ロローダ・ルームハルト 僕は天使と出会った
ああ、天使だ。
僕は、天使と出会った。
可憐で、たおやかで、輝くような笑顔に、生命力に満ち溢れた身体、躍動感のある、野生の獣のような動き。それなのに、ちっともがさつではなく、細やかに周囲に気を配り、優しく助言をくれる。強く美しい戦乙女。
一目見て、恋に落ちてしまった。
僕は、ロローダ・ルームハルト。
北方の小さな子爵家の息子で、兄弟は姉が四人、ようやくできた後継が僕だった。
子爵なんて言っても貴族らしさなんて何処にもない。元々、北方は貧しい。産業がなく、土地も雪に囲まれて使いようがない。だから、王国も土着の部族の主だったものに爵位を与えて服属という形をとった。そんなわけで、北方人はそもそも貴族としての文化基盤も経済基盤もない。一部の貴族、建国の六英雄で北を任されたリンドブルム候に付き従った貴族以外は、貴族とは名ばかりの、木こりや狩人に毛が生えた程度の周辺のまとめ役といったところだ。
北方人は身体が大きくて体力がある。そして、北方は産業が少ないから、戦争に出稼ぎに行く者が多い。おかげで、貧しい北の地の民の生活はマシになったが、男不足で家業は女がやらざるを得なくなった。逞しく、体がデカく、強い北方女はすぐにそれに適応した。
小さい頃からそんな男まさりの姉四人に囲まれて育った僕が、淑やかで控えめな女性に惹かれるのもしかたないと思う。
僕は北方人にしては小さく、筋肉も少ない、ついでに銀髪銀眼が殆どの北方人の中、淡い金髪の僕は悪目立ちした。同世代の女の子でも大抵は僕より頭一つ身長が高い。ステラ姉さんなんて、腕周りが僕の倍はある。体格に勝る北方人の多くにとって、僕は、北方には珍しい、守るべき可愛らしいお嬢様だった。小さい頃から、同年代どころか、一つ二つ下の女の子に「ロローダは私が守ってあげるから」なんて言われてきたのだ。雄々しい事が美徳の北方で、僕がどれほど悔しい思いをしてきたことか!
初恋は思い出したくもない。
僕をよく庇ってくれた幼馴染に告白したら、彼女は少し驚いた後、満更でもない顔をして僕に身体を寄せてきた。抱擁をされるのかと思ったら、彼女は僕の両手を頭の上まで持ち上げて、片手で簡単に拘束した。
なにがおこったのかわからず、動転してもがく僕を、彼女は微動だにせず押さえつけて見下ろしていた。
「ロロは可愛いから好きだけど、付き合うなら、せめて私を護れるくらいになってから言って欲しいな」
そういって、腕を押さえつけたまま、動けない僕の唇を奪うと、彼女はへたり込む僕を置いて去っていった。
僕はその日から数日寝込んだ。
姉さんたちは心配して僕を鍛えようとしてくれた。
ステラ姉さんは魔獣と戦う為の槍術を、クレア姉さんは雪山での食料や水、寝床を確保して生き延びる為のサバイバル術を、アンナ姉さんは土中や雪中にひそみ獲物を狩る狩猟術を、エレナ姉さんは力のない僕でもなんとかなるようにと罠術を、つきっきりで教えてくれた。本当に、ありがたい話だった。
僕の体力と姉達の体力の違いさえ考慮してくれれば。
死ぬかと思った。いや、雪中で丸二日ジェリーボアを待った時は死にかけた。寒さで意識を失って、気がついたらアンナ姉さんが焚き火のそばでジェリーボアの肉を捌きながら介抱してくれていた。危ないところだった。
取り柄がない僕の唯一の活路が魔法だった。魔法使いなど、とんと縁のない家系だったが、年少者が集められる魔力測定で、僕はその年一番の魔力を叩き出した。優秀者は、公費で軍人になる為の育成プログラムが受けられる。
これだと思った。父母を説得して、10歳の頃に軍人への道へ進んだ。姉さん達は、「ひ弱なお前に軍人など無理だ、姉さん達が面倒見てやるから大人しく家をつげ」と反対したが、北で、僕が僕の力で居場所を作るならこれしかないんだと、懸命に訴えたら最後には皆認めてくれた。
意外にも、軍は居心地がよかった。こつこつと言われた事をこなす。自分の力を見定めて、できる事を着実にやる。僕の性格には向いていたし、何より、姉さん達の修行が厳しすぎたので、軍の鍛錬はちっとも苦ではなかった。薄々感じてたけど、姉さん達はちょっとおかしいと思う。
いいこともあった。魔力が重視の軍人には、南方や中央出身の者もいて、彼らは偏見なく僕を見てくれた。恋人はできなかったけど友達はできた。同世代で自分より小さな体格の女性をはじめて見たけれど、壊れそうなくらい華奢で、とても可愛らしかった。
ああ、自分が今まで周りから向けられていた視線はこれか、と腑に落ちた後に落ち込んだけれど。
数年を軍で過ごした。どうやら才能はあったらしい。魔力量は加護を除けば北方軍でも上位となった。四節魔法までは使えるようになり、五節も見えてきた。周囲からは天才と呼ばれるようになった。
恋人は相変わらずできない。だって、仲良くなっても北方の子爵家の一人息子と聞くとサァーっと引いていくんだよ。北方の貧乏貴族の後継は人気がないのだ。いっそ中央まで出稼ぎに行ったほうがいいかもしれない。
軍では、魔獣と戦う魔法部隊の部隊長に任命された。リーダーのサバさんは北方人らしいがっしりした体格の武人と言ったタイプで、一撃の重い四節魔法をここぞという時に効果的に使う頼りになる人だ。同僚のナブドラさんはこの辺りには珍しく南方人の血をひいており、褐色の肌に縮れた髪をした気さくな人だった。この人は四節はそれほど打てないが、三節魔法の種類が豊富でテクニカルに立ち回るのが上手い。
二人とも、若くして部隊長になったばかりの僕に目をかけてくれて、戦い方や、部下との付き合い方を教えてくれた。
特にナブドラさんは、よく話しかけてくれた。付き合ってみると、軽いノリだけど実は気遣いな人なのがわかる。面倒見のいい兄貴って感じだ。女兄妹ばかりで育ったので、こういう頼りになる兄貴分ができて嬉しいと言ったら、お前の姉なら美人だろうから紹介しろと言われたのは参ったけど。
別に紹介するのは構わないけれど、男の少ない北方人はすぐ結婚しようしますよと答えたら、しばし考えた後、今はいいやと断られた。なんなんだ。
話の流れで恋人はいないのかと聞かれたので、適当に誤魔化そうとしていたら、いつの間にか初恋の件まで話すハメになり、爆笑された後肩を叩かれて女の子を紹介してくれる事になった。
前言撤回、頼りになる兄貴分じゃない、職場の悪い先輩だ。
ともあれ、二人とも親身になって僕の面倒を見てくれた。期待されているがわかる。五節魔法を使えるようになれば、宮廷魔術師クラス。国に五十人といない一流魔法使いの証となる。北方では、リュドミーラ公直属の部隊に数名がいる程度。堂々たる幹部候補生だ。体術はダメだったけど、魔法に関しては我ながら大したものだ。自信を持ってもいいんじゃないか、そんなふうに思っていた頃に、あの人が来た。
王都の天覧試合を三連覇した天才魔法使い。最高の魔法使い、レスティ・ウォーディアス。
彼が着任した。
加護の配下なのだから、加護に勝ったという魔法使いを侮ったりはしない。そうは言っても、本当なのか、実戦で使い物になるのかというのは、皆疑問に思っていた。だけど、彼は初めの任務で皆の疑念を完全に払拭した。
デモンストレーションもあったのだろうが、北の魔獣の力を知りたいからまずは一人でやらせてくれと言った彼は、皆が興味津々で見守るなか、三節の氷、風、土魔法から順に拡散、収束、捕縛、防壁、奇襲、近接と四節、五節の多彩な魔法を披露して、最後には素材となるからあまり傷をつけないほうがいいんだよなと確認した後に六節魔法で魔獣の群れ、その中でも障壁の硬い事で知られる雪猩々の群れを凍結させて喝采を浴びた。
誰も、彼の実力を疑うものはいなくなった。一通り任務をこなし、身体強化魔法や魔力回収魔法、収束魔法の有用性を皆が理解した頃、次は鍛錬で惜しげもなく技術を教授してくれた。強さも技術も圧倒的すぎて、少し伸び始めた僕の鼻はぽきんとおられてしまった。それでいて偉ぶらず、食事や待遇も僕らと同じで文句ひとつない。ちょっと感心してしまったくらいだ。どうかと言ったら、リンドブルムの軍上層部の方が偉そうなくらいだ。
サバさんもナブドラさんも今回の派遣魔法使いは大当たりの部類だから滞在中にできるだけ学べる事を学べと僕にハッパをかけてきた。どうも、北の未来を担う人材なので育ててほしいと、レスティ様本人に頼み込んでくれていたらしい。
つくづく先輩に恵まれたと思う。
実際勉強になる事は多かった。難があるとすると、本人が簡単に出来すぎて教えるのが下手だということくらいだった。
身体強化は軍よりも各々の領の狩りや労働に使う事があるので部隊のある程度の人数が使う事できたが、吸魔や収束魔法は使い方がわからない。
吸魔について聞いてみたところ、
「えーっと、魔法を使った後大気中に拡散した魔力を回収する?」
と、アバウトかつ要領を得ない答えが返ってきた。なんと本人はこれを聞いただけでできたらしい。
なにそれ、怖い。
困っていたら、お付きの人が気づいて駆け寄ってくれた。戦闘中からレスティ様の近くに控えていた人だ。ウォーディアス領からただ一人ついてきた副官らしい。殿を務めていたらしく、走り寄ると、雪まみれのコートのフードをバサリと下ろして挨拶をしてくれた。
「レスティ様の副官。ティア・スタントです。何かお困りですか?」
白い景色の中、彼女だけが照明を浴びているかのようだった。赤い髪が地上の太陽のように煌めき、炎の精霊が人型になったかのように端麗で優雅な女性がそこにいた。
見惚れてしまった。目が引き寄せられて、動けなかった。時が止まったかと思ったほどだった
「……あの、どうかされましたか?」
言葉をなくして立ち尽くしていた僕に、困惑の声がかかる。
「いや、姐さん、気にしないでください。こいつまだ若いんで恥ずかしがり屋なんですよ。気にしないで、ほら、そっちのやつに魔法の使い方教えてやってください」
気づいたらナブドラさんが隣で誤魔化してくれていた。ティアさんは戸惑いながらも背後でレスティ様に質問していた兵士に収束魔法の使い方を教えに向かった。後ろ姿も美人だ。
そのまま、魔法を使うティアさんを眺める。上手い。レスティ様ほど威力はないが、コントロールの精度は同レベルかティアさんの方が上かもしれない。収束、曲折、螺旋、並走二連、三方向からの一点集中、次々と曲芸のような魔法を披露していく。歓声があがる。ティアさんは、ニッコリと笑い手を上げて歓声に応えていた。
「惚れたな?」
ナブドラさんが肩を組んで耳元で小声で囁く。
「え……、いや、そんな……、はい」
正直な声が出た。自覚する。そうだ、これは、一目惚れだ。
「やめとけ。ああいう副官てのは殆どが貴族の愛人か冒険者上がりの嫁さん候補だ。大体あんな美人が独り身なわけがねえ。傷が浅いうちに諦めろ」
仕方ねえなあという調子で兄貴分が忠告してくれた。天国から奈落に突き落とされる。衝撃で黙り込む僕の肩を、兄貴分がポンポンと叩いた。
向こうから声が聞こえる。
「姐さん、付き合ってる相手とかいるんですかい?」
「馬鹿野郎、こんないい女にほっとく奴がいるわけねえだろ」
「でも、姐さんより強い男なんて、加護持ちか、レスティ様くらいしかいなくねえか?」
「いや、ティアさんは副官なだけでそういうのではないですよ」
俯いた顔を高速で上げて兄貴分の顔を見る。聞きました? 付き合ってないって言いましたよ! 目で訴えかける。
ナブドラさんは、あちゃーとばかりに頭を押さえた後、もう一度肩を組んできた。
「悪ぃこと言わねえからやめときな。姐さんは五節魔法が打てる。多分今、この国の未婚の女で五節が打てるのは姐さんだけだ。当然貴族からか求婚されまくってるだろう。魔力婚てやつだ。それで相手がいないって事はよっぽど事情があるとか、想い人がいるってこった」
ため息混じりの忠告は、しかし耳に入らなかった。
「五節魔法……。じゃあ、僕もそれくらいはできるようにならないと。任期の半年ならなんとかなるはず。五節が打てるようになったら、僕、告白します」
熱い決意を兄貴分に告げる。足元がふわふわして体が宙に浮きそうだ。やる気が溢れてくる。
「だから、お前……、やめとけって。……聞いちゃいねえな。まったく……。まあ、これも若さの特権でやつかね……。しかし、あいつらといいお前といい、北の奴らはなんで相手より強いことにこだわんのかねえ……」
兄貴分がぼやいていたが、気にはならなかった。
僕はこの後、人生で一番魔法の鍛錬をして、五節魔法、魔力吸収魔法、収束魔法を使いこなすようになる。
兄貴分からは、「もうお前ずっと恋してろ」というありがたい言葉をいただいた。




