19 私の命を捧げます
「デイトナーズ公爵令嬢! あなたがバニラに嫌がらせをしていたことはわかっているんだ!」
貴族学園の卒業パーティーで、バニラ=キャンディ男爵令嬢と、彼女と仲睦まじい令息達が、デイジーに濡れ衣を着せてきたのだ。
曰く、私物を壊された。
曰く、私物を盗まれた。
曰く、階段から突き落とされた。
曰く、空き教室に呼び出して男達に囲まれた……。
最初は違うと否定していたデイジーは、ふと、バニラをエスコートする人物に目を向ける。
「あなたも、そう思うの?」
彼は、しばらくデイジーを見た後、そのまま目をそらして、何も答えなかった。
それを見たデイジーは、弁解をするのをやめた。
そもそも、この場でこれ以上弁解したとしても、きっとデイジーの主張は通らないだろうから。
~✿~✿~✿~
こうして、気持ちの糸が切れたまま、デイジーはクラウスの連れていた兵士達に連行された。
デイジーは連れていかれながらも、頭の片隅で、自分は大丈夫だと思っていた。
デイトナーズ公爵家は、五大公爵家の一つだ。だから、こんな不十分な証拠で、デイジーを連行したこと自体が問題になるはず。
しかし、実際には、異様な速度でデイトナーズ公爵家は取り潰しとなった。
それだけでなく、父と弟がゲーイナー鉱山に追いやられ、自分と母が評判の悪い男爵家の下女として売り飛ばされるとは、思いもよらなかった。
そして、そこからずっと、思いもよらないことばかりが起こった。
今までの人生で見たことも考えたこともないようなゴミ屋敷。
そこでの、家族との再会。
毎日掃除をしながら、お弁当を食べて生活する。
家の主人は、大金持ちなのに部屋に引きこもりの、くちゃくちゃの髪で顔がよく見えない、枯れ木のような細身の若い研究者。
家族を大切にしてくれる彼に恩返しをしようと思ったのは、自然な気持ちの発露で、夜中に迫ったデイジーに悲鳴を上げながらも、彼女を宝石のように扱うその人に、更に恩返しをしたいと思ったのは、当然のことで。
「皆さんは、こんな私に声をかけてくれました。研究品の試験運用をしているのだと伝えたところ、興味を持ってくださって、私の研究品を宝物みたいにほめてくださいました……」
彼が経緯を語ってくれたにもかかわらず、デイジーは彼との出会いについてまったく思い出すことができない。
そして、思い出した様子の両親に腹を立てたところで、デイジーは、自分が彼に強く興味を持っていることに気が付いた。
気が付いたら一直線な気質のデイジーは、それからというもの、彼と顔を合わせる度に、彼のことや彼の発明品のことを尋ねるようになる。
「発動した際にここの線が焼き切れてしまうので、先人達は製造を諦めてしまったようです。ですが、この物質でこの辺りを囲ってあげると、上手く熱を逃がしてくれるので、彼らの作った理論を基礎に、次の段階に進むことができます」
デイジーの質問に、彼はいつでも、穏やかな声で、言葉を選びながら説明してくれる。
彼は、彼自身のことや流行物や色事については極端に言葉数が少なくなるけれども、発明品のこととなると、比較的饒舌に話をしてくれた。
その内容は、彼女でも及ばない領域に手を伸ばすもので、それなのに、己を誇ったり驕ったりする様子がかけらもない。
彼はただ、楽しくてそれを続けているのだ。
そこには、上も下もなくて、既にあるものへの尊敬と、世界のからくりへの好奇心だけが存在している。
「待った! 待ちましょう。別に髪は切らなくてもいいと思いますし、百歩譲って髪を切るとして、なぜ最年少のドビアス様が」
白い肌に、すっと通った鼻筋。
かつて見たそれより、顔だちは大人びていたけれども、その紫色の宝石は変わらずきらきらと輝いている。
弟ドビアスにより髪を短くした彼を見て、デイジーは初めて、彼があの日、エレンスキー王国で出会った天才少年であることに気が付いた。
幼い日にたった数時間だけ言葉を交わした彼は、あの日のことをずっと覚えていて、大切にしてくれていたのだ。
そう思うと、なんだか心臓の動きがおかしくなってしまって、デイジーはうまく彼を見ることができなくなってしまう。
~✿~✿~✿~
「そういえば、デイジー。今年はあなたのデビュタントの年だったわね」
母チェルシーは悲しそうな顔をしながらも、せめてドレスだけでも作ろうと、仕立て屋を呼んで採寸をしてくれた。
いくつかのドレスを特注で発注した後、デイジーは発注したドレスが描かれたカタログに目を落とす。
「わたくし達は平民で、デビュタントはできないけれど、これを着た姿で家族絵を描いてもらいましょうね」
「何を言ってるんだよ、母様。冬の夜会でケビン様と夜会デビューしてくればいいいじゃないか」
弟ドビアスの言葉に、母は目を丸くし、父は良い案だとばかりにうなずいている。
デイジーは、目を見開いたまま、黙っていた。
そして数日、あまりしゃべることもなく、ぼんやりと考えにふけっていた。
(誰かのパートナーとして、夜会に出席する。誰かの……ケビン様の。私が……?)
それは、デイジーがこの数年間、考えもしなかったことだった。
本来、デイジーがデビュタントを迎えるときにパートナーになるはずだったのはクラウスだ。
とはいえ、デイジーとしては、デビュタントの頃には自分は第一王子の『元婚約者』になっていると思っていたし、なかば無駄に婚約解消を先延ばしにしていたとしても、犬猿の仲のクラウスがデイジーのパートナーを務めるとはとても思えなかった。
そして、第一王子の婚約者として、男性と一定の距離を保って学園生活を過ごしてきたデイジーには、パートナーを頼めるほど仲のいい男子生徒は多くない。
元々、高位貴族の令息は婚約者持ちが多いことに加え、高位貴族の令息達の一定数がバニラ=キャンディに夢中だったという事情もある。
要するに、パートナーを見繕うことをあきらめたデイジーは、デビュタントを迎える時期には、他国に留学でもしていようかと考えていたのだ。
そこに降って沸いた夜会デビュー話である。
(でも、誘われるとは、限らないし)
怖くて彼本人には話を持ち掛けられないのに、ずっとそのことばかり考えてしまう。
頭ではわかっているのだ。
政治的にも金銭的にも身分的にも追い落とされたデイジーを夜会に連れていくなど、やっかいなことこの上ない。
しかも、彼はそういう目でデイジーのことを見ていない。
けれども、その代わり、彼はデイジーとその家族を、とても大切に思ってくれている。
それに、デイジーは、彼と夜会に……。
~✿~✿~✿~
「事情はわかりました。デイジー様、よかったらドレスをお贈りしますよ」
「!! ケビン様……!」
「ですから、誰かお友達と一緒に出席してきてください」
結局、夜会の招待状が届いたとわかった瞬間、デイジーは彼の元へと走った。
そして、他の男と夜会に行けなどと恐ろしいことを言う彼に、泣いて泣いて、夜会に一緒に行くという事実を勝ち取った。
その経緯も、デイジーはなんだか恥ずかしくて仕方がなかった。
デイジーなんかの涙で結論を譲ってくれるだなんて、そんなことがあってもいいのだろうか。彼女には、かの男爵令嬢のような可愛らしいところなんて、一つもないのに。
そのことを弟ドビアスにぽろりと伝えたところ、「クラウス殿下って本当にさぁ……」と弟は眉を吊り上げていた。
よくわからない反応に、デイジーは首をかしげるばかりである。
(王宮の夜会って、どんな感じなのかしら。同級生にも、クラウスにも会ってしまう気がするけれども、大丈夫かしら。ケビン様は一体、どうするつもりなのかしら)
心配なことは沢山あるけれども、なんだか心が浮き立って仕方がない。
そわつきながら、彼の研究室の前の廊下を念入りに掃除しているデイジーに、母チェルシーが笑いをこらえられないと言った様子で声をかけてきた。
「デイジーが楽しそうで、本当によかったわ」
「……?」
「あなたがそんなふうに誰かのことを思って年相応に楽しそうにしている様子を見るのは、初めてだもの」
その場で固まったデイジーに、母はくすくす笑いながらその場を去っていった。
最近常に過重労働ぎみのデイジーの心臓が、バクバクと激しい音を立てている。
「どうかしましたか?」
その優しい声に、デイジーは心臓が口から飛び出るかと思った。
気が付くと、日が沈みかかっており、目の前には心配そうにしている彼が居るではないか。
父ダニエルと弟ドビアスによる毎日の風呂場連行で清潔感を入手した彼は、そうして立っていると、普通の貴族の男性のようだった。細身ですらりと背が高く、端正な顔立ちをした美青年だし、櫛で軽く梳いた長めの黒髪に、少し不健康ぎみな白い肌がどうにもセクシーで、普通よりもずっとずっと、素敵な部類に入るように思う。研究の際にたまにかけている黒縁眼鏡も似合っているし、長いまつげの奥で光る紫色の瞳も、夕日を反射して、きらきらと輝いている……。
「ケケケケケケケケケケ」
「……何か楽しいことが?」
「ケビン様! 何か御用ですか!!」
「もうすぐ夕食が届くので、一階の居間に向かおうかと思いまして」
執務室から出てきたばかりの様子の彼に、自分が彼の執務室の前で長時間固まっていたことに気が付いたデイジーは、ハッとした顔をした後、じわじわと頬を赤らめていく。
そんなデイジーを見て、彼は不思議そうに目を瞬いた。
「デイジー様。顔が赤いようです。熱があるのでは?」
「ケビン様!!!!」
「はいっ!?」
「あの……」
名前を呼ぶと同時に、思わず彼の服を掴んだので、彼の表情に怯えが浮かんでしまった。
デイジーは、後悔した。
なんというか、別に、何か具体的な用があったわけではないのだ。
思わず名前を呼んでしまったというか……少し、二人で話がしたいような、気がして。
「……夜会の件、ご迷惑、なのでは」
こういうとき、人は余計なことを言ってしまうものなのだろうか。
「無理に、参加なさらなくても」
心にも思っていないことを口にしながら、デイジーは内心、泣きたい気持ちになる。
違うのだ。
デイジーは彼と一緒に夜会に行くことが、本当に嬉しくて。
もっとこう――そう、お礼を言うことができればよかった。
こういうところがきっと、デイジーの可愛くないところなのだろう。
こんなデイジーを連れて、行きたくない場所に行かされるなんて、彼にも負担なのではないだろうか――。
「まあ確かに、行きたい場所ではないですが」
「……では、中止に」
「やりたいことができたので、参加はするつもりです」
パッと顔を上げるデイジーに、ケビンは困りはてたような顔をしている。
「リーンハルトが、やるなら夜会の場にしろと、そう言うんですよ」
「リーンハルト様が?」
「私はもっと内々に対応すればいいと思っていたのですが」
「……?」
「デイジー様が一緒に居たほうが、きっと上手くいくと思います。必ず守りますので、一緒に来ていただけませんか」
不安そうに差し出された彼の手に、デイジーは震えながら、自分の左手を添える。
「わかりました。ケビン様の使命達成のため、命を賭して尽くしてみせますわ」
「いえあの、命を消費されては困ります」
「ケビン様はすごいです」
「……? すごいのは皆さんのほうですよ」
彼はよくわからないといった様子で首をかしげていたけれども、心底嬉しそうにしているデイジーに、少し控えめな、穏やかな笑みを浮かべてくれた。
いつも彼がデイジー達家族に見せてくれる、信頼の詰まった微笑みだ。
そして、彼は夜会の練習なのか、受け取った彼女の左手を自分の右腕に添えて、エスコートをしながら一階の居間へ向かっていく。
デイジーは彼の横で同じようにほほ笑みながら、自分の気持ちに驚いていた。
彼と居ると、いつだって彼女の心は羽のように軽くて、楽しくて、ふわふわと心地いい。
自分と同世代の貴族の男の人を、こんなふうに心から『すごい』と思う日は、きっと来ないのだと思っていた。
こんなふうに、もっとその人の近くに居たいと思う日がくるなんて。
「私の命は、ケビン様のものです」
「そんな思いつめるような話をしていましたか!?」
「ケビン様が優しいから、自然とそう思うんです」
くすくす笑っているデイジーに、彼はやはり困り果てた顔をしている。
彼の役に立ちたいと思う気持ちと同じくらい、彼がデイジーのことで悩んでくれることが嬉しいなんて、人の心は不思議なものだと思う。
彼が『恩返しだ』と言いながら与えてくれるその優しい気持ちを、あと少しだけ、デイジー達家族で独占していたいと思いながら、(尽くしてみせますわ……まずはおみ足のマッサージから……)と、デイジーは彼の右腕に添えた手に力を入れるのだった。
こうして夜中のマッサージが開始されることとなりました。
「ケビン様は誘い受けが上手(略