リ・スタート
神様のたまごが、一人前の神様になるための最終試験。
それは小さな世界を与えられて、上手に管理できるかどうかを試すというものだった。神様のたまごを育てる学校を主席で卒業した僕も、まさに今その試験を受けるところというわけだ。
ちなみに、神様のたまごはみんな子供の姿をしていて、僕も例外ではない。人間でいうところの、十二歳くらいの姿である、らしい。一人前の神様になれた時初めて大人の姿に成長できるというわけだ。
「リイン、よく聞きなさい。これは試験ですが、ただの試験ではありません」
僕の教官であるフラウ先生は、長い銀髪の美しい青年の姿をしている。かつて先生も同じ試験を受けて、一人前の神様に認められたという。
先生は手の上に、小さな地球を乗せて言ったのだった。
「貴方にとっては試験でも、この世界の住人達にとっては試験ではありません。起きること全てが現実で、本物です。そして、貴方はこの小さな世界の神様。この世界において、貴方は人間より遥かに多くのことができます。人を殺すこと、人の心を操ること、時間を巻き戻すこと、思いのままです」
「はい、心得ております」
「神様で何でもできるからといって、何でもしていいわけではありません。人間の可能性を見つめ、成長を促し、可能な限り最小限の干渉で最高の世界を作ること。それがこの試験の内容です。完了した暁には、私に世界を見せにきなさい。いいですね?」
「了解しました、お師匠様」
僕はまだ神様のたまごだけれど、それでも神様になるための学校を一番で卒業した“最も将来有望な神様候補”なのだ。
小さな世界を美しく作り上げるくらいわけがないこと。その時は、そう思っていた。
***
世界の作り方は、神様によって異なる。
僕はまず小さな世界を太陽からほどよい距離に移動させて回し、月を作り、海を作り、陸を作った。僕がまだ人間だった頃生きていた世界をモデルにしたわけだ。
海の中に生命が生まれ、その生命が陸に上がり、緑が芽吹き、恐竜が生まれ、恐竜が滅んで哺乳類が栄え、猿が人間に進化し――。彼等にとっては凄まじく長い時間、されど僕にとっては極めて短い時間。あっという間に人類は繁栄を遂げ、町を作り、文明を築き上げたのだった。
世界が成長してきたら俄然、直接様子を見に行きたくなる。僕は世界に降り立った。やってきたのは大きな大陸にある“イリスゲート王国”という国だ。
「わあ、すっごい花畑!」
イリスゲート王国の王都と、隣町を繋ぐ長い長い黄色の煉瓦の道。その道は、一面の花畑の中を通る。ピンク、黄色、オレンジ、水色、紫。色とりどりの花が、僕の目を楽しませてくれた。
「!」
その花畑の中には、一つの石碑が建てられていた。円錐の上に、キラキラとした宝石のような青い球体がくっついていて、何やら文字が刻まれている。どうやらこの国の守り神を祀っているものらしい。
そしてその前には、一人の白いワンピースの女の子がお祈りをしているのだった。僕は思わず見惚れてしまう。ふわふわとした長いピンクの髪に、宝石のような青い目。なんて可愛らしいのだろう。年は、八歳かそこらだろうか。その子は綺麗に編んだ花冠をお供えしているようだった。
「ねえ」
僕は思わず声をかけていた。え、と少女がこちらに気付く。
「何をしているの、そんなところで。君はだあれ?あ、僕はリイン。よろしくね」
「よ、よろしく。レアといいます」
少女は困惑したように僕を見る。見慣れない顔だからだろう。
「えっと、お祈りをしているんです。この世界に、ひとつでも恐ろしいことが起きないようにって」
彼女は鈴が鳴るような声で言った。
「イリスゲート王国と、他の国で……仲が悪くなっていっている、みたいで。もしかしたら戦争が起きるかもしれないって話があって。でも戦争になったら、町の人も、この綺麗な花畑もみんな焼き払われて死んでしまうでしょう?そんなのは絶対に嫌だから、守ってくださいってお願いしていました。みんな、一生懸命生きているのに」
「そうか、君はどんな世界になって欲しいのかな?」
「それは……うまく言えないですけど。みんなが誰かへの愛を忘れない、お互いに優しくなれる世界であってほしいと思っています。自分にはただ、祈ることしかできないけれど……」
ふんわりと微笑むレアは、天使かと思うほどに美しい。しかも、心まで純粋で綺麗とは。僕は一瞬にして、彼女のことが大好きになってしまった。
無論、神様のたまごである僕が人間と恋愛なんてできるはずがないし、もっと言えば神様は厳密には無性別だ。あくまで神様として、彼女のような人間は愛おしく感じる、という意味である。
「君はとても優しい子なんだね。じゃあさ……」
もっと彼女のことを訊こうと近づいた、その時だった。僕は、彼女のワンピースの首筋に、ひるがえったスカートの下から見えた太ももに、妙な痣があることに気付く。
「そ、その痣どうしたの!?痛そう」
「あっ」
彼女は慌ててスカートを抑えた。そして、苦痛をかみ殺した顔で――笑ってみせたのである。
「な、なんでもないんです。俺が悪い子だから、お父様がしつけをしてくださってるってだけで、それで!」
「……俺?」
僕はぞっとした。目の前の少女は、少女ではなかった。
父親に虐待され、無理やり少女の恰好をさせられていた少年であったのだ。
***
僕は憤った。
別に、レアが自分の意思で望んで女の子っぽい姿をしているならそれは何も問題ない。だが、彼は本来は“俺”と言うくらい少年らしい少年で。その自分を無理やり抑圧され、女の子のふりをさせられているのだ。しかも、殴る蹴るのみならず、夜は無理やりベッドルームに引きずり込まれていた。しかも母親は父親を繋ぎ止めるため、我が子が虐げられているのを見て見ぬふりしているのだ。
こんなことがあっていいはずがない。しかもレアはそんな不遇な環境にも関わらず、自分のことよりも世界の平和を願うような心優しい少年なのだ。
僕は決意した。一人の人間を幸せにするくらいの干渉、別にどうってことはないだろう。僕はレアの父親が、事故で崖から落ちて死ぬように仕向けたのである。何、僕の力を使えば、父親が仕事から帰ってくる時にうっかり足を踏み外すように操作するくらいわけのないことだ。
本当は母親も許せないが、まだレアは小さな子供だ。保護者の存在は必要だろうと残すことにした。
約一年後。レアが九歳の誕生日になった時、僕は様子を見に行ったのである。案の定あの花畑がお気に入りらしく、彼は石碑の前でお祈りをしていたのだった。
「レア、久しぶり!」
「!り、リイン!?」
一年ぶりに会うリインに、レアは驚いた顔をした。どうやら僕のことを覚えてくれていたらしい。ちょっとお喋りをしただけの相手だというのに、彼は記憶力がいい。
ただ。
「一年前会った君のことが心配で。様子を見に来たんだけど……」
僕は言葉を失った。おかしい。どうしてレアはまだ、白いふりふりのワンピースを着ているのだろう。この国では、男性がスカートを履く文化は定着していないはず。ピンクの長い髪も女性がするように編み込みになっているし、女の子が使うようなキラキラしたヘアピンもつけている。
「レア、その恰好好きなの?……もう、お父さんはいないんだよね?」
「……やっぱり、俺には似合わないよね、こんなの。俺もそう思う」
父さんが死んだこと知ってたんだね、とレアは苦笑した。
「本当は、半ズボンとシャツで、思いっきり走り回りたいんだけどさ、それは駄目って母さんが言うんだ」
「どうして……」
「母さんの再婚相手が、こういうの好きだからって。俺が女の子みたいな姿してると嬉しいんだってさ」
僕はレアとしばし他愛のない話をして、別れた。彼の前ではどうにか笑顔を作ったものの、僕の腹の底は煮えくり返っている。
父親を消せばそれで済む、と思っていた。でもそんな甘い話ではなかったのだ。母親はそもそも、自分と結婚してくれる男を放したくなくてレアに犠牲を強いていた。父親がいなくなれば、他の男に縋る結果は見えていたではないか。
――ならいいさ。
僕は拳を握りしめる。
――今度は、その男を殺すまでのことだ。
***
母親の再婚相手は、車に撥ねられて死んだ。
しかし彼女はレアに似て美人だったこともあって、すぐに次の男を捕まえることに成功。その男もレアに興味を持つ変態だったので、僕はそいつは食中毒で殺すことにしたのだった。
その次の男は、工事現場の木材の下敷きにしてやった。
その次の男は酔っ払いに殴り殺されるように仕向けてやった。
そんなことを繰り返せば、さすがに母親も何かがおかしいと気づいたのだろう。もしくは諦めに至ったのか。十人以上“再婚相手”もしくは“再婚予定の相手”が死んだところで手を止めた。これでやっと、レアは幸せになれるはずだと僕は思った。
しかし。
「久しぶり、レア。……って、どうして泣いているの!?」
十一歳になったレアは女の子の恰好をしていなかったが、庶民の子供にしては妙にきらびやかな服を着ていた。そして何より、石碑の前で声を殺して泣いている。
僕の姿を見た彼は、ああリイン、と呻くように言ったのだった。
「久しぶり、リイン。……俺、呪われてるのかなあ」
「の、呪われてるって」
「母さんの恋人が次々死ぬんだ。母さんはそれは俺のせいだ、俺が呪われてるからだって言うんだよ。お前のせいで、金づるも愛してくれる男もいなくなった、どうしてくれるんだって」
「そ、そんな……!」
まさかそんな、と僕は絶句するしかない。僕が男達を殺したせいで、レアがそのような疑いをかけられるなんて思ってもみなかったからだ。
「俺、売られるんだ、もうすぐ。……俺みたいな顔の男の子は“需要”があるんだって話。そこに行ったら俺はずっと……ずっと屋敷に閉じ込められて、オッサンたちの相手をさせられるんだって」
ふざけるな。僕は唇を噛みしめた。何がどうして、そんな馬鹿げた話になるのか。
自分は間違っていたのかもしれない。諸悪の根源は父親ではなく、母親の方だったのではなかろうか。腹を痛めて産んだ我が子ならば、可愛くないはずがない。愛していないはずがない。そんな風に思い込んで、あの女を生かした自分が間違っていたようだ。
――なら、お前のことも殺す。レアを愛さない母親など必要あるものか。
***
レアの母親は、気が狂って線路に落ちて死んだ。
レアは孤児院に行くことになった。彼が一番良い孤児院に行けるよう、事前に手回しをすることも忘れない。あの孤児院ならば先生も優しいし、子供達もみんな親切だ。これ以上レアが嫌な目に遭うようなこともきっとないだろう。
ああ、それなのに。
「久しぶりだな、リイン!」
花畑にて。十三歳になったレアと再会した僕は、言葉を失ったのだ。
レアは髪をボブカットの長さまで切り、体つきも少し少年らしくなっている。何より、キラキラとした笑顔を僕に向けていた。十一歳から、この二年間。彼が孤児院でまともな暮らしができていたことの証明だろう。
だが。
「なんで、軍服姿なの……!?」
彼は兵隊の恰好をして、花冠をお供えしていたのである。これか、とレアは右腕を持ち上げて告げた。
「俺、兵隊になることにしたんだ。足も速いし、体力もあるからな!この国は、もうすぐ戦争になる。その時少しでも優秀な兵士の力が必要だ。俺は大好きな孤児院のみんなや先生たちを、自分の力で守りたいんだ」
「ま、待ってよレア!覚えてないの?戦争なんて嫌だって、君はそう言っていたじゃないか!!」
「もちろん嫌だよ。でも、人一人の願いで、戦争は止められないんだ。起きてしまうというのならば……その上で、どんな選択をするか自分で決めるしかないんだよ」
彼が言うことは尤もだ。しかし、僕は承服できなかった。もうすぐ戦争になるだろうということは知っている。けれど、イリスゲート王国が他国としようとしている戦争はいわゆる“負け戦”だともわかっていた。戦場に行ったらまず、彼のような少年兵は生き残れない。ましてやこの国は、兵士の育成があまりにも下手くそであることも知っている。新兵が、ろくな訓練もなしに最前線に送られて捨て駒にされる未来は目に見えているではないか。
「駄目だよ、レア!僕、君に死んでほしくないよ!」
僕の言葉に、それでもレアは笑うばかりだった。
「ありがとう、リイン。君のような友達がいてよかったよ。でも俺は、もう決めたんだ」
レアが戦場で死んだのは、それから一年もたたずしてだった。
***
これでは駄目だ。こんな最悪の結末になるようでは、結局元の木阿弥だ。
――レアの父親たちと母親を殺したところは間違ってないはず。あの孤児院にレアを送ったところまでは正しかったはず!だったら……この国の戦争を、どうにかして起こさせないようにするしかない!
時間を戻して、戦争の種を潰すことから始めた。
そもそもイリスゲート王国と他国の戦争のきっかけは、とある島の所有権争いから始まっている。大昔の別の戦争で権利が宙ぶらりんになっていた一つの島。イリスゲート王国とランガ帝国双方が自分のものだと言ってはばからないその島から、よりにもよって貴重な燃料がわんさか出てきたのだ。
大昔の戦争のせいで、イリスゲート王国は未だに貧乏だ。なんとしてでもこの島を手に入れて強国に返り咲きたい。そのためにはランガ帝国が邪魔だ、と自ら戦争を仕掛けにいってしまうというのがおおよその流れである。そして、最終的にはあっけなく返り討ちにあってしまうというわけだ。その最中で、レアも戦死してしまうのである。
戦争を始めると言い出した国王を暗殺し、穏健派の王子を国王に据えてみた。しかし、その王子も軍部の人間に丸め込まれて結局戦争の道を突き進んでしまう。
ならば戦争をした軍部の連中を一掃すればどうか?そうなると、軍部が大混乱に陥り、結局戦争をするべき派とやめるべき派で内乱が勃発。そうこうしているうちに逆にランガ帝国に侵略されてしまうという結果に陥った。
そもそも島を手に入れなければイリスゲート王国はじり貧である。貧乏がすぎて、国民達が飢えて内乱が起きて自滅の道へ突き進んでしまうということもわかった。どんなルートを辿っても、結局レアは救われない。
――もっと、もっと大規模に改変しなきゃ。時間を戻し、邪魔者を消して、それで、それで。
僕は、いつの間にかフラウに言われたことをすっかり忘れてしまっていた。レアを幸せにするという名目で、世界を自分の思い通りに動かすことに躍起になっていたのである。
最終的には、“平和を愛し、優しく、他国と上手に交渉して戦争に勝つか早期講和を結べる王様がいればいい”という結論に落ち着いた。僕は、人の心を操り、時間を捻じ曲げ、法律を変え――レアを王様にするように誘導したのである。彼が王様になればきっと、優しく美しい世界が出来上がるはずだと。
そう、思っていたのに。
「やあ、久しぶりだな、リイン。我が友よ!」
ニ十歳になったレアは、玉座に座って笑った。
「俺はやるぞ。世界を我が国が統べ、それにより争いをなくしてみせる!そのためには多少の犠牲はつきものだ、そうだろう?」
「れ、レア……」
歪み歪んでしまったものは、元に戻らない。戦争に負けなかったことで、イリスゲート王国は過激な軍国主義を突き進んでいた。そしてレアは、“この世界を統べてイリスゲート王国が支配することで平和を実現する”という夢を抱いてしまっていたのだ。
その道の途中には、恐ろしい数の屍の山が転がっているに違いないのに。
***
「……僕は、何を間違えたのですか」
リインはついに、フラウに泣きついた。
「レアが言う、優しくて、愛に満ちた世界を作りたかった。そしてレアを幸せにしたかった。それなのに、どうしてこんなことになってしまうのですか!」
「リイン……」
フラウは、悲しそうな眼で僕を見下ろす。
「……そもそも、優しいとは何だったのでしょうね」
「え」
「正義とは、悪とはなんでしょうか。それは一つしか存在しないものでしょうか。……誰かにとっての正義は、誰かにとっての悪なのです。それこそ、貴方が邪魔だと思って消してきた人達にも家族はいて、貴方は彼等の幸せを指先一つで消してきた。……それは果たして、誰の目から見ても正義だったのでしょうか。彼等にとって、貴方は悪魔でしかなかったのではないでしょうか」
「そ、それは……」
「絶対的に正しいことや、完璧なことなんて何もないのです。貴方は、それが見えていなかった。違いますか」
「ぼ、僕は……」
「貴方は少しでも、レアの、そして人々の可能性を信じましたか」
そうだ。どうして僕は、気づかなかったのか。レアが歪んでしまったのは、間違いなく僕のせいではないか。僕は彼を幸せにするつもりで、本当は不幸にしていたのではないのか。
『それは……うまく言えないですけど。みんなが誰かへの愛を忘れない、お互いに優しくなれる世界であってほしいと思っています。自分にはただ、祈ることしかできないけれど……』
ああそうだ、どうして忘れていたのだろう。
彼はあんなに悲惨な境遇であってもなお、己の苦しみよりも、世界の幸せを願っていた。それができる少年だった。
それは彼が、彼自身の手で苦しみを打ち破ろうとしていたからではないのか。誰かに頼らず、祈らず、己の手で未来を。
確かに、彼の父親がとんだクズだっただろうし、死んで当然だっただろうと今でも思うが。本当に僕が彼のためを思うならば、あっさり父親を消して救ったつもりになるのではなく――彼が自ら運命を切り開けるよう、それとなく助力するのが最善の道だったのではないか。
戦争や、国のこともそう。僕がもし、人々の生きる力を信じていたなら。敗戦後に復興して素晴らしい国が出来上がったのかもしれないし――レアがたとえその過程で命を散らしても、彼は心から幸せだったと笑って死んでいくこともできたかもしれないのに。
「……お師匠様」
頬を伝う雫を拭い、僕はフラウを見上げて言ったのだった。
「もう一度。……もう一度僕に、チャンスをくれませんか」
何度目になるかわからない、再出発。僕はもう、神様であることに驕らない。信じることを諦めない。
『久しぶり、レア』
『え、どちらさま、ですか?……どうして俺の名前を』
『君にとっては初めましてでも、僕にとっては久しぶり、なんだ。僕の名前は、リイン。友達になってくれないかな』
そして今度こそ、君と本当の友達になろう。
その可能性と未来に、祈りを捧げて。