上位の神々の決議なのだから、従うほかない。どこか諦め、どこか他人事のように呟くしかなかったのだった。




