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神託の器

作者: エデン



何故彼が神を選んだのか、いくら自問自答しようと答えは出てこなかった。この数年間エルフの故郷を再建するために全てのことに費やした。暮らしの中でエルフを見ると必ず思い出すのは彼と交わした会話らしい最後の会話だった。


あの時の彼は少し様子が可笑しかったように今なら思う。あの当初は気づかなかったが、あの夜だけは彼は此方に一度も目線を合わせなかったのだ。


「リオン、話とはなんだ?」


あの日の海は風が強かった。イファンは船の上で何気なく彼の隣に立つ。明日はルシアンに遂にご対面の日だ。そこで全ての運命は決まるのだろう。彼とは既に「約束」を交わしていた。神託は捨て、全ての者に力を分け与えると。この日のリオンの表情は神妙で、直ぐに大事な話だと分かった。リオンは少しの間黙った後、ためらうように瞬きをした。


「…君に伝えたいことが……あるんだ」


彼にしては静かな口調だった。言葉を覚え始めの赤子のように丁寧な音にしていく。リオンは一度口を閉じると、目を瞑った。


「イファン……実は、僕は………っ」


彼は突然目を見開いて恐怖を目にしたかのように、眉を顰めた。大きく彼が身体のバランスを崩したためイファンは慌てて彼の細い肩を支える。


「―――っ大丈夫か?」

「……あ、ああ。大丈夫。僕は……まだ」


彼は首を振ると、やはりイファンを見ようとはしなかった。彼の目は曇っていた。何かに追い立てられ、迷うように視線を泳がせてから再び首を振る。


「いや、何でもないよ。少し…明日のことで緊張していたんだ」

「話したいことがあるなら話してくれ」

「…本当に何でもないんだ。そう、明日のために祝福のキスを君と交わしたかったんだよ」


リオンはそう言って突然荒々しく口づけをしてきた。俺は驚いたが、あの時は「なるほどそういうことか」とやけに納得してしまい、そのまま彼を受け入れたのだ。今となればあの日の自分を拳という拳で殴ってやりたいほどだ。あの時の彼は確実に何かを伝えようとしていた。結局あの日の話はうやむやになってしまった。俺が少し彼に迫っていれば彼は話したのかもしれない。最初彼の神託への決定は裏切りだと錯覚さえしたほどだ。だが、こんな俺でもよく考えれば明らかに彼の様子が可笑しいと気づく。

彼はその後神になった。彼の目は澄み、神の眩しさとともに、触れるのさえ罪に感じるほど気高さを纏っていた。彼は俺を見て、「いつもの笑顔」を目を細めて浮かべた。


「……特別に君なら神の付き人になってもいい…」


彼はそう言って右手を恭しく差し出した。その手を取らずに、彼を抱きしめるだけに留めると、彼は意外にも酷く驚いたように眉を上げて「なるほど、そうか」と一言だけ呟いて俺を見向きもせずに去って行ってしまった。やはり「神託」とは彼でさえも変えてしまうのか。俺は絶望に打ちひしがれた。それから一度も会話を交わさずに船を去ったが、彼は相変わらずの無邪気な笑顔を皆に振りまいていた。あの日はほかの仲間も彼の違和感に気づいていないようだった。皆、「聖下」と呼び彼を讃えていた。それほど彼は彼のままだった。神になったというのに、彼はいつもの表情のままだった。


(あれから何年経ったと思っている…そろそろ俺も考えるときだ)


エルフの故郷の傍に密かに住処を作った。古くからある廃屋を少し住みやすく改造しただけの簡素な部屋に、使いもしない料理道具だけがある。彼が料理道具を店で見るたびに「あれは使いやすそうだね」と過去に話していたものだから、つい買ってしまったのだ。

イファンはフッと覇気のない笑顔を浮かべると、そのまま冷たいベッドのシーツに横になる。静かに目を閉じてから、ようやく気付く。ああなんてことだ。入口付近に置いた蝋燭を吹き消し忘れていた。イファンは重々しく起き上がると、蝋燭の方を霞んだ瞳でおぼろげに見た。蝋燭の光に揺らめいて、「何か」が形どっていた。直ぐに目を細めると、それは人の形にさえ思えた。まさか悪魔の類か何かか。悪魔の恐ろしさについてはローゼによって散々聞かされたため一時も気が抜けないことは知っている。自前のクロスボウを手に取ってイファンは音を少しも立てずに近づく。


「…いるなら、出てこい」


低く呟くと、突然後ろで気配を感じた。勢いよく振り向くと、ここに居るにはあり得ない姿が見え、イファンは突如としてすべての動きを停止させた。目を見開くだけ見開いて、ついに幻覚まで見え始めたかと自分をあざ笑った。彼だ。間違いなく彼だった。


「……リオン」


あれから数年間会っていなかった彼が無表情で立っていた。いや、彼のように形どった煙が目の前にあった。彼はこちらを見て、瞬きを1つした。そして最後に出会ったあの時のように右手を差し出した。イファンは吸い寄せられるように彼に近づいていた。悪魔の類かもしれない、自身の馬鹿な幻覚かもしれない、幾つもの可能性を瞬時に思い浮かべたが、それでも彼の手を取らずにはいられなかった。


(―――っ!?)


彼の手を取った瞬間、突然眩い光が辺りを包み込んだ。あまりの眩さに思わず片手で目を覆い隠す。強い光が収まった直後、直ぐにイファンは目を開けると今度は真っ白い空間に彼の姿がはっきりとした姿で立っている。イファンは目を見開いたまま少しの言葉すら出すことができなかった。


「……驚かせてしまったね」


彼は寂し気に微笑んだ。久しぶりに聞く彼の声が耳に残る中、彼はその目を此方に向け続ける。


「君が、今言いたいことは分かっているつもりだ。僕は悪魔でも幻覚でもない、僕自身...リオンだ。もう時間がない、今は僕を信じてくれとしかいえないんだ」

「…………待て、お前は……神になったはずだろう。何故ここに居る?」


イファンは大きく揺らめいた。信じられないと首を振る。彼が神になり、俺の方を目もくれず去っていった様子は分かっていた。だが、彼があの日の夜に話そうとしていた言葉、それだけはずっと聞けていなかった。イファンが動揺を見せていると、リオンは静かに此方に近づきためらいがちに手を取ろうとしたが、その直前で手を止めた。


「……君に……言えなかったことがあった。ずっと……だけどようやくそれも終わりだ。君は今すぐに僕に会いに行き、あの忌々しいルシアンの宮殿の、奥深くに眠る神殺しの剣を使い……僕を……殺してくれ」



イファンは直ぐに目をリオンに向けた。待て。今リオンの形をした存在は何を言った?本当に彼なのか?まさか自分を殺してくれと俺に頼んでいるのか?リオンは拳を握ると、肩を震わせている。


「……僕は君との約束を1つも守れていないのに、君にこうして頼んでいる…僕の愚かさは十分に理解しているつもりだ。それでも…もう君にしか…頼めない。あの僕の姿をした、「ルシアン」は「僕」ではないんだ」

「……っ何?お前は何を言っている?リオン、本当にお前がリオンだと言うのなら俺を納得させてくれ!」

「……もう時間がないんだ。僕が今君に話していることが気づかれたら、君は一瞬で殺されてしまう…僕の姿をした…哀れなティル・センデリウスの手で…」


イファンは動きを止めた。今、彼は何を言った?リオンの姿をしたのはティル・センデリウスだと言ったのか?まさか、そんな馬鹿なことがあるのか。七大神は確かに俺たちの手で殺さずを得なかったはずだ。


「彼は僕を脅したんだ。あの最後の夜…君に言いたかったことはこのことだった。僕の中には七大神を殺してからも密かにティル・センデリウスの影が残っていた。奴に肉を食べられたことによって、奴は僕と結びつきを作った。僕の根源を使って僕に密かに影を残したんだ…僕はずっと彼をコントロールしていたつもりだった。だけど次第に上手くいかなくなり、彼が僕が気づかないうちに、僕の振りをするのが上手くなった。君にそれを伝えようとしたあの夜、ティル・センデリウスは僕の身体のコントロールの全てを奪った。そして…」


リオンは苦々しく唇を噛み締めた。彼の瞳には底知れぬ怒りが見えた。彼がこんなにも怒りを見せることは初めてのことだ。少なくとも俺が出会った彼だというのなら。


「奴は言った。今すぐにこの目の前の男を殺すこともできる。だがお前が神になるというのなら、この男は見逃してやろう。それだけが僕に聞こえたんだ。哀れにも僕はティル・センデリウスの言葉に従った。それがどんな道になり、どんな結末になるかを知っていながら……よく聞いてくれ。これから大きな戦争が起こる。彼はこの国をエルフだけの国へと変えるつもりだ」


リオンは大きく目を見開いたままのイファンの手をようやく力強く掴んだ。彼の顔が目の前に大きく見える。彼と目と目が真正面でパチリと合った。


「イファン、もう一度言うよ。僕を……殺してくれ。神殺しの剣はティル・センデリウスの近くにある。だから君は彼に近づかなければならない。僕が僕であると信じた顔で彼に会いにいってくれ。彼はきっと気づかない。僕の振りをするはずだ。もし……この話全てが信じられないなら、僕に会いに行き、君との夜のひと時に僕が渡した物について僕に聞いてくれ」


イファンはびくりと肩を揺らした。夜……思い出すのは神性を失いマラディに助けられ、リオンと過ごした……あの日のことを言っているのか?まさか、これは幻覚ではない、この信じられない話も全て、「彼自身」が語ることなのか?イファンはその瞬間全て目を覚ましたような感覚になり、彼の両肩を軋むほど強く掴んだ。


「それはこの指輪について言っているのか?まさかお前は………本当にリオンなのか!?」


イファンは懐から一見簡素な指輪と取り出した。小さな台座には青い海のような輝きを放つ宝石が埋め込まれている。リオンはそれを見て切なげに顔を僅かに歪めた後、深く頷く。


「……ああ、そうだ…っまさか君がまだそれを持っていてくれていたとはね……僕はそれを君に贈って、君に教えたね。僕はその宝石にちょっとした遊びを入れたと。その宝石のトリックを僕に聞いて。僕…いや彼は答えられない。僕にとって何よりも大切なこと…その記憶だけは彼に奪わさせなかった。それで分かるはずだ、彼がもう僕ではないと」

「……リオン、お前はまだいるんだろう?ここに…俺の目の前に…その身体に。俺にお前を殺せと言っているのと同様じゃないか!」

「分かっている。分かっているんだ…でももうどうしようもできない…君にしか頼めないんだ……僕は神殺しを頼んでいる……それは重いことだ」

「そうではない!できないのは、お前を!殺すことだ…それだけは、できない。何があっても。お前が助けを求めているのなら今すぐに助けよう。お前を殺すということ以外なら…だから教えてくれリオン…お前を本当の意味で助ける方法を」


イファンはリオンに視線を必死に向けた。リオンは顔を歪ませた後、涙を必死に堪えるように首を振った。彼の身体は酷く冷たく震えていた。俺は、いまさら彼をきつく抱きしめた。


「……お前を、助けたい。まさかお前がそんな目にあっているとは…分からなかった。俺はずっとお前に……」

「裏切られた……そうだね?その通りだ、僕は現に君を裏切ったんだ」

「だがそれは脅されていたからだろう?気づけなかった俺が…愚かだった。俺はお前の様子に気づくべきだった。あの夜に……気づいてさえいれば……」


彼を力強く抱きしめても、震えは少しも止まらなかった。リオンは唇を強く噛み締めたまま、イファンの頬に手をあてる。その手は氷のように冷え切っていた。


「……この手は死人みたいに冷たいだろう?僕の時間はもう…長くないんだ。もし僕が完全に消えてしまえば、ティルセンデリウスは僕の全てを奪う。それだけは避けなければならない。どうか分かってくれ……あの日選択をしたのは僕だ。僕が一番恐怖なこと…それは君を失うことだった」

「……それは俺もだ、リオン。お前を助ける。方法は俺が考えてもいい」

「―――っ方法はないんだ!一刻も早く終わらせなければ。僕はもう……仲間の誰も失いたくない」


リオンはイファンの頬から手を離すと、目を下に向ける。何かを言おうとして口を開いてから、僅かな息を静かに吐き出した。


「……僕は…この手でかつての仲間を殺した。今の僕…いや、今のティルセンデリウスがしていることは、僕が僕ではないと気づいた人達の虐殺だ。何人か勘のいい人々は僕が僕ではないことに気づいたんだ。すると彼は一瞬で気づいた人々を殺した。ローゼ……彼女は……神の姿をした僕に会いに来たんだ。彼女は勘が良かった…彼女は僕にとって重要な質問をして、彼が応えられないと直ぐに魔法をかけたんだ。僕の身体に魔法があたると同時に、彼女は一瞬で僕の姿をした彼の手によって……殺された」


リオンは眉を顰めたまま涙を流すこともできずに震えに耐えていた。何度も、何度も言葉に詰まりそうになりながら、彼はやっとの思いで息を吐く。息を短く吐いてから、呼吸を何とか整えようとして、それでも彼は涙を流すことができなかった。まるで自身にはもうその資格がないのだと身体に刻むように。


「ローゼ……彼女の死体は僕の目の前にあった。彼はわざと僕に身体のコントロールを戻したんだ。そうして彼女を目に刻み込まさせて、僕を………完全に支配しようとした。それでも今、僕は彼から逃れてここにいる。でもそれも少しの時間だ」


何も言えなかった。彼の苦しみを気づけなかった自身の莫大な罪だけが自覚できた。俺は今までに彼に裏切られたかもしれないと、彼を何処か責め続けていたのだ。彼がこんなにも自身を貪る神に苦しんでいる間に彼から遠く離れて。

リオンが早口で話す間に彼の身体はどんどんと透けていった。彼はイファンの両手をしっかりと掴んだ。


「どれだけ僕が危険か分かっただろう。お願いだ、まずは僕の身体に会うんだ。そうすれば君も気づく…これだけは覚えておいて。あの僕はもう僕ではない。どれだけ僕に見えようと、ティルセンデリウスが僕を支配している。絶対にあれに隙を見せちゃ駄目だ…殺されてしまう。あの宮殿の地下に神殺しの剣がある。彼はそれを厳重に守っているんだ。いいかい、まずはその地下までたどり着いてくれ…それから事は進むはずだ」

「―――っ待て、待ってくれ!」


消えていくリオンを必死に抱きしめようとした瞬間、彼は完全に見えなくなった。同時に不思議な空間からいつもの簡素な部屋が見える。イファンは直ぐにリオンを探すため、外に飛び出した。風が吹き、髪を揺らしたが、ただそれだけだった。


「リオン……今向かう。必ずだ」


イファンは直ぐに身支度を軽く整えて、納屋を飛び出した。どれだけ自分が愚かだったかと責め続けながら、イファンは月を仰ぎみてから縺れる足を進め続けた。





神の宮殿……その場所だけは全ての風景と趣が変わっていた。あれから数年経ったが、イファンは一度もそこに足を運んだことはなかった。エルフの故郷を助けるためだったが、彼にも会えそうになかったからだ。だが今となっては再び自分は愚かな行為をしていたと気づく。宮殿は今、目の前に聳え立ち、不気味で巨大な門兵たった二人だけがその偉大なる扉守っていた。扉の前に立つと、直ぐにその巨大な門兵は目の前に立ち塞がる。


「………ここは神の宮殿だ。貴様は……資格を持っているのか?」

「資格?それなら神に言ってくれ。イファンがやってきたとな」

「………答えろ。おまえは しかくを もっているのか」



門兵は再び繰り返した。肩を竦めて見せると、門兵は直ぐにイファンを攻撃しようと剣を振りかざす。その瞬間、全身が隠れる黒いローブを着た不思議な影が門兵の間に突然現れた。


「……通しなさい。神の許可がおりました」

「……っ何?」

「通しなさいと言っているのです」


ローブの男は再び繰り返した。門兵たちは顔を見合わせてから、しぶしぶ頷くと門は大げさな音を立てて開く。ウィンクをしてみせると、門兵はあからさまに不快気な顔を見せてから、再び動かぬ石像のように前を見る。

謎の黒いローブの男に連れられて、イファンは足を進めると、その内装に思わず目を見開いた。たった数年でこれだけの宮殿を建てたというのか。驚いている間もなく、突然辺りが暗闇に包まれる。目の前の男が何か術を使ったようだ。再び辺りが明るくなると、別の金色の扉が目の前に見えた。


「……神の間はここだ。入りなさい」

「………」


イファンは何も言わずに、その扉の取っ手を掴もうと手を伸ばすとその途端何もしなくても扉が開いた。イファンはできるだけ平然とした表情で足を進め室内に入ると、豪華な椅子が堂々と鎮座しているが、そこには誰もいなかった。イファンが静かに辺りを見回そうとした途端、突然何者かに肩に手を置かれる。


「―――っ!?」


反射的に振り向くと、そこには満面の笑みを浮かべた豪華な神の衣装を纏ったリオンが立っていた。くすくすと笑ってから、彼は片目を軽く瞑った。


「やあ!驚いたかい?まさか君がここにくるなんて!」


リオンは小躍りするようにイファンの周りをくるくると踊り、まるで1つのショーを終えたように目の前で優雅にお辞儀をする。呆気に取られてみていると、リオンはくすくすと笑い声を立て続ける。


「何だい?その呆けた顔は!はは、君のそんな顔は久しぶりに見る気がするよ。久しぶりに君に会えてよかった。神の仕事はちょっと僕には刺激が足りなかったからね。毎日皆が僕にすることは何だと思う?優雅に礼をするだけなんだ。君がいなくて退屈だった」


イファンはリオンの態度を静かに見てから、突然肩を震わせ朗らかに笑い声を立てた。


「ああ、お前にどれだけ会いたかったことか。リオン……エルフの故郷を再建するために今まで力を尽くしていた。だからお前には…会えなかった。今は丁度ひと段落したところでな」


リオンはふむふむと頷くと、勢いよくイファンに抱き着いた。イファンも力強く抱きしめ返すと、リオンはパっと顔を上げてから、悪戯気な笑みを見せる。


「僕が神の傍につかないかと言ったとき君が断ったのはエルフの森を再建するのが理由かい?」

「……ああ、そうだ」

「そうか、それなら仕方がない。でももう僕の傍に居てくれるんだろう?ずっと君を待っていたんだ!そうだ、いい酒があるんだよ。神になってからは誰も僕と一緒に飲んでくれなくてね」


リオンはイファンから離れると、タタっと軽快な音を立てて近くの豪華な戸棚に走り寄る。高価そうな酒瓶を取り出すと、「これでいいか」と軽い調子で呟いてから此方に向き直る。


「飲むだろう?」

「……俺が断るとでも?」

「はは、それもそうだ!」


リオンは近くの大きな机に酒瓶を置いてから、指をパチンとならす。すると何処からともなくエルフの従者たちがやってきて、あっという間に豪勢な料理たちが運ばれる。リオンは従者に目もくれずに、イファンを席に促した。


「ほら、ちょっとしたディナーだ。君と過ごした酒場のディナーよりはちょっと劣るかもしれないけどね」


リオンは笑ってからウィンクを見せる。イファンはそれに柔らかく笑ってから、静かに席についた。それを見るとリオンもまた目の前の席につく。エルフの従者たちによって、

お互いのグラスに酒が注がれると、軽くグラスを交わした。


「愛する君のために!」


リオンは大きく声を上げてから、一気に酒を煽る。イファンも酒のグラスを少し煽ると、

そのまま静かにグラスを置いた。リオンはそれを見て不思議そうに小首を傾げる。


「あれ?今日は調子が悪いのかい?いつもよりちょっと静かだね」

「……数年ぶりにお前に会うんだ。少しはお前の姿を堪能してもいいだろう?」

「……ふふ、僕はそんなに変わったかい?」


リオンは目を細くしてから意味ありげに笑みを見せる。イファンはそれを柔らかい視線で見つめてから、頷いた。


「ああ…お前は美しい。更に…美しくなった」


リオンはそれを聞いて、満足そうにうなずいた後、席を立って軽く此方まで走り寄る。イファンの傍までくると、大げさにため息ついた。


「なんでこの机はこんなに大きいんだろうね?君の元までいくのにこんなに時間がかかったよ」

「でもこうして傍にこれたじゃないか」

「うん………イファン…」


リオンは此方に身を寄せて、目を瞑った。そのままイファンも彼に唇を合わせようと近づいた瞬間、イファンは隠し持っていた指輪を素早く地面に転がした。


「―――ああ、落としてしまった。大切な指輪を」


イファンは大げさにため息をついてからそれを拾い上げる。リオンは目を開けて、その手に乗せられた指輪に視線を向ける。


「―――ああ、それは…………僕が君に贈ったものだね。ずっと持っていてくれたのかい?」

「そうだ。お前との大切な思い出だからな」

「そうだね……」


イファンはその指輪を見てから、ふと思い出したような表情を浮かべる。その表情に気づいたリオンがイファンの方を見上げた。


「どうしたんだ?」

「…いや、この石、何処かで見覚えがあると思ったら、あの有名な月光の石じゃないか?」

「………あはは、そんな高価なもののわけないだろう!」

「いや、見れば見るほどそっくりだ。月の力で魔力を貯めて強力な魔力を発揮することができるあの伝説の石に。これはちょっとした財宝かもしれないぞ」


イファンがそういうと、やれやれとリオンは肩を竦めてから、その指輪を手にとって部屋の蝋燭にかざした。


「うーん……これはそんな高価なものじゃないよ。ただの平凡な石だ」

「……ああ、そうか。残念だ、もしかしたらそれだけで豪華な家を買えるほどだった」

「今の僕は神だよ?忘れたのかい?君に豪華な家を与えることだってできるんだ。家が欲しいならいつでも頼んでくれ」

「……いや、それは遠慮しておこう。それより他に実は頼みたいことがあるんだ。神のお前に……いいか?」

「はは、神に命令できるのは君くらいだよ」


リオンはけらけらと笑ってから、イファンの返事を素直に待っている。イファンは優しくリオンの髪を撫でてから、耳元に囁いた。


「この宮殿を案内してほしい……お前の居る場所をしっかりとこの目で堪能したいんだ」

「……ああ、何だそんなことかい。もっと凄いことを想像していたのに」


彼は大げさにわざとらしくため息をついてから、「お安い御用だ」と片目を瞑る。リオンが扉の前に立って、手招きをしたため、近づくと一瞬で辺りは先ほどのような暗闇に包まれる。次の瞬間には膨大な書物の山が目に映る。


「…ここは、見た通り書物ばかりの部屋だ。何かみるかい?」

「いや…次に行こう。リオン、宮殿に秘密の場所はないのか?」

「…秘密の場所って?」

「例えば…大層な財宝が眠る部屋とかだ」

「はは、今の君はまるで子供みたいだ!いいよ、見せてあげよう」


リオンが片目を瞑って、再び魔法を唱えると次には重々しい扉が目の前に現れる。あまりの壮大な鉄の扉に目を見開いていると、彼はくすくすと可笑しそうに笑った。


「珍しいかい?」

「ああ……中に入ることはできないのか?」

「うーん、見せてあげたいところだけど、それだけは駄目なんだ。ここは僕しか入っては駄目なんだって。神の財宝が眠っている。君の探求心は刺激されたかい?」


イファンが頷くと、リオンは笑みを見せて扉に手をあてる。その途端、後ろで突然物音が聞こえる。反射的に振り返ると先ほどの黒いローブを着た男が静かに立っていた。リオンはそれを見てあからさまにため息をついた。


「何だい、今僕が誰といるか見えないかい?何か用?」

「……マラディ様がお呼びです」

「マラディには、後でと言っておいてくれ」

「マラディ様は“至急”と。これは決して外すことはできない席でございます」

「はぁ…マラディも神使いが荒いんだから」


肩を竦めてから、「今のはジョークだ」と彼は笑う。イファンが微妙に笑みを見せると、リオンはイファンの手に肩を置いた。


「ごめんね、少しここで待っていてくれるかい?」

「ああ、待っている。マラディのことだ、遅くなれば何をするか分からないぞ」

「それもそうだ。直ぐに終わらせてくるよ」


リオンはイファンの頬にキスをしてから、優雅にお辞儀を見せると忽然と黒いローブを着た男とともに姿を消した。イファンはその途端力が抜けたようになり、地面に片膝から崩れ落ちた。地面が揺らいで見え始め、全身から汗という汗が流れだし、身体の震えが止まらなくなる。


(―――っあれは……まぎれもなく“リオン”そのものだった!!!……リオンが言った指輪のことを聞かなければ分からないほどに……ティルセンデリウスはあそこまで模倣しているというのか!?彼を……)


石のトリックを彼は答えられなかった。イファンはわざと間違えたことを言ったのだが、それに彼は呆れたように笑って石を否定しただけだった。それが全ての答えだ。今のリオンは間違いなくリオンではない別のモノだ。彼なら必ず答えられた。この指輪のトリックを。彼はそれを語るとき、心底嬉しそうに笑っていたのだ。今でもあの日のことは目を瞑れば思い出す。

無理やり拳を握って震える自身を立たせると、巨大な鉄の扉を前にして「どうしたものか」と腕を組む。これを開けるには何か方法があるのだろう。とりあえず扉を叩いてみようかと考えていると、何者かの気配が再び後ろに現れ、咄嗟に背中に背負ったクロスボウに手を伸ばす。


「―――っ誰だ?」

「……落ち着きなさい」


後ろを振り返った先には、先ほど神と共に消えたはずの黒いローブの男が静かに立っていた。


「…?何だ?お前はさっき神と共に消えたはずではなかったか?」

「………先ほどの私は本物ではない。「影」です。今まで貴方に会っていた私もまた同じ……“リオン”様から話しは伺っています。どうかついてきてください…」


イファンが警戒心を解かないでいると、影のローブの男は突然イファンの手を掴んだ。相変わらずローブに隠れて顔も姿も見えなかったがその手はやせ細り切っていた。


「さぁ、早く。時間がありません」

「…っ待て、神にそう言われたのか?」

「…違います。“リオン”様にです」


彼はリオンの名を強く言った。まさかリオンがその場所にたどり着けば事が進むと言っていたのは、このことだったのか?だが、この男を信用もしきれない。睨みつけ続けると、男は肩を竦めてからすらすらと話をしはじめる。


「…血の道…それは貴方たちが旅路で通ったルシアンへの道ですね?この扉にはその道と同じ仕掛けが施されております。見た目は大きくて頑丈そうですが、横を開いてみれば簡単に抜けられる…さぁ、ここを通って」


男は何もないただの壁を指差した。イファンが眉を上げていると、男は直ぐに小さく早口で呪文のような言葉をつぶやく。するとその壁は不自然に光輝きはじめた。


「この呪文を使うのも決してただではないんです。通って!」


男に背中を強く押された拍子に無理やり壁まで押し込まれると、男も直ぐ後に続き光の扉は閉じられた。イファンは目の前の階段を見下ろしてから、不審げに男を見つめ続ける。


「…お前は誰だ。その答えによっては、分かっているな?」

「……私はリオン様の協力者です。貴方がここにくることは既に知っておりました」

「……何?」

「もう時間がない。早く地下へ」


男は再びイファンの腕を掴むと、此方が何かを言おうとする前に階段を下り始めてしまう。イファンは警戒を解かないままで目の前の長い階段に足を進める。目の前のローブの男は何も話さずにただ俺を階段の下へと導いている。もしこれがティルセンデリウスの手先だとすれば、地下で殺すつもりだろうか。だが、どうも神の名を呼ばずリオンと呼んだことが気になるのだ。男のローブをジッと見ながら下っていると、ようやく階段の下までたどり着いたのか平らな地面に足がつく。


「…ここからは長いですよ。いいですか?絶対に手は離してはいけません」

「…まだお前が何者か説明がされていないが?」

「時間がないと言ったでしょう。さぁ、着いてきてください」


男はどうやら俺を殺すつもりではないらしい。だが、完全に信用はできないだろう。いわば今の宮殿はティルセンデリウスの手先に落ちている。気を抜けば何が起こるか分からないのは、先ほどのリオンを演じる神の姿で分かった。あの力は俺のような人間など簡単に一ひねりで殺すだろう。その危険性は嫌というほど彼の完璧な演技で分かっていた。男は何もない道を歩き続け、イファンもそれについていく。神の地下というのだからもっと複雑なものだと思っていたが以外にも一本道のようだ。


「……これを用意するのも大変だったのですよ」

「……もともとはこの道ではないのか?」

「…はい。熟練の学者でも解けないほどの難解な迷路です。協力者によってここは一本道で今だけ通れます」

「それは得をしたな」


イファンは軽く頷くと、どうやら目の前のローブの男はその態度に怒ったのか、突然黙り始める。


「……何か気に触ったのか?」

「いいえ。彼が何故貴方を選んだのだろうかと不思議に思っただけです」


最後の方が小声で聞こえなかったが、とりあえず俺に関して中傷されたことだけは分かった。男のローブは少し黙った後に、小さく言葉を続ける。何故か先ほどよりも不自然に静かで低い声だった。


「…後悔はしていますか?」

「…後悔?」

「リオン様と貴方が結んだ約束…彼はそれを果たせなかったはずだ。リオン様と恋仲になり、裏切られ、こうして貴方はここにいる。それに後悔をしていますか?」

「……それはリオンを愛したことを後悔しているとこの俺に聞いているのか?お前は一体誰なんだ?何の権限があってそれを…」

「―――答えてください」


男の声は途端に真剣になった。先ほどの無関心のような声音は一体どこにいったのか。この男は謎そのものであったが、恐らく神が偽物だということ発言から既に知っているようだ。そして本来のリオンに頼まれてここにいるのだろう。イファンは息を短く吸った。


「…俺は今後悔をしている。いや、幾度も…幾度も後悔をしてきた。俺は幾人もの人々に今まで裏切られてきた。そこでリオンに出会い、俺は光を知った。俺にはもったいないほどの光だったよ……それは突然俺では届くことのない光へとなった。ああ、そうだ。あいつがしてきた全てをあいつの言葉でいまさら知ったよ………俺は………」


イファンは拳を握りしめた。目の前の男はそこで突然足を止めてイファンの方に振り向く。フードに隠れた男はイファンの次の言葉を静かに待っているようだった。イファンはフッと微笑んでから目を細めた。


「俺は俺自身に後悔をした。何故あいつの助けを聞けなかったのかと。今まで…ずっとあいつは苦しんできた。それをお前は知っているんだろう?俺はあいつを愛しているんだ。俺にとっての全てなんだよ。俺はあいつを愛したことだけは後悔はしない。絶対にな」


中々に思い切ったことを言ったものだとイファンは自分で笑いたい気持ちになったが、その気持ちに嘘はこれぽっちもなかった。何故この見知らぬ男に話したのかもわからないまま男の方を見ると、男は停止したように固まっていた。何かに驚いたのか、そのままの姿勢で男は動かない。


「……ああ、どうした?」

「………っ………いえ行きましょう」

「なんだ、お前が聞いてきたんだろう。惚れ気が聞きたかったんだろう?」

「……足を進めるべきです。今は」


男は短く言ってから再び此方を握る手に力を込めてから、前を向いて歩き出す。イファンは肩を竦めて男に着いていく。今はこの男しか信用できるものがいないのだから、仕方ない。それにどういうわけか、この男は俺に敵意は一切見せないのだ。殺しをしてきた自身だからこそ分かるが、殺人の前には僅かに殺気を出すものだ。それが一切この男にはない。


(着いていけば…分かるだろう)


男に着いていくと、ようやく一本道に終わりが来たようだった。目の前には簡素な木の扉が見える。男はそれを見つめてから僅かに頷いて、その扉の取ってを掴む。


「―――っ」


その扉の向こうには、ここにあるはずもない夜の空と大きな湖が広がっていた。イファンは呆気に取られてその湖を端から端まで見つめていると、ローブの男は何も言わずに突き進んでいく。


「…っここは宮殿の地下じゃなかったのか?」

「……ここは神の領域……起こりえないことも起こるのですよ……貴方は指輪を持っていますね?それを私に渡してください」

「…何?指輪とはこれのことか?これが何の関係が…」


イファンがリオンから貰った指輪を取り出して男に見せると、男はそれを奪い取るように取ってから湖にかざす。


「…っ待て、いつそれを取っていいと言った」

「…………」


イファンが男の肩を掴もうとすると、男は突然此方に振り返った。男の顔はローブで覆い隠れていて見えないが、強い気迫を感じる。男は指輪を持ったままゆっくりと後ずさると、両手を前に出し、その顔を覆い隠していたローブを静かに取った。


「………っ!」


イファンは目を大きく見開く。その男は体格から予想していたようにエルフだったが、顔の半分は普通のエルフの顔でありながらも半分の肉がただれ、骨がむき出している。髪もなく、まるで死体のようだった。


「……アンデットなのか?」

「……いいえ、私は…もう既に死んでいます」

「……アンデットは死んでからなるものだろう?お前は…どうみても…」

「はい。私は死んでいます。アンデットではない……私はもう祖先の木に還るべき存在なのです。ですが、最後にあのお方…リオン様に使命をいただきました………」


男は突然優雅に礼を見せて、指輪を湖に投げ込んだ。イファンは目を見開いてから、「まさか」と呟く。


「……その指輪のトリックを聞いたのか?」

「………はい。これはただの石ではありません。リオン様が偶然見つけた石で独自で作られたもの……幻想の石です………ああ、そんなにも……ええ」


男は何か言葉を聞いたように深く頷くと、此方を向いたまま静かに湖の方に後ずさっていく。そのまま湖の中に入ると、魔法を唱えだした。湖の水は彼を包み込み、ローブのように覆い隠す。水のヴェールがゆっくりと彼の身体から消えていく。その時に彼の姿は、既に先ほどの姿とは異なっていた。


「………っ!!!」


リオンが湖の真ん中に立ち、微笑んだまま優雅にお辞儀を見せる。先ほどみた神のリオンの身体とは様子が違い、光を纏っていもいなく服はエルフ特有であったが、突然の彼の姿にイファンは驚きを隠さずにはいられない。


「………まさか……俺が会った…リオンか?」

「……イファン……すまない、君をだましてここに連れてきた。彼の中にずっと僕はいたんだ」

「彼の中にって?今のは一体どういうことだ?それにどうして男がお前に…」

「…僕の身体に居るティルセンデリウスがこの彼を殺した。僕は彼の身体を借りてここに居る。彼の魂も共にね……そして今の姿は幻想の石が見せているもの。君にはよくわかるだろう?」


その瞬間、イファンはあの夜の船の船室での会話を思い出す。あの日…リオンと共に過ごしたあの日…夜を過ごした後、彼は指輪を俺に見せた。


「…それは?」

「君へのプレゼントさ」

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