獣人の王
その昔、この世界には獣人の国があった。
その国を治めていたのは心優しく勇敢な獅子王。
人間に追われ逃げて来たもの、安住の地を求めて旅をしてきたもの、王は差別することなく分け隔てなく温かく迎え入れる。
獣人動物たちは身を寄せ合い力を合わせながら、慎ましく毎日を暮らしていた。
「大変だ!! 人間が攻めてきた」
血だらけで逃げてきたのは、国境付近で薬草を集めていたシマウマの獣人。
「我が時間を稼ぐ、無駄に命は落とすな、さあ早く逃げなさい」
動揺する民を前に、獅子王は先頭に立って国民を逃がすことを決意する。
「王よ、我らもお供いたします」
王国屈指の猛者である、トラ、サイ、カバ、ゾウの四天王が、一人では行かせまいと立ちふさがる。
「死ぬのは我一人で十分である。貴様らは生きよ」
「王よ、それこそ無駄死にではありませんか。一人では時間稼ぎにもなりますまい」
「ふはは、我を誰だと思っているのだ。心配するな、無駄に死ぬつもりなどない。話し合いをするならば一人の方が都合がよかろうからな。それに逃げた者たちも不安であろう……皆を頼んだぞ」
四天王に後を託し、攻め寄せる人間たちの前に一人立ちはだかる獅子王。
「人間に問う。そなたらの王とは互いに攻撃をしないとの約定を結んだはず。なにゆえ攻め込んできたのだ?」
「馬鹿め、それはこちらが攻め込む準備が整うまでの時間稼ぎにすぎない。所詮獣には、人間様の高度な戦略、知略など理解できないだろうがな」
人間側の将軍が獅子王を嘲笑う。
「信義こそ守るべき崇高な価値ではないのか? 争う必要は無いとなぜわからぬ。人間が住めぬ荒れ果てた土地を長い時間をかけて緑豊かな土地へと変え、魔物が蔓延る辺境との緩衝地帯として我が獣の王国の存在は人間にとっても役立っているはずであろう」
吠える獅子王に将軍は答える。
「お前らが住める土地に変えてくれたからな。感謝はしている。御礼に毛皮を剥いで、食える奴は食って、見た目が良い奴は貴族の慰み者にしてやるから安心しろ。無駄にはしないぞ、ワハハ」
「魔物はどうするつもりだ?」
感情的にならないようにつとめて冷静に話を続ける獅子王。
「ああ、そのことなら問題ない。先日人間の国同士で同盟を結んで魔の国を滅ぼすことにしたからな。もう緩衝地帯なんて要らないんだよ」
「愚かな……魔の国を甘く見過ぎだ。人間よ……過ぎたる欲は身を滅ぼすことになる。今からでも遅くはない、軍を引け。手土産が必要なら我の首をくれてやる」
「交渉できる立場だと思っているのか? お前の首なんて要らないんだよ。邪魔だ、死ね」
将軍が剣を抜く。
「救いようのない……もはや言葉も届かぬか」
大地が震え……風が止む。
「があああああああっ!!!」
獅子王が威圧を放つと、囲んでいた兵士たちの身体が硬直して動けなくなる。
「ふんっ!!!」
獣化した獅子王の丸太のような前脚がふるわれると兵士たちはなすすべもなくが吹き飛ばされ、将軍は慌てて命令を出す。
「くそっ、矢だ、矢を放て、遠くから囲んで弱らせるんだ」
雨のように矢が降り注ぐ。
だが、当たらない。矢が届くころにはすでに獅子王の姿はなく、むなしく地面に花を咲かせる。
狙いは一人。獅子王は稲妻のようにジグザクに大地を駆け抜け将軍に迫る。
「う、動くな!! 動くとこいつを殺すぞ」
将軍の発した言葉に足を止める獅子王。
「ごめんなさい……王さま」
両耳を掴まれ引きずり出されたのは、逃げ遅れたウサギの獣人。縛られた手足には血が滲み、両耳からは血を流している。
「酷いことを……その子を放せ。我が倒れればどの道殺すつもりなのであろう? 放すなら抵抗はしないが、放さぬならば貴様ら全員と刺し違えてでも償ってもらう」
「くっ……本当だろうな?」
「王の誇りに誓って約束しよう」
獅子王の強さを見せつけられたばかりの将軍は、正面から戦うのはマズいと判断してウサギを放す。
「ごめ……ごめんなさい……わたしのせいで王さまが……」
ポロポロ涙を流すウサギの頭を優しく撫でる獅子王。
「気にするな。お前は何も悪くない。無事で良かった」
「私、いつも王さまに助けてもらってばかりでなにも出来ないのに」
「そんなことはない。お前たちの笑顔を守ることが我の喜びなのだから。さあお行き、その誰よりも強い後ろ脚と立派な耳に祝福を――――」
『ブレイブハート』
ウサギは駆ける。泣きながら駆ける。
大好きな王さまとの約束だから決して振り向かない。
祝福のおかげで脚が軽い。痛みも無くなっている。
いつもそうだった。
この国へやってきたとき、大丈夫かと抱きしめてくれた大きな手の温もり。
取り柄が無くて役に立てないと落ち込んでいたら、脚と耳を褒めてくれた。
いつか恩返ししたいと思っていた。それなのに……
神さまお願いです……私はどうなっても構いませんから王さまを助けてください。
どうか……お願い。
「さあ、約束通り死んでもらうぞ」
何重にも囲んだ兵士たちが一斉に弓を構える。
「抵抗せぬと言っておるのに臆病なことだな。それでよく武人を名乗れるものだ」
「だ、黙れ、逃げられないようにしているだけだ。貴様の首は俺が落としてやるから覚悟しろ」
鞘から抜いた大剣を両手で高く掲げる将軍。
そのまま重力にまかせて獅子王の首元へ振り降ろす――――
ザシュッ
地面に将軍の首が転がる。
「うわあああっ!? しょ、将軍がやられた!?」
何が起こったのかわからず混乱する兵士たち。
『おい、獅子王、なに勝手に死のうとしているんだ?」
上空から女の声が聞こえる。
「おい、上だ、撃て、撃ち落とせ!!」
弓兵が一斉に矢を放つ。
『今大事な話をしているんだ、邪魔するな』
女が翼を羽ばたかせると、矢は反転し放った者に突き刺さる。
『……面倒だね。まとめて灰になれ』
大きく息を吸い込むと口から強力な炎のブレスが吐き出され、辺り一面を焼き尽くす。
「た、助けてくれ……」
将軍と大半の味方を失った兵士たちは、もはや完全に戦意を喪失し、這う這うの体で武器を置いて逃げてゆく。
『ふん……やっと静かになったか。おい獅子王、話の続きだ、まったく……私が来なかったらどうするつもりだったんだ?』
魔の国の女王、竜人のミネルバは深いため息をつく。
「心配かけてすまぬな」
『し、心配なんてしてないし……』
本当は泣きそうなほどめっちゃ心配していて、怪我がないかすぐにでも確認したくてたまらないのに強がるミネルバ。
「そうか……それでもな、心のどこかできっとお主が来てくれるのではないかと思っていた」
『ひうっ!? い、いや、だから……たまたまだって。偶然この辺りを飛んでいただけだから!! 期待されても困るし!!』
飛び上がるほど嬉しいのだが、すでに飛んでいるのでこれ以上喜べない。
「ありがとう。感謝しているよミネルバ」
『はううっ!? お、お前、いきなり名前呼びすんなよっ!? ドキドキしちゃうだろ!! ま、まあいいや、それより逃げて来たやつらは全員保護してるから安心しろ』
「本当に助かった。我に出来ることならばなんでもしよう」
ミネルバに頭を下げる獅子王。
『な、なんでもっ!? い、言ったな? 後で無しとか駄目だからな!!』
「うむ、王に二言はない」
『じ、じゃじゃじゃあ、私と結婚しろ』
「…………は?」
『は? じゃねえよ、急に難聴になるなよ馬鹿!! だ、だだだから……私と結婚――――』
「承知した」
『聞こえてんじゃねえか!? 二度も言わすんじゃねえよ恥ずかしいだろ、殺す気か!! って良いのか? あ、いや本当に?』
これまで何度アプローチをかけてもまるで手応えが無かったのに信じられないと目を見開くミネルバ。
「ああ、お主の好意は知っていたし、我も憎からず思っている。もう少し国が安定したらこちらから結婚を申し込もうと思っていた」
『な、なんだよ、それならそうだって早く言えよ!! えへへ、そうと決まれば新しい国の名前考えないとな』
「……新しい国?」
『ああ、魔の国と獣の国を一つにして人間どもに侵略されない強くて安心して暮らせる国をつくるんだ。良いアイデアだろ?』
「なるほど……我も今回のことで人間には失望した。隙を見せれば襲い掛かってくる卑怯な連中。言葉や誠意が通じないのであれば、その気が起きないようにすることも必要なのだろうな……」
悲しそうに目を閉じる獅子王。
『やっと気付いたのか? でもまあ、ずっと放置していた私も悪かったよ。はっきり言ってやつらは増え過ぎだ。今じゃあ大陸の9割以上を独り占めしているからな……よし、とりあえず半分ぐらい減らそう』
その後、大陸は人間が暮らす東半分と獣人や魔人が住む西半分に分かれる分断時代に突入する。
獅子王とミネルバの治世は平和そのもので、領土を巡って戦争に明け暮れる人間の国を見限って逃げてくる人間も差別することなく受け入れた。
東の人間領を統一した帝国は、再び野心を現し西へと攻め込むも返り討ちにあって滅亡。
すべての種族がともに暮らす現在の統一国家が誕生することになる。
「人間って怖いんだね、お母さん」
「そうね、でも今では純血の人間なんて滅多にいないし、悪い人ばかりというわけでもないけど、決して隙を見せないこと、そして騙されないように気を付けるのよ」