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15 幼いデイジーの悩み


デイジー視点の過去編です



 デイジー=デイトナーズは、小さな頃から何かにつまづいたことのない子どもであった。


 五大公の一つであるデイトナーズ公爵家の長子として生まれた彼女は、住むところに困ることも、食べるものや着るものに困ることも、教育に困ることもない。

 それに加えて、デイジーはとても優秀な子どもであった。

 何をやらせてもうまくこなし、うまくできないことは根気よく練習を続け、自分のものにしてしまう。


 しかしその事実は、彼女の周りに影を落としていた。


「あら。デイジー様、エレンスキー王国語の勉強をされているのですか?」

「今日の算数は終わったの」

「えっ。昨日より演習の数を増やしたはずですが」

「でも、もう終わりました」


 はい、と演算の終わった演習問題の紙を八歳のデイジーが差し出すと、教師は目を丸くしながらその内容を確認している。


 貴族の子どもは、十歳になるまで日中を子ども部屋で過ごすこととされている。

 通常は貴族の邸宅内に子ども部屋が設置され、そこに毎日親族の子ども達が通いで集まり、勉強をしたり、遊んだりして過ごすのだ。


 しかし、デイジーは五大公の家の子どもだ。

 そのため、週の半数以上を、自宅の子ども部屋ではなく、王宮の子ども部屋で過ごすことになる。

 そして、デイジーは優秀な子ども達が集まる王宮の子ども部屋においても、その頭角を現して()()()()のである。


「……全問、正解です」

「よかったです」

「デイジー様、素晴らしいですわ! ほら、クラウス殿下、頑張ってくださいませ。デイジー様はもう終えられてしまったようですよ」

「……」

「先生、そういう言い方はよくないと思います」

「あ、あら。そうね。申し訳ございません、クラウス殿下」


 教師の言葉を無視する八歳の第一王子クラウスと、制止する八歳の公爵令嬢デイジーに、教師は青い顔をして謝罪する。

 周りの子ども達も白けた顔で教師を見ており、ようやく教師は、クラウスの地雷を踏みぬいたことに気が付いたようだ。


 教師がクラウスに対してとりなしの言葉を重ねる様子を見ながら、デイジーは内心ため息をつく。


(本当に、()()()()するわ)


 デイジーはすました顔をしたまま、エレンスキー語の教科書に目を戻す。


 この茶色の髪で素朴な顔立ちの女は、デイジーの勉強の進度が良かったことにより、彼女に次の段階の学問を教えるために新しく雇われた教師なのだ。年の頃は、幼いデイジーにはよくわからないけれども、母チェルシーと同じくらいだろうか。

 新人教師であるが故に、クラウスとデイジーの、微妙な関係を知らなかったのだろう。

 あるいは、内情を聞かされていてなお、失言をしてしまった愚鈍な人間なのか。

 王宮の子ども部屋に来るというのは、教師としてのステータスである。なので、もしかしたら、その興奮と慢心が故に、周りが見えていなかったのかもしれない。


 そのどれでも構わないけれども、デイジーとしてはただひたすら、これ以上クラウスの機嫌を悪くしてほしくないと思うばかりだった。


(……)


 実は、先日からエレンスキー語の勉強を始めたのも、クラウスの機嫌を損ねないためだった。

 クラウスと同じ科目だけを勉強していたのでは、その進捗度の差が――デイジーがクラウスを置いて、はるか先の勉強をしていることが、明らかになりすぎてしまう。

 だからデイジーは、第二外国語、第三外国語、刺繍や縫物、美術や物理学など、今のクラウスがやらないような科目にも手を伸ばしていた。

 それも、王宮の子ども部屋に来ているときは教科書を読むだけにとどめ、発音練習や具体的な実習、実験などは、すべてデイトナーズ公爵家の子ども部屋で学ぶようにしているのだ。


(……いつまで、こんなことが続くんだろう)


 最近ふと、我に返ったように、冷静になってしまうときがあるのだ。

 よくわからないけれども、胸の奥が乾いて、味気ないような気がしてしまう。


 デイジーがそっと目を伏せ、エレンスキー語の教科書を閉じたところで、彼女の服を引く者がいた。

 五歳の第二王子クリストファーと、その友人達である。


「デイジーお姉ちゃん、文字カード、やりたい!」

「……うん、いいよ。おいで」

「ありがとう」


 もちもちの頬っぺを揺らしながら、五歳児達は笑顔でデイジーの隣に座る。

 彼らはデイジーよりも三つも年下なので、気持ちをこじらせることなく、デイジーに教えを乞うてくるのだ。

 なので、勉強がはかどるようにと、デイジーが文字カード等の遊戯を取り入れた方法を考案したところ、大いに喜び、何かにつけ彼女になついてくるようになったのである。


「文字文字カード、一枚目、書いてあるのは『APPLE』」


「あっぷる!」

「取った!」

「あー! 負けたぁ」

「殿下、早すぎるの」


 デイジーが手元のカード一覧の中から、任意に選んだ文字を読み上げると、五歳児達は机の上にたくさん置かれた単語カードの中から、『APPLE』と書かれたカードを探し出す。

 そうして、最初に『APPLE』のカードを手にしたのは、第二王子クリストファーであった。

 嬉しそうにしているクリストファーに、デイジーが思わず笑顔になると、クリストファーは緑色の目をぱちぱちと瞬いたあと、なんだか恥ずかしそうに目をさまよわせている。


(クラウスも、こんなふうだったらいいのに)


 ある日、デイジーは父ダニエルに尋ねてみた。 


「お父様。私本当に、クラウスと結婚するの?」

「嫌なのかい?」

「うん」


 ゲホゲホとお茶で咳き込むダニエルに、デイジーはつまらなさそうに息を吐く。


「クラウス殿下はお優しい方だろう?」

「まあ、そうね」

「何が不満なんだね」

「あの人、つまらないの」


 再度ゲホゲホとお茶でせき込んだダニエルに、デイジーはやはりつまらなさそうに息を吐く。


 デイジーと出会ったばかりの第一王子クラウスは、デイジーに優しかった。

 当時六歳であり、国王の長子であった彼は、優秀だ、国の将来は安泰だと誉めそやされて育ち、気持ちに余裕があったのだ。


 しかし、デイジーは第一王子の婚約者となってしまったため、週に何度も王宮の子ども部屋に通っていた。


 そして、無邪気にデイジーの優秀さを褒める教師達。

 子ども相手だと深く考えずに発された彼らの誉め言葉は、いつしか、デイジーの隣に居るクラウスの心を傷つける刃となっていったのだ。


 同じ年の婚約者、しかも女であるデイジーが、自分よりも優秀な成績を収めていく。

 今まで、誉め言葉を一心に受けていたクラウスからしたら、耐えがたいことであったのだろう。


 けれども、それがなんだというのだ。


「なんで私が、ずっと我慢しなきゃいけないの?」


 デイジーは、自分が天才ではないと思っていた。

 何かを学ぶことは好きだ。知識を得て、色々なことを考え、実際にやってみて、体になじませていく。

 その作業を繰り返し、自らの能力を伸ばしていくことは、確かに楽しい。

 けれども、何か新しいことを生み出す才能があるわけではない。

 習得が早いのは、大変な努力を惜しまないが故のことであって、デイジーが楽をしているからではないのだ。


 デイジーだって、努力を素直に周りから褒められたい。

 そもそも、物事の習得が人より早いだけのデイジーを、『すごく能力のある人』扱いしないでほしい。


 それなのに、いつもいつも、隣に嫉妬にまみれた男が居るだけなのでは、気が休まる暇がないではないか。


 デイジーの不満に、父ダニエルは、真っ青な顔をしていた。


 そして次の週からしばらく、デイジーは王宮の子ども部屋に通わなくてもよくなった。


 その代わり、ダニエルは幼いデイジーに、外の世界を見せてくれた。


 宝石を作る職人のところに見学に行き、次の巨匠となるべく力を磨いている幼い徒弟達の姿を見た。

 両親の商いを手伝いながら、算数や帳簿のつけ方を学び、次世代の若者達の姿を見た。

 大学に通い、知の神髄を極めんと切磋琢磨する学生達の姿を見た。

 兵士として訓練に励む兵舎の新人達の姿を見た。


 そこに居た面々は、全員が優れた能力を持っていたわけではない。

 しかし、技術を競い、日々研鑽を重ねている者達ばかりだった。

 もちろん、中には、抜きんでた力を持つ者もいる。

 けれども、周囲の者は、彼らの功績を喜んでいた。


「お兄さん達は、一緒に働く兵士さんの中に、すごく強い人がいたら、いやなきもちになったりしないの? いつも訓練している自分よりすごいなんて、許せないって」


 ふと、兵舎の食堂で、若い兵士達と一緒に昼食を食べているときに、デイジーは聞いてみたことがある。

 デイジーの率直な疑問に、父ダニエルがちらりと兵士達を見ると、彼らはお互いに顔を見合わせた後、思わずと言った様子で笑い始めた。


「お嬢ちゃんは悩みがいっぱいあるんだなあ」

「強い人を見て、嫌な気持ちにかあ。まだ小さいのに貴族って大変なんだな」


 げらげら笑いながら、彼らは幼い――当人としては、もう八歳なのだから『幼い』は言いすぎだと思っている――デイジーに答えをくれた。


「俺達はさ、仲間だからな」


 ハッとして目を見開いたデイジーに、兵士達の目は優しい。


「ライバルだけど、それだけじゃない」

「国を守る、王都を守る仲間なんだ」

「仲間の中に強い奴が居たら、そりゃさ。個人としては悔しい気持ちもあるよ。けど、そんなのはささいなことだ」

「身内に強い奴が()()()()()()、心強いし、嬉しいもんだろ?」


 デイジーにそう告げた兵士達は、周りに「かっこつけすぎだ」「お前はいつも嫉妬まみれだろ」などのヤジを受けながらも、屈託のない笑顔で笑っている。


 それを見て、デイジーがポロポロと大粒の涙をこぼしたので、事態は一変、大騒ぎになってしまった。

 慌てふためきながらなぜか謝る兵士達、視察に来ていた高貴で小さなご令嬢を兵士達が泣かせてしまったと青ざめるその上司。

 ダニエルとデイジーは、兵士達は悪くないのだと慌てて言いつのったけれども、結局兵士達が土下座をする大騒ぎになってしまった。

 最終的に、ダニエルはデイジーを先に帰宅させ、謝罪の高級エールを大量に兵舎に差し入れ、飲み会のどんちゃん騒ぎを起こしてすべてをうやむやにして自身も帰宅したらしい。


「いやはや、大変なことだった」

「お父様、ごめんなさい」

「いいんだよ。お前にとって、とてもいい体験になったんだろう?」


 晴れやかな笑みを浮かべるデイジーに、ダニエルは満足そうにニコニコと笑ってくれた。


 デイジーは、あの兵士達の言葉を聞いて、本当に嬉しかったのだ。


 いつもいつも、デイジーの世界は息苦しかった。

 けれども、そんなふうに、我慢だけを重ねなくても生きていけるのかもしれない。

 父ダニエルが見せてくれた若者達の姿は、暗く塞がっていたデイジーの視界を明るく照らしてくれたのだ。



 そんなこんなで、誕生日が過ぎ、九歳になったデイジーに、父ダニエルが唐突にこんなことを言いだした。


「デイジー。来月、隣国エレンスキー王国に行かないか」

「え?」

「エレンスキー王国の王子達が皆、十代でな。国内外の貴族子女を集めて、茶会を開くことにしたらしい」

「ドビアスはまだ三歳だし、参加しないことも考えたのだけれどね。こんなに大きなお茶会も珍しいし、デイジー、あなた最近、エレンスキー王国語がうまくなってきたから、行ってみるのもいいんじゃないかしら」


 淡い水色の瞳を期待に輝かせたデイジーに、ダニエルとチェルシーは「決まりね」と参加を決めてくれた。


 こうして、デイトナーズ公爵家は、一家でエレンスキー王国に行くことになったのである。



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