パーヴェル・エステスの過去 魔獣の王の誕生
次の日、一生で一番酒を飲んだ僕はひどい頭痛で目を覚ました。
頭が重い。
ズキズキする。
祝いだと勧められるままに杯をあけていたからだろう。
なるほど、酒を飲みすぎた人間が翌日苦しんでいるのはこういう事か。あれほど酒を飲んだ事はなかったから初めての体験だ。なにしろ夜会などでは節度を保てる程度でしか飲むことはなかったし、酒盛りを楽しむタイプではなかったからな。
でも、楽しかった。
あんなに楽しかったのは生まれて初めてかもしれない。
「起きたか? もう日が高いぞ。……どうしたパーヴェル?」
起きようとして体を起こした途端酷さを増した頭痛に、頭を抑えて身動きが取れなくなっていたら、声をかけられた。
耳慣れた、ぶっきらぼうだが心地いい集落の訛り。
「頭が……、痛い……、水……」
やっとのことで声を出す。
「ハハハ、飲みすぎか。だらしない。ちょっと待ってろ」
気配が遠ざかる。見回すと、昨日の酒盛りでしっちゃかめっちゃだった家が片付けられていた。朝から、わざわざ来てくれたのだ。
「妻か」
昨日のことが思い出される。もっとスマートにカッコよく求婚するつもりだったのに、勢いで愛の告白を絶叫してしまった。顔が熱くなる。ああ、失敗した! 今度は別の意味で頭を抱える。いや、でもヤーナにはああいうのが正解だったのだろう。了承してもらったのだ。最上の結果だ。
結婚を受けたヤーナの笑顔を思い返して、幸せな気分に浸る。
「どうした? そんなに頭が痛いのか? さっきから頭を振ったり、頷いたり、ニヤニヤしたり、二日酔いというのはそんなに辛いものか? ヤーナはなったことがないからわからない」
ヤーナが水を汲んで帰ってきた。
まじまじと僕の顔をみて、不思議そうに呟く。
「ありがとう、部屋、片付けてくれてたんだね」
礼を言うと、ヤーナは僕のそばに座って背中を支えながらコップを渡してくれた。
「夫婦なんだから礼はいらない。ほら、早く水を飲め」
ヤーナに水をもらい、一息に飲む。染み渡る。生き返るようだ。ようやく目が覚めてきた。
「ほんとに、大丈夫か? パーヴェルがそんなに酒に弱いとは思わなかった。次からは無理に飲むな」
背中をさすりながら、ヤーナが僕の顔を覗き込む。白い肌の中、大きく丸い紫紺の瞳が、近い。少し困ったように眉を下げ、心配そうに僕の様子を窺う彼女をみて、愛おしさが込み上げてくる。
「ありがとう、ヤーナ」
抱きしめて、礼を言う。ヤーナからは太陽の匂いがした。
「水くらいで大袈裟だな。パーヴェルは」
そう言いながら、ヤーナはあやすようにポンポンと僕の頭を叩き、堪えきれないようにクスクスと笑った。
なんとか起きて、2人で家を片付ける。掃除をしているだけなのに、気が付かずに鼻歌をうたうほどに、気分が高揚していた。ヤーナはいつも機嫌がいいけど、今日はいつにもましてニコニコとしていた。片付けながら鼻歌に合わせて踊るヤーナに、僕は拍手喝采してダンスを申し込み、2人で手を取り合って踊りあった。
ああ、ずっと、こんな日が続けばいい。
ひとしきり、掃除を終えて昨日の祝ってくれた集落の人々にお礼を言いに行こうと家を出た僕らは、意外な来客を迎えることになった。
「近頃街の近くまで魔獣が出るようになったので、お話を伺いたくて参上いたしました」
武装したリンドブルム家の私兵の部隊が、集落を訪れていた。ヤーナにお礼の挨拶周りをお願いして僕は彼らと集落の広場に向かう。
ザカールというリーダーの男は物腰は丁寧だが、友好とは言い難い冷たい目をしていた。僕が次期当主の時には見なかった男、マグナガル殿の子飼いなのだろう。
「はぁ、こんな遠いところまでご苦労ですがいったい何を聞きたいのですか? 魔獣の制御法なら王立学問所に報告をあげていますので目を通していただければ」
「そうですな。魔獣を操作する一族とリンドブルムを廃嫡されたパーヴェル殿がよしみを結び、街には魔獣の姿が見えるようになった。これは関係ありませんかな?」
「何を馬鹿な。僕にリンドブルムと戦う気はないしそんな武力もない。大体そんな事を考えているなら研究の報告をあげるわけがないだろう」
思わず声を荒げる。
まさか、本気でそんな事を考えているのか?
ザカールが冷たい目で応えた。
「そうならばいいのですがね。マグナガル様は後顧の憂いをなくしておけと仰せだ」
言葉と共に切り付けられた。肩に剣が食い込む。
灼熱感。
「爆炎・輻射・壁!」
咄嗟に全魔力を集中して炎の壁を男との間に作ると、家に走りながら叫んだ。
「みんな! 逃げろ! 敵だ!」
敵? 僕にとってはそうだ。
集落のみんなは?
僕が投降すればみんなに危害はくわえないのか?
いや、爆発音と悲鳴が聞こえる。
あいつら、皆殺しにするつもりか⁉︎
僕のせいだ。
僕のせいでこの集落に災厄を呼んでしまった。
左肩からはダクダクと出血している。指先が痺れる。吐く息が荒い。走る。家の裏手から死角となる位置、家と家の間、垣根の下、茂みの中、少しでも身を隠せる場所を選んで広場から離れる。たくさんの馬が走っていた。僕を探す大勢の人間が動く声が聞こえてくる。集落内の短い距離が途方もなく遠く感じられた。魔法の炸裂音とみんなの悲鳴が聞こえる。ヤーナは無事なのか。
朝までの事がはるか昔に感じられた。ヤーナに介抱された家が見えた。燃えている。
「ヤーナ!」
叫びながら家の前に走り込む。無事だ!
ヤーナは二頭の双頭氷虎を連れて、三人の兵士と対峙していた。
「パーヴェル。よかった。無事か」
厳しい顔をしていたヤーナがホッと息をついた。
「すまない。僕の因縁だ。みんなに迷惑をかけてしまった」
謝る僕に、ヤーナは頭をふって応えた。
「パーヴェルとヤーナはもう夫婦だ。夫の敵はヤーナの敵。ヤーナの敵は集落の敵だ。気にするな」
微塵の迷いもなく、ヤーナが告げる。
「ヤーナはこいつらを倒して、パーヴェルと生きる! ドルガ! ボルガ!」
叫ぶやいなやヤーナは双頭氷虎のドルガに指示を出す。右手を兵士に向け、三人の真ん中に双頭氷虎を突っ込ませる。上手い。互いに魔法を撃てない位置取りで攻撃をかける。一人が爪を受けて吹き飛ぶ、一人が魔法を撃つが、狙いがつけられてない。撃ち終わりの隙に足に噛みついたドルガが男を投げ飛ばす。もう一人はボルガが組み伏せていた。
「ヤーナ、ここは危ない。集落からはなれるんだ」
ヤーナの側に駆け寄って手をとる。どれくらい生き残っているかわからないが、マグガナルは皆殺しにするつもりで兵を送り込んでいる。とにかく逃げるしかない。
ヤーナの手を引いて逃げようとした刹那、爆炎が押し寄せてきた。叫び声も上げずにドルガが燃えた。
「ドルガ!」
ヤーナが叫ぶ。
「お前だけには逃げられるわけにはいかないんだなぁ」
ザカールが部下を連れて近くまで来ていた。距離は少しあるが魔法の射程内。双頭氷虎を燃やす威力を放てる魔法使いが10人以上で包囲。これは、ダメかもしれない。
僕は覚悟を決めた。
「僕が投降したら、彼女は助けてくれないか?」
ザカールに向かって呼びかける。
「駄目。ヤーナはパーヴェルと共にいる」
ヤーナが隣で首を振る。
僕はヤーナを抱きしめて、口付けした。
陶磁器のように白い肌。紫紺の意思の強い瞳。
ああ、もっと君と過ごしたかった。
「ヤーナ、君にだけは生きてほしい」
「女の一人くらい見逃して差し上げますよ。貴方の命さえいただければ後はオマケだ」
ザカールが答えた。
信用できるとも思えない。ただ、今はこれに縋るしかない。
「抵抗はしない。彼女が逃げるまで待ってくれ!」
ヤーナに逃げるようにうながす。ヤーナは悲しそうな顔をして、僕に胸元にかけた宝石をそっと差し出した。囁くように、僕に伝える。
「これは、一族に伝わる魔獣を操る波長を増幅する宝玉。認められた魔獣使いだけが身につける事を許された物。これをパーヴェルにあげる。ヤーナも同じ。パーヴェルにだけは生きてほしい」
それから、ヤーナは後ろに飛びすざると、大声で叫んだ。
「お前のせいでみんなが死んだ! あいつらを連れてきたのはお前だ! 責任を取れ! ボルガいけ!」
ボルガが僕に向かってくる。何が起こったのかわからなかった。ボルガが首に噛みついて、僕の首から血が吹き出る。ボルガは首に噛みついたまま、森の中に突っ込んだ。
ああ、やはり許してはもらえなかったんだろうか。ヤーナの顔がチラリと見えた。こちらを見つめるその頬には涙が伝っている。その顔は今まで一番美しく見えた。
集落から遠ざかる。肩からの出血のせいか、意識が遠のく。
「逃すな! 止めをさせ!」
「みんなの仇だ。お前たちも許さない!」
遠くから、ザカールの声と、ヤーナの声が聞こえた。そして、僕の意識は途切れた。
意識を失ってしばらくして目が覚めると、森の奥の崖にできた洞窟で、ボルガが僕の体を包んでいた。温めていてくれたらしい。心配そうに、顔を舐めてくる。ああ、やはり、あれはヤーナの渾身の演技だったのだ。魔獣使いの力でボルガに僕を殺させるフリをする事で、あの場を逃れさせたのだ。
太陽の光は朝を示している。少なくとも一晩は眠っていたようだ。慎重に、体の傷を洗い、捕まえた野鳥と野草で食事をとり、集落を見下ろせる高台から様子を伺う。リンドブルムの私兵は撤退した後のようだった。集落の建物はほとんどが燃えていた。
数時間もいただろうか、高台から人がいない事を確認して、集落に入った。見知った死体がそこらかしこに転がっている。ヤーナの家に走る。そこに、黒焦げになった死体があった。
首には、溶けたネックレスがかかっている。
集落では、誰もつけない、街でつくられた、金属製のネックレス。
ヤーナ。白い肌。意志の強い紫紺の瞳。クルクル変わる表情。もう見られない。雪のように白い肌も、興奮すると赤味のさす頬も、真っ黒に炭化してしまった。
嗚咽が漏れる。気がつけばボロボロと涙が溢れていた。黒い塊となったヤーナを抱きしめて、僕は号泣していた。
どれくらい時間が経っただろう。心配そうに頬を舐めるボルガに気がついてから、のろのろと穴を掘り、みんなを埋葬した。リンドブルムの私兵がまた訪れようと、知ったことではなかった。
墓を掘る間、胸に浮かぶのは喪失と後悔と悲しみと、怒りだった。酒を注いでくれた、祝いの言葉をくれた、ご飯を分けてくれた、研究を手伝ってくれた、寝床を提供してくれた。初対面の王国人を、警戒するでもなく温かく迎えてくれた。墓に亡骸を埋めるたびに、その人がしてくれたことがおもいだされた。また、涙が流れる。
一晩かけて全員を埋葬した。
悲しいと言う気持ちは土をかけるたびに麻痺していった。
喪失も、後悔も。
全員の墓を建てた時、残っていたのは、グツグツと燃える怒りだけだった。
僕だけを殺すなら、街に帰るところを狙えばよかった。街中では流石に元当主を殺すわけにはいかない。街に近い街道でも見られるリスクはある。だが、こんな北の果ての集落なら、すこし待って人気のない山道で襲えばよかったのだ。僕には碌な戦闘力はない。
あいつらは、魔獣使いを人間扱いしなかった。ちょっと手間をかけるのが面倒程度の理由で、集落ごと虐殺した。みんなを、ヤーナを。あいつらにとっては魔獣使いも魔獣も同じだった。
それなら、それならば、俺達は、獣扱いされた俺達は、獣の力で反撃をしてやろうじゃないか。
黒い決意が固まる。
マグナガルとザカール、この二人だけは殺す。今はできない。魔獣使いの力を研究し、磨き、いつか、必ず……。
たちあがり、全員の墓に復讐を誓う。そして、ヤーナの墓の前に座った。出立前に、ヤーナに話しかける。
「ヤーナ、僕の家族。君はきっと復讐なんてのぞまないだろう。けど、僕にはもう他に何もない。打ち込んできた研究も意味を無くした。やっと得た家族も失った。この宝玉は、復讐の為に使う。ごめん、ヤーナ」
木で作った粗末な墓に、ヤーナにプレゼントしたネックレスをかける。
多分君は、膨れっ面をして、
『ヤーナ、パーヴェルが幸せならいいぞ。死んだヤーナ達のためにパーヴェルが苦しむことはないぞ』
なんて言うんだろう。
「さよなら、優しいヤーナ」
墓に背を向ける。
「いこう、ボルガ」
そして、僕は復讐の為に、魔獣の王となった。




