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第十話 夢での追憶 その三


 アリスリリア=ブリュンフィル公爵令嬢。

 ブリュンフィル公爵家のご令嬢という高貴な身分でありながら犯罪組織をたった一人で壊滅させ、囚われていたシェルファを拾ってメイドとして保護してくれた人間。


 それだけなら底抜けの善人という話なのだろうが、それにしては使えないだのとんだガラクタを拾っただの突きつけてくる言葉には優しさが微塵も含まれていない。


 この時点でのシェルファが実際にその目で見たわけではないが、『外』では誰もが褒め称えている完璧な淑女という話を聞いている。屋敷では我が儘で高慢な令嬢そのものだが。


 どれが本当のアリスリリアなのかもわからない。

 シェルファをあの地獄から掬い上げてくれた人間のことを知りたいと望むのはそうおかしなことでもないだろう。


『へーいっす! 元気しているっすかシェルっちー!?』


 庭師見習いのフレア。

 茶髪をポニーテールにまとめて健康的に日に焼けた彼女は人見知りとは無縁であり、初対面の時から今のようなテンションで話しかけてくるものだった。


 まるで古くからの親友かのように誰とでも仲良くできるのが彼女なのだろう。シェルファには絶対に不可能なことだった。


『フレア』


『へいへーいっす』


()()()はどんな人間なの?』


『うおうっす。シェルっちがそんなことを聞くなんて珍しいっすね。他の人間だけじゃなくて自分のことさえも興味なさげなのにっす』


 しっかしお嬢様がどんな人間かっすかー……と呟き、じっと何かを見定めるようにシェルファを見つめてから、フレアはこう告げた。


『凄い魔法道具をいくつも開発している時代の変革者、現代で数少ない最上位の魔法を会得している一流の魔法使い、あらゆる分野においてそこらの学者が束になっても敵わない天才。小綺麗に整えた外面を抜きにしてもお嬢様の顔は色々あるっすけど、シェルっちが聞きたいのはそういうのじゃなさそうっすね。そうなると……私の場合はありきたりっすからね。他のみんななら吟遊詩人が語り聞かせるような劇的な物語でも例に出してくれると思うけど、ありきたりでよければっす』


 そんな風に前置きをしてフレアはこう続けた。


『中庭、色んな花が咲いていて綺麗じゃないっすか』


『うん』


『ああいう綺麗なものをこの手でつくれる人間になりたいと思ったんす。綺麗なんてのは私とは対極に位置するものだけど、だからこそあんなにも綺麗な光景をこの手でつくりたいって思ったんすよ』


 いつも元気なフレアとは何かが違った。

 綺麗なんてのは私とは対極に位置する、などという言葉はフレアらしくなかった。


 だけど『傷』がない人間のほうが珍しく、それをわざわざ見せびらかす必要もない。シェルファだって仮にノイズに埋もれた過去を思い出したとしても滅多なことではそれを誰かに話すことはないだろう。


 そんなことをしなくても人と人とは繋がることができる。過去がどうであれ今のフレアという人間とシェルファは向き合っているのだから。


 ゆえに『そんなもの』を根掘り葉掘り聞く必要はない。

 と、今のシェルファならそう考えていただろうが、あいにくとこの時のシェルファはそもそもそんな機微を深く読み取ることはできなかった。


 結果として追求しなかったが、それは何か考えがあったわけではなくて単に気づいていなかったからだ。


『まあ私があんなに綺麗に庭を管理する知識だ技術だそんなものを持ち合わせているわけもなく、学ぶための「最初の一歩」を踏み出すためのツテも何もなかったんすよ。お嬢様がああ言ってくれるまではっすね』


『…………、』


『長年ブリュンフィル公爵家に仕えてきた庭師であるアーノルドさんに向かって「これ、使いものになるようにしなさいな」って言ってくれたんすよ。庭師に憧れているなんて誰にも言ってなかったのに、私の憧れを見抜いてその上でアーノルドさんに師事するという特大の「最初の一歩」を踏み出すきっかけを与えてくれたんす。生きるためだけじゃない、娯楽に力を入れることができるだなんて余裕があるってのはいいことっすよね』


『…………、』


『あの後、アーノルドさんに「この世のほとんどの人間は石ころなんだから誰を使っても結果はほとんど変わりませんわ。ならば自身を磨く気がある分野で使ったほうがそれなりに使えるものになる可能性が高いですもの」と言っていたのもお嬢様の本音なんだろうっすけどね。この世の全ては自分よりも遥かに劣るんだからそもそも過度な期待をしていない、ってのは高慢にもほどがあるっすけど、それでこそお嬢様らしいっすよね』


『…………、』


 自分にはふさわしくないと目を逸らしながらもずっと憧れに身を焦がれていたフレアの背中を押して理想を叶えるためのきっかけを与えた、と言えば善人と言うべきだろう。


 長年ブリュンフィル公爵家に仕えてきた一流の庭師の腕なんてそこらの女にだって適切に教育すれば身につけられる程度のものでしかない、と軽く考えてフレアを鍛えるよう命じたのは悪と断じてもいいほどに使用人を見下した態度だろう。


 こうして話を聞いてもどうにもアリスリリア=ブリュンフィル公爵令嬢の全体像が見えてこない。善人なのか悪人なのか、そんな簡単なことさえも。


『なぁーんて参考になればと長々と自分語りしちゃったっすけど、よくよく考えればお嬢様がどんな人間なのかってのはこれで言い表せるっすね』


 つまり。

 だから。



『お嬢様は罵倒が超絶気持ちいい理想の女王様なんすよ!!!!』



『女王様?』


『そうっすよお!! あのこの世の全てを見下して自分こそ至高だと信じて疑わない冷徹そうなあの目、そしてゾクゾクするほど突き刺さるあの声、あれぞまさに理想の女王様っすよ!! ああっ私のことをボロ雑巾のように罵詈雑言をぶつけて辛辣に扱ってほしいっすう!!』


『辛辣に扱われるのは嫌なことだと思うけど』


『なぁにをすっとぼけたことを言っているんすか!? 最近お嬢様の罵詈雑言を独り占めしているシェルっちならそろそろ五臓六腑に染み渡ってわかってきたはずっすよ!! くうう、私だってせっかくお嬢様がきっかけをくれたのでなければ今頃仕事をミスって叱責折檻なんでも受け入れていたっすのにい!! うう、まさかお嬢様の期待に応えようと庭師見習いとして頑張った結果、可もなく不可もなく特に言うことない平凡な使用人扱いで声をかけられることが少なくなるとかそんなのあんまりっすよおおおお!!』


『ええっと……』


『ずるいずるい私ももっと罵倒されたいっすう!!』


『じゃあ……ばかー』


『かわいい罵倒とかそんなの邪道っすおおおお!!』


『……?』


 などと色々と話してもらった気がしないでもないが、結局肝心なことは何もわからなかった。


 ただ一つ。

 フレアは明るく元気な裏表のない女という顔をしていながら腹の中には中々にアブノーマルなものを隠し持っていることだけはよくわかったが。



 ーーー☆ーーー



 ちなみに『これ、使いものになるようにしなさいな』とフレアを教育するよう命じられた料理長と同年代のアーノルドは仕方がないと言いたげに肩をすくめていた。


 この世のほとんどの人間は石ころ。

 そう断じるだけの才能をアリスリリアは持っている。

 確かにそんな彼女から見ればアーノルドの働きなど絶対に彼でなければならないとまでは思えないだろう。


 それでいて『──自身を磨く気がある分野で使ったほうがそれなりに使えるものになる可能性が高いですもの』とアリスリリアは言い切った。フレアが何に憧れ、どうなりたいのかわざわざ聞かずとも見抜くくらいには使用人のことをよく見ているのだ。


 ……フレアが屋敷にきてすぐに『何の価値もなく汚れに汚れた私が公爵家に仕えるメイドだなんて不釣り合いにも程があるっすよ』と一人吐き捨てていた姿をアーノルドは偶然目にしていた。


 いつも明るく元気で、活発という冠がよく似合う彼女が一人の時にだけ漏らしていたそれにどれだけの過去が絡みついているのかはアーノルドは知らない。


 だけど。

 それでも。


(あんなキラキラした目で喜ばれちゃあな。無碍にはできないよな)


 そんなこんなで受け入れたフレアはアーノルドの予想以上の成長速度を見せていた。順調に育ってくれているのもそうだが、才能がなくて挫折して悲しむようなことにはならなそうなことが喜ばしかった。


 そして、それ以上にあの日からフレアが無理することなく心の底から笑っていることが増えたのが他の何よりも嬉しかったのだ。


 もしも子供がいればこんな気持ちになるのだろうかと、アーノルドがそんなことを考えているのは墓場まで持っていく秘密である。

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