第五話 アーカイブ・リミテーション
遥か昔、知の魔女という魔法使いがいた。
大陸を統一した女帝の側近として最も寵愛されていたと言われている彼女は己の知識欲を満たすためにその立場を使って世界中のありとあらゆる本を集めようとした……が、次々に集まる本の山を見てこう思った。『ここまで多いと死ぬまでに読みきれないかも?』、と。
だから彼女はある魔法道具を生み出した。
無数の本の内容を記録することができる魔法道具。本の形をしたその魔法道具でいついかなる時でも記録した本が読めるだけでなく、検索機能まで備えることで望む知識を瞬時に呼び出せる魔法道具を、だ。
すなわち『アーカイブ』。
魔法全盛期の黄金時代において知の魔女のハンドメイドによって作られた、今なお完全再現は不可能なほどに精密な遺産の一つである。
魔法のような超常現象を引き起こす魔法道具ではあるが、大陸が統一されていた黄金時代の中でも最たる賢人であった彼女特性の魔法道具は現代に至っても劣化させての模倣が限界なほどには複雑であった。それほど知の魔女が飛び抜けていた証拠でもあるのだが。
それでも劣化版であれば現代でも作ることはできる。
というか『アーカイブ』を劣化版とはいえ歴史上初めて再現したのがアリスリリアだったりするのだが。
「ふっふ」
『アーカイブ』を含む七つの黄金時代の遺産の劣化版魔法道具『リミテーションシリーズ』、そして十八の新規の魔法道具を作り出したアリスリリアはその製造・販売の根っこを牛耳ることで巨万の富を得ている。
『リミテーションシリーズ』にしても新規の魔法道具にしてもアリスリリアが作り出す魔法道具は今までの魔法道具と違って比較的簡素な構造になっている。すなわち量産しやすいのだから。
しかも『アーカイブ』の劣化版である『アーカイブ・リミテーション』はまだそこまで影響はないかもしれないが、他の『リミテーションシリーズ』や新規の魔法道具は人々の生活をより便利に過ごしやすくするための力があるものもある。スイッチ一つ切り替えるだけで光を灯したりお湯を沸かす新規の魔法道具を知ればいちいちロウソクや薪に火をつける生活になんて戻れるわけがない。
とはいえ、黄金時代の遺産のようにどれだけ便利でも圧倒的に数が足りずに量産もできなければ広まることもなかったところを、(魔法道具にしては)簡素なためにある程度技術がある者であれば誰でも作れるようになれば数を補うことも可能であり、その分多く製造・販売することで人々の生活になくてはならないものとして根付きやすくなる。
人は一度便利なものを知れば、それがなかった生活には戻れない。壊れれば必ずや買い換える流れができれば、製造技術の根っこを牛耳っているアリスリリアが稼ぎに稼ぎまくることができるのも当然のことだった。あるいは単純に製造・販売してもいいし、信用できる魔法道具技師を抱える組織に製造技術の一部を提供する代わりに使用料を差し出すよう契約を結んでもいい。ここまで流れができれば後は何もしなくても金のほうから舞い込んでくるようになるのだ。……まだ貴族や裕福な家庭に広まっている『だけ』なので、ここからさらに富は増えることだろう。
時代は今まさに転換期を迎えている。
アリスリリア=ブリュンフィル公爵令嬢を中心として、だ。
そんなアリスリリアの金遣いがいくら荒くても誰も何も言わない。何せ自分で稼いだ金を使っているだけなのだから。
「ふふっふ!」
さて、ブリュンフィル公爵家本邸、その地下には巨大な書物庫がある。歴代の当主が集めたそれらは規模だけなら王都にある王立図書館にだって匹敵することだろう。
とはいえ、本邸の地下を埋めるがごとく巨大な書物庫は特定の内容の本を探すだけでも時間がかかる。そして、そんな労力と時間を費やす時間はない。
だからこそ魔法道具『アーカイブ・リミテーシャン』の出番なのだ。アリスリリアの手にある一冊の本の形をした魔法道具。これには本邸地下の膨大な本の内容を全て記録させている。オリジナルと違って記録した本と距離が離れれば記録内容が消えるので例えば王都の王立図書館の書庫を丸々記録するなどはできないし、記録容量に制限はあるし、読み込みにも多少時間がかかるが、それでも普通に探すよりは遥かにマシだ。
というかアリスリリアがノリで再現しただけで他の『リミテーションシリーズ』と違って使い勝手はそこまで良くないのだが、アリスリリアとしてもまさかこんな風に役立つ時がくるとは思ってなかった。
何はともあれ手元に便利な道具があるなら使わない手はない。望む内容の本を検索し、入れ替わりの原理を紐解いて解決あるのみである。
「ふはーはー!! 入れ替わりなどという不条理は今日ここまでですわ!! 今すぐに解決策を見つけ出してやりますわよお!!」
「おー」
アリスリリアの私室にて人の身体を操っていようとも相変わらずお面のような顔のシェルファと一緒に『アーカイブ・リミテーション』を開く。
とりあえず一ページ目の空欄に『魂の入れ替わり』と書いて検索することに(ちなみに書いた文字は検索が終わったら自動で消えるようになっている)。
検索結果は次のページに件数と本のタイトルが並ぶ仕様になっている。気になるタイトルを指でなぞればさらに次のページにその本の中身が表示されるというわけだ。
だけど……。
「娯楽小説しかヒットしないですわね。少し直球すぎましたか」
そもそも『中身』の入れ替わりというものはアリスリリアが知る中では確認されていない未知の現象なのだ。そう簡単に解決策がポンと現れるとは思っていない。
だが、何かしらヒントくらいは見つかる……はずだ。
これまでもうっすらと確認できた中でも既存の法則に則っている気配はあるのだから。
例えば魔法。
アリスリリアの培ってきた魔法がシェルファの肉体に乗り移った今でも問題なく使用できている。つまり魔法の核となる魂そのものが入れ替わっているというのが最有力候補となる。
そもそも魔法とは身体が秘める生命力のような超常エネルギー、すなわち魔力を特定の回路に流し込んで超常現象に昇華させたものだ。
そしてその回路は肉体ではなく魂に依存している。
魔法の習得とはすなわち魂に回路を構築することに他ならないのだ。
何度も何度も魔力を流し込むことで魂に傷をつけることで『道筋』を描き、もって魔法を具現するに必要な回路を構築する。初級程度なら魂の表層を魔力で傷つけるだけでいいので比較的習得しやすいが、高難易度になるほどに魂の深部まで傷つけなければならないのでより繊細な技術が必須となる。
重要なのは魔力量ではなく魔力コントロール能力であり、貴族の血筋は先天的に魔力コントロール能力が高いからこそ高難易度の魔法を扱えるのは貴族に多い。……ちなみに入れ替わっている今のアリスリリアでも魔力コントロール能力は元のままなのでそちらに関しても魂に依存しているようだ。逆に魔力量に関しては生命力を変換しているので肉体依存のようだが。
そう、魔力コントロール能力や魔法を具現化するための回路は魂依存、魔力量に直結する生命力は肉体依存だからこそ入れ替わってもアリスリリアは今まで使えていた魔法を問題なく使えたというわけだ。
だからこそ入れ替わっている『中身』は魂だというのは正しいと考えて問題ないだろう。
どうやって? という部分は不透明にしても。
というか魂が具体的にどういうものか、なんてわかっていないのだから入れ替わった『中身』の正体がわかっても解決策には結びつかない。
腕はどういう仕組みで動いているのか理解していなくても何となくで腕が動かせるように、魂に傷をつけて回路となして魔法を構築すること『は』できても魂そのものについて完全に解明できている必要はないのだ。
「む、むむっ」
だから大事なのは入れ替わりの原理そのものだ。
魂を出し入れする仕組み。この未知の現象に関する何か、せめてヒントだけでも手に入れられれば。
「むむむうっ!!」
だから。
だから。
だから。
「むーあー!! 全然まったくこれっぽっちもわからねえーですわあーっ!!!!」
というわけだった。
そもそも未知の現象だっつってんだからちょっと家にある本を読んだだけで解決策やそのヒントがポンと見つかれば苦労はしない。
「本当はわかっていましたわよ。そんな簡単にいくわけないということは。それでももしかしたらって期待していたのですわよ!! 結果は普通に無理でしたけれどねっ!!」
そもそも一ヶ月後のパーティーに間に合うかどうかもわからないと最初の最初からわかっていて、だからこそ最悪の場合は入れ替わったまま第一王子主催のパーティーを乗り切る必要がある。そういう前提があるくらいなのだからここでポンと事態が好転する可能性は限りなく低かった。
わかっていた。
それでも、だ。
「まさか一生入れ替わったままとか言わないですわよね? このわたくしが、アリスリリア=ブリュンフィルがポンコツメイドとして一生を終えるとでも!?」
一日で思い知らされた。
自分にメイドとして生きていくことは不可能だと。
プライドとかそれ以前に向いていない。まだ慣れていないとか、回数をこなせばうまくできるとか、そういう話ではない。根本的に裏方の地味な作業が苦手なのだ。どうあっても慣れることができるとは思えなかった。
「アリスリリアさま」
「何ですわよっ」
「大丈夫」
一言だった。
いつものお面のような顔で、感情なんて一切読み取れないその顔で、人の身体を操ってシェルファはそう言ったのだ。
根拠なんて何もない。
理屈なんて伴っていない。
単なる鈍臭いポンコツメイドの慰めでしかないのは明らかで。
「アリスリリアさまなら絶対に大丈夫」
だけど、なぜだか。
そんな言葉一つで不安に苛まれていた心が冷静さを取り戻していく実感があるのだから不思議な話である。
「……、ふん。ポンコツメイドごときが生意気ですわね」
まだ一日目だ。
魂の入れ替わり。未知の現象に対する解決策を探るにしてもまだまだやれることはいくらでもある。
絶望するのは全て試し終えてからでも遅くはない。
こんなところで挫けるほどアリスリリアという令嬢は弱くはないのだ。
「このわたくし、アリスリリア=ブリュンフィルを舐めるでないですわっ。大丈夫? 当たり前ですわよ!! 何せわたくしですからね! 入れ替わりの一つや二つ、楽勝で解決してみせますわあ!!」
「うん。アリスリリアさまはそうじゃないと」
「ふっふん!」
「いつものドヤ顔が一番」
「ドヤ顔!?」
ーーー☆ーーー
ちなみに翌日、(メイドの仕事一つから逃げ出すだなんてアリスリリア=ブリュンフィルの名が廃ると)半ば意地でメイドたちと合流したアリスリリアは先輩メイドであるミーネに思いきり抱きしめられていた。
「昨日はあの後大丈夫だった? ねえねえシェルファあーっ!!」
「むっむふっ!?」
「そうよね心配よねだから手がつかないよねわかっていたのに私は何もできなくて先輩失格よでも今は思いっきり受け止めてあげるからさあ全部吐き出していいのよさあさあっ!!」
「むっふうーっ!!」
……吐き出すも何も無駄に豊満な胸に顔が埋まって声を出すこともできないと、ジタバタ暴れてもびくともしない抱擁に悶絶(窒息の危機的な意味で)するアリスリリアであった。