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20 夜会の始まり


 クラウスはその日、とても苛立っていた。

 執務室で席に着き、書類仕事と向き合いながら、かつかつとインク瓶に羽ペンを当てつつ、思考にふける。


 今日は王宮で五日間に渡って行われる年末パーティーの三日目だ。

 使用人達は四交代で毎日の夜会の準備や後片付けを行い、てんてこ舞いで、王宮内は忙しないものの、活気に満ち溢れている。


 しかし、その夜会が問題なのだ。



   ~✿~✿~✿~


「どうして毎日、違うドレスが用意できないの!」


 冬の社交シーズンに入ってからというもの、クラウスの婚約者候補であるバニラは、さらに多くのドレスを要求してくるようになった。


 クラウスは男性なので、パートナーがいなくとも、一人で夜会に参加できる。

 仮に一人で参加する場合、夜会の主催者から、女性親族を伴って参加した独身未婚の令嬢を紹介を受けたり、自分で令嬢に声をかけたりしながら、パーティーを楽しみつつ、よしみを結びたい貴族との会話を楽しむこととなる。


 しかし、クラウスには婚約者候補として、未成年である十七歳のバニラが居る。

 そして、十六歳を超える貴族の女性は、十八歳以上の婚約者がいる場合、デビュタントを早めることができるのだ。


 バニラはまだ、クラウスの正式な婚約者ではないので、十八歳になってからデビュタントを迎えるべきではあるのだが、今期の社交シーズンが到来すると、彼女は当然とばかりにクラウスのパートナーとして夜会に参加するようになった。

 そして、そのための衣装を常にねだってくるのである。


 デイドレスとは比べ物にならないその出費に、クラウスも流石に、バニラを止めるようになったのだ。


「バニラ。流石に、夜会用のドレスをそれほどの数、用意するのは難しいよ」

「どうして!? 王妃様だって、毎回、違うドレスを着ているじゃない」

「王妃の衣装は、国の威信を示すものだ。彼女が袖を通すことが、仕立て屋の栄誉になる」

「あたしは未来の王妃でしょう! 仕立て屋があたしをなめてるってことなの!?」

「……現王妃という存在は、それほど特別なんだよ」


 実のところ、バニラの評判が悪いので、仕立て屋も進んでバニラとよしみを結びたがっていないというのが実情なのだが、クラウスはそれを口に出さないだけの分別は持ち合わせている。


「なによ。こんなの、今だけなのに……」

「バニラ?」

「もういいわ。クラウスのあたしへの愛はその程度ってことね」



   ~✿~✿~✿~


 そうして拗ね続けるバニラを、クラウスは時間をかけて宥めすかし、なんとかドレスのことを諦めさせた。

 それだけでも一苦労だったのに、バニラはあろうことか、夜会に出るたびに、クラウスを放って他の男とダンスを踊り惚けているのだ。


 今年の社交シーズンにおける、バニラの思慮のない様子を思い出し、クラウスは書類を書くための羽ペンをバキリと握り潰してしまう。


 折れたペンを見ていると、今度はモップとホウキを折ったあの日のことが脳裏に浮かび、その先にある光景に、クラウスは頭を横に振った。


(……くそっ。あの女のことは、関係ない!)


 あの女のことは()()()のだ。


 いつもいつもいつもいつもクラウスの視界に居て、クラウスよりも出来のいいところを見せつけてくる、デリカシーのない女。

 ちょっと……いやだいぶ美人で、声が可愛くて、腰がくびれていて胸が大きくて、元気で頑張り屋で、クラウスの好みド直球の気がしなくもなくもなくもないような気がするけれども、とにかくあんな女の近くに居たら、クラウスの精神が崩壊してしまう。


 学園の卒業パーティーでデイジー=デイトナーズ公爵令嬢を追い落としたのは、バニラの提案によるものだ。

 周りの令息達は、バニラがそう言うならと、クラウスの顔色をうかがいながら、その提案に賛同した。


 それに合わせて、五大公のうち、デイトナーズ公爵家を除く四つの公爵家が、バニラのそそのかしにより、デイトナーズ公爵家を追い落とそうとしていることを知った。

 そして、父である国王が、それに賛同していることも。


(デイトナーズ公爵家は、敵を作りすぎたんだ)


 正直、デイトナーズ公爵家を取り潰しまでに追い込むのは、やりすぎだと思う。

 けれども、それによって、クラウスの望みは叶うのだ。

 だから、クラウスはすべてに目を瞑ることにした。


(あの一家のことだ。どうせ今頃、他国で適当に商売でもしてそこそこいい暮らしをしているだろう)


 そうして、あの女は平民の男を見繕って、恋仲にでもなって、結婚するのだろう……。


 バキリと新しい羽ペンを折ってしまったクラウスは、長く息を吐いて、書類仕事を辞めることにする。


(今日は仕事に集中できない。夜会が終わった後――来週にしよう)


 王宮での夜会はあと三日続くのだ。

 まずはその夜会でのことを考えるべきだろう。


 クラウスが夜会に意識を向けた瞬間、脳裏に壮年の男性達の声が鳴り響く。


『クラウス殿下は本当に、彼女を妃として迎えるつもりなのかね』


(――何も知らないくせに、勝手なことを!)


 実はこの二日、夜会の場でクラウスは、バニラの男漁りの様子を見た他国の大使数人から、苦言を呈されているのだ。

 ありていに言うと、バニラを王室に迎えようとしているデジケイト王国の品位を疑うと言われたのである。


(……そんなことは、わかってる!)


 そう、クラウスも、わかってはいるのだ。

 バニラは本来、王室に入れるべき存在ではない。

 素行が悪く、外聞が悪く、なにより彼女はクラウスのことを好きではない。


 しかしそれでも、クラウスには彼女が必要なのだ。


 そこまで考えたところで、心にのしかかった重石に、クラウスは目を閉じる。


(こんな茶番を、いつまで続けるべきなんだ)


『どうすればいいのか、だいたいわかったわ』


 ダン!と右手で机を打ちすえたクラウスに、執務室の扉の外から侍従がそろりと顔をのぞかせる。


「どうかされましたか……!?」

「なんでもない!」


 額に手を当てて息を吐くクラウスに、侍従は触らぬ神に祟りなしとばかりに、扉を閉めて配置に戻る。


 油断するとすぐ、クラウスの思考の中にあの女が出てくるのだ。


 いや、しかし、こればかりは仕方がない。

 六歳であの女と出会って以降、クラウスの人生には常にあの女の影が付きまとっていたのだから。

 その長い年月が、クラウスにこのような後遺症をもたらしてしまっただけなのだ。

 クラウスがあの女に興味津々で、気になって気になって仕方がなくて、いつもいつだって脳裏に浮かべてしまうとか、そういうわけではない。決して、ないのである。


 そうして、ぐだぐだと思い悩んでいるクラウスの元に、珍しい来客があった。


「クラウス」


 国王である、父カーティスである。

 呼び出すことはあっても、自分から来ることは珍しいその賓客に、クラウスは驚いて立ち上がる。


「陛下。どうしましたか」

「一応、お前にも知らせておこうと思ってな。今日の夜会には、ケビン=ケレンスキーが来るらしい」

「ケレンスキー? あの、発明家の?」


 確か、五年ほど前にこのデジケイト王国に現れた謎多き発明家だ。

 いつもリーンハルト社が代理で動いており、本人はとんと表に姿を現さない。


 登記を置いている会社の本社に様子を窺いに使者をやっても、社員が居るばかりで、本人は現れない。

 本人の家に挨拶に行こうにも、彼は邸宅をいくつか持っているらしく、本邸として登録されている家には使用人が居るばかりで、本人の影はない。

 使用人達にそれとなく調査の手を伸ばしても、「実は主人の顔を知らない」「リーンハルト様が窓口になっている」という証言だけが出てくるのだ。


「彼は高額納税者なだけではない。昨今、どこの国でも見かけないような発明品を次々に流通させてくる稀有な存在だ」

「そうですね。この機会によしみを結びましょう」

「うむ。あとな、今日彼の連れてくる女性が、デビュタントらしくてな。とはいっても、貴族の令嬢ではないようなのだが。彼女のために、ある仕掛けをしたいのだと申し出があった」

「仕掛け、ですか?」

「まあ、余興のようなものだ。まあ、お前は特段準備することはない。強いて言うなら、アレをケレンスキー侯爵に近づかせるなよ。侯爵は連れの令嬢をかなり大事にしている様子らしいから、気分を害されることだろう」


 クラウスは、連れの令嬢を大切にしているというケレンスキー侯爵の意外な情報に目を瞬いた後、父の言の後半がバニラのことを指しているのだと理解し、暗い顔で頷く。

 しかし、父カーティスは、沈んだ表情のクラウスに構うことなく、別の要件を切り出してきた。


「それにしてもお前、クリストファーの居場所は知っているか?」

「え? クリスですか?」

「そうだ。あいつはここ半年、本当に奔放でな。なかなか捕まらないんだ」


 三つ年下の弟クリストファーの様子を聞かれたクラウスは、ふと、この半年のことを振り返る。

 そういえば春頃から、クリストファーとあまり話をしていないかもしれない。

 最後にまともに話をしたとき、確か、クリストファーはクラウスに怒っていた。バニラがクリストファーにも粉をかけようとしたのが理由だったように思う。


「私もこの半年、あまりクリスとは話をしていません……」

「クリストファーは今年度から貴族学園の寮に入ったからな。しかし、貴族学園の冬休みに入っても、まともに顔を見せないのはどうなんだ」

「昨日や一昨日の夜会では近くに居たではありませんか?」

「家族の不和を公の場で見せるわけがなかろう」

「まあ、そうですが」


 肩をすくめるクラウスに、父はため息を吐きながら去っていく。

 父も色々と、心労が溜まっているようだ。


(大人になったらすべてが解決すると、そう思っていたこともあったんだけどな)


 大きくなれば、もっと強く賢くなれると、そう思っていた。

 あの女に負けるのは、クラウスの体が小さく、成長過程にあるから。

 くよくよ悩むのも、くじけるのも、自分が子供だからだと、そう思っていた。


 けれども実際には、大人になった後のほうが、悩みは尽きないし、くじけそうになることは多い。


(だから、まやかしが要るんだ。楽しいこと。嬉しいこと。心地よくいられる何かが)


 そうして、今日も今日とて、クラウスは侍従達の手を借り、夜会用の衣装を身にまとう。

 髪を整え、多少の化粧を施され、見目だけは麗しいピンクブロンドの彼女の支度が終わるのを待ち、扉から出てきた彼女をほめたたえ、エスコートしながら夜会の会場へと向かう。


「今日はケビン=ケレンスキー侯爵がいらっしゃるんでしょう?」

「……どうして知っているんだ」

「ふふ。あたしの耳の速さを侮らないことね」


 どうせ使用人の男にでも聞いたのだろう。

 自慢げにしているバニラに、クラウスは当たり障りのない笑みを浮かべつつ、どうやって会場から彼からバニラを引きはがしておくか、思案する。


「確か、このデジケイト王国で一代侯爵の地位を持っているのは、宰相様達と、あと数人くらいって話じゃなかったかしら」

「そうだな。……それほど、ケレンスキー侯爵は、わが国に利をもたらしているんだ。失礼のないようにな」

「なによ。あたし、無礼なことなんてしないわ」

「そうか」

「でも、ケビン様って、お若いのかしら」


 キラリと目を輝かせるバニラに、クラウスはため息を吐く。


「バニラ。君は、私の婚約者候補なんだ」

「わかってるわよ。天才発明家だなんて、何を話したらいいのかわからないじゃない。同年代なら話が合うかなって思っただけで」

「確かに、年齢も見た目も出自もわからない謎の人物だからな。興味は尽きない」


 素直な気持ちを口にしたところ、バニラは「王族が一目置くほどの利をもたらす、ただのお金持ちねぇ……」と、笑みを深めている。

 クラウスは、また何かやらかすつもりなのかもしれないと思いつつ、なるようになるだろうと、半ばあきらめの気持ちで会場の入口を見る。


 今日は年末夜会の三日目なので、有力な商人などの一代貴族が参加することになっている。

 一代貴族は、当人自身の実力や成果によって地位を得た、今まさに世間で力を持つ者達だ。彼らが参加する三日目以降の夜会は、永代貴族しか参加できなかった初日と二日目に比べて賑わいを見せることが多い。

 その中でも、謎多きケビン=ケレンスキーが参加するとなれば、会場は大いに盛り上がることだろう。


(彼の周りを、彼とよしみを結びたい者達が囲んでしまえばいい。そうすれば、バニラも一人でむやみに近づくことはできないだろう)


 パートナーの令嬢を大切にしているということは、彼はそこそこに若い男なのではないだろうか。

 その場合、バニラとの相性は最悪だけれども、彼女の隣にクラウスが張り付いてさえいれば、やり過ごすことができるに違いない。


 そんなふうに思いながら、クラウスは夜会に集中することにし、悩みを振り払うように頭を横に振った。




 そう、クラウスは油断していたのだ。


 夜会が始まるまで、まさか自分がケビン=ケレンスキーとそのパートナーを見るだけで、悲鳴をあげることになるとは思いもよらなかった。


「ケビン=ケレンスキー侯爵のご入場です」


 司会の言葉に、会場の多くの者が、入場してきた彼に注目する。

 ざわめきの中に「ケビン=ケレンスキー?」「あの、長者番付の?」という声が聞こえ、さらにざわめきが大きくなっていく。


 そこに居たのは、すらりと背の高い細身の美青年だった。

 質の良い紺色の布地に、金色の刺繡をほどこした、上質な衣服。切りそろえた黒髪に、少し不健康そうな白い肌が印象的な男だ。

 切れ長で大きな紫色の瞳に、すっと通った高い鼻、全体的に美しい顔立ちをしており、しかしそれは、どこかで見た誰かに似ているような気がする。


 そして、彼が連れている令嬢は、金髪碧眼の麗しい絶世の美女だ。

 吊り目がちな大きな淡い水色の瞳は会場の照明でキラキラと輝き、長い金色の髪は美しく結わえられている。

 幾重にもチュールを重ねた儚い透明感のある紫色のドレスは、色味の華やかさとシルエットの美しさに加えて、胸元から多数の宝石をちりばめられており、遠目に見ても他の令嬢のドレスと比べてあまりにも美しく、価値のある逸品であることがクラウスにも分かった。

 お飾りも繊細で比較的シンプルな作りながらも、彼女の魅力を最大限に引き出しており――しかし、問題はそこではないのだ。


 その令嬢は、クラウスがよく知る女性だった。


「な、なぜだ!」


 ようやく目にした天才発明家の横に侍るのは、ここに居るはずのない女。


 デイジー=デイトナーズ。


 クラウスを幼少期から悩ませてきた、彼の元婚約者だったのである。



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