43 バニラの顛末
ところで、クラウスが話題に出したバニラのことだが、彼女には終身刑が与えられた。
彼女の使う魔法が危険すぎたのだ。
貴族牢に入れられ、生涯をそこで過ごすこととされた彼女には、罰金は生じなかった。
死ぬこともできず、希望を持たず、ひたすら生きていくことを命じられたのである。
そして、貴族牢に入ったその日、彼女は失踪した。
「王妃殿下は、本当にやり手よねえ」
もぐもぐとケビンの邸宅で朝食弁当を食べているバニラに、ケビンはおびえたようにダニエルにそっと寄り添い、デイジーは鬼のような形相でバニラに殺気を放っている。
今日は木曜日の朝だ。
木曜日の朝になると、このピンクブロンドの女は必ずケビンの家に現れるのだ。
いや、髪の色はかつらで隠しているので、黒髪だ。
本人曰く、ケビンの色に合わせたらしい。
「なぜここに居るのですか」
「あら、つれないのねケビン様」
「うちに帰りなさい。ハウス!」
「ケビン様の力で、私は王宮も男爵家も失ってしまったんですよ」
「ちょっとバニラ、それ以上ケビン様に近寄らないで。あと、あなた一人称変わってない?」
「そうだ、今日はちゃんと私の分の弁当も注文しておいたんですよ。見てください、この美味しそうなベーコンエッグ弁当を!」
「誤発注で返品します」
「じゃあ、ケビン様のお弁当をわけっこしようかしら。私がアーンして差し上げますね。ほら、アーン……」
「――デイジー様!!!!」
「ケビン様に近寄らないでちょうだい!!!!!」
「ほら、ケビン様。こっちでご飯を食べましょうか」
ドビアスに声をかけられ、ケビンはしくしくと泣きながらドビアスの近くに席を移動する。
そうしてドビアスに、「はい、ケビン様。アーン」と食べさせてもらっていると、キャットファイトを繰り広げていた女性二人が「「ちょっとずるくないかしら!?」」と鬼の形相でケビンを見てきた。
世にも恐ろしい光景である。
~✿~✿~✿~
「王妃殿下はね、私から杖を取り上げたけれど、それ以外、何もしなかったのよね」
ひとしきり争って落ち着いたのか、バニラはデイジーの隣に座りながら、穏やかな顔でケビンの用意した東国の黒豆茶を飲んでいた。デイジーも力尽きたのか、大人しく一緒に豆茶を飲んでいる。こうしてみるとただの仲良し令嬢二人組であるが、口が裂けてもそれを言葉にしてはならないことを、さすがのケビンも理解している。
「それでさ、見張りの衛兵として若い男をつけるわけよ。その男がなんていうかもうね、独身をこじらせてそうな感じ? もしかしたらどこかの誰かみたいに、婚約者にマウントを取られすぎて心が擦り切れていた可能性も捨てきれないけれど」
「ちょっと、誰がマウントを取ったっていうのよ」
「あら、誰の事だってはっきり言ってないのに絡んでくるなんて、公爵令嬢様って怖いのね……」
「デイジー姉様、もうやめなよ。真っすぐにしか生きられない姉様は、レスバではバニラ様に勝てないよ」
「ドビアス。勝てない場合はね、何度でも挑戦して、努力を続けることが勝利の鍵なのよ」
「忘れてた。この人体力無限大の脳筋令嬢だから、あんまり煽ると一生粘着されるんだったわ」
「何も悪いことを言っていないのになんであんたは私の悪口ばっかり言うのよ!」
「一応褒めてるわよ」
「どこが!?」
涙目でぷるぷる震えているデイジーを無視して、バニラはのんきに黒豆茶を飲み干す。
「とにかくね、そんな獲物が目の前にいるわけだから、適当に魅了の魔法を使って、カギを開けてもらって、脱出の補助もしてもらって、それでさよならよ。あんなガバガバの終身刑があっていいのかしら」
「普通はまず鍵が開けられないんですよ、バニラ様。鍵開けの魔法封じも何重にもかかっていますし」
「鍵なんて、鍵があれば開けられるじゃない」
「だいたいなんで杖なしで魅了魔法を使いこなしているんですか」
「そんなの、ケビン様のほうがよくわかってるくせに」
くつくつ笑っているバニラに、ケビンは肩を落とす。
バニラはケビンの杖を拾ってからここ三年間、自分の感覚だけを頼りに杖に仕込まれた魔法術式を解析し、自分の魔力を交えてその魔法を行使し続けてきた。
もはや彼女の体には、その魔術の流れがしみ込んでおり、杖の誘導がなくとも使いこなせるほどに、自分の魔法として昇華してしまったのだ。
そしてその可能性に、あの芝生でのケビンの熱い解説をカメラ越しに聞いていた王妃が気が付かないはずはない。
「多分、新公爵の四人がご婦人だからよね」
「バニラ様」
「どうせ、女性が最上位貴族として国を動かすことへの反発が強かったんでしょう?」
バニラの言葉に、公爵ダニエルと公爵夫人チェルシーは肩をすくめる。
これまで、女性が貴族の地位を得るのは、他に爵位を継ぐことができる男性が居ない場合だけだった。
そこに突然、降って沸いたように現れた四人の女性公爵。しかもその登場により、五大公爵の五分の四が女性となったのだ。国の先行きを決める大きな権力を有する立場が女性のものとなったことに、反発する男性貴族は、正直少なくはない。
「だけど、魅了の魔女が市井でうろついているとなれば、話は別だものね?」
「バニラ様」
「ふふ。また遊びに来るわ。私は木曜日の朝をもらってるから、クラウスを近づけないでよ」
「あ、そうだ。バニラ様って、クラウス様とキスしかしてなかったんですか?」
「ゲッホゴホゴホゴホゴホゴホ」
ドビアスの言葉に、唾が肺に入ったのか、むせるバニラ。
ケビンと一同が興味津々でその様子を見ていると、バニラは真っ赤な顔をして、ドビアスとケビンを見た。
「な、何、一体なんなのよ!?」
「そういうタレこみ情報があったんです」
「クラウス!? クラウスなのね!? なんで、あいつ……っ、最低じゃないの!!!」
「ほとんど何もさせないのに、魅了魔法を使いこなしていたんですか? バニラ様は天才の中の天才なのでは?」
ケビンのまっすぐな称賛に、バニラは赤い顔でわなわなと震えながら叫んだ。
「私がすごいことなんて、最初から知ってるわよ!!!!」
そのまま、全速力で玄関に向かい、バニラは立ち去って行ってしまった。
「……来週の木曜日も来るんでしょうね」
「そうでしょうね」
「そうですわね」
「懲りるような女性ではないでしょうしね」
「なんだかんだ嬉しそうだったわよ、あの女」
「来週も来るのかあ。じゃあ、キスの先について聞いてみようかな。最後までって何を指すんだろ」
「「「「ドビアス(様)は来週の木曜日は部屋で朝ご飯です」」」」
「なんで!?」
その週、父ダニエルから息子ドビアスに対する、高度な性教育が行われた。
翌週の木曜日から、ドビアスはバニラを「師匠!」と呼ぶようになった。
ダニエルは息子に一体何を教えたのだ。
ケビンは聡い男なので、その内情には触れる予定はないが、正直少しだけ気になっている。