第二話 ポンコツ、あるいは腹黒な確信犯?
入れ替わり。
人格だの精神だのとにかく『中身』が入れ替わっている現状に対する前例は(アリスリリアが知る限りでは)存在しない。
これが放っておいても元に戻る類のものであればいいが、そうでないのならば解決策を探し出さない限りはこのままだ。
今日明日に解決する可能性は限りなく低い。
どうしても解決には時間がかかるとなると、周囲に現状を教えておくか否かは今後に大きく影響を及ぼすだろう。
現状を知る者が増えればそれだけ協力者が増えてその分だけ解決に近づくかもしれない。だが、それは背中を刺されるリスクと引き換えだ。現状を利用すればいくらでも悪意ある企みを実行することができる。
この人は信頼できると秘密を明かすのは簡単だが、その認識が間違っていて背中を刺される可能性だってあるのだから。
「わたくしたちが入れ替わっていることは誰にもバレないようにしますわよ」
「なんで?」
「わざわざ自分から弱点を晒す必要がないからですわよ」
「相談すればみんなアリスリリアさまのために動いてくれると思うけど」
「ちなみにそのみんなというのは?」
「屋敷のみんなだけど」
「ぜっっったいにバレてはいけない連中ではありませんかっ!!」
アリスリリア=ブリュンフィル公爵令嬢は王国でも最高峰の王立魔法学園に通っている。王都にある王立魔法学園が長期休暇中ということでブリュンフィル公爵家がおさめる領地内の本邸に帰ってきていた。
ただし当主も姉もしばらく本邸に帰ってくることはないが。
つまり今現在この場にはアリスリリアと平民の使用人だけなのだ。
そう、これまで散々素顔を晒して荒く使いまくってきた平民の使用人たちが現状を知ればどう行動するかなど想像にがたくない。
それこそ直接的に危害を加えてくるくらいならこれまで鍛え上げてきた魔法でもって平民どもを薙ぎ払うことはできる。
だが、もしも入れ替わりという現状を敵対貴族に売り払うような真似をされればどうなるか。平民の拙い抵抗なら難なくねじ伏せられようとも、力ある貴族が悪意ある企みを実行すればねじ伏せるのは面倒になる。
現状を知ればこの際に日頃の恨みを果たそうと考える者は多いだろう。だからこそ現状は使用人たちに決してバレてはいけない。
ただ、そうなると、だ。
これまで散々酷使してきたポンコツメイドが裏切る可能性は高いのではないか?
よりにもよって一番背中を刺してくるリスクが高い女に自身の身体を奪われている現状は決して好ましくはない。
鈍臭いポンコツメイドが余計なことを思いつく前に入れ替わりを解決する手段を見つけ出す必要がある。
「とにかく! わたくしたちが入れ替わったこと、誰にも言ったら駄目ですからね!?」
「アリスリリアさまがそう言うなら、従う」
「絶対の絶対ですからね!?」
「だから、従うよ」
何を考えているのかわからないお面のような顔で頷くシェルファ。信用なんてできるわけがない。シェルファ自身がというよりはアリスリリアのこれまでの行いが、ではあるが。
「あ、そうだ。当主様やエリスリリア様にも?」
「……それこそ愚かな選択ですわよ。これ幸いとわたくしの首を狙ってくるでしょうが」
「?」
とにかく、だ。
入れ替わりを解決する手段を探るのはもちろん、この訳の分からない現状を誰にもバレないよう立ち回る必要がある。
今度どうしていくか大雑把でも方針を決めようとした、その時だった。
コンコン、と。
扉をノックする音が響いた。
『お嬢様。そろそろ朝食のお時間ですが、どうかされましたか?』
扉の外からの声は女のものだった。正確にはポンコツメイドの先輩にあたるメイドの声である。
「あ、ミーネ」
『なっ!? おっおぉっふ、おおっお嬢様が私の名前を呼んでくださった!?』
「ばっ、ちょっと、このばかっ」
できるだけ声を抑えながらシェルファの口を塞ぐアリスリリア。
『中身』はシェルファでも今の身体はアリスリリアのものなのだ。だからこうして扉越しに声を出せばシェルファの発言がアリスリリアのものだと捉えられる。
向こうに聞こえないよう小声でアリスリリアは言う。
「このゴブリン以下の低脳馬鹿っ。余計なことを言うのではありませんわよっ。わたくしたちが入れ替わっていること忘れてやがりますわけ!?」
「そんな早く忘れないよ」
「忘れてねえーなら確信犯ですか? その鈍臭さは実は高度に知的な演技だったってオチですか!?」
「……?」
「ああもうっ。とにかく黙っていなさい。わたくしが何とかしますから!」
「アリスリリアさまがそう言うなら」
どうにかあたまゆるっゆる(あるいは腹黒な確信犯)のポンコツメイドを黙らせて、扉に視線を向け──
『ハッ!? あまりの展開にぶっ倒れるところでした。ええと、お嬢様。とりあえず開けますね』
「わっ、ちょっ、わあ!?」
今まさに扉が開く瞬間だった。そこにアリスリリアは飛び込んでドアノブを掴んでどうにか中に入ってこないよう押さえつけることに成功した。
……慌てて見られるのを阻止したが、よくよく考えれば入れ替わっているのは『中身』だから部屋の様子を見られても問題ないのでは? とも思ったが、シェルファという『中身』に引っ張られてアリスリリアの身体はお面のような表情を晒している。もう違和感しかないので、これを見られるのはできれば避けたほうがいいだろう。見るからに何かあったと喧伝しているも同然なのだから。
『シェルファ? いきなり素っ頓狂な声を出して、どうしたのよ? 早くお嬢様のご尊顔を拝みたいんだけど』
(ひいっ!? これはまさか何か起きているかもと察しているんですか!? 下賎な平民のくせに生意気ですわよっ!!)
冷や汗がダラダラだった。
こんなの絶対に中に入れてはいけないとドアノブを掴む両手に力を込める。
「あの、あのあの、そうっ! わたくし……じゃなくてアリスリリアさまはちょっと疲れているからもう一眠りしたいみたいですわ、じゃなくてしたいみたい、そうそう、そうなの!! あ、別に疲れているといっても大袈裟な話じゃないから医療術師とか呼ぶ必要はなくて、昼まで寝ていればそれでいいわけで、だから一人にして欲しいみたいで、とにかく今日の朝食はなしで!!」
『シェルファ……なんかいつもと違くない? めっちゃ喋るし』
「……ッ!?」
焦りすぎた、と喉が干上がるアリスリリア。
いくら特殊な状況下であったとはいえ今の対応は最悪だ。こんな有様ではポンコツメイドのことを責められない。
だから。
だから。
だから。
『いや、まあ、そうね。シェルファがそうなっちゃうのも仕方ないか』
それじゃあみんなにはそう伝えておくから、とそう言って扉の向こうのミーネは立ち去っていった。しばらく待ってから僅かに扉を開けて周囲を見渡したが、どこかに隠れて様子を窺っている様子もない。
「な、なんとかなった、のですか? でも、どうして???」
様子がおかしいともっと追求されるかと思ったが、こうもすんなりいくとそれはそれで心配になってくる。
「ま、まあ、ひとまずどうにかなったのですから今度のことを決めるとしましょう。今の有様ではそう何度も誤魔化せるわけがありませんからね!」
ーーー☆ーーー
ちなみにシェルファの先輩メイドであるミーネはうきうきを隠さずに廊下を歩いていた。
大陸でも一般的な平民の身体的特徴である腰まで伸びた黒髪を軽やかに揺らして、嬉しさに潤む黒目を拭いながら、溢れて止まらない感情が声になって漏れていた。
「やったやったっ。お嬢様が私の名前を呼んでくれたよっ!」
それがほんの気まぐれだとしても、こんなに幸せなこともない。
「それにしてもシェルファも相変わらずよね。お嬢様が問題ないって判断しているなら心配する必要もないだろうに、まあ、うん。シェルファらしいよね」