第十四話 勘違い
第一王子アギト=ラギアグルは一分もしないうちに帰った。何やらシェルファは乗り切ったとでも言いたげな空気を出しているが、後ろのほうに控えていたアリスリリアは今にも舌打ちをこぼしたい気分だった。
(あの野郎、何を見極めやがったのですか?)
用は済んだ、とあの男は言った。
何かを命じたわけでもなく、しかし目的は達したというのだ。
つまりアリスリリア=ブリュンフィル公爵令嬢と会うこと、たったそれだけのことで『何か』果たしたというのならば。
(まさかあの野郎がわたくしとシェルファの『中身』を入れ替えたのですか? 理屈を抜きに本能で最適解を導くような怪物ならば『入れ替わり』などという未知の力をどこかから手駒に加えていても不思議ではありませんしね)
頭がいいというのも考えものだ。
裏の裏の裏を、と深読みしすぎてあらぬ方向に突き抜けていた。
……第一王子は単に惚れた女の顔を見に来ただけなのだが、王族の一角がまさかそんな理由で動くわけがないとそもそも考慮すらしていないのだから無理もないが。
(何らかの方法でわたくしたちを『中身』を入れ替えた。その成果を確認するためにやってきた。そう考えれば全ての辻褄が合いますわ!!)
合ってしまったのが問題だった。
もう素直に好意を出していればまだ違っただろうに。……それはそれで普通に振られて終わりになっていたとしても、だ。
(自分が黒幕だとバレても構わない段階にまで進んでいるというわけですか。『公爵令嬢』であれば下手に手出しできなくても『平民のメイド』という枠に押し込めばわたくしを手中に収めて魔法道具開発技術を掌握できるとでも考えているのですか? ……舐めてんじゃねえーですわよ。そっちがその気ならわたくしだって徹底的に抗戦してくれますわよ!! 一国の王子程度が保有する戦力でわたくしを捕縛できるわけがないと圧倒的な蹂躙でもって思い知らせてあげますわあ!!)
放っておいたら先制攻撃とか言い出しそうな勢いだった。慈愛に満ちた令嬢だとか社交界でも燦然と輝く優雅な淑女だとか『外面』がどうであれ、本来の彼女はたった一人で犯罪組織を撃滅してシェルファを拾ってきたような気性の持ち主だ。
やるというなら相手になる。
例え最悪の場合は一国の軍勢を敵に回すことになるとしてもお構いなしだった。
だから。
だから。
だから。
「アリスリリア様はお兄様のことをどう思っているんですか?」
「多分どうとも思ってない……いないですわね」
サラッとぶっ込んでくれた。
もうここまでくるとわざとやっているだろうと言いたくなった。
王女エリシアの問いかけに馬鹿正直にアリスリリアの気持ちを代弁するシェルファ。それが当たっているのがまた気に食わないが、そもそも聞かれたからといってそんな答えを正直に答える馬鹿がどこにいるというのか。
腹黒な確信犯ならまだしも、ここまできてもポンコツの可能性も十分あるのがシェルファだった。
「つまり恋愛感情はないんですね?」
「もちろん、ですわ。アリ……わたくしがわたくし以外の人間を好きになることなどあるわけないのですから。それでも、わたしは……」
何事か言いかけて首を横に振るシェルファ。
しかし奇妙な質問だった。別にアリスリリアは第一王子に向けて好意があるような素振りはしたことがないはずだ。
それなのにどうしてそんな問いかけが向けられるのか。王女エリシアは入れ替わりに関してどこまで知り得ているのか、その件に関して第一王子と情報を共有しているのか、と探るように見据えるアリスリリアだが、そもそも根本から勘違いしているのだから何も見えるわけがなかった。
「そう、ですか」
その困ったような表情の意味をアリスリリアはついぞ見抜くことはできなかった。
その後もいくらか言葉を交わして、最後にシェルファに何事か耳打ちしてから王女エリシアも帰っていった。
最後は何を言っていたのかアリスリリアが聞くと、
「『それ』は何だって」
「は?」
続く言葉にアリスリリア=ブリュンフィルは目を見開いた。
そういう話であれば──
ーーー☆ーーー
それから数日後のことだ。
『誰か』は思考を回し、今後に思いを馳せる。
運が良かったのか悪かったのか、仕込みは想像の遥か上をいく結果を残していた。
基本的な方針は当初の予定通りだが、ここまでの成果があるのならば使わない手はない。
アリスリリア=ブリュンフィル公爵令嬢。
あの日、あそこまで大きくした組織を単騎で粉砕した恨みもあるが、それ以上に役立つのならば利用して使い潰して骨の髄までしゃぶり尽くして、その後に存分に復讐するとしよう。
さあ、全てはここからだ。
スレイブプロジェクト。あの日アリスリリアによって止められた時計の針を他ならぬアリスリリアの手で進めよう。
その果てにあらゆる存在は絶対的な支配者に傅くことになるのだ。