敏腕マネージャー
翌日、緊張のせいか朝から胃が痛かった。
仕事を休んで引き籠ろうかと思ったけど、リョウの亡骸と一緒は複雑な心境だし、切なすぎる。
「仕方ない。仕事行くか。」
会社に着くと、今日もまた朝から河口に絡まれる。
「おはよう、嶌崎。今日仕事早く終わらせてメシ行かない?」
この前のキス事件から、変に絡むというより露骨に誘ってくる。
「あの、今日は用事がありますから。」
「いつもそんなこと言ってるじゃねぇか。俺のこと嫌い?」
と、顔を近付けてくる河口に真っ赤な顔で抵抗する。
「あ…いえ。嫌いという訳では…今日は本当に用事がありますから…すいません…」
「ふぅ~ん…ま、いいや。じゃあ来週は一緒に飲みに行くぞ。」
もう…勝手なこと言って…
断ることも出来ずに、逃げるように自席に着く。
「嶌崎さん、おはよう。また、河口君に絡まれたの?
彼、ホントにあなたの事好きよね。ふふふっ。」
「え? あ…好きって…」
「あらぁ、まだ何も言われてないの? ごめんなさい。余計なこと言っちゃったかしら。」
隣の席の派遣パートの小川さんは、河口先輩が私の事を好きだって思ってる?
「あの…違うんです。河口先輩は私の事を揶揄って面白がってるだけで…」
小川さんはキョトンとした後、
「河口君ってば、もっと頑張らないとね。あとで発破を掛けてあげようかしら。ふふっ。」
違うのにな…私の事なんか好きなハズないのに…
色々と相談されて、すっかり事情を知っている河口の同期の駒田は、彼の考える『済し崩し作戦』より、『外堀から埋める作戦』の方が功を奏するかもしれない……この一連の流れを見ていてひっそりとそう思っていた。
今日の業務は、何が何でも早く終わらせて定時であがらなくては。
そう思いながら、必死に仕事をしていた。
「おい、嶌崎。ちょっと休憩に付き合えよ。」
と、また河口が絡んできた。
「すいません。ムリです。」
河口は諦めて素直に自席に戻った。
定時になると同時に私は会社を飛び出した。
会社のある沿線から電車を乗り換えて表参道に向かう。
表参道なんて…そんな陽キャな街に私なんかが降り立っていいのかな?
246から骨董通りを曲がって、大通りの喧騒よりは少し静かになった。さらに路地を曲がると、古い建物だがお洒落で知る人ぞ知る一見さんお断り的なお店“アンティーク”がひっそりと佇んでいた。
ここかな?
恐る恐るドアを開けてみる。
「いらっしゃいませ。」
白髪交じりの髭を生やした『THEダンディ』を絵に描いたような紳士的なマスターがカウンターの向こうでグラスを拭きながらニッコリ微笑んでいた。
店内はあまり広くはない。各テーブルには衝立のような物が施されていて、プライベートが完全に確立されるようになっている。
入口からは、着席しているお客さんの頭しか見えない。
どの人が真栄田さんなんだろう?
困っていると、
「お客様、お待ち合わせですか?」
と、こちらに向かって歩いてくるマスターに声を掛けられた。
「あ…はい。」
マスターは少し近付いてきて
「真栄田さんですか?」
と聞いてきた。
私は驚いて頷くと、
「あちらの一番奥のお席でお待ちですよ。」
と教えてくれた。
「あの…真栄田さんですか…?」
と最奥の席の男性に声を掛けると、手帳を片手に綺麗な目鼻立ちを難しい表情にしていたその男性は、顔を上げ怪訝そうに私を見た。
「嶌崎さん?」
と、確認され私が嶌崎花奏であることが分かると、柔和な顔になった。
「すいません。こんな所まで。ここは有名人と打ち合わせしてもバレにくくてよく利用させてもらってるんです。
で、リョウのことですよね?」
真栄田は衝立越しに周りに聞こえないように注意しながら小声で話し始めた。
「あの…詳しい事は私の自宅に行ってからお話します。というか、リョウくんに連れてきてくれと言われているので…」
「わかりました。では、早速行きましょう。」
真栄田は伝票と、自分のカバンを持ち立ち上がった。
立ち上がってみると、背が高く、スーツをスマートに着こなし、いかにも仕事が出来そうな人だ。
「そこのコインパーキングに車を止めています。行きましょう。」
コインパーキングには、黒い車体がピカピカに磨き上げられている車が停まっていた。
車に乗ると、真栄田は搭載されているGPSと思われる機器を操作して電源を切った。
「事務所に場所を知られない方がいいでしょうから。」
そう言いながら、今度は社用のスマホの電源も切った。
「ご自宅はどちらですか?」
「西新井です。」
「ところで、さっきからこちらを見ている男性がいるんですが、お知り合いですか?」
車の外に目をやると少し離れた所からこちらを窺い見ていた河口と目が合った。
「へっ!? 河口先輩!? なんでここに?」
「会社の方ですか? リョウとは関係ないんですね? では、ご自宅に向かってもよろしいですか?」
「…はい。先輩とは来週話しますので…大丈夫です。」
真栄田の運転する車はすぅっと発車し、見た目の通りスマートな運転で自宅に向けて走り始めた。
…なんで河口先輩が…? まさか、揶揄うためにここまでついて来たの?
自宅近くのコインパーキングに車を止めてもらい、一緒に歩いて家に向かう。
築年数のいった古いマンションの1階にある部屋の玄関を開けると、リョウがエプロンを付けて晩御飯の支度に奮闘していた。
「花奏、おかえり。真栄田さん、いらっしゃい。」
次回は明日の22:00更新予定です。