16 エレンスキー王国でのお茶会
エレンスキー王国の王宮はそれは荘厳なものだった。
デジケイト王国は海に面しており、その王宮も色味を多く使った明るいものだ。
しかし、エレンスキー王国の王宮は、重厚な石造り、壁面にびっしりとほどこされた細工に、線対称になるよう設計された広い庭園の花々の色が映え、そこには、規律を重んじる国民性が垣間見えるようだった。
デイジーは初めて見る他国の王宮に、息が止まるほどの衝撃を受けた。
本を読み、写真を見て、人から聞いて見聞を広めても、実際に見て触れるという体験を上回ることはないのだ。
興奮した様子のデイジーに、父ダニエルも母チェルシーも、隣国の茶会に連れてきてよかったと微笑んでいた。
……茶会が始まるまでは。
「【こんにちは、クラウス殿下。ようこそエレンスキー王国にお越しくださいました】」
隣国で大きなお茶会が開かれる。
そこに、デジケイト王国の第一王子クラウスが呼ばれていないはずがなかったのだ。
「【こんにちは。お招きいただいて、感謝します】」
「【あら! クラウス殿下は、エレンスキー語をお話になられるのですね!】」
「【少しだけです。】……挨拶以外は難しくて」
通訳越しに話すクラウスと、近隣諸国の王侯貴族の子ども達。
デイジーはその場からそろりそろりと離れようとしたけれども、結局無駄な抵抗で終わってしまった。
「【あら。デイジー様には、通訳の方はついていないのですか?】」
ここにいる子ども達は、エリート集団なのだ。利発で目ざとい彼らが、デイジーに通訳が付いていないことに気が付かないわけはなく、デイジーがエレンスキー語を流ちょうに話すことができることはあっという間に知られてしまう。そして、他国に興味津々のエレンスキー王国の子ども達にやいのやいのと質問攻めにされ、なんとかそれぞれの質問に回答し終えたところで、デイジーはふと、自分の背後に嫌な視線を感じた。
視線の主はもちろん、人だかりに囲まれるデイジーの横で、人々から放っておかれているデジケイト王国第一王子クラウスである。
いや、彼は腐っても王子だ。
腐ってもというのは言い過ぎかもしれないが、とにかく王子として育ってきて、それなりの社交術を学んでいる。
だから、その顔にはきちんと笑顔が張り付いていて――しかしデイジーは、久しぶりの彼との邂逅が、さらに二人の関係性を悪化させてしまったことをひしひしと感じていた。
「【わ、私!!!! お花摘みに失礼しますわ!!!!!!】」
勢いよくその場から走り去ったデイジー。
内容が内容なだけに、令息達は追うことができず、鍛え上げた俊足が故に、令嬢達は声をかけることもままならない。
こうして、デイジーは強行突破で、国際的大規模お茶会の会場から逃げ去ったのである。
~✿~✿~✿~
会場から逃げ去ったと言っても、デイジーが親に無断で庭園を出ることは許されていない。
幸いにも、庭園は広く、植物を垣根として使った迷路のような空間もあったので、その中をとぼとぼと歩きながら、デイジーはため息をついた。
(私、何やってるんだろう)
ここ数カ月、クラウスと会わなかったことで、デイジーの世界は開けたように思えていた。
けれども、彼と会ったとたんにこれだ。
一体どうしたらいいのだろう。
(きっと貴族だからダメなんだわ。平民になりたい……)
職人の徒弟達も、兵士達も、父ダニエルが紹介してくれた素敵な人たちは皆、平民だった。
自分達のやっていること、やってきたことに誇りを持ち、技術を敬い、先人や先達を尊敬し、仲間の成長を悔しがりながらも喜んでいる。
そして、今のデイジーには、貴族の間でも、そんなふうな様子を見ることができるとはとても想像できなかった。
だって、デイジーの目に映る、貴族の最たる者が、いつも嫉妬にまみれた様子でデイジーを見ているのだから。
「ここにも、来るんじゃなかったわ……」
両親の前では言えないなと思いながら、デイジーは迷路をあてどなく進んでいく。
そういえば、護衛も何もかもを撒いてここまで走って来てしまったけれども、他国に客として訪問している貴族の令嬢としては危機管理がなってなさ過ぎたかもしれない。
そう思ったところで、ふと、きらきらとまぶしい何かが目に入った気がして、デイジーは顔を上げた。
きらきらと輝く何かに囲まれた、美しい男の子だった。
漆黒の髪に映える白い肌、すっと通った鼻筋に、大きな紫色の瞳は宝石のようで、高貴で装飾の多い淡い灰色の服は、彼が身分ある貴族の令息であることを感じさせる。
細身な体で小さな噴水のふちに座り、周りに七色に輝く何かをいくつか浮かべては動かしているその様は、まるで天使のような繊細さを思わせた。
「【!】」
息を呑んで様子を見守るデイジーに気が付いたらしく、少年はデイジーを見たまま、石像のように固まっている。
デイジーは、瞬時に悟った。
これは、逃がしてはいけない獲物である!
「【何をしているの?】」
暗殺者であっても見逃してしまうような音のない足運びで瞬時に近づいてきたデイジーに、少年はさらに驚いた様子で目を見開いている。
デイジーは少年が動かないのをいいことにすぐさま彼の隣に座り、その腕をガシッと音が出そうな勢いで掴んだので、さすがの彼も「ヒッ」と声を上げた。
「【しっ、静かに! 誰かに見つかってしまうわ】」
「【えっ。いや、でも、その】」
「【見つかったら、きっと連れ戻されちゃう。あんなお茶会より、こっちのほうが大切だもの。それ、なぁに?】」
「【!!】」
そこから、少年は自分の発明に興味津々のデイジーに喜んでくれたのか、どもりながらも、ぽつりぽつりと、その発明品について説明してくれた。
デイジーが喜んでその発明品をこねくり回していると、彼は気をよくしたようで、さらにいくつかの発明品を服のポケットから取り出してくる。
二人で夢中になって話していると、そこに、デイジーを探していた父ダニエルと母チェルシー、三歳の弟ドビアスがやってきた。お茶会を抜け出したことを怒られるかと思いきや、家族全員で彼の発明品に夢中になり、さんざんこねくり回して褒め倒し、活用方法について議論を交わし、家族と少年の五人で、それはそれは楽しい時間を過ごすこととなったのである。
「あ、もうこんな時間だわ」
日が傾き、夕日になりそうな手前辺りで、シャランシャランとお茶会会場の鐘が鳴り響いた。
終了の合図に、デイジーが残念に思いながら少年を振り返ると、彼は何かに感動しっぱなしで疲弊したような、赤い顔をしている。
「【もう行かなきゃ。ねえ、最後に聞いてもいい?】」
「【えっ。は、はい】」
「【あなたは貴族なのに、どうしてそんなにすごいの?】」
「【私はそんなに、すごくないです……】」
「【そんなことないわ。あなたみたいな素敵な貴族の男の人、見たことないもの】」
「【デイジー、お父さんはお前の視界に入らないのかい!】」
「【あなたみたいな素敵な男の子、私、見たことがないのよ】」
隣国に住んでいて、きっともう会うこともない、技術の粋を極めた男の子。
彼のような人は、デイジーの周りにはいなかった。
けれども、それはもしかして、『デイジーが貴族だから』ではないのだろうか。
平民にならなくても、きっといつか、願いは叶うのではないか――。
デイジーの言葉に、赤面を通り越して感動で爆発しそうな顔をした少年は、悩ましげにその長いまつげを伏せ、目をさまよわせた後、意を決したようにデイジーに答えてくれた。
「【研究が楽しくて、毎日やっているから……毎日続けている、それだけです】」
その言葉に、デイジーは天啓を受けたように体がしびれるのを感じる。
見る間に明るくなる彼女の表情に、少年はよくわからないといった表情をしながらも、「【お役に、立てたのならうれしいです】」とほほ笑んでくれた。
~✿~✿~✿~
こうして、デイジーはエレンスキー王国から帰国した。
もはやデイジーに、迷いはなかった。
だって、やるべきことは見えているのだ。
「……久しぶりだな」
この王宮の子ども部屋に来るのは、実に数カ月ぶりのことだ。
クラウスに会うのは、先週行われたエレンスキー王国でのお茶会ぶりのことではあったが。
久しぶりに子ども部屋にやってきたデイジーに、クラウスは苦虫をかみつぶしたような顔で声をかけてくる。
そして、デイジーの顔を見て、ぎくりとしたような表情で固まった。
けれども、そんなことに構っている場合ではないのだ。
デイジーがにっこにこに笑顔でクラウスに近寄ると、理由はわからないが、クラウスが青い顔で後ずさった。首をかしげたデイジーは、仕方ないとばかりに彼を壁際まで追い込み、ドンと彼の顔の横に手を付く。
そのあまりの重低音に、周りの子ども達が「ひぃっ」と声を上げる中、青ざめるクラウスに向かって、デイジーは笑みを深めた。
「クラウス。私、あなたと話がしたくて、ここに来たの」
「な、なんだよ!」
「――私、あなたを特訓することにする」
ぽかんと口を開けるクラウスに、デイジーはただひたすらほほ笑んでいる。
「クラウス。もうはっきり言わせてもらうけれど、あなたは私よりも成績が悪くて頭の回転が遅くて技術の習得が遅くて体力がなくて足が遅いかもしれないわ……」
「お前は私に喧嘩を売るためにここに来たのか!!!!!」
「だけど、それならその分、鍛錬を繰り返せばいいのよ」
デイジーは、クラウスの出来が悪いのは仕方がないことだと思っていた。
デイジーの物事の習得が早いことも、どうしようもないことだと思っていた。
そして、そのことが原因でこじれていく関係をどうしたらいいのか、皆目見当がつかなかった。
けれども、違うのだ。
クラウスが、努力不足なだけだったのだ!!!
なにしろ、隣国で会った貴族令息と思しき天才少年ですら、言っていたのだ。
『毎日続けている、それだけです』と!!!
「嫉妬でつまらない態度を見せるなら、毎日努力を続けて立ち向かってくださいませ」
「お、おま、お前……ッ」
「私は彼と違って天才ではありませんから、努力さえ怠らなければ乗り越えるなんてたやすいことですわ」
「……彼? 彼って誰だ。お前は一応、わ、私の婚約者で」
「そんなことはどうでもいいのです! さあ、開始しますわよ! まずは中庭ランニング一時間です!」
「ちょっ!? ひ、ひきずるな!」
「時間は有限です! さあ、行きますわよ!!!!」
デイジーに引きずられていくクラウスの悲痛な叫びに、子ども達は誰も動かなかった。
聡い彼らは、デイジーが――ひいてはデイトナーズ公爵家が、王族の次に高い地位を持つ上に、一度言い出したら話を聞かない一族だと知っていたのだ。
この日から、デイトナーズ公爵令嬢が、白い歯の光る爽やかな笑顔で、第一王子を圧倒しながら鍛え上げていく日々が開始されたのである。