21 初めての夜会に突撃する初心者勢
日は沈み、本来であれば、暗闇に包まれているはずの王都。
しかし、今日この瞬間、そこは昼間のように明るい空間に変貌していた。
街灯の灯りがこれでもかと石畳の街路を照らし、豪奢な装飾を施された馬車が行きかうその様子を、街路沿いに建つアパルトメントの窓から子ども達が楽しそうに眺めている。
そして、きらきらと輝く子ども達の顔を馬車の小窓から覗き見ながら、ケビンの隣に座るデイジーも、同じように顔を輝かせていた。
王都の街道という街道は、夜会の参加者が乗る馬車で混みあっており、その進みは遅く、徒歩の衛士達のほうが馬車より先を行く場面も多々見られるような状態だ。
しかしどうやら、純真なケビンの神の一柱は、そんな夜会階催時あるあるの困った大混雑も、興味深々興味津々で楽しんでくれているらしい。
ふとケビンは、五年前、デジケイト王国に来たばかりの頃の街道の様子を思い出す。
デジケイト王国の王都があのときの様子のままであったならば、彼女はこんなふうに興味津々で周りを見てくれることもなかっただろう。そう思うと、神々と同じ空気を吸うことだけを目的にデジケイト王国で過ごしていたケビンの五年間は、無駄ではなかったのかもしれない。
「デイジー様はもしかして、こんなふうに王都の街中を通過するのは初めてですか?」
「はい。貴族の邸宅がある地域から、貴族学園への往復でしたから。街に降りることは許されていませんでしたし、それに……」
「それに?」
「通りは汚いから、お前は近寄ったらダメだって言われてきたんです。でも、とっても綺麗ですね……?」
不思議そうにしながらも、街灯に照らされた街並みをうっとり眺めているデイジーに、胸がほっこりと暖かくなるのを感じながら、ケビンはこれからのことを考える。
今日の夜会に参加するのは、ケビンとデイジー、それにリーンハルトだ。
ケビンは一代侯爵として招待された身で、デイジーはそのパートナー。
そして、リーンハルトは、リーンハルト社の代表取締役として出席することとなっている。
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ちなみに、ケビンの邸宅の一階の居間で団らんをしながら、夜会に誰が出席するのかを話していたとき、元公爵令嬢デイジーと元公爵令息ドビアスはそろって不思議そうに首をかしげていた。
「リーンハルト様が、会社の代表取締役として行くのですか? ケビン様の付き添いではなく?」
「ケビン様、それって参加できるものなの?」
「リーンハルトはデジケイト王国の一代伯爵なので、参加できてしまいますね」
「「ふあぇっ!?」」
驚く二人を横に、リーンハルトだけでなくダニエルもチェルシーも、穏やかな様子で紅茶を飲んでいる。
どうやら、元公爵ダニエルと元公爵夫人チェルシーは、リーンハルトの地位について既に知っていたらしい。まあ、リーンハルトの書類仕事を手伝ってもらっているので、当然と言えば当然か。
リーンハルト社は小規模な会社だけれども、会社としてはおそらくデジケイト王国で一、二を争うほど儲けているので、その社長であるリーンハルトにも、王国に来てから一年が過ぎたあたりで、爵位が与えられたのだ。
そこまで説明したところで、ケビンはソファに座ったまま、デイジーに向き直る。
「今回の夜会で、私は基本的に、デイジー様から離れるつもりはありません」
「!」
「ただ、私も人間なのでずっと張り付いているのは難しいでしょうし、やりたいことの準備もありますので、その間、リーンハルトと二人で居ていただきたいと思っているんですよ」
ケビンは社交は不得手中の不得手だけれども、物理的に自分の身を守るだけなら、一応問題ないと思っている。
リーンハルトはケビンよりも社交性が高いので、さらに問題ないだろう。
しかし、デイジーはこの国の貴族――おそらく王族に――追い落とされた身だ。
しかも見目麗しく、人目を惹きやすい。
不特定多数の居る夜会会場で一人で居るなど、カモがネギをしょって歩いているようなもので、攫われるかもしれないし、酒に酔った男に襲われる危険もあるし、デイジーを追い落とそうとした勢力に何かよくないことをされる可能性もある。
だから、夜会の場では傍から離れないようにとデイジーに告げたところで、ケビンの横に座っているリーンハルトが、フッと鼻で笑った。
「私はケビン様とデイジー様、二人のお守りで出席する予定です」
お前は守られる側だと言われたケビンは、がーん!とショックを受けた顔で固まる。
隣でデイジーが「わ、私はっ、ケビン様に守られたいです!」と興奮気味に叫ぶ中、ダニエルがふむ、とあごに手を当てた。
「それにしても、本当に三人で大丈夫ですかな? 私達一家は、王家を始めとする高位貴族達に警戒されていると思うのですが」
「ダニエル様やチェルシー様がご一緒するほうが危険ですね。守る対象は少ないに越したことはありません」
「リーンハルト様、僕も一緒に行こうか?」
「ああ、まあ、ドビアス様は貴族の大人達に顔が割れていませんからね。しかし、年齢的に入場を許されないので、馬車で御者達と共に主人の出待ちをする使いっぱしり少年という立ち位置になりますよ」
「あーそっか。寒いのはいやだし、今回はやめておこうかな」
そんなこんなで、夜会に出席するのは、前述の三人となった。
もちろん、いつものケビンの邸宅にいる面子では人員が足りないので、リーンハルトの手配により普段はケビンの本邸で働いている使用人や御者達を引き連れ、夜会へと出陣することとなったのである。
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ケビン達が王宮の中に入り、受付を済ませると、その周りで待機していた王宮侍従に青い薔薇を差し出された。
「参加者の皆様に、身に着けていただいております。よければお手伝いいたしますよ」
そういうものなのかと目を瞬きながら、ケビンが小さく頷くと、侍従は笑顔で、ケビンの胸ポケットに薔薇を差し入れてくれる。
デイジーは赤い薔薇を受け取っており、リーンハルト薔薇を受け取っているようだった。
不思議そうな顔をしているケビンに、リーンハルトが耳打ちする。
「女性は赤、男性は薔薇の色で爵位がわかるようになっています」
「ああ、だから造花なのか」
「――永代貴族の場合、花弁が一つだけ白いのですよ、ケビン様!」
声の主はもちろん、今日のケビンのパートナーだ。
赤い薔薇を胸元にうまく挿すことができたらしい彼女は、嬉しそうにケビンの傍に寄ってくる。
艶やかなルージュに美しい金色の髪。彼女が少し動くだけで、ふわりと花のような香りがして、きらきらと宝石の光が輝き、揺れる紫色のドレスが白い肌に映え、どうにも目を離すことができない。
「我が神は、今日は一段と輝いておられる……」
「えっ?」
「デイジー様は、この薔薇についてお詳しいのですね」
「はい! 貴族学園の第三学年で習うんです」
美しく隙のない顔立ちの彼女が、照れくさそうにふわりと微笑んだので、ケビンの視界に居る男達が色めき立った。
挿した薔薇よりも強い魅力でその場を華やいだ雰囲気にしている美女に、さしものケビンも考える。
夜会の場。
目の前には美しく着飾った若い女性。
そのパートナーは自分。
これは多分……何か言うべき場面なのだろう。
心根がコミュ障なので、普段のケビンであれば何も言わずに済ますのであるが、どうにも場の空気的が後押ししてくる。
「デイジー様は綺麗ですね」
「!?」
とりあえず、少ない語彙力で、思ったことを直球で伝えてみた。
すると、ケビンの神は、口をパカッと開け、真っ赤な顔をしてその場で固まってしまった。
もしかすると、TPOに合っていない伝え方だったのかもしれない。
途方に暮れたケビンが眉尻を下げてリーンハルトを見ると、リーンハルトは『私に振らないでください!』と叫び出しそうな、露骨に嫌そうな顔を返してきた。
「さっさと行きますよ!」
「リーンハルト……」
「そういう介護はしません。ほら、ケビン様。ちゃんとデイジー様をエスコートしてください」
世話をしないと言いつつ、面倒見のいいリーンハルトの言葉に、ハッと我に返ったケビンは右腕を用意する。リーンハルトの言葉に、ケビンと同じくハッと我に返った様子のデイジーは、ケビンの右腕に左手を添える。
準備ができたと、自慢げな顔を向けてくるケビンとデイジーに、リーンハルトはげんなりした顔をしながら、案内の者についていくよう促してきた。
「では行きましょうか、デイジー様」
「はい」
デイジーをエスコートしながら、ケビンは導かれるがままに、大きく開いた会場の扉へと向かう。
そして、扉を抜けた先の光景に、ケビンは目を瞬いた。
きらきらと輝く装飾の数々。
重厚感と美しさを兼ね備えた豪奢な柱に、美しい壁紙で飾られた壁。
高い天井に描かれた空と天使の絵が、まるで空中庭園に居るかのような錯覚をもたらしてくる。
広い会場の半分は、食事と会話のためのスペースなのだろう。
白いクロスがかけられた丸テーブルの上には、様々な食べ物が美しく盛り付けられている。
着座で食事を楽しむことのできる場所だけでなく、立食用のスペースもあり、壁際には椅子も多数並べられていて、参加者同士で会話をする場所や休憩する場所に困らないよう、配慮されているようだ。
そして会場の美しさに負けないくらい、華やかな衣装を身にまとう貴人達。
実家で行われた夜会に勝るとも劣らないきらびやかな光景に、ケビンは懐かしいような、困ったような気持ちになりながら、隣に居るパートナーを見た。
夢の世界を思わせる空間に、デイジーは、興奮した様子で頬を赤らめている。
よかった、ケビンの神は大変ご機嫌のようだ。
ならまあいいかと、前を向いたところで、司会がケビンの入場について大きくアナウンスを行った。
「ケビン=ケレンスキー侯爵の入場です」
なるほど、入場する側はこんな風にアナウンスされるのかと感心していると、元々賑わいを見せていた会場が、どよっと大きくざわめいた。
「ケビン=ケレンスキー?」
「あの、長者番付の?」
「魔石製かまどの……」
「簡単消火放水杖の……?」
「簡易温風機の……!?」
「ト、トイレタンクの!!! ケビン=ケレンスキーさんですか!!?」
最後に余計なことを叫んだのは、一体誰だったのか。
ギュン!と会場の全員がこちらを向いたので、ケビンは「ひぁえっ」と変な声を上げてしまう。
血走った幾多もの目が見つめているのは、どこをどう見てもケビンである。
「トイレタンクの……」
「ト、トイレ!? あの!?」
「彼が、かのタンクを……!!」
じりじりと彼に近づこうとする貴人達に、恐怖を感じたケビンは本能的に逃げようと、一歩後ずさる。
しかしそこで、右腕を掴む手に力が入ったので、ケビンは自分が一人ではないことに気が付いた。
「ケビン様、あの……」
デイジーに、悪気はなかったのだ。
初めての夜会でこれほどまでに注目され、驚いて、パートナーであるケビンに声をかけただけ。
しかし、その声を皮切りに、会場中の者達がケビンの周りに詰め寄ってきてしまったのだ。
「ケレンスキー侯爵! わ、私はっ、南方で伯爵領を治める者でっ!」
「ファッショナブルと申します、伯爵位を賜っています!」
「侯爵様っ、わたくしはロンリイ伯爵家の長女です! 是非ともお話をっ!」
「侯爵、私はジンギス侯爵だ! 貴殿と誼を結びたい!」
「わ、私は男爵ですが、なにとぞよしなに、よしなに……!」
「マークシティ子爵と申します! わ、私も研究者の端くれで、ケレンスキー侯爵に憧れていて」
「握手してくださいませ!」
「是非ともお話を!」
「侯爵」
「我が領にお越しください、侯爵!」
「我が娘との見合いなど」
「わたくし、第二夫人でも構いません」
「侯爵!!!!」
美しく飾られた会場の中、突如として始まった狂宴に、ケビンとデイジーは目を潤ませながらひたすら立ちすくんでいる。
逃げ出すことすらままならない、夜会初心者の二人。
そこに救世主として現れたのはもちろん、リーンハルトである。
「――静粛に!」
大音量で鳴り響いたその声に、会場はシンと静まり返る。
司会からリーンハルト社製の魔石製拡声器を奪って使用したらしいリーンハルトは、それを司会に返却すると、人だかりの中心にいるケビンとデイジーの元へとやってきた。
「申し訳ありませんが、我が社の発明家兼取締役は、とても恥ずかしがり屋なのですよ」
その言葉に、周囲に居る者達が、「おぉ」「あなたはもしや……!」と目の色を変える。
今にも興奮で暴走しかねない様子の彼らに、リーンハルトはいつもの様子で、フッと笑った。
「我がリーンハルト社との取引を永久停止されたくなければ、ここから五分間、我々にお構いなきよう」
大海が割れるかのような勢いで、ザーッと人が引いていく。
残されたのは、石のように固まっていたケビンとデイジー、そして騎士のごとくその傍らに立つ、お守り役のリーンハルトである。