11 水もしたたる……?
結局、ケビンは、ダニエルとドビアスの手で泡だらけにされることになった。
頭から湯を流された彼は、カラスの行水で逃げ出そうとしたけれども、ダニエルとドビアスがそれを許すはずもない。
湯の中につからされ、雪山フォンゲルフンド(犬)を百匹数えさせられた彼は、久しぶりに長湯をすることになり、ほこほこに茹で上がった状態で居間へと戻ってきた。
もちろん、自分の足では歩いていない。
ダニエルに大切そうに横抱きされて運ばれてきたのである。
「ケビン様は大切なものを失ってしまったのですね」
「これ以上おかしなことを言うと、反旗を翻すんだからな」
「ケビン様は私が居ないと生きていけないのではありませんか」
やれるものならやってみろと、珈琲を口に含んだリーンハルトに、茹で上がりケビンは居間のソファに座らされながら、悔しさに震える。
しかしまあ、とにかく試練は終わったのだ。
あとは、二階に避難してしまえば、今日はきっと落ち着いて過ごせるはず……。
「まだ終わりませんよ?」
ガーン!と打ち抜かれたような顔をしたケビンの目の前に現れたのは、櫛とハサミを手にしたドビアスである。
「お待ちなさい。何をするつもりですか」
「ケビン様の髪を切ります」
「なぜドビアス様がハサミを持っているのですか」
「僕が切るからです」
「僕が切るからなのです!?」
目を剥くケビンに、ダニエルとデイジーは一向に動じることなく、布を用意してふわりとケビンにかけ、両脇に座り込んでその腕をがっしりと掴む。
「待った! 待ちましょう。別に髪は切らなくてもいいと思いますし、百歩譲って髪を切るとして、なぜ最年少のドビアス様が」
「僕、髪の毛を切るのが割と好きなんですよね」
「ダニエル様! せめてあなたが」
「おや。元公爵の私がですか? 飾り用の剣かペーパーナイフしか握ったことがありませんが。まあ私はなんでもできますから、芸術点の高い仕上がりにしてみせましょう」
「デイジー様!」
「わかりました。私がお人形の髪を切るとですね、なんだか真っすぐそろっていない気がして、どんどん鋏を入れてしまって、髪の毛がなくなってしまうのですが、今回こそ成功してみせますわ」
「チェルシー様!!」
「いいでしょう。わたくし、布地を勢いよく真っすぐに断ち切るのがとても得意なのです。肉を切らないように気をつけますわね」
「リーンハルト!!!」
「面白そうだから四人のうちの誰かにやってもらいましょう」
「リーンハルト!!!!?」
結局、騒ぎ立てるケビンの髪を切ったのはドビアスであった。
軽やかな動きでハサミをふるった彼は、またたく間に、ここ数年まともに調髪したことはないと思しき様子の、伸びきったケビンの髪を切りそろえていく。
ハサミを入れ終わり、タオルでわしゃわしゃと水分をふき取り、もう一度櫛を通したら、水の滴らない若き一代侯爵のできあがりである。
「よーし、終わりです。会心の出来です!」
ニコニコ笑いながら、ドビアスは鏡を手に、ケビンの正面に回る。
そして十二歳の新生調髪師は、「結べる長さの方がいいかと思って、長さを残しています」「流行に合わせて、前髪を作ってあります。目にかからないように定期メンテナンスをしましょう」「黒髪は切り手の腕前がよくわかるのでやりがいがあるんですよね」と、愉悦に浸りながら早口でまくしたてた。
しかし、肝心のケビンから反応がない。
ようやく何かがおかしいと思い、ドビアスがケビンを覗き込んだところ、彼をゲーイナー鉱山から救い出したヒーローは、なぜか泡を吹いて白目を剝いていた。
彼を娘と共に両脇から挟み込んでいたダニエルも、困った様子でドビアスを見ている。
戸惑うドビアスが後ろを振り向くと、リーンハルトが目を瞬きながら、意識を飛ばした主人を試すがめつ見ていた。
「ドビアス様は、凄腕美容師だったのですね」
「そうかな? うん、そうかも。下町に美容師の友達が何人かいるんだ」
「そうですか。……仕上がりを見ずに気絶するとは、ケビン様は贅沢な人ですね」
リーンハルトは立ち上がると、気絶した主人を色々な角度から嘗め回すように見る。
「いや、本当に上手いですね……」
「そうですか? リーンハルトさんに褒められるなんて、嬉しいなあ」
「あの、冗談ではなく」
何か考え込むようにしているリーンハルトに、ドビアスはニコニコとほほ笑んでいるだけである。
結局、久しぶりの湯浴みで疲れ切っていたケビンは、そのまま眠り込んでしまい、居間の簡易寝台に再度寝かされ、翌朝まで起きることはなかった。
そのため、上気した顔でケビンを見つめていた金髪碧眼の美女の存在に気が付くことはなかったのである。
そろそろフラグがたちはじめます。