17 本当にその特訓は正しいのか
こうして、デイジーはクラウスの育成強化計画に励むことにした。
そして、首をかしげた。
意外にも、クラウスは日々、努力を重ねていたのである。
「……デイジー様。クラウス殿下は、十分に努力をされていらっしゃいます」
クラウスの教育係筆頭は、クラウスのスケジュールを紙面に落とし、その内容を確認しているデイジーと、その横で机の上に突っ伏してぴくりとも動かないクラウスに、痛ましいものを見るような顔をしながら、そう呟く。
朝、七時半に起床。三十分ほど朝の散歩をした後、八時半に朝食。九時半から子ども部屋で教師から学ぶ。十二時に授業を終えて十三時から午前中の授業の復習。十四時から子ども達とボール遊びやかけっこで身体訓練を行い、十五時におやつの時間。十五時半からの自由時間だが、クラウスは図書室で本を読んでいる。十六時半に子ども部屋から子ども達が解散した後は自由時間。その時間も三日に一回は自習時間に当てている。十九時に家族で夕食。二十時に湯浴をし、二十一時に就寝。
内容を読み終わった後黙っているデイジーに対し、教育係筆頭はようやくクラウスの素晴らしさが伝わったのかとドヤ顔で語りだす。
「普通の貴族のご令息の場合、十時から十四時までが勉強時間で、あとは自由時間です。それにもかかわらず、クラウス殿下は一日を通して研鑽に励んでいらっしゃいまして」
「あ、そういうのいいです」
「はぇっ!?」
「クラウスってば、まあまあ真面目に頑張っているのね。それなのになんで後一歩足りないのかしら」
「お前は私にとどめのナイフを刺すためにここに居るんだろう? そうなんだろう?」
「とりあえず、しばらく朝から一緒に過ごしてみるわ」
「ん?」
デイジーの言葉に、クラウスも教育係筆頭も目を丸くする。
「だから、しばらく一緒に過ごすことにするわ」
こうして、デイジーは単身、王宮に滞在することにした。
結果、クラウスは悲鳴を上げすぎて、声を枯らした。
「クラウスって本当に軟弱なのね」
「どう考えてもお前の存在が悪いだろう!!!」
クラウスが朝、目を覚ますと、そこには侍女達を背後に連れたデイジーが室内にいるのだ。
特に指示はしてこない。
ただひたすら、獲物を凝視するカエルのように、クラウスを見ている。(クラウスは悲鳴を上げた。)
クラウスが朝の散歩と称して全力で走り出し、ようやくうっとおしい追跡者を撒いたかと後ろを振り向くと、斜め後ろの死角にデイジーが居る。(クラウスは悲鳴を上げた。)
シャワーを浴びて着替えて扉を開けるとそこにはデイジー。(クラウスは悲鳴を上げた。)
勉強をしている時、チラリと横を見ると、瞬きもせずにクラウスを凝視する水色の瞳。(クラウスは悲鳴を上げた。)
夕食の手が進まないクラウスにも、デイジーは見ているだけで何も言ってこない。
ただひたすら、クラウスを見ている。
見ている……。
「たった一日なのに気が狂いそうだ。お前もう、うちに帰れよ!」
「なにを軟弱なことを言ってるのよ。私達、結婚したら毎日一緒にいるんじゃないの?」
「ゲッホゲホゴホゴホ」
「でも、どうすればいいのか、だいたいわかったわ」
ティーテーブルにて、お茶を噴出したクラウスを横に、デイジーは自身で作ったメモ帳を見ながら、納得したようにそれを閉じる。
その自信ありげな様子に、クラウスは意外にも、一筋の光を見るかのような目で彼女を見ている。
そして、この国の大切な王子様の期待を一身に背負う公爵令嬢は、白い歯を輝かせながら、笑顔ではっきりとその場で宣った。
「足りないんだから、もっと増やせばいいのよ!!!」
行くべき先を見据えるデイジーには、彼女の横で絶望に染まった婚約者の顔は見えない。
こうして、デイジーはクラウスのこれまでの努力を「足りない」という一言で一蹴し、クラウス急激成長化計画と称して、綿密なスケジュールを組んだ。
朝の散歩をランニングに変え、教師達との授業内容をさらに難易度の高いものに変更し、自習時間を増やして増やして、夜にランニングを追加した。
なお、周囲の大人達、なんと国王や王妃までもが、毎日夜中にしくしくと泣いているクラウスの様子を夜番の兵士達から聞き、デイジーにストップをかけた。
しかし、婚約者のデイジーが、「結婚までに、私を一つでも超えてほしいんです……」と乙女全開の顔で呟くので、誰もこれを止めることはできなかった。
そして、誰もこの事態の恐ろしいからくりに気が付いていなかった。
クラウスは、自力ではデイジーに勝てない。
そのクラウスに特訓を施すのは、彼が追い越したいと考えているデイジーだ。
デイジーは、クラウスに勉強を教え、鍛錬をともにしている。
そして、教えるためには、先取りで学ばなければならない。
そう、デイジーは常にクラウスの先を行っている。
この状況で、デイジーの指示に従うだけでは、クラウスがデイジーに勝てるわけがないのである。