7 性急に恩返しをしようとする悪役家族
贅を凝らしたランチを楽しんだその日以降、ケビンの屋敷には穏やかな時間が流れていた。
デイトナーズ一家は、自慢の筋肉と持ち前の根気強さをもって、屋敷の一階フロアの開拓を続け、風呂場とキッチンだけでなく、客間を一つ開けることに成功した。
天井まで所狭しと積まれたゴミを排除し、荷物の重量でへしゃげた家具やベッドを捨て、埃とゴミだらけの廊下を箒で掃き、壁と床を雑巾でくまなく拭いていく。
そうして二週間後のある日、ようやく彼らは寝室を完全に開けた空間にすることに成功したのだ。
「わあ、これはすごいですね」
部屋の扉の内側で立ちすくんでいる四人を見ながら、ケビンは感嘆の声を上げる。
ケビンがこの家に住み始めてから数年が経っていたけれども、この部屋を最後に見たのはいつだっただろうか。
そんなことを呟きながら首をかしげつつ、ふと横を見ると、デイトナーズ一家が滂沱の涙を流していた。
ギョッと目を剥いたケビンは、驚きを隠すことなく一家四人に理由を問いただす。
「これが我々の第一歩です」
「ようやく、ベッドを置く場所ができましたわ」
「私達の努力の成果ですわね」
「そうだね。これで僕達も一人前の清掃員だ」
「清掃員の面接をした覚えはないのですが」
感動に打ち震える四人を見ながら、ケビンはそうだと手を叩く。
「せっかく開けた空間ができたので、内装業者を呼びますか?」
開けたその部屋は、とりあえず拭き掃除をしたとはいえ、長年ゴミ置き場状態であったため、壁紙は煤けているし、床にも傷や色汚れが散見される状態だ。
新しい家具を置く前に、内装を整えたほうがいいだろう。
ケビンの提案に、デイトナーズ一家は目を見合わせたあと、元家長のダニエルが代表して質問を投げてくる。
「ケビン様は、どのような内装がご希望ですか?」
「私ですか? 特にこだわりはありません」
「ですが、ケビン様の邸宅でいらっしゃいます」
「過ごしやすいようにしていただいて結構ですよ」
「「「「……」」」」
しばし思案するように目を伏せたダニエルは、くるりと身をひるがえして家族を見る。
ひそひそとケビンに聞こえない声で家族会議を始めた四人に、ケビンが目を瞬いていると、ダニエルがまたしてもくるりと身をひるがえし、今度はケビンを真正面から見てきた。
「ケビン様の好みの色をお聞きしても?」
「え? いえ、特には」
「強いて言うとしたら」
「そういえば、金色と青色は好きですね。皆さんの髪と目の色です」
そうだそうだとケビンは手を叩く。
デイトナーズ一家は、全員が金髪に青系統の瞳の持ち主なのだ。
金髪碧眼の元公爵ダニエルと、元公爵令嬢デイジー。
ハニーブロンドの髪に海色の瞳の元公爵夫人チェルシーと、元公爵令息ドビアス。
大好きな四人の色に、ケビンはうんうんと満足げに頷く。
その真横で、デイトナーズ一家四人の顔がじわじわと赤らんでいくことには気が付かない。
「……大変参考になりました」
「部屋の内装は、わたくし達にお任せくださいませ」
「ケビン様が気に入る、最高の仕上げにして見せますわ」
「僕達は全力を尽くします」
「うん? 私が気に入るかどうかより、皆さんが快適な空間にしてくださいね」
ケビンの言葉に、四人はさらに顔を赤らめている。
背後にいるリーンハルトは、「この空間にいると頭がおかしくなりそうです」と失礼な言葉をつぶやき、その日はそのまま帰っていった。
~✿~✿~✿~
悲劇が起こったのは、それから数日が経ち、唯一の解放部屋の内装施工が終わり、ベッド等の家具が運び込まれた日のことだ。
その日の夜二十三時のこと。
ケビンは三階のゴミだらけの自室の中、スペースを確保してある数少ない場所であるソファの上で、毛布を適当に被せてすやすやと寝ていた。
彼のかつての生活は昼夜逆転していて、この夜の時間帯に寝ているなどということはあり得なかったのだけれども、最近はデイトナーズ一家の顔を見るために、朝起きて夜に寝る生活をしているのだ。
寝入りばなで、しっとりと体も疲れ、ケビンの意識は深い眠りの底にいた。
そのはずなのだが、何か、耳元で声が聞こえる気がする。
そして、鼻孔をくすぐる花のような香りに、体にのしかかる、柔らかい感触……。
「ケビン様」
うっすらと目を開けると、そこには金色の輝きがちらちらと垣間見える。
「ケビン様……目を覚まされましたか」
何度か目を瞬き、なんとなく嫌な予感がする中、おそるおそる自分の上を見上げる。
するとそこには、ケビンの体に毛布の上からしなだれかかる、天から舞い降りた金髪碧眼の美女が存在しているではないか。
薄手で肩から大きく露出した大胆なネグリジェは、彼女の体を包んでいるものの、その魅惑を覆い隠す気はさらさらないようだ。
零れ落ちんばかりの双丘が、毛布越しにケビンの体に乗せられている。
挑戦的で、若干の怯えがちらつく水色の宝石と目が合うと、艶やかな桜色の唇がきゅっと引き締まった。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……好きに、してくださって、も」
「キィャアアアヤアアアアアェアァアアアアアアアア」
自分の真下から発生した世にも恐ろしい大音量に、金髪碧眼の侵入者デイジーは、ビクッと体を震わせる。
ケビンは、叫んだ。
叫んで叫んで、この恐慌を世界に知らしめんとばかりに悲鳴を上げた。
「ケビ、ケビン様、落ち、落ち着いて」
「ヒィエエェェェェヤァアアアアアアアアアァアアアアアアアア」
ケビンは大音量を上げ、ガクガクと震えながら、デイジーの肩を掴んで、そっとソファの横のゴミの上に座らせる。
その優しい手つきとは裏腹に、本人は恐慌をきたした顔で叫び続けている。
そうして、デイジーを自分の真上から排除すると、彼は今まで見せたことのないような機敏な動きで、その場から走り去った。
脱兎のごとく、逃げ去った。
ゴミ部屋の中、なんとかケビンの元までたどり着き、彼に夜這いをかけた魅惑の乙女デイジーを一人残して、乙女のような悲鳴を上げながら、三階から脱出し、一階へと走り去った。
どこへ行くでもなく走り続けたケビンがたどり着いたのは、リーンハルトがこの屋敷に来た当初から死守している居間の空間である。
昨日まで、デイトナーズ一家が寝室としても使っていたその空間には、今日は誰も居ないはずだ。
何故なら本日、ようやく一つだけできた空き部屋にベッドを運び込んだので、彼らはそこで寝ているはずだからだ。
無意識に、誰も居ない空間に駆け込んだケビンは、そこに待ち受けていた人物の姿に目を見張った。
そこには、元公爵令息ドビアスが、真っ黒なガウンを着た状態で、ソファに寝そべるようにしていたのだ。
居間に現れたケビンを見た彼は、十二歳という年に見合わぬ諦観に満ちた顔でフッと笑うと、居間の机の上に置いてあるワイングラスを手に取った。
中に入った赤い液体――おそらくブドウジュースであろう――を揺らすように、くるくるとグラスを回しながら恰好をつけているその姿が、ケビンの精神の崩壊に一役買ってくる。
「やはり、姉では満足できなかったのですね」
ケビンの手が震える。
一体なんのことだ。
満足とは、何を指しているのだ。
『やはり』とは?
「僕は、気が付いていました。あれだけ色気爆発で喪男特攻な姉に対して、ケビン様は一切興味を示さない」
「そんなことはありませんが」
「そうですか? ですが今この瞬間、姉からは逃げてこられたのですよね」
そう言うと、彼は大きく息を吐いて、ワイングラスを机に置いた。
いや、中身を飲まないのか。
なんのためにグラスを手に取ったのだ。
くるくるするため?
現実逃避をしながら、目を白黒させるケビンに、ドビアスは再度フッと笑うと、ゆっくりとソファから身を起こす。
「さあ、ケビン様。覚悟はできています。あの鉱山で起こったであろう事態を思えば、なんと幸運なことでしょう」
「……」
「好きにしていただいて構いません」
「キィイイイイイヤァアアアアアアアアアアアアアアア」
どうぞ!と言わんばかりに、意外とノリノリで腕を広げるドビアスに、ケビンは叫んだ。
叫んで叫んで、乙女のような悲鳴を上げ続けた。
若干怯んでいた姉よりも威風堂々としたその誘いに、恐れを隠さずケビンは叫び続けた。
そして、逃げた。
脱兎のごとく、その場から走り去った。
走って走って、たどり着いた先は、本日ベッドが搬入された一階の客間である。
そこではデイトナーズ夫妻が寝ているはずだ。
いや、娘と息子を追い出して寝ているのだから、現時点で夫婦ならではの蜜月な会話中かもしれない。
しかし、それでもいい。
夫婦がそこにいるなら、結ばれた男女がそこに居るのであれば、ケビンに恐ろしい提案を持ち掛けてくることはないはずだ。
ケビンがノックをすることも忘れて、そこだけ美しくリフォームされた美しい扉を、乱暴に開く。
夜中であるにもかかわらず、バァーンと大音量を立てたケビンの目の前には、青い空間が広がっていた。
夜空を思わせる深い青色の壁紙には、金色でところどころ模様が描かれている。
床はウォールナット仕様となっており、シックなグレーのふかふかの絨毯が敷かれている。
そのオシャレかつ穏やかな空間の真ん中には、三つの寝台が並べられていた。
一つだけサイズの大きい中心の寝台は、夫婦のために選んだセミダブル仕様なのだろう。
そしてそこには、元公爵ダニエル=デイトナーズと、元公爵夫人チェルシー=デイトナーズが、ふかふかの枕に背を預けるようにして、しどけなく座っていた。
ああ、黒いシーツに彼らの金色の髪の毛が映えるなぁと、ケビンが現実逃避をしていたところ、筋肉隆々の男盛りダニエルが、白い歯を見せて笑った。
「ああ、やはりここまでたどりついてしまったのですね」
「……?」
「いえ、わかっていました。ケビン様は、娘にも息子にも興味を抱いておられない」
「そ、そんなことはありませんが……いえ、そういう興味はありませんが、その」
「大丈夫です。皆まで言わずともわかっております」
ダニエルが、思わせぶりに、黒いガウンから出ているその足を、ゆったりと組み替える。
金色のすね毛がなんとも腹立たしさをあおってくるその姿に、ケビンは、じり、と後ずさる。
そんなケビンを見て、ダニエルの隣に座るチェルシーは、くすりと笑った。
「わたくしも、主人と相談したのですよ」
「そ、相談、ですか?」
「はい。そして、一つの結論に到達したのです」
「多分それは、到達する必要のない結論だと思いますよ」
「いえいえいえ、ぜひとも聞いてくださいませ」
聞きたくない。
そう言うことができたら、世の中はとても平和になることだろう。
いや、聞きたくないということだけは言ったのだ。ケビンは口に出した。
けれども、二人は笑顔を深めるばかりで、聞いてくれないのだ。
ケビンの懇願を、全然聞き入れてくれない!
「ケビン様の好みに合わせた、最高の寝室を作りました」
「三人で、今夜は楽しみましょう」
「最高の接待をして見せますとも」
「これだけわたくし達を愛してくれるケビン様とであれば、わたくしも主人も、ためらうことはありませんわ」
「さあ、いざ!」
「フォオオオオオオアアアアアアアアアゥエアアアアアアアアァアアアアアアアアアアアアアアアアア」
ケビンは叫んだ。
叫んで叫んで、その魂の叫びを、広い敷地にぽつんと建つ邸宅の外の人間に届かせんとばかりに、叫びまくった。
大音量を上げながら、居間へと立ち戻り、「おかえりなさいませ」と予定調和の笑みを浮かべるドビアスに再度悲鳴を上げる。
そうして、居間にある魔法通話器にかじりつき、短縮ダイヤル1番をクリックして叫び続けた。
「……なんですか、こんな夜中に」
「リーンハルトリーンハルトリーンハルトリーンハルトリーンハルトリーンハルトリーンハルトリーンハルト」
「ケビン様、もしかして五人プレイがお好みでしたか?」
「キィァァアアアアアアアアァアアアアアアアア」
「………………だいたいわかりました。……夜中に迷惑な方々ですね……」
深夜零時半を過ぎたころ、寝ぼけ眼をこすりながら現れたリーンハルトに、ケビンは勢いよく抱き着いた。
そして、「ちょっと! 抱き着くなら先に風呂に入ってください!」と激怒された。
結局、何をしてもリーンハルトの足に絡みついて離れないケビンに、リーンハルトはビキビキと血管を浮かび上がらせながら、魅惑に満ちた衣装に身を包む四人をその場に正座させる。
「こうして面倒なことになるので、おかしな作戦はおやめください」
「すみませんでした」
「良かれと思ったのです」
「私の魅力が、やっぱり足りないのね」
「僕の誘いを断るなんて」
反省していない様子の後半の言葉にため息をつきながらも、リーンハルトは慣れた手つきで居間の棚から毛布を引きずり出し、ソファに身を横たえて「私は寝ます」と寝入ってしまった。
そして、リーンハルトの足に絡みついたまま、ソファの傍らで、ケビンはしくしくと涙している。
そんなケビンを見ながら、デイトナーズ一家は、肩を落として整えた客間へと戻っていった。
「せっかく恩返しができると思ったのに」
「姉様だけでは心配だから、僕も体を張ったんだけどなあ」
「真正面から突撃するのはよくないのだろう」
「もっと別の角度から攻めるべきですわね」
みるみる元気を取り戻していくデイトナーズ一家。
彼らは、未来に向けて一直線に走り抜ける脳みそ筋肉一家なのだ。
「明日から、また頑張るぞ」
「「「はい!」」」
一家の主の言葉に、残りの三人は、ニカッと白い歯を見せて笑う。
こうして、しくしくと泣き続けるケビンとは正反対に、デイトナーズ一家はぐっすりといい睡眠をとり、英気を養ったのである。
両思いなのにすれ違う一人対四人。
両片思いって素敵ですね。
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