26 恩返し令息は一体何をしにこの夜会に来たのだ
その声掛けに、疲れ果てたブリキ人形ケビンは悲しそうにギギギギ、と再起動する。
「もうそんな時間か」
「行ってらっしゃいませ」
リーンハルトが給仕に耳打ちをすると、案内役と思しき男が二人現れる。
よたよたと椅子から立ち上がったケビンは、そのまま立ち去るのかと思いきや、デイジーの近くにやってきて、椅子に座るデイジーに向き直った。
「デイジー様はここに居てくださいね」
「は、はい」
「リーンハルトと踊ってくるのはいいですが、アレとはだめです」
「アレ」
「アレです。あの男の半径二キロ以内に近づいてはいけません」
「この会場から出ろと!?」
ケビンは真顔で沈黙した後、長いまつげを伏せ、デイジーの言葉に思案する。
「半径二メートル以内に近づいてはいけません」
それだけ言い残すと、デイジーのパートナーである枯れ木系インドア研究者は、足をガクガクさせながら案内の男達と共に、夜会会場が面している中庭のほうに向かって行った。
一体どこに行くのだろう。
ケビンは、たった一人で行動して、安全なのだろうか。
デイジーが心配していると、隣に居るリーンハルトがくつくつと笑い出した。
「リーンハルト様」
「珍しいものを見ました。こういう反応になるんですね」
「……どういうことですか? 今日は一体、お二人は何をしようとしているんです?」
「そんなこと、デイジー様もわかっているでしょうに」
笑顔で肩をすくめるリーンハルトに、デイジーは赤い顔で黙り込む。
事がここまでくると、デイジーにも、ケビンの目的はわかっていた。
ケビンは、デイジー達を守ろうとしているのだ。
それは、ダンスを迫って来るクラウスからではない。
世間のすべてから。
彼は、何者かに嵌められ、陥れられたデイトナーズ一家が、今も健在で――今をときめく大富豪ケビン=ケレンスキー侯爵の庇護下にあることを、国内外の王侯貴族に見せつけようとしているのである。
そういうことであれば、会場に入れない弟ドビアスはともかくとして、父ダニエルや母チェルシーは参加したほうがいいようにも思えるけれども、リーンハルトがあえてそれを選ばなかった。
「あなただけをつれてきたのは、デイジー様へのボーナスです」
「……」
「ご両親が居たら、こうはならなかったでしょう?」
両親が一緒に来ていたら、ケビンはデイジーに対してだけではなく、両親に対しても、会場に見せつけるようにして、甲斐甲斐しく世話を焼いたことだろう。
それはそれで人々に衝撃を与える図になったとは思うが、今夜のように、まるでケビンがデイジーに懸想しているような誤解を招く形にはならなかったはずだ。
そう、世間はこれで、ケビンとデイジーが恋仲であると思い込んでしまった。
じとりとリーンハルトを睨むと、人好きのする顔をした若き一代伯爵は、楽しそうに笑っている。
「こんな誤解が広まってしまって、私が困るとは思わなかったんですか?」
「これでデイジー様に近づいてくる羽虫は減るでしょうね」
「そうですよ」
「でも、問題ないでしょう?」
むしろ嬉しいだろうと揶揄してくる言葉に、デイジーは息を吐く。
デイジーは、好きな人との外堀を埋められたのだ。そして、ケビンはデイジー達デイトナーズ一家に弱い。彼女がこのまま彼と結ばれるよう、押して押して、押しまくって最後に押し倒せば、彼と結ばれることもできそうな気がする。そして、ケビンと結ばれるのであれば、彼女に懸想する男性が居ようと居まいと、問題にはならない。
けれども、ケビンにとってみたら、どうなのだろう。
彼はデイジーにすべてを与えてくれるのに、デイジーは彼に恩を返すことができない。
「私は、想っているだけで充分なのです」
「それはいけません」
「え?」
「アレのせいで、あなたは自分の価値を見誤っているんでしょう」
「な、何を」
「あなたはあのケビン様に与えることができる稀有な女性です」
リーンハルトの顔は笑っているけれども、目が笑っていない。
その澄んだダークブルーの瞳に、デイジーは息を呑む。
「女は男を変えます。変な女にはまり込まれては、困るのですよ」
要するに、リーンハルトはケビンとデイジーを結び付けようとしているのだ。
そして、彼の策は絶大な効果を発揮し、デイジーは既にその思惑に取り込まれてしまった。
「私も……多分、変な女ですよ」
「否定はしませんが」
「しないのですか!?」
「もう少し、自信を持ってください」
そう言うと、リーンハルトは茶色い髪をふわりと揺らしながら、顔を正面に向ける。
「私はケビン様と違って、過保護ではありません。あなた自身の手でケリをつける必要があるなら、協力しますよ」
彼の視線の先に居るのは、アレだった。
パートナーを連れることなく、単身こちらに向かってくる、金髪碧眼のこの国の第一王子。
「デイジー。話をしたいんだ」
そう告げてくる彼に、デイジーは立ち上がった。