45 エピローグ(終)
国王及び王太后との面会を終えたケビンは、リーンハルトと共に帰路につく。
馬車の中で気を緩めて息を吐くと、リーンハルトが笑顔でねぎらってきた。
「お疲れ様です、ケビン様。いい対応でしたよ」
「こういうのは、全部お前に任せたい」
「気持ちはわかりますが、限界があります。世の中には、本人同士で話をしなければいけないことがあるのです」
「本人同士で話をしなければいけないことを、本人同士で話をしなくていいことに変えてくれ」
「そういう奇想天外なことを実現できるのは、ケビン様の発明品くらいだと思いますよ」
「さすがに人間相手の理屈づくりは難しい」
「傾国の魅了魔法術式を構築してしまったお方が、よく言うものだ」
くつくつ笑っているリーンハルトに、ケビンは眉尻を下げる。
「それにしても、王太后陛下のお誘いを断って本当によかったのですか?」
その言葉に、ケビンは目を瞬く。
~✿~✿~✿~
実は先ほどの面会で、ケビンは王太后ドロシアに、手を結ばないかと誘いをかけられたのだ。
「ケレンスキー侯爵。わたくしはそなたの発明品に大きな価値を感じておる。その研究費用を投じる故、わたくしのために研究を行ってみないか?」
それは、ケビンを国家付きの研究者として認定するという誘いだ。
王太后専属の研究者という立場をとることも選び取れたであろう。
そして国の中枢に居てなお、自由な研究を保証するという王太后ドロシアの言葉に、ケビンは長いまつげを伏せて思案する。一分ほどそうしていたけれども、ふと、彼は懐から紫色の魔石の付いた万年筆サイズの杖を取り出し、それを王太后に差し出した。
「ドロシア陛下。これを見てください」
「うん?」
「これは宙を駆けるための床を作るための杖です。先日の騒動で、私とデイトナーズ公爵令嬢が使用する姿をご覧になったと思います」
「!」
息を呑んでその杖を受け取ったドロシアは、ためつすがめつ、その杖を見つめる。
人が空を飛ぶというのは、簡単なことではないのだ。
体を宙に持ち上げるその理屈、持ち上げたときのバランス、場所を移動するための手段、その調整能力。
すべてを計算し得る魔術師であっても、実際に飛ぶための体感バランスを得ることができず、その多くが事を成しえない。
このデジケイト王国の国家魔術師であっても、空を飛ぶことができる者は片手に数える程度だ。
しかし、この杖はそんな壁を、簡単に乗り越えてしまう。
宙に浮かんでいるわけではなく、あくまで床に足をつけて歩いているだけではあるけれども、その簡易性、操作性は、これまでの技術をひっくり返してしまうほど革新的なものであった。
「この杖を、どう思いますか?」
ドロシアは、ごくりを息を呑む。
彼女は、自分が試されていることを理解しているのだ。
言葉を選ぶようにしながら、ゆっくりと口を開き、杖に対する賛辞を述べる。
「他に類を見ない、素晴らしい発明だと、わたくしは思います」
「そうですか」
「国の魔術師であっても、これほどのものを作り上げた者は居ない。貴殿の才覚を象徴する、夢の杖であると」
その言葉を聞いたケビンは、ニコリと笑って手を差し出した。
王太后ドロシアは、その笑顔に、一瞬悲しそうに顔をゆがめた。しかし、すぐに顔に笑顔を張り付け、差し出された手に、震えながら、先ほど渡された杖を乗せる。
「お褒めの言葉をありがとう存じます、ドロシア王太后陛下。しかし私の研究はやはり、デイトナーズ一家と共にあってこそのものなのです」
ケビンの迷いのない言葉に、ドロシアはケビンの気持ちが揺らがないと察したのだろう。
特段すがることもなく、ケビンは解放された。
~✿~✿~✿~
「……リーンハルトは、王太后陛下の誘いを断ってほしくなかったのか?」
「いえ、別に。私は関係ありませんので」
「なんで急に冷たい!?」
「ケビン様が国家魔術師になったとしても、その製品販売能力がないことはこれまでの歴史の中で立証されていますから、国家お墨付きの会社としてその販売に精を尽くさせていただきますよ」
「お前はめげないけど、国に利益を吸い上げられそうじゃないか」
「国家お墨付きでない会社も立ち上げて、権利や特許を分散して私の会社に利益を落とさないと販売できないよう調整します」
「私ごときがお前の心配して悪かったよ」
「それはともかく、お心は変わらないんですね?」
ケビンはなんとなく、懐から先ほどの杖を取り出す。
紫色の魔石には、魔力を補充したばかりだ。
光を反射するだけでなく、魔石そのものが奥から輝いているその様を見つめていると、御者が家に着いたことを知らせてくる。
「おかえりなさい、ケビン様!」
「お疲れ様です、ケビン様」
「ケビン様、お土産は?」
「こら、ドビアス。ケビン様は遊びに行ったんじゃないんだぞ。接待という拷問を受けに行ったのだ」
「拷問に行く私を笑顔で送り出したのですか!?」
仰天するケビンの横で、リーンハルトがドビアスに、王宮近隣で売っている王都名物のクッキーを渡している。本当に、隙のない男である。
「そういえば、皆さんに聞きたいことがあるのです」
目を丸くするデイトナーズ一家の四人に、ケビンは杖を差し出した。
先ほど、王太后ドロシアに差し出した、紫色の魔石が付いた万年筆サイズの杖だ。
「この杖を見て、どう思いますか?」
それを聞いた四人は、足早にケビンの手元に近づいてくると、ダニエルが杖を受け取り、四人でまじまじとそれを眺め始めた。
「これは! もしかして魔石製疑似アルミニウム合金を自由自在に作り出す装置ですか!?」
「はい、そうです」
「待って、それだけじゃありませんわ。この魔石はフェイクに近いですわね。魔力源となっているので正確にはフェイクとは言えないのですが、本当の核になっているのは別にあるはずですわね。紫色の魔石とは距離を置いているはずなので、この先端の内部に仕込まれているんじゃないかしら……」
「そのとおりです」
「ケビン様、そんなことが可能なのですか!? この杖、万年筆サイズしかありませんわよね。それだけの距離しか離していないのに、これだけ正確に魔石それぞれの力を起動させながら術式を組むなんて」
「姉様、それよりもこの術式がすごいよ。これって現代で流行しているアンカーシア方式じゃなくて、別の類のもので組んであるんだ。いや、それぞれはアンカーシア方式の魔法陣なんだけど、それぞれをくっつける間の公式に、独自術式を組んである。これに近いのを見たのは古代マハル術式の文献だった気がするんだけど、実用に使えるものなの!?」
「なるほど、異なる術式を間に挟むことで、術の切り替えをこの短い距離で強制的に促しているのですね。先頭の陣で宙にエリルゲン物質を放ち、そこに次の術式で熱を加え、その次の瞬間には液体ルーシアをかけると、急激に凝固して宙に虹色の床が出来上がる……」
「こんな発想、ケビン様以外にできる方は居ませんわ」
「待って。でもその理屈だけだと、ケビン様が作った虹色の床がすべて五角形を保っていた理屈が通らないわ」
「多分、何かの結晶化作用が反応しているんだと思うけど……五角形に固まる……!?」
「ケビン様、どういう理屈なのですか!?」
「すごいですわ、ケビン様! 全く想像できません!」
「固める理屈次第では、雪の結晶の形とか、お花型の床も作れませんか、ケビン様」
「耐荷重が気になるな。ドレスを着た姉様の体重が確か――」
「ドビアス!!!!!」
禁断の情報を口にしようとした弟に、姉は真っ赤な顔をしてその口を封じている。
その横で、ケビンは思わず声を上げて笑ってしまった。
珍しく爆笑しているケビンの様子に、姉は涙目で震え、弟は目を丸くし、夫妻は不思議そうな顔をしている。
それは、あの日の光景と同じだった。
ケビンが十一歳のあの日、デイトナーズ一家と出会ったその瞬間。
~✿~✿~✿~
『しっ、静かに! 誰かに見つかってしまうわ』
『えっ。いや、でも、その』
『見つかったら、きっと連れ戻されちゃう。あんなお茶会より、こっちのほうが大切だもの。それ、なぁに?』
『!』
そうやって、きらきらした目を向けてくる、小さな貴族の女の子に、ケビンはその時持っていた発明品を渡した。
無骨な鉄で作ったその装置をまじまじと見ている女の子に、ケビンは、もう少し綺麗に装飾をしておけばよかったと後悔する。
しかし、女の子の反応は、ケビンが思っていたものとは、全然違うものだった。
『すごい! すごいわ、これ。この装置で、さっきあなたの周りに浮かんでいたキラキラを発生させているのね!?』
『えっ。う、うん……』
『光を発生させる装置と言えば、電気でしょ、魔石そのものに魔力を抽出して光らせることでしょ。あとは化学反応で爆発を起こすとか……光はエネルギーだから、それを発生させる媒体が必要なはずなのに、この装置にはそれが全然ないように見えるわ!』
『!?』
『それそのものを発光させるんじゃなくて、太陽の光みたいに何かに照射する形だと、装置を持っている私の背後が光らなくなるわよね。なのに、ちゃんと私の背後も光ってる。一体何を核にしているのかしら……すっごくきれいだわ……蛍みたい……』
『あ、う……そ、その』
『ねえ、術式を読んでもいい?』
『え、その、なんでそんなことを、聞くの?』
『だって、これは宝石よりも価値があるものだわ。でも、全然見たことも聞いたこともない。ということは、研究開発中のものなんでしょう? あなたの力の結晶だわ。未発表の宝物に触れていいのかどうか、ちゃんと聞かないとあなたも困っちゃうでしょう?』
このときのケビンは、これが現実のものなのか、自分の正気を何度も疑った。
だって、目の前の女の子は、ケビンが想像もしなかった言葉を次々に与えてくれるのだ。
誰もろくに見向きをしなかったこれは、宝物なのか。
少なくとも目の前の彼女は、これがケビンの力の結晶で、彼の許しがないと触れることもできない貴重な品だと、心からそう思ってくれている。
『おお、やっと見つけたぞデイジー!』
『あら、仲良くなった子がいるのね。何をしているの?』
そこにやってきたのは、彼女の父母と、三歳の弟だった。
彼らは、ケビンのところにやってきた神を連れ帰ってしまうのかと思いきや、そのまま四人で寄ってたかってケビンの発明品をほめちぎった。ありとあらゆる知識を総動員し、それが何を目的とした装置で、現代の技術の限界がどこにあり、先人達の躓いた場所、ケビンが工夫で乗り越えた障害、そしてその成果を喜び、尊び、さらなる高みへと昇華するべく、楽しそうに議論を交わしている。
『あ、あの。皆さんは、どうして……』
『なんだね、天才少年君!』
『……! ど、どうして、そんなに、いろんなことに詳しいんですか?』
十一歳のケビンの言葉に、突然現れた神一家は、目を瞬いた後、声を上げて笑い始めた。
『そんなの、当然だ。私達は貴族だからな!』
『何事も突き詰めるまで知ってこそ、民が作り上げる物の素晴らしさを知ることができるでしょう?』
『こうやって勉強しないと、あなたみたいな天才のすごさがわからないじゃない。凡人だから、努力しているのよ!』
『きらきらー、もっと! ケビン、もっとすると、いい!』
~✿~✿~✿~
あの時そうあっけらかんとしていた四人は、ケビンの心にきらきら光る台風を巻き起こし、隣国へと戻っていってしまった。
そして今、彼らの笑顔は、ケビンの手の届く範囲にある。
「やっぱり皆さんは、私の神です。私はここに居るのが一番幸せです」
ケビンがほっこりとあどけない笑みを浮かべると、四人が急に真顔になった。
急にどうしたのだろうと、ケビンは思わず、こすりと右頬を拭う。
その、赤くなってしまっている、右頬を。
「……ケビン様、頬を拭ってはいけません。赤くなっていますよ」
「ダニエル様。いえ、これはその、なんだか癖になってしまって」
「何度お止めしても、治りませんね。あの魔性の女の手により、心に傷を負ってしまわれたのでしょう」
「ああ、ええと、そうかもしれませんが……どちらかというと、その後のデイジー様の攻撃のほうが……?」
「ところでケビン様。私はあなたの神ですね?」
「え? ああ、はい」
「神の言うことは、絶対ですね?」
「それはそうですね」
「わかりました。では、その癖を治すための秘技を、不肖わたくしケビン様の神ダニエルが、伝授いたしましょう」
「え?」
「耳をお貸しください」
若干の恐怖を感じながら、ケビンは右耳を差し出す。
なんだ。
一体、どうしたんだ。
なんでこんなに空気が変わったんだ。
「ケビン様。神による浄化です」
ちゅっ。
その温かい感触に、ケビンの思考が止まる。
視界に入るのは、離れていく金髪と、淡い水色の瞳に、筋肉隆々のその肢体。
「これで癖は治りましたな、ケビン様!」
「キィャアアアヤアアアアアェアァアアアアアアアア」
自分の真横から発生した世に恐ろしい大音量に、ダニエルは動じることなくニコニコとほほ笑んでいる。
ケビンは、叫んだ。
叫んで叫んで、この恐慌を世界に知らしめんとばかりに悲鳴を上げた。
「はっはっは。ケビン様は相変わらずお元気ですなあ」
「ヒィエエェェェェヤァアアアアアアアアアァアアアアアアアア」
「あなた、ずるいですわよ!!!!」
「お父様、私だって、ケビン様にキスしたかったのに!!!」
「お父様でいいなら、僕でもよかったじゃないか!!! なんでじゃんけんもせずにお父様だけ抜け駆けしたの!?」
結局その日、ケビンは必死に逃げ回ったものの、筋肉隆々デイトナーズ一家から、枯れ木ケビンが逃げられるはずもなく、残りの三人からも右頬に熱いベーゼを受ける羽目になった。
そして声がかれるほど悲鳴を上げた。
ちなみに、ケビンとデイトナーズ一家の追いかけっこを見ていたリーンハルトは、「この空間にいると頭がおかしくなりそうです」と失礼な言葉をつぶやき、その日はそのまま帰っていった。
だからケビンは、リーンハルトが帰り際に、「まあ、あれであの癖は治るんでしょうね」と笑っていたことには、気が付かなかったのである。
引きこもりゴミ屋敷令息の恩返し
〜悪役令嬢を一家ごと引き取りました〜
終わり
これにて完結です。
ご愛読ありがとうございました!
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