6 デイジー元公爵令嬢の濡れ衣
ケビンが長女デイジーに話を促すと、彼女は憤慨しながら、新聞の記事は濡れ衣であることを教えてくれた。
「わ、私、いじめなんてしていません。ですが、結局こんなことになってしまって」
「デイジーさんは、王太子殿下の婚約者でしたよね」
「あんな人! ……あの人、浮気していたんですよ!」
「浮気?」
「相手は男爵令嬢なんだ。デイジー姉様より一つ年下でね」
「バニラ=キャンディという名の令嬢です。ピンク色のふわふわ髪でね、淡い水色の目がくりくりしていて、小さくて、何をしても可愛いのよ」
「浮気相手を褒めてるんです?」
ハッとした顔をしたあと、しゅんと俯いたデイジーに、十二歳の金髪少年ドビアスはため息を吐く。
「デイジー姉様は見た目がコンプレックスなんだ」
ケビンは宇宙を見た猫のような顔になった。
デイジーは正直、絶世の美女である。
父譲りの金髪碧眼に、吊り目がちな端正な顔立ち。
母譲りの巨乳と、色白な肌。
美の女神がほほ笑んだとしか思えないその容姿が、何をどうしたらコンプレックスになるのだろう。
そう思っていると、目の前の可愛い美人さんが、顔を真っ赤にして、はわわわわ、と口元を抑えていた。
「美の……っ!? いえ、女神、そんな……」
「ん?」
「ケビン様。全部口に出ていました」
「おや」
それは失敬。
「デイジー姉様は元々、クラウス王太子殿下とあまりうまくいってなかったんだ」
「ドビー!」
「まあでも、姉様は悪くないと思う。クラウス殿下が怠惰すぎるんだよね」
デイジーの話にドビアスの話を加えると、どうやら彼女は、元婚約者のクラウス=ゲイル=デジケイト王太子殿下とうまくいっていなかったらしい。
デイジーとクラウスは同い年。
六歳のころから婚約していた二人は、デイジーが通いで王宮で教育を受けていたこともあり、兄弟のように育ったらしい。
しかし、何をするにつけ、デイジーの出来がよかった。
だんだんとクラウスがすねた態度をとるようになり、十五歳で王国内にある貴族学園に入学した頃には、彼との仲は割と冷え切っていた。
「クラウスは修業が足りないのですわ」
「修行?」
「一回で覚えられないなら十回やればいいじゃありませんの」
「うん?」
「そうそう。姉様に負けたくないなら、徹夜で頑張ればいいんだよね」
「……うん?」
「正々堂々と脳と筋力で戦うべきなのよ。なのに才能だのなんだの、うじうじうじうじうじうじ」
「…………うん?」
「僕だって姉様に勝ちたいときは三日くらい寝ずに準備をするのに、クラウス殿下はやる気がないんだ」
「……」
ええと、確かこの国の王太子クラウスは優秀だという噂で、貴族学園を卒業したばかりであるにもかかわらず、大学卒業資格試験を突破したほどの秀才であったはずだ。
何かに生き急ぐようにして勉学に努めているという話だったが、もしかして……?
生き生きツヤツヤした顔で、いかに努力が大切か語りあっている姉弟に、ケビンは思うところはあったけれども、とりあえず黙って先を促すことにする。
「それで、貴族学園に入学しても、姉様とクラウス殿下とは冷めた感じだったんだけど」
「クラウスが一つ学年が下のバニラ=キャンディ男爵令嬢と出会いましたの」
そのキャンディ男爵令嬢とやらは、テイジー曰く、とんでもない礼儀知らずだったらしい。
敬語の使い方が甘い。
身分の高い上級クラスの同級生――特に男子生徒に、甘ったるい声でタメ口で話しかける。
男子生徒や男性教師へのスキンシップが多い。
彼女が所属する下級クラスの女子生徒が話しかけても、そっけない態度で、興味なさそうにしている。
デイジーを含む女子生徒や、身分の低い男子生徒の目には、女を売りにした生き方をする彼女の有様は下品に映ったので、速攻で彼女から距離を取った。
問題は身分の高い男子生徒である。
彼らは、あざとい令嬢に対する免疫がないのだ。
その結果、次々とその毒牙にかかった。
彼らはひがな毎日、彼女を取り囲んですごし、彼女を囲う男達の最たる者が、デイジーの元婚約者のクラウスだったのである。
「それは、ご愁傷様です」
「別に気にしていませんわ。私、それでもいいと思っていたんですの」
「そうなのですか?」
「クラウスは元々、私のことがあまり好きじゃありませんでしたし。私も、私のことが好きじゃない人のことは好きではありません」
ぷい、とそっぽをむくデイジーは、ケビンの目にはどことなく寂しそうに映った。
ケビンは、彼女を慰めたいなと思った。
しかし、ケビンの本質はコミュ障なので、ここで手を握ったり、優しい言葉をかけたりできるような器用さはない。
結果、何もしない。
デイジーはそんなケビンの想いには気が付かない様子で、話を進める。
「それで、私も二人から距離を置いていたのですが」
形のいい頬をぷくーっとふくらませたデイジーに、ケビンはうっとりと見とれる。
美人は何をしても可愛い。
ニコニコしているケビンに毒気を抜かれたのか、デイジーはサッと目をそらした。
デイジーにそっぽを向かれ、悲しみをたたえた顔でドビアスを見ると、ドビアスは「ボクはジュウニサイだからわかりません」と真顔で呟く。
「あのバニラという令嬢、なにかと私につっかかってきて」
「はあ」
「物を壊したり盗んだり、階段から突き落とそうとしてきたり、空き教室に呼び出して男達と囲もうとしてきたり」
「囲まれたのですか?」
「代理の我が家の侍従達を複数人で向かわせたら、なよついた男子学生達が複数、悲鳴を上げて逃げていったそうです」
「そうですか」
悲鳴を上げる?
まあ、何はともあれ、デイジーが無事であったのならよかった。
「それで業を煮やしたのか、学園の卒業パーティーで、キャンディ男爵令嬢が私に濡れ衣を着せてきて……」
バニラ=キャンディ男爵令嬢は、卒業生でもないのにクラウス王太子にエスコートされながら、これまでの学園生活でデイジーにされてきたことを大声であげつらった。
曰く、私物を壊された。
曰く、私物を盗まれた。
曰く、階段から突き落とされた。
曰く、空き教室に呼び出して男達に囲まれた……。
「それ、デイジーさんがされたことでは?」
「はい。ですが、彼女は自分がされたのだと申し立ててきました。そして、クラウスを筆頭に、身分の高い男子生徒達が何故かそれに賛同したのです」
賛同する者達の身分が高すぎて、他の生徒達は異議を申し立てられなくなってしまった。
それに、卒業パーティーの前の週には、デイトナーズ公爵家の密輸問題が議会で問題視されていた。
デイジーに表立って味方できるものはいなかったのだ。
「結局その次の週に、家の取り潰しが決まったのです」
「すさまじい早さですね」
「はい。私達一家も、これは異常なことだと考えています」
デイトナーズ公爵家は、五大公爵家の一つだ。
その由緒ある家を取りつぶすのであれば、通常は議会や裁判において半年はかけて審議を行うことになるだろう。
それが、ものの二週間で取り潰しとなるというのは、異様である。
「長い審議を経て決めるべき議題を、即座に決める。それが可能なのは、国王陛下の勅命くらいのものだと思っていましたが」
「さすがに勅命は出ていません」
「そうですよね。そんなことになったら、新聞でもこの程度の記事では済まなかったでしょう」
「はい。……ですが、五大公爵家のうち、三家がこれに同意したのです。他にも、有力な高位貴族の家が、いくつも……」
要するに、権力者達がデイトナーズ公爵家の取り潰しに全面的に賛同したのだ。
すべてをなかったことにするがごとく、家を解体し、一家を平民に落とし、それどころか劣悪な環境におとしこんだ。
「それほどまでにデイトナーズ公爵家は恨まれていたのですか?」
「そんなことはありません! 私達はいつだって、公明正大で!」
「『正しいことを正しく行う! 筋肉は正義! 筋肉は正義!』」
「……うん?」
「これが僕ら一家の家訓なのです」
うーん。
これはその。
「皆さんもしかして」
「なんですか?」
「貴族としての立ち回りが上手くないですね?」
ピシリと固まった二人に、ケビンは配慮することなく、うーんと考え込む。
今の話が本当だとすると、この国の先行きはだいぶ怪しい。
四人を確保したことだし、このままこの国に居る必要はあるのだろうか。
ケビンは悩みながらも、まあいいかと思考を放棄し、ポンと手を打つ。
「うん、昼食の弁当を頼みましょう」
「えっ」
「えっ」
「悩んでいてもいいことはありませんし。今日はちょっといい弁当を頼みましょう」
「えっ」
「いいんですか? ケビン様」
「嫌なことを思い出してしまった日は、美味しいものを食べて忘れるのが一番です。それに、理由があれば、ゴミ回収のない宅配を依頼してもいいとリーンハルトが言っていましたので」
ほら、こっちの弁当の方がとっても豪華なのですよと、ケビンはどこからかチラシを取り出す。
そこには、まるでフルコースのような豪華な宅配ランチの美しいサンプルイラストが大量に並んでいた。
チラシの左下には、笑顔のシェフの肖像画描かれていて、『元王宮料理人であったシェフの作る最高の体験をお届け!』と書かれている……。
ケビンを含め、ごくりと唾をのんだ三人は、背後に居るお財布の番人を振り返った。
無表情でそこに控えていた中肉中背の執事は、背後のキャリーカートから、大量の分厚いファイルを取り出し、ケビンの前に置いた。
重厚な音を立てて机に陣取ったその書類達は、ケビンが倒れていた間にたまりにたまった仕事の書面である。
「ケビン様がこの仕事を今日中に済ませると約束するなら、いいですよ」
デイジーとドビアスの期待に満ちた水色の瞳に、ケビンは灰のように白くなっていく。
結果、本日のランチは、素晴らしいものとなった。
その最高の体験に、ケビンも元公爵一家も、ついでにリーンハルトも、感動に身を震わせる。
そして、そのままケビンは、その思い出を糧に、書面と向き合うことになった。
深夜まで続いたその激務、眠気覚ましのコーヒーの味で最高の体験の思い出がかすんでいくという最悪の体験をしたケビンは思った。
人間、体に鞭打つものではない。