28 宇宙人との交信(かいわ)
クラウスは、デイジーを二階のテラス席へと誘ってきた。
会場壁際の席から立ち上がったデイジーがリーンハルトに視線を送ると、彼は肩をすくめながらも同意するように頷いたので、デイジーは案内されるとおりにテラス席に向かうことにする。
もちろん、リーンハルトと一緒にである。
「リンデン伯爵。貴殿は遠慮してくれないか」
「申し訳ございません。デイジー様は私どもがこの会場に連れてきた平民の女性ですから、こればかりはお譲りいたしかねます」
笑顔を浮かべたまま、一切引く気がないリーンハルトに、クラウスは苦虫をかみつぶしたような顔で「なら仕方ない」と踵を返す。
その後ろをついていきながら、会場中央の両脇に設置された螺旋階段を上がっていると、国王がぎょっとした顔でこちらを見たのが目に入った。
自分の息子が、追い落としたはずの元婚約者と共にテラス席に向かっているのだから、さもありなん。
しかし、デイジーをいざなうリーンハルトの存在が利いているのか、止めるでも促すでもなく、ただ慌てた様子で、配下に何か指示をしている。
ということはつまり、これはクラウスの独断で行っていることなのか。
(クラウスは何を考えているのかしら。……私は、彼と何を話したいのかしら……)
デイジーは、クラウスの言葉に乗った自分の気持ちがわからなかった。
彼女とクラウスの関係は、既に終わったのだ。
そして、今日の夜会でケビンがデイジーを周囲に見せびらかしている時点で、復讐も成った。彼女を追い落とそうとした人間は、ケビンにエスコートされながら贅沢なドレスを身にまとう彼女を見て、悔しさで歯がみしていることだろう。
(……)
いや、復讐はそれだけでいいのか?
ケビンの優しさと素晴らしさで浄化されかかっていたが、そもそも、デイジー達一家を追い落とした連中をこのままにしておいていいのだろうか。
デイジーや両親のことだけならいざ知らず、彼らは可愛い弟ドビアスまでも恐ろしい環境に陥れたのだ。
ここは家族と世界の平和のために、犯人達の息の根を止めておくべきなのではないだろうか。
デイジーの怒りを感じ取ったのか、クラウスはビクッと体を震わせると、恐ろしい気配の元を探すように、チラチラと周りを窺っている。
そんなこんなで、デイジーとリーンハルト、そしてクラウスは、テラス席へとやってきた。
二階には会場を一周できる形状のギャラリーがあり、その中庭側には、個室のようなテラス席が複数設けられているのだ。クラウスが選んだのは、そのうちの一つである。
テラスに出ると、高級感のある意匠の白い丸テーブルに、椅子が四つ。置かれた椅子には刺しゅう入りのクッションが縫い付けて固定されており、雨が降ったら濡れてしまいそうだと思ったけれども、ふと、この椅子は晴れの日にしか設置されないのだろうと思いなおす。
そして、デイジーは席に座るより先に、中庭の人影を探して、テラスの手すりまで駆け寄った。リーンハルトは、なぜか自分のネクタイピンに向かってこそこそと話をしていたので、デイジーを止める間がなかったらしい。
夜空の下、少ない街灯の灯りを追いかけながら、黒髪の彼の姿を探す。
ケビンはこの中庭のどこに居るのだろう。
「席についてくれないか」
デイジーはハッとして振りかえる。
そこには、不満そうな様子のクラウスが居た。尊い彼を優先しないデイジーの行動が、癇に障ったのだろう。どうしたものかと相談するようにリーンハルトを見ると、彼はくつくつ笑いながらデイジーを席に案内してくれる。
そうして三人とも席に着いたところで、デイジーはクラウスと自分の間に横たわる空間をじっと見つめた。
『半径二メートル以内に近づいてはいけません』
二メートルを、下回っている……?
いや、大丈夫……のはず……。うん、多分大丈夫。許容の範囲。
言いつけを守るべく距離を見定めるデイジーの横で、リーンハルトはクラウスに試すような視線を送りながら謝罪した。
「申し訳ありませんね。デイジー様は、中庭で作業中の我が主人に夢中のようでして」
謝罪ではなく煽りだった。
デイジーは「リーンハルト様!?」と顔を赤くし、クラウスも「リンデン伯爵!?」と違った意味で顔を赤くしている。
「それだ! それを聞きたい。いつからの関係なんだ。なぜ、お前は、ケレンスキー侯爵と」
「……あの、なんの関係があるのでしょうか」
「はっ!?」
「私とケレンスキー侯爵の関係が、あなたになんの影響を及ぼすのですか?」
真に怪訝に思っている様子のデイジーに、なぜかクラウスは顔をゆがめる。
「クラウス。あなた、私のこと、今も嫌っているわよね?」
正直、不思議でならない。
元々、十五歳のあの日、クラウスがデイジーを捨てたのだ。
彼は彼女に追いつくことを諦めた。
デイジーがクラウスに伸ばしていた手を、振り払ったのだ。
そして――。
「私、あなたと最後に話をしたときはああだったけれど。貴族学園での生活の中で、あなたを邪魔したことはなかったわ」
クラウスと男爵令嬢バニラ=キャンディの関係を、デイジーは一切邪魔しなかった。
デイジーが婚約者として居座り、彼女との関係を邪魔しなかったからこそ、クラウスはバニラと好きなだけ交流することができたのだ。デイジーがクラウスの素行を両親に訴え、早い時期に婚約を解消していたら、彼は他の婚約者があてがわれていたことだろう。そしてその相手は、貴族最下級の男爵家の娘などではなかっただろうし、高貴な立場の新たな婚約者は、クラウスとバニラとの仲を認めることはおそらくなかった。
「それに、私がケビン様とそういう仲だったとして、一概にデジケイト王国にとって悪いこととは言えないでしょう?」
デイジー達を追い落としたこの国の王族にとっては悪いことかもしれないけれども、デジケイト王国にとっては悪いことではないはずだ。
やりようによっては、デジケイト王国出身のデイジーを、デジケイト王国に縁もゆかりもない彼を、この国に引き留める楔とすることもできるはず。
「好きなだけ、バニラと仲良くしていればいいじゃない。どうしてそんなに、怒っているの?」
デイジーは、真顔で尋ねた。
しかし、クラウスは耐え難い屈辱を受けたかのような様子で、ぶるぶると震えている。
……いや、本当に、そんなに怒るような内容だっただろうか?
バニラを長い時間放っておくのもなんだし、早く本題に入ったほうがいいと思ったんだけれども。
もしかして、これが本題なのか。
困惑した顔でデイジーがリーンハルトを見ると、リーンハルトも顔を真っ赤にしてぶるぶる震えていた。こちらはどうやら、怒りではなく、爆笑するのを必死にこらえているようだ。いや、耐えきれていない。「無知なる聖槍でやましい心をめった刺し……」と心の声が漏れている。息をするのも苦しそうだ。窒息して(略
「……ああ、そうだ。私は、お前が嫌いだ。お前が、私に惚れていたんだ」
「え?」
「私は、お前になんて、興味はない。愚直で真面目一辺倒で忖度と配慮を知らない脳みそが筋肉でできている高慢な女のことなど、何とも思っていない」
「……そう。じゃあ、もう話すことはないわね」
「待て! だからお前に、チャンスをやることにしたんだ」
「……え?」
「お前に、私の傍に居る権利をやる」
ぽかんとしたデイジーは、まじまじとクラウスの顔を見た。
ゆがんだその笑顔に、デイジーは何度も瞬きする。
どうしたことだろう、目の前に居る彼はデイジーの知らない人のようだ。
「平民になったお前を、私が囲ってやる。どうだ、嬉しいだろう!」
「……えぇ?」
思わず声が漏れ出てしまった。
我ながら、めちゃくちゃ嫌そうな声である。
元婚約者で、幼馴染で、人払いをしているとはいえ、さすがに不敬だったかもしれない。
そう思案する横で、ブハッとリーンハルトが吹き出した。
この人もたいがい不敬である。しかし、気持ちは痛いほどわかる。
この男は一体、何を言っているのだ?
対面する二人の反応に、怒髪天のクラウスは、バン、とテーブルを叩いた。
「お前は! 私が好きじゃないのか!!」
「ええ、あのはい、好きではないですね……」
「なにっ!? ど、どういうことだ! やはり、あの侯爵が好きだと言うのか。こんな短い期間で……浮気だ! 浮気!!」
「それあなたが言うの?」
「クラウス殿下、半年です。あなたがデイジー様を春に不法投棄なさってから、半年以上が経過しています」
「リーンハルト様、その言い方は面白すぎてどうかと思いますわよ」
「うるさい!!! お前は私と、六歳の頃から一緒に居ただろう! なのに、たった半年程度で気持ちが変わるものか! もっと前から、奴に懸想していたに違いない!」
「あれだけのことをされたら、どんなに熱い情熱でも一瞬で醒めそうですがね」
「あの、クラウス。あなたもしかして、私のことが好きなの?」
空気が凍った。
デイジーも流石に気が付いた。
これは、地雷を踏みぬく一言である。
怒りで爆発しそうな目の前の王子の様子を見るに、これ以上追及しないほうがお互いのためだろう。
しかし、疑問符と好奇心でいっぱいの彼女は、自分の口を止めることができない。
「えっ。なにそれ。バニラとあれだけいちゃついておきながら? 私が好きなの? それってどういう心理なの?」
「いや、違……っ! そ、そんなふうに、着飾って! 少し綺麗だからって、調子に乗るな!」
「そんなに今日の私の見た目が好みだったの」
「違う!! お前が悪いんだ。侯爵には、私に見せないような笑顔を見せていたり、お前が色々と、おかしいせいで!」
「それは申し訳ございませんこと……?」
「だから、お前を私のものにしてやる」
話が不穏な宣言に戻ってきたので、デイジーはリーンハルトを見る。
彼は机に体重を預けながら、爆笑していた。本当に頼りにならない。息をするのも苦しそうだ。窒息(略
「ちなみにそれは、どうやって?」
「お前は私と、ここで密な関係になるんだ」
リーンハルトも居るのに?
宇宙に放り込まれた猫のような顔をしているデイジーに、クラウスはゆがんだ笑みを浮かべる。
これはもしや。
「さ、三人趣味……」
「違う!!!!」
「ちょっと、デイジー様。こんなオープンな夜空の下で、何を始める気ですか。私は参加しませんよ」
「夜空の下じゃなかったらいいんですか?」
「なんの話をしているんだ、お前達二人は!!」
「夜空の下でなくとも、私は参加しません。別室に行かないなら巻き添えはごめんですから、邪魔いたしますよ」
「私もこんなのとねんごろな噂になるのはお断りです。でもなるほど、クラウスは、バニラ様と私の三人で関係を結びたかったのね……変態……」
「だから違う!!!! ……真実など、関係ないんだ」
肩で息をしているクラウスは、テーブルに置いたワイングラスの酒を煽った。
こんな状態でお酒なんて飲まないほうがいいんじゃないかしら。
そう思ったけれども、相手は尋常な様子ではないし、声をかけるほうが怖いので、ここは黙っておくことにする。
「お前は、今日の夜会で、元婚約者の私と意味深な会話を何度もしたな」
……?
デイジーが、クラウスに追い落とされたと声高らかに宣言したあれだろうか。
それとも、クラウスがデイジーをダンスに誘おうとして、答える間もなくケビンに邪魔されたことか。
意味深な会話……無残に置いてけぼりにされた、悲哀の第一王子との……?
「そして、私とテラス席で、こうして長い間会話をしている。席の外に護衛をつけて、人に聞かれないように配慮してのことだ」
デイジーがテラス席の入り口を見ると、室内側に、護衛が二人立っていた。
ありていに人払いをしているということなのだろう。
いやしかし、この場には三人居るのだが。
「リーンハルト様も居ますが?」
「ささいなことだ。人は覚えておきたいことだけ覚えている。そして、『元婚約者の二人が、テラス席でただならぬ関係に』という噂を流せば、人は興味をそそられる話の流れを勝手に作っていくものだ」
あの卒業パーティ―の時のようになと告げてくるクラウスに、デイジーはぞっとする。
これは本当に、クラウスなのだろうか。
六歳の頃から一緒に居たはずなのに、なんだか宇宙人を見ているような気がする。
「ケビン様との仲のほうが、噂になると思いますけれども」
「夜会の最後にお前が私の隣に居るか、会場に姿を見せなければ、それでいいんだ。最後に見たものが、真実の裏付けになる。夜会の前半で誰と踊っていたかなど、問題にならない」
「……」
「それで世間では、お前は私のものになる」
なるほど、ここに共に来ること自体が、クラウスの策であったのか。
デイジーは自分の迂闊な行動に落胆しながらも、これからのことを考える。
彼女の今日の使命は、ケビンのパートナーを務めあげることだ。
なんとしても、彼の足を引っ張ることだけは避けなけらばならない。
「そして、真実で裏付けてしまえば、なおのこと盤石だ」
ゆっくりと立ち上がったクラウスに、デイジーもガタッと椅子を引いて彼と距離を取る。
ゴミ屋敷の掃除で培った筋肉を用いて、この軟弱な男を物理的に倒すことはできるけれども、ドレスに傷でもついた日には変な噂を立てられかねない。
座ったままのリーンハルトの後ろに回り込んだデイジーに、リーンハルトはワイングラスをくるくると回しながら、目の前の第一王子と背後の元公爵令嬢を眺めた。
「三人でするのはどうかと思うのですよ」
「ここで言うべき言葉はそれですか!?」
「貴殿は黙っていないか!!」
「まあ、面白いものを見せていただきました。あとは我が主人にお任せすることにしましょう」
「えっ!?」
「何を言う。ケレンスキー侯爵は、ここには来ない。二階ギャラリーは人払いをしてあるんだ。王宮の夜会で――王子である私の命に逆らえる者は居ないんだ!!!」
月明かりに照らされながら、夜空と中庭を背景に、そう声高に叫ぶクラウス。
狂気を感じさせるそれに、デイジーはドン引きである。
そうだ、バニラはどこに行ったのだ。
この宇宙人を回収してくれるとしたら、彼女しかいないのでは?
あの人はしたたかだし、デイジーが大声で叫べば、来てくれるんじゃないかしら。
女性二人で囲んで袋叩きにすれば、クラウスの密談噂話大作戦も台無しだし……。
「何をしているのですか」
その低い声に、身を固めたのはデイジーだけではない。
人の声がするはずのない、テラス席の中庭を背にしていたクラウスも、ビクリと体をこわばらせた。
ゆっくりと振り向くクラウスの水色の瞳に映ったのは、枯れ木のようなスタイルの、黒髪眼鏡の研究者。
「デイジー様。コレに近づいてはいけないと言いましたよね?」
怒髪天の彼に、デイジーはごくりと息を呑んだ。