第一話 入れ替わり
アリスリリア=ブリュンフィル公爵令嬢。
輝く星々のように煌びやかな金髪に鮮やかな大海が広がるような碧眼、彼女の性質を示すがごとき派手な真紅のドレスを好む令嬢を社交界において知らぬ者はいない。
ラギアグル王国でも王家に次いで絶大な権力を誇るブリュンフィル公爵家の令嬢というのもあるが、何より彼女自身の立ち振る舞いがおよそ十五歳のものとは思えないほど完璧だからだ。
礼儀作法や各種教養、社交界での立ち回り方が優れているのはもちろん、貴族社会における流行に乗り遅れないどころか彼女が流行をつくりだすほどの存在感を放っている。
アリスリリア=ブリュンフィル公爵令嬢は権謀術数渦巻く社交界においてさえも十五歳という若さで燦然と輝く華として君臨していた。
優雅にして華麗。
老若男女、身分に関係なく慈愛に満ちた心優しき令嬢。
誰もが憧れる理想の淑女とはアリスリリア=ブリュンフィル公爵令嬢のことである。
──なんていうのは社交界でうまく立ち回るための演技に決まっていた。
身分に関係なく慈愛に満ちた心優しき令嬢? どうして高貴なる身分の者が下賤な平民のような有象無象の塵芥に慈愛を向ける必要があるのか。
地位向上のための宣伝ならともかく、普段から『下』に優しくするほど愚かではない、と彼女はそう思っている。
生まれ持った高貴な血筋。そしてその血筋の価値を最大限高めるために努力してきたのだ。その報酬として得た地位がもたらす特権を使わずに腐らせるなどあり得ない。
つまり彼女は典型的な貴族令嬢のように高慢であった。いいや、膨れ上がった自尊心はそこらの令嬢とは比較にならないほど巨大なのだ。
他者が自分のために尽くすのが当然であり、周囲に振り撒く慈愛のようなものだって利用価値のあるものを己の都合のいいように動かすための撒き餌に過ぎない。
全ては計算されたものであり、そこに優しさなんて欠片もない。彼女にとっては王族さえも自身に尽くすべき対象としか見ていないのだから。
そんな彼女は、だからこそ家では心置きなく高慢に振る舞っていた。メイドや執事のような使用人は単なる道具でしかなく、乱暴に扱おうが良心が痛むわけがない、と彼女はそう思っている。
そのために公爵令嬢にしては珍しく平民を使用人として雇っているのだから。
それも慈愛に満ちた美談に仕立て上げているが、真実は下手に男爵だのの令嬢を雇ってしまうと高慢な素顔を喧伝しないよう圧力をかけてもみ消すのが多少面倒だからだ。もちろんやろうと思えば可能だが、そこらじゅうに使い潰しのきく平民が転がっているのに活用しないのはもったいない。何より平民なら軽く脅しをかけたり金をばら撒けば口を塞ぐことができるのが大きい。
そんな使用人の中でもシェルファという十代前半の銀髪の少女は平民どころか犯罪組織において(すでに公的には廃止されたはずの)奴隷と呼ばれていた。そんな彼女をアリスリリアが拾ったという経緯がある。犯罪組織そのものを壊滅させた時に、だ。
奴隷として酷使させられていた少女を助け出して身寄りのない彼女をメイドとして重宝してあげている……という美談にするために拾っただけであり、目的さえ果たしたならば後は他の平民のように使い潰すだけだ、と彼女はそう思っている。
何なら身寄りがないだけ後処理が楽なくらいだ。
まあ、件の奴隷少女改めポンコツメイドは感情に乏しく、なおかつぼーっとしていて能力的には下の下であったが。
多少の鈍臭さも環境が環境なら微笑ましいものとして扱われていたかもしれないが、アリスリリア=ブリュンフィル公爵令嬢にとっては使い勝手の悪い道具など苛立ちの原因にしかならない。
ゆえにシェルファが何かすれば叱責が飛ぶのが当たり前になっていた。何を考えているのかわからないお面のような顔をしているので軽く受け流しているのか本当は泣き出したいくらい辛いのかはわからなかったが。
ここまでが前提。
その上で現状を端的に説明すれば頭と頭がゴッツン☆ してアリスリリアとシェルファの『中身』が入れ替わっていた。
「な、ななっ、なんですかこれはあっっっ!?」
「……? わたし???」
外面がいいだけで本質は高慢を極めた悪役令嬢といつもぼーっとしている鈍臭いポンコツメイド。そんな彼女たちが入れ替われば何も起きないわけがなかった。
良くも悪くも、影響は大きく広がっていくことだろう。
ーーー☆ーーー
朝、起こしにきたシェルファの顔が思いのほか近くて、驚いて跳ね起きた拍子に頭と頭がぶつかった。その衝撃でお互いの人格というか精神というかとにかく『中身』が入れ替わった……で、いいのだろうか?
「すう、はあ。落ち着きなさい。ブリュンフィル公爵家の令嬢たるものいついかなる時でも優雅に──」
「…………」
「ひゃっあ!?」
ツンツンと、であった。
(アリスリリアの身体を操る)暫定シェルファが(シェルファの身体を操る)アリスリリアの頬を指でつついたのだ。
ここはアリスリリアの私室、しかもシェルファと二人きりであったので誰かに聞き咎められることがなかったのは幸いか。
毎日大金と時間と一流の美容専門魔法使いを使って磨き上げた美貌をお面のように固めて人の顔を無遠慮にツンツンしてくる彼女からはいつも通り感情は読み取れなかった。
豪快な金の縦ロールに碧眼の女。
どこからどう見ても完璧なアリスリリア=ブリュンフィルの身体であろうとも、中身がシェルファのような鈍臭いポンコツメイドであればこうも素材の良さが死ぬのかとアリスリリアはいっそ感心するくらいだ。
そう、状況から見ても『中身』はシェルファに間違いないだろうが、何より目の前のお面のような顔が全てだった。
「やはり貴女はシェルファですわねっ。そのシケた顔もそうですけれど、何よりこうやって唐突に奇行に走るのはまさしくシェルファですもの!!」
「うん、わたしはシェルファだよ」
「ふむう!? いい加減頬をつつくのをやめなさいな!!」
その叫びにようやくツンツンをやめた彼女はじぃっとアリスリリアを見つめて、
「あなたもわたし?」
「わたくしはアリスリリア=ブリュンフィルですわよっ!!」
「……?」
「ですから、ああもうっ。相変わらず鈍臭いですわねっ。ほら、今の自分の顔を見てみなさい!」
そう言ってアリスリリアは水属性の魔法を使って澄んだ水の盾を具現化してその水面にうつる顔を見せつけようとした。いくら鈍臭いメイドでも実際に自分の顔を見れば現状に気づくはずだ。
……そもそもシェルファは魔法が使えないので『この身体で』使えない可能性もあったが、予想通り魔法の腕に関しては『中身』依存のようでシェルファの身体でも問題なく使うことができた。
しばし目の前の水面にうつる顔を見つめるシェルファ。
やがて彼女はこう言った。
「わたしはアリスリリアさま?」
「これは理解したと思っていいのですわよね? 斜め上の解釈してやがりませんわよね!?」
入れ替わりという前代未聞の状況だからか口調がちょっと淑女らしくもなく崩れていたが、取り繕っていない時の彼女は大体こんな感じなのでシェルファにとっては見慣れたものだった。
だから特に驚くことなく、淡々とこう続けた。
「でも、わたしはシェルファだから……変身?」
「やっぱり理解しやがってなかったですわあ!!」
ーーー☆ーーー
「入れ替わり……そんなこともあるんだ」
「ぜえ、はあ。やっと理解しくさりやがったですか」
シェルファに現状を理解してもらうのには結構な時間がかかった。息も絶え絶えなアリスリリアの様子がその苦労を示している。
「それで、どうしてわたしたち入れ替わったの? アリスリリアさまの魔法?」
「何故このわたくしが平民どころか奴隷にまで落ちた下賎な者と入れ替わらなければいけないのですか。そもそもそんな魔法は今まで確認されていませんけれどね」
「つまり?」
「どうしてこんなことになったのか、見当もつかないということですわ」
「ちょーあたまがいいアリスリリアさまでも?」
「確かにわたくしはこの世の誰よりも優れている自覚はありますけれど、それでもわからないことはありますわよ」
「ちょっとあたまがいいアリスリリアさま」
「サラッと評価を下方修正しやがっているんじゃないですわよ」
「これからどうするの?」
いつもぼーっとしている鈍臭いポンコツメイドのくせに痛いところを突いてきた。
これから。
シェルファの中身がアリスリリアになったのはどうとでも誤魔化しがきくが、アリスリリアの中身がシェルファになったのは正直目も当てられない。
社交界でも燦然と輝く華。
多くの権力者を自分に尽くさせるよう振り回す演技。
そんな立ち回り、ポンコツメイドにできるわけがない。
だから。
だけど。
「一ヶ月後の殿下主催のパーティーだけは欠席するわけにはいきませんわ。そんなことになればこれまで積み重ねてきたものが全て台無しになってしまいます」
件の殿下、すなわち第一王子主催のパーティーは自由参加ということになっているが、もちろんそんなものは建前だ。
王族からの招待を(よほど納得させられるだけの理由なく)無為にすれば待っているのは破滅のみ。王族が手を下すまでもなく社交界『全体』から爪弾きにされるのは避けられない。空気を読むのは貴族の嗜みだ。
病欠という嘘をつくとも考えてみたが、ブリュンフィル公爵家の令嬢であること、アリスリリア個人の価値も含めて(パーティーに参加できないほどの)病欠ともなれば探りを入れられるのは避けられない。というか第一王子がこれ幸いと嬉々として探ってきそうだ。そこで嘘がバレれば目も当てられない。
アリスリリア個人の価値があるので挽回不可能とまでは言わないが、こんなことでこれまで積み重ねてきたことを無駄に切り崩すのは絶対に嫌だった。
どれだけ小さな傷も許せない完璧主義者。
他の有象無象のような石ころとは違う、自分こそ光り輝くダイヤモンドだと信じて疑わない高慢な精神。
それがアリスリリア=ブリュンフィル公爵令嬢だからだ。
「パーティーまでに元に戻れればいいですけれど、今のところ戻れる保証はない……となると」
「?」
本当に。
本当の本当に無謀ではあるが、元に戻ることと並行して戻れなかった場合の対策も考えておくべきだ。
つまり、
「残り一ヶ月でこの鈍臭いポンコツメイドを一流の淑女に仕立ててパーティーを無事乗り切る。そうするしかなくなるまで追い詰められるのも覚悟しておかなければなりませんか」
「???」
「……このポンコツに頼るしかなくなる状況とか本気で考えたくねえーですけれどねっ!! ですから何が何でも元に戻ってみせますわよ!!」
ーーー☆ーーー
ちなみにアリスリリアの私室には全身をうつせる大きな鏡がある。
シェルファの身体を操るアリスリリアは今の自身の身体(つまりシェルファの身体)を鏡越しに見つめていた。
拾った時は太い鉄の首輪に手枷まで嵌められて薄汚れていたシェルファではあるが、仮にも公爵家のメイドとして使う女がそんな有様は見栄えが良くないとして初日に徹底的に綺麗にしたものだ。
おかげで今では公爵家特注の一流のメイド服に劣らないくらいにはまともな外見になっている。とはいえ素材が良かったのでそんなに手を加える必要もなかったが。
髪も瞳も大陸でも珍しい銀髪に赤目。
昔と違って肩まで伸びた銀髪は錆びたように霞むことなく健康的な鮮やかさを保っているし、枯れ枝のようだった身体にもほどよく肉がついている。
豊満なアリスリリアと違って胸が少し足りないが、これはこれで小柄で華奢な身体の魅力を邪魔していないともとれる。
「わたしの身体、気になる?」
「ぶっふふ!? べっべべっ別に気になるわけがないでしょう!! ポンコツメイドのくせに何様ですかっ!!」
「でも、じろじろ見てた」
「じっじろじろ!? そんなには見ていませんわよ!」
「別にいくら見てもいいけど」
「ですからそんなには見ていませんわよお!!」