エレミア・ウォーディアスの場合 後編
さて、傑物に囲まれた生活を送っていた私ですが、かわいそうなのは両親でした。父上も母上も至極堅実な領主であり、特に領地を大きくするとか爵位をあげようという野心は持ち合わせておりません。
無難に領地をおさめ、それを子供たちに引き継いでいければ良いという考えで、平凡ではありますが親としてはいい両親でした。
それなりに社交界にも出ておりましたけど、スポットライトを浴びるようなタイプではありませんでしたし、身の丈をわきまえた立ち回りをしていたようです。
そんな両親でしたから、レスティ兄様が領地経営に、魔法に才能を発揮した時には良い後継を得たと喜んでいたのですが、アル兄様が加護を得てからは教会に、国に、呼び出されるわ、後継問題に発展するわで振り回されっぱなしでした。
二人とも自分のたちの手には余ると、冷や汗をかきながら愚痴っておりました。
この様に小市民的な両親だったからこそ、レスティ兄様が廃嫡されずに後継候補として残されたのでしょう。
妹としてはありがたいことですが、両親は気が休まらなかった事でしょう。ようやく後継問題にも父上の扱いが正しかったという形で決着がついたわけですし、後の事はレスティ兄様に任せてのんびりとしてほしいものです。
傑物の息子二人を巡る顛末がよほど大変だったのでしょう。私が社交界でさまざまな席に呼ばれるようになった時には、「エレミア、お前もか…」などと心配されましたが、私は二人の兄ほど規格外ではございませんので安心して欲しいです。きっと社交界も変わり者の令嬢になどすぐ飽きますわよ。お父様。
レスティ兄様、アル兄様、ティアはそれぞれ傑物ではありますが、私の周りにはもう一人、並外れた方がいます。レスティ兄様の婚約者、フローレンス様です。
才媛と名高いフローレンス様ですが、面識はほとんどありませんでした。レスティ兄様の婚約者候補とは聞いていましたが、アル兄様の加護が判明してからはほとんど交流がなくなっていましたので。
ただ、レスティ兄様を婚約者に選んだいきさつが、家柄や魔法の才能ではなく、領主としての資質を見込んだからだとは聞いておりました。
幼い頃は大袈裟だと思っていましたが、本人と知り合ってからはありそうなことだと思っています。なんだったら、同世代の少年たち全員を調査してもっとも資質のあるものを選んだと言う都市伝説のような噂も本当かもしれません。
かと言って愛情がないわけではないようで、顔を合わせた時は親しく言葉を交わしていますし、本気でレスティ兄様と結婚したい様子ではあります。なにしろアル兄様の加護が判明してから手を引くチャンスはいくらでもあったでしょうに、当主を説得してレスティ兄様の婚約者の座を残していたのですから。
領主としての資質を見込んだにしても大したギャンブルです。ここまで、兄様を見込んでくださった姿を見せられては私も彼女を信頼するしかありません。
初めて出会ったのは、ある貴族の晩餐会でした。私はその頃ティアから教わった魔法が楽しくて、色々試しておりました。
アル兄様の加護が判明してからは、以前と変わらず接してくださる方は少なくなり、実兄が義理の兄に家督を奪われて将来に不安がある可哀想な令嬢という目で接する方、あからさまに価値がなくなったという態度に変わった方、ライバルが躓いてほくそ笑んでる方と、私の周りにいる方の態度に変化がありました。
私は初めその変化に戸惑いましたが、兄の周囲にも同じ事が起こっていることを見て、己の立場によって人の接し方が変わる事を痛いほど理解しました。そうして、その方達が本当は何を考えているのか、敵なのか味方なのかを風魔法「収束・風道」で調べるようになりました。
ええ、下品な真似であることは承知しております。あの頃の私は、それくらい追い詰められて、味方を必要としていたのです。
社交界に足を運び、貴族の令嬢と接するたびに、その親の会話に耳をすませました。この方達は味方、あの方は中立。この方はウォーディアスの味方ではあるが加護持ち信望派、この方はレスティ兄様の改革に期待した消極的賛成派。
そんなことをしていると貴族の内情も耳に入ってきます。気がつけば私は年齢不相応に社交界の情報通になっておりました。裏の事情がわかっていれば、立ち回りもしやすくなります。誰を褒め、誰を味方にして、孤立しがちな誰を手助けする。自分でも上手くやっているとおもいました。しかし、上手くいってる時ほど、人は失敗するのです。
その日、訪れたパーティーに、フローレンス様が来るのは知っておりました。私は兄の婚約者が本当に兄を好きなのか、加護の件で切り捨てようとしているのか知りたかったのです。
適当に主催者に挨拶をしてフローレンス様にも型通りの挨拶をした後は、テラスに出て涼んでいるふりをして魔法を発動、控室に休みに行ったフローレンス様が何を話しているのか聞こうとしました。
「収束・風道」
魔力をコントロールしてフローレンス様の控え室につなぎます。
『……ああ、つまらないパーティーだな』
聞こえました!
『相変わらず、誰がどこの令嬢を気に入っただの、誰がダンスに誘っただの、社交界の人間はロマンスにしか興味がないのか? 挙句に婚約者がいる私にちょっかいをかけてくるバカだ。やってられんな。私はレスティ以外と結婚する気はないぞ』
誰かと話をしているようです。音を運ぶのは距離が離れていると対象を絞らなければならないので相手の声までは聞こえませんが、ひとまずは十分です。
驚きました。おっとりとした美人だと思っていたら随分とはっきりした物言いです。普段のイメージとは随分違います。でも、お兄様の事は本気のようです。これは収穫。
『私が言えた義理ではないが貴族らしく、己の領地を富ませる事を考えればいいのだ。それが本来の我らの責任だろうに。レスティはその点では私が知る限り同世代で最もやる気があるし才能もある』
『そうだな。クレアメネスのことも考えねばな。ダール領が納税を金貨でなく小麦で行いたいと、エグザール領はマスチカ領との交渉の仲介を頼みたい。それと、リリアネット家が年次の挨拶を欠席と。さて、何から始めるか……、ん⁉︎』
何でしょう。もう少し聞きたかったのですが聞こえなくなってしまいました。「収束・風道」はつながっている感覚があるのですが。一度解除して再度繋いでみましたが同じです。何が起こったのでしょう。
「そこのお前。何をしている?」
戸惑っていると、後ろから声がかけられました。聞き間違えるはずもないフローレンス様です。
「盗み聞きをしている奴がいると思って魔法を辿ってみれば年端も行かないお嬢さんとはね。社交界で魔法の使用は厳禁。知らなかったのかな?」
ギャー! そうだったんですの! いや、ダメなこととは思ってましたわよ。ああどうしましょう。まだ、私とはわかっていないようですが、これ不味いですわ。バルコニーから飛び降りて逃げる?
いや、そんなことしてももう姿形から調べれば素性はわかってしまいます。幸い知り合いではありますし、正直に伝える方がマシでしょう。
「申し訳ありません。お兄様の婚約が曖昧な状態なので、どうお考えなのか知りたかったのです」
振り向いて、深々と頭を下げます。
「エレミア・ウォーディアスか。ふむ。兄を思ってというなら情状酌量の余地はあるが、先程の手慣れ方だと常習だろう。教えといてやるが社交界でこの手の魔法の使用は重大なペナルティだ。家名に傷がつくぞ。まあ、やってるやつはやっているんだが」
「軍人の家系は魔力に反応してバレるので注意することだ。あと、用心深い家はあらかじめ『遮音』をかけている。殆どの貴族は平時の今ではそんな事を気にしてはいないが、王家や大貴族は対策をしているので迂闊な真似はよしておく事だ。次があれば、だが」
「遮音」! 音が聞こえなくなったのはそれでしたか。その時点で魔力を消して会場の人に紛れ込むべきでしたのね。失敗しました。
「おっと、何が失敗だったかはわかったようだな。理解が早くて結構だ。さて、さして重要な話をしていたわけではないが、私も、婚約者の妹だからというだけでこれを見逃せるほど寛容ではない。勿論、婚約者の家名に傷をつけたいわけではないが、何か言いたいことはあるかい?」
これは、結構まずいことになってしまいました。お兄様に迷惑をかけるわけにはいかないのですが、情に訴えて何とかなるタイプの方ではなさそうです。理と知で動くタイプの方のようですから対価を捻り出せれば交渉の余地はあるかも知れません。考えましょう。小賢しい頭でもフル回転させれば何かしら認められる可能性はあります。私には拙い魔法と小賢しい頭と、かき集めた情報くらいしか持ち合わせがございません。
「そうでございますね。社交界のルールには詳しくないので、不躾な真似をいたしてしまったのは本当に申し訳ありません」
ゆっくりと、考えをまとめながら話します。声が震えないように、相手の瞳を真っ直ぐにみて。
おもねるな、媚びるな、胸を張って、自分の価値を示すのです。
「ダール領は小麦が豊作。対抗馬のウルガ領が魔獣被害で小麦の輸出が少なくなるため小麦の価格を高めに見積もっていますが、南部は概ね豊作なので通常の取引額相応で良いと思われます。エグザール領は、魔獣退治を行う代わりにマスチカ領沿岸の漁業権の期間限定の委託を受けていますが、魔獣の数が増えたため、対価として期間の延長を申し出ています。例年との比較で言うと半月の漁業権の延長を認めてもよろしいかと。リリアネット家は当主がご病気で大分よろしくないとの事です。当主の弟君と七歳の孫息子のどちらが次期当主になるのか未だ家中が割れている様なので一度クレアメネスから使者を送った方がよろしいかと」
フローレンス様の瞳を見つめながら、キッパリと言い切ります。
「社交界で少し評判になっていたのは耳にしていたが……。レスティといい、ウォーディアスは面白いな」
フローレンス様は、少し目を見張り、それからゆっくりと表情をくずしました。
「いいだろう。内容自体は特筆したものがあるわけではないが、先程耳にした情報だけで、その回答が出せるのならばキミには価値がある。今回は見逃そう。代わりに、私の仕事を手伝ってもらおう。何、今までとそう変わらない。安全な相手から情報を収集して分析する。勿論、こちらからも出せる情報は提示しよう。クレアメネスとウォーディアス両家のためになる事だ。ついでに、レスティのために君を育てておくとしよう」
ほっ、及第点は取れたようです。フローレンス様の部下のような立場になるようですが、クレアメネスと繋がりができたと言う事ならまずまずでしょう。レスティ兄様が廃嫡されなければそれなりの意味がございます。廃嫡されたら私も没落コースですからあまり考えなくてもよいですし、どちらにしとも悪くはない結果です。
こうして、私はお兄様には内緒で、フローレンス姉様の指導のもと各家の情報収取に勤しむことになりました。令嬢の魔法使いは少ないのでそれなりに重宝されたようですし、言葉の通りウォーディアスにある程度便宜は図ってくれました。
まあ、こんな事をしながらアル兄様の実家の目論みを察知できなかったのは痛恨の極みでしたが……。流石に社交界だけでの情報収集には限度があります。
お兄様が正式にウォーディアスの後継者となってからもこの仕事は続いています。しばらくはまだ、あの人達も悪だくみを捨てきれないでしょう。どこぞに嫁ぐまでは、ウォーディアスの情報収集係を務めようと思います。
嫁ぐといえば、最高の魔法使いの称号授与の式典では、フローレンス姉様から今後についてのお話もありました。
「レスティが後継に決まったからには、エレミアの役目はアルナードくんを繋ぎ止める事だ。折角の加護持ちを他家に持っていかれるわけにはいかない。後継にできないなら当主の実妹の婚約者というのが妥当な落とし所というところだ。エレミアが嫌でなければだが、悪い男ではないんだろう?」
その時は、突然だったので黙り込んでしまいましたが……。
アル兄様は、勉強はやや苦手ですが、小さい頃から何くれとなく私の面倒を見てくれて、私が無茶を言っても大概のことは叶えてくれる優しくて頼りになる男性でした。加護を持っても偉ぶらないですし、ちょっと変わったところはありますが、基本的には誠実で謙虚で温和で強くて明るくて、素敵な人です。
しょ、しょうがないですね。確かに加護持ちが他家に取られてしまうのは大問題です。私がアル兄様と婚姻するのがウォーディアスのために一番いいのは間違いないです。レスティ兄様の為にもアル兄様と、こ、婚約をしなければ、ですね。
アル兄様は、どうなんでしょう? 好きな人がいるとかは聞いたことがないですが……。いや、可愛いご令嬢に見惚れていることはよくありましたわね。ダメですダメです。アル兄様はあれでちょろいところがありますから、ハニートラップに引っ掛かって責任を取って婿入りとかやりかねません。
とりあえず監視をつけておきましょう。フローレンス姉様にお借りした諜報用の人材を一人、アル兄様の参加する闘技大会の地域へ派遣。女遊びをしないように監視と、何かあれば連絡は最速で取れるようにと。
これでいいでしょう。
あとは、お父様と兄様に根回しをしておきましょう。
ウフフ。
待っててくださいね。アル兄様。




