23 楽しい夜会を邪魔するのは
宮廷音楽家達が奏でる音楽を背景に、ゆったりと会場内での社交が始まる。
笑顔で近寄って来る人だかりを、ケビンは覚悟を決めて迎えうった。
とはいえ、なんの社交スキルもないケビンとデイジーができるのは、ひたすら愛想笑いを浮かべることだけである。
会話を主導するのはリーンハルト。
話しても話しても一向に減る様子のない人だかりであったけれども、リーンハルトは彼らをうまくあしらいながら、「夜会が初めての二人が疲れたようなので」と切り出し、人払いをしてくれる。
食事のために立食コーナーへといざなわれ、ようやく三人きりになったところで、ケビンとデイジーは息を吐いた。
「疲れた……」
「ケビン様は立っていただけでしょう」
「私はなぜ疲れたんだ……」
「冗談ですよ。こういうのはそこに居るだけでも消耗しますからね。しばらくゆっくり食事をしましょう」
「好きなものを食べてもいいのですか?」
「もちろんです、デイジー様。主催者がもてなしのために用意してくれたのです。手を付けないほうがマナー違反ですよ」
「リーンハルト、できればデイジー様を座らせてあげたい」
「軽く食べた後で、着座できる席に異動しましょう。今、私達が着座席に行くと、囲まれて長いこと動けなくなりますよ」
先ほどまでの自分達の様子を思い出し、青ざめたケビンとデイジーは、「立食でいいです」と白旗を上げる。
「ダンスが始まれば、それを理由に離席しやすくなりますので、足を休めましょう」
そういうと、リーンハルトは給仕を呼び、三人分の飲み物を手配する。
そして、自身は料理を取りに、その場を離れていった。
「誰かに話しかけられると思いますが、まあ、私が戻るまでの間ですから、頑張ってください」
その恐ろしい予言に心細く思いながら、ケビンがリーンハルトの背中を見つめていると、デイジーが小声で呟いた。
「……私の同級生達が、私達の様子を窺っています」
「デイジー様の?」
「はい。おそらく私をだしに、ケビン様に声をかけたいのだと思います」
デイジーがちらりと横目で見た方向にこっそり目を向けると、確かに、若い令息や令嬢達がチラチラとこちらを窺っているような気配がする。
「なるほど?」
「ですが、まあ、しばらくは近寄ってこないでしょう」
「事情がわからないのに、声をかけてくるほど野暮ではないようですね」
「はい。そんな野暮なことをする人がいるとしたら――」
「ごきげんよう、ケレンスキー侯爵」
瞬時に息を止めたデイジーに、不思議に思いながらも、ケビンは声のしたほうを見る。
そこに居たのは、金髪に緑色の瞳が優しげな印象を与える、若い男だった。誰にはばかることもなく着飾ったその様子は、彼の身分の高さを窺わせる。
そして、隣に連れているのは、ピンク色のふわふわ髪に、淡い水色の目がくりくりとした、こぢんまりとした令嬢。
これはおそらく――。
「お初にお目にかかります。一代侯爵を賜りました、ケビン=ケレンスキーでございます」
「うん。私はクラウス=ゲイル=デジケイト。この国の第一王子だ」
「あたしはバニラ=キャンディって言います! よろしくお願いしますね、ケレンスキー侯爵様!」
「……バニラ、紹介するまで待ってくれ」
「あら。こんなことでケレンスキー侯爵様は怒ったりしないわ。そうですよね、侯爵様!」
にっこりとほほ笑んでくるその令嬢に、ケビンは(なるほど)と思いながら、二人の様子をまじまじと見る。
そして、ケビンの横に居る人物をチラチラと見ているクラウスに、ケビンは(なるほどなるほど?)と頷く。
「私の連れも紹介させてください。さあデイジー、挨拶を」
「……」
「(デイジー様、挨拶です、挨拶)」
「はっ!!! デデデデデ、デイジー=デイトナーズです。こんなところでお会いするとは、奇遇ですわね!?」
王族主催の夜会に来ておいて、第一王子に出会うことの何がどう奇遇なのか。
彼女の言は意味がわからないが、その場の誰もそれを正すことはない。
空気が重い。
元婚約者同士の二人の間に流れる氷のような空気に、ケビンはどうしたものかと言葉を選んでいると、空気を読まずに切り込んできた者が居た。
もちろん、バニラ=キャンディ男爵令嬢である。
「ケレンスキー侯爵! あたし、侯爵様とダンスを踊れたら夢みたいだなって思うんです」
「――バニラ! 侯爵、申し訳ない」
「なによ~。ね、侯爵様。いいでしょう? ほら、デイジー様は、クラウス殿下とお知り合いだから、二人で踊るのもいいんじゃないかしら」
バニラの発言に、クラウスとデイジーがギョッと目を剥く。
その瞬間、本当に一瞬だけ、バニラの目に浮かんだ冷めた色に、ケビンは(なるほどなるほどなるほど?)と目を瞬いた。
「バニラ様。とても嬉しいお誘いなのですが、申し訳ありません」
「え~、侯爵様……」
「私はダンスが苦手ですし、元々今日は、彼女以外と踊るつもりはないのです」
「でも、デイジー様は他の男性と踊りたいと思いますよ! クラウスとか!」
「バニラ!」
「私は今日、できるだけ彼女の傍に居る予定なのです。だから、彼女が他の男と踊るなら、三人で踊らなければなりませんね」
それだけ言うと、ケビンは同意を求めるように隣に視線を送る。
視線を受け止めたデイジーは、一瞬ぽかんとした後、ふふふとこらえきれないように笑い出した。
その花がほころぶような笑顔に、周囲の男達が色めき立ち、なぜかバニラではなくクラウスが叫ぶ。
「こっ! ここここっ、侯爵! 貴殿とその女性は、どういう関係なのだ!」
「どういうと言いますと?」
「そ、そ、その! 貴殿と、その女性は、婚約……っ、いや、いつから! そう、いつ知り合って!!」
「――あなた方に追い落とされた後のことですわ」
冷ややかな声音に、空気が凍る。
憤っていた第一王子クラウスですら、火が消えたように青ざめている。
「クラウス」
彼女は、その隙のない美貌の力を知っているのだろう。
元公爵令嬢は先ほどまでの笑顔が嘘であったかのように、感情を見せることなくゆっくりと長いまつげを上げる。
ごくりと周囲が息を呑む中、ケビンの隣に佇む美女は、真っすぐにこの国の第一王子を見つめた。
「貴族学園卒業記念に冤罪のプレゼントをいただきましたこと、お礼を言わないといけないと思っていたのですよ」
「え、冤罪、だと!」
「その上、慰謝料という名の不当請求への支払いのお手伝いをしてくださるなんてね」
「て、手伝い……?」
「私をシモニーク男爵家の下女として売り飛ばすなんて、箱入り王子様が下種なやり方を覚えたものですわ」
ザワッと周囲で聞き耳を立てていた貴族達がざわめいた。
わざわざ『箱入り』と付けているところを見ると、先ほどトイレ事情を知らない『箱入り育ち』と言われたのが意外とショックだったのだろうか。
「シモニーク男爵!?」
「使用人をダメにするので有名な……」
「あの男爵の家に、若い女性を使用人として送り込むなんて、そんな」
小声で囁かれる噂話を聞きながら、ケビンは、そういえばデイジーが売られた下賎な男爵その一(五十三歳)はそんな名前だったなと思い出す。彼はあまりよくない評判の持ち主であったらしい。
そして不思議なことに、デイジーの話に、彼女を追い落とした張本人であるクラウス自身も動揺した様子を見せている。
「わ、私は、そこまではしていない……」
「あなたがしていなくても、実際にはそうなったのだから、あなた達がしたことなのでしょうね」
「あら、やだぁ。デイジー様、そんなことになっていたの? あたし達、全然知らなかったわ。大変な目に合わされちゃったのかしら!」
その言に目を剥いたのは、クラウスだけではない。周りの貴族達も仰天し、次いで、そういうことなのかと、デイジーを見る。
これに対し、デイジーは背筋を伸ばしたまま、艶やかな笑みを浮かべた。
「あなたには残念なことだと思うけれど、私、男爵家に立ち入ることなく、ケビン様のところに行きましたのよ」
「あら、そうなんですね。ご無事でよかった。でもデイジー様ったら、ケビン様にご迷惑をおかけしてしまったのですね。あたしだったら、ケビン様に、そんなふうにお手を煩わせるようなことはしないのに……」
「私も、あなたという存在さえいなければケビン様にご迷惑をおかけすることもありませんでしたわね」
「やだぁ。デイジー様ったら、反省していないんですね。こわぁい」
「あなたも、変わらぬご様子でいらっしゃること。いつまでそうしていられることかしら」
「そうねぇ。あたしはもうすぐ、王太子妃だもの。平民に堕ちたデイジー様とは、きっとお話もできなくなっちゃうわね!」
「あなたが王太子妃だなんて、この国の議会も形骸化したもの――」
「――失礼」
話している途中のデイジーの手を取ったのは、ケビンだ。
彼の行動が意外だったのか、元公爵令嬢は目をぱちくりと瞬く。
第一王子の元婚約者と現婚約者候補の応酬に、戦々恐々としていた周囲の者達も、意表を突かれたのか目を丸くしていた。
しかしケビンとしては、そんなふうに不思議に思われることのほうが不思議なくらいだ。
「ダンスが始まる時間が迫ってきていますよ、デイジー様」
「ケ、ケビン様……!?」
「クラウス殿下、皆様。申し訳ありませんが、私と彼女はここで失礼します」
「ま、待て、侯爵! いや、待ってほしい!」
「人を待たせていますので」
それだけ告げると、この国の第一王子の言を無視して、ケビンはデイジーを連れてその場から去った。