第六話 解釈違い
というかアリスリリアばかり右往左往しているが、入れ替わっているのは彼女だけではないのを忘れていないだろうか?
「流石にこれ以上引きこもるのは無理がありますわよね」
ちょっと元気がない程度だから医療術師を呼ぶほどではない、ということにしてアリスリリアの身体を操るシェルファは部屋にこもって使用人と接触しないようにしていた。いつもなら食堂でとっている食事も部屋で済ませて万が一にも使用人と顔を合わせないようにしていたのだ。
だがそれも三日目ともなると流石に医療術師を呼ぶのが自然だ。怪我と違って病気は魔法でもそう簡単には治せない。
ちょっと風邪をひいただけでも、運が悪ければ死に至ることだってある。魔法にしろ薬学にしろ、今の技術力では軽い病からでさえも死の危険性を根絶できてはいない。
そんな中、仮にも公爵令嬢という身分で『ちょっと元気がない』状態を何日も放っておけというのは無理がある。これまでは部屋から出ずにどうにか誤魔化していたが、これ以上は本人が何と言おうとも周囲が放ってはおかないだろう。
少なくとも当主に判断を仰ぐくらいはするはず。
そうならない限界ギリギリまで粘ってみたが、入れ替わりに関する解決策は見つからなかった。
こうなるとシェルファにも使用人たちの前に出てもらう必要がある。アリスリリア=ブリュンフィル公爵令嬢として、だ。
「しかしこれをわたくしということにして使用人に見せるというのは、いえそれしかないのはわかっているのですけれど」
「……?」
「不安しかねえーですわあ……っ!!」
「???」
状況がわかっているのかいないのか、お面のような顔で見返してくるシェルファ。
この三日で一応は対策も考えた。
入れ替わっていることを口外しないこと、そしてとにかく必要最低限のことしか喋らないように徹底するくらいの、策とも呼べない対策ではあっても言い聞かせるのは大事だ。そうしないと鈍臭いポンコツメイドのことだからボロを出しまくるのはもちろん、ぽろっと入れ替わりの事実を口にすることだってあり得るのだから。
「いいですか? これからシェルファにはアリスリリア=ブリュンフィルとして生活してもらいます。余計なことはせずに、必要最低限健康に過ごしていることが確認できる程度に姿を見せればそれでいいのです。断じてわたくしと入れ替わっているなどと口を滑らせないように!!」
「うん……。さっきから同じことばっかり」
「これくらい言わないとボロを出しまくるから念押ししているのですわよっ!!」
朝。
とにかくいつものアリスリリアらしく私室ではなく食堂に足を運んで使用人たちに健康なのだと見せつける──その一歩目として部屋の扉を開けて外に出た瞬間であった。
どんっ!! と真横から勢いよく(アリスリリアの身体を操る)シェルファにぶつかる影が一つ。つまり今はアリスリリア=ブリュンフィルということになっているシェルファに使用人の一人が突っ込んできたのだ。
茶髪をポニーテールにまとめて、健康的に日に焼けて活発そうな少女だった。シェルファと同じく十代前半の彼女の名はフレア。アリスリリアが拾った平民であり、庭師見習いとして本邸で働いている。
活発そう、という印象の通り他の使用人と話している時は天真爛漫な様子ではあるが、アリスリリアが声をかければ決まって怯えるように震えるのが常だった。アリスリリアの普段の態度が態度なのでそこに疑問を持つことはないが。
さて、普段のアリスリリアであれば使用人風情がぶつかってきようものなら『下賎な平民ごときが何をやっているのですか!』と叱責しているところだが、今の『中身』はシェルファだ。
ポンコツメイドの身体と違って鍛えているので体感がしっかりしているからだろう、よろめくどころかフレアを抱き止めて、ゆっくりと口を開く。
「大丈夫? 怪我はない?」
「う、え? ……あの……怪我は、ないっすけど」
「ならよかった」
よかったじゃねえーですわよお!! と思わず絶叫しそうだった。
ポンコツメイドに演技力なんて期待してなかったのでアリスリリアらしく完璧に振る舞えるとまでは思っていない。だがせめて余計なことは口にしなければ何かあっても機嫌が悪くて無口なのだと周囲が勝手に解釈してくれたはずだ。今などまさしく黙っていれば向こうが平謝りしてそれで済んでいたのだ。
まかり間違ってもアリスリリア=ブリュンフィル公爵令嬢は使用人に『大丈夫?』とか『怪我はない?』とかそんな風に声をかけない。使い捨ての消耗品をどうして気にかけなければならないというのか。
現に庭師見習いのフレアは驚いた顔でアリスリリアの身体を操るシェルファを見ている。いつもと違って優しいとでも思っているのだろう。
使用人の好感度を稼ぐつもりなど微塵もないし、そもそも普段から好きに使っているのだから好かれるわけがないし好かれるつもりもないのだが、アリスリリア本人じゃなくて『中身』がシェルファの状態のほうが好かれるというのはそれはそれで複雑な思いがなくもない。
勝手な自覚はあるが、それはそれとして、だ。
だから。
だから。
だから。
「なんかそーゆーのは解釈違いなんすけど!?」
…………。
…………?
…………???
思わず、だ。
まさかアリスリリアにだけ震えるほどに怯えていたはずの少女からそんな叫びが返ってくるとは思わず、思考が停止してしまっていた。
「お優しいお嬢様とか花がない花壇っす!!」
いやそれはもう単なる地面だと言いたくなったが、まあつまりそれくらい違うと言いたいのだろう。……これは褒められているのだろうか? 嫌味ではなくて???
「とにかく口を開けば平民なんて塵芥としか思っていないような罵詈雑言が飛んでこそお嬢様っすよ! そのお心はどうであれっすね。ハッ!? やはりまだ具合が悪いんすか!? 医療術師様呼んだほうがいいっすか!?」
「わたし……わたくしは元気いっぱいだから、心配しなくていい」
「うわあん!! そんなお言葉かけてもらえるのは光栄っすけど、やっぱりらしくないっすよ! いつものように罵倒してほしいっす! 何せお嬢様の罵倒は五臓六腑に染み渡ってちょー気持ちいいんすから!!」
……少なくとも入れ替わり云々がバレる心配はなさそうだが、声をかけたら毎度のように震えていたのは怯えではなくて斜め上の方向に喜びに打ち震えていたのかと唖然とするアリスリリアであった。
ーーー☆ーーー
ちなみに庭師見習いであるフレアの言葉に何かしら裏とか思惑とかそんなものはない。
『これ、使いものになるようにしなさいな』というアリスリリアのゾクゾクするほどに冷たいあの声を聞いた瞬間からただ単純にありったけの罵詈雑言をぶつけてほしいだけだ!!
「しまったっす。ついうっかり素を出しまくっていたっす。いやもうここまできたら我慢するのも無駄っすよね、そうっすよ、バレたならばはっちゃけないと損っす!! というわけでお嬢様っ。もう何でもいいっすからとにかく私を罵倒してくださいっす!!」
「そう言うなら……ええと、ばーか」
「かわいい!! あのお嬢様がそんな貧弱な罵倒を口にするだなんて、普段とのギャップでかわいさしかないっすからね! お嬢様からならギリイケる、いや、でも、そうっす罵詈雑言は痛いくらいがちょうどいいんす心が折れるほど悪辣な言葉でコテンパンにぶちのめしてこそなんすよお!!」
「じゃあ……あほーまぬけー」
「やっぱりかわいい!! 本当どうしてしまったんすかお嬢様あ!?」
と、そんな二人の会話を聞きながらシェルファの身体を操っているアリスリリアは一歩後ろを歩きながら、もう散々な有様に頭を抱えるしかなかった。
(ここからどうやって誤魔化せってんですか、もお!!)
これがアリスリリアの背中を刺すために鈍臭いフリをしてわざとやっているというなら対処のしようもあるが、あのシェルファだから大真面目でやらかしている可能性のほうが大きい。だからこそ困りものなのだが。
あの時こんな石ころを拾ったばっかりにアリスリリアの人生は随分と騒々しくなったと、とにかく思いきり叫びたい気分だった。