30 ケビンは怒っている
「何をしているのですか」
ケビンはテラス席の柵に降り立つと、そこに居る三者を見る。
デイジーにリーンハルトに、デジケイト王国第一王子クラウス。
座席に座ったままのリーンハルトを挟んで間近にいるデイジーとクラウスに、ケビンは眉をしかめた。
「デイジー様。コレに近づいてはいけないと言いましたよね?」
ビクッと体を震わせるデイジー。
その様子を見たクラウスは、王子ならではの胆力なのか、我を取り戻したように笑い出した。
「は、はは。なんだ、貴殿も私に妬いていたようだな!」
「なんです?」
「わ、私に近づかないよう、デイジーに言いくるめていたのだろう! それはそうだろうな。私は、彼女の元婚約者で、想い人なのだから――」
「あなたがデイジー様を搾取する乞食だからです」
は、と動きを留めたクラウスに、ケビンはゴミを見るような目を向ける。
「私があなたに近づきたくないのは、あなたが身分に甘えた傲慢な寄生虫だからです。私のデイジー様に近寄る資格がない廃棄物です」
「な、なんだと!?」
「人から与えてもらって当然だと思っている。自分は大切にしないのに、人が大切にしている様子を見たら、欲しくなる。あなたは今日、捨てたはずのデイジー様が私の唯一のパートナーとして現れたから、惜しくなっただけでしょう」
クラウスはケビンの言葉に、ぎり、と歯をかみしめる。
その表情に、ケビンは覚えがあった。
ケビンの兄達がしていたもの。
あなどっていた存在に図星をさされた高貴なる者がする顔だ。
『ケビン、いいもの持ってるじゃん。貸してくれよ』
ケビンが八歳を超えた頃からだろうか。
親兄弟達は、だんだんとケビンの発明品に興味を示さなくなってきた。
そして、ケビンが発明品を大切に抱え込みながら、人気のない場所で試運転をしている姿を見たときに、自分にも使わせろと言ってくることがあった。
『ふーん。なんだ、こんなもんか』
渋るケビンから発明品を取り上げた兄達は、ひとしきり遊んだ後、そんなことを言いながらぽいっと投げるようにケビンの発明品を返してきた。
そんなことが続くので、一度それで大喧嘩をしたことがある。
それからというもの、兄達はケビンの発明品に触れることがなくなった。
しかし、その思い出は、ケビンの心にずっと傷を残していた。
『あんなお茶会より、こっちのほうが大切だもの。それ、なぁに?』
『ケビン様の作るもの、昔から、金になると思っていたんですよね』
デイトナーズ一家とリーンハルトの言葉を受けて、発明品を売り出し始めた後、兄達はこぞってケビンの発明品を欲しがった。
くだらないものだと捨て置いていた物が、価値ある宝だと評価されたことにより、手のひらを返したのだ。
しかし、ケビンは彼らに、発明品に触れることを許さなかった。
両親や兄達のほうが権力もあり、使用人も多く、ケビンに勝ち目はなかったけれども、それでも絶対に触れることを許さなかった。
そしてそのケビンの想いを、意外なことに、リーンハルトは守ってくれた。彼は金に任せてケビンの周りを懇意の使用人と護衛で固め、両親や兄達を発明品――特に、特許取得前の研究中の品――に近寄らせなかったのである。
こうして、ケビンの発明品に近寄ることができないとわかったときの兄達の顔。
それと同じものが、今、ケビンの目の前にある。
ケビンの言葉と、クラウスの様子に、デイジーは少し傷ついたような顔をしていた。
だから近づくなと言ったのに。
「……違う。お前の言うことは、的外れだ」
「クラウス?」
「デイジーは、ずっと私の矜持を折り続けてきた。私よりも優れたところを、婚約者の立場で、常に見せつけてきたんだ。私が悪いんじゃない! すべて、この女が悪いんだ!」
「矜持を捨てる選択肢もあったでしょう」
「な、なに……!?」
「そもそも、そんな矜持は矜持ですらない。自分より優れた婚約者を持つことの何が、矜持を折るんです。それほど優れた女性を魅了することができたこと自体が、あなたの誇りと価値に繋がったはずではありませんか?」
クラウスは動きを止めた。その顔色は、驚くほどに白い。
かたや、デイジーはかたずをのんで、ケビンの言葉に耳を傾けている。
リーンハルトは、二人と主人を見ながら愉快そうにニヤついている。
「だいたい、その理屈だと、デイジー様は結婚できないではありませんか」
ケビンの知るデイジーは、いつもきらきら輝いている。今日は夜会に参加するということで、さらにまばゆさを増していた。彼女の隣に立って、彼女よりも常に優れた部分を見せることができる男が居るだろうか? 居るかもしれないが、不可能とまでは言わないが、ケビンの知る人間の中にふさわしい人物の候補は上がってこない。
そも、彼女は神のごとく清廉で、存在自体が尊く、努力を惜しまず、言葉を惜しまず、前を向き、周りを促すことができる至高の存在なのだ。彼女の隣に立つというのは、彼女を称え、支え、魅了される幸せを享受するということを意味する。それなのに、彼女の生きざまに嫉妬し、あしざまに言うなど、どういう了見なのだ。そんな低能男に彼女の隣に居る資格はない。
しかも、その資格のない男は、彼女という神の心を傷つけてしまっているのだ。
ケビンの神は存在そのものがまばゆく輝いており、隣に居るだけでも目が見えなくなってしまいそうなほどの威力であったのに、先ほどコレを近くに置いただけで、その輝きが怒りと緊張という陰によりあっという間に曇ってしまった。許されざる大罪である。
バニラと対決モードに入った彼女は、それはそれで美しかったけれども、彼女の魅力がもっと豊かに現れる瞬間を、ケビンは知っている。なぜ、こんな大罪男を近くに置いて、我が神の顔と心を曇らせなければならないのか? 言語道断である。あの恐ろしくしたたかな令嬢バニラに相対して真正面から打ち勝とうとする芯の強さは神だからこそなせる業かもしれないけれども、そもそも傍にケビンや大罪男という下賎なシモベが居る中で、なぜ神自身に戦いに赴くなどという煩わしいことをしていただかなければならないのか。この寄生虫は自分の立場を理解していなさすぎる。だいたい、己の元婚約者の女性と現婚約者候補の女性が言い争いをしている現場でぼんやり立っているだけというのは、一体なんなのだ。本当に頭がついているのか? それだけではない、ケビンの崇める神一家がその後どうなったのかまったく把握していない時点で、デイトナーズ一家を追い落とした犯人であるにしろないにしろ、能力が低すぎる。絶対的に神のシモベにふさわしくない。王族という地位とお金に甘えて与えられるものを享受するだけの生活をし、脳みその使い方を学んでこなかったことは明らかである。これはケビンがそうだとリーンハルトに言われたから人にも擦るようにそう思うのだとかそういうわけではないのだが、とにかくこのクラウスという王子は神の配偶者となるには役ただずにもほどがあるし、権力のある無能というのは近くに居るだけで問題を持ち込んでくることは間違いがないので、他の男にした方がいいと思うのだ。
そこまで思ったところで、ふとテラス席を見ると、ケビンの神が顔を赤くして震えていた。
「ケビン様……っ!」
「どうしましたか、デイジー様」
「ケビン様、ケビン様。全部声に出ていました」
「おっと」
それは失礼。
我を忘れて憤っていたケビンは、静かに息を吐く。
「あなたは女性の幸せと笑顔を吸い取る厄病神です。我が神の近くに置いておくことはできません」
低能大罪傲慢疫病神に向かってそれだけ言うと、ケビンは魔法の杖を使って、デイジーの元へと降り立った。
「一緒に来てくれますか?」
手を差し出すと、デイジーは感極まったように、目を潤ませる。
そして、近くに居る第一王子を、ちらりと見た。
第一王子は、何も言わない。
デイジーも、何も言わなかった。
そして、彼女はケビンに向き直ると、その手を差し出してくる。
「はい、ケビン様。私はあなたと一緒に行きます」
ケビンはデイジーの手を受け取ると、もう片方の手で、小さな杖をふるった。
「【シードフライング】」
ケビンとデイジーの足元に、きらきらと光る床がいくつも現れた。
現れては消えていくそれに、ケビンが足をのせていくので、デイジーもそれについていく。
そうして、テラス席の外へと去っていく二人を、クラウスはただじっと見つめていた。
その後ろで、リーンハルトは護衛達に持ってきてもらったチーズを食べながら、愉しそうにワイングラスをくゆらせた。
「なるほど、大切なものをけとばされたので、怒って回収して、懐に入れて磨き続けて愛で続けている感じですね。まったく、子どもの頃から変わっていらっしゃらないことだ」
愛でられた令嬢は一体どうするのやら。
計画通り――を通り越して、うまくいきすぎている状況に、リーンハルトは愉しそうに空の散歩中の主人達を見つめる。