エレミア・ウォーディアスの場合 前編
エレミアです。
伯爵家の令嬢をしております。
小さい頃から私の周りには天才と怪物の類ばかりがいましたので、世の中の普通と感覚がズレて育ってしまいました。
困ったものです。
最大の元凶は兄上です。四歳上のレスティ兄様は、魔法の才能に溢れ、八歳で四節魔法を使い、領地経営については領内のみならず他領まで、人口、産業、就労環境、技術レベル、後進の育成状況などを調査して詳細に把握しておりました。
正直小さな頃は「大人は大変なんだな」くらいに思っておりましたし、少し成長してからは「殿方は大変ですのね」と思っておりましたが、そんなことをやっているのは一部のトップクラスの官僚や腕利きの代官だけだと後になって知りました。
お茶会や社交界で、他領の特産品や技術について、兄上の隣で聞き齧った知識で話をする機会が何度かあったために、ウォーディアスの令嬢は幼いのに博識だなどと評判がたってしまいましたが、兄上にまとわりついているうちに自然に覚えてしまった内容で、ほとんどが兄上の受け売りなのです。記憶力はいい方なので覚えてはおりますが、褒められるほどの深い見識など持ち合わせておりません。
恥ずかしくて小さくなっていたら、知識があるのに、謙虚だなどと褒められてしまい、顔が真っ赤になってしまいました。
違うのです、兄上が息抜きとして、サニマーエル産、リンドブルム産、アザンドゥーク産のお茶ならどれが美味しいか? とか、デュランダルで作られた織物と東国からもたらされた絹織物どちらが女子に人気が出そうかとか、遊びのような品評会をやっていたので、思っていたことを述べていただけなのです。
特に気に入った物や特徴のあるものはよく見ていたので、覚えていただけですので、「ウォーディアスからは随分と離れた我が領の事までご存知なだけでも嬉しいのに、『スッキリした後味が好みです。休息する時などに気分が晴れていいですわ』などと普段から飲んでいてくださるなんてとても光栄ですわ」などと言われるほど詳しくはないのです。
おかげ社交界で、暫く注目の的になってしまい、いろいろな席によばれてしまいました。
身の丈に合わない扱いはなかなか大変です……。
もう一人の元凶は、義理の兄のアルナード、アル兄様です。言わずと知れた加護持ちのこの兄は、加護を得る前から気さくで人懐っこく、小さい頃から私もよく遊んでもらいました。レスティ兄上が勉強や自己研鑽で忙しかったので、なんならアル兄様の方が私の相手をしてくれていたくらいです。
変わり者で気のいいこの義理の兄上は、しかし、貴族の風習には疎く、ウォーディアスの親族の爵位や関係、礼儀作法がわからずに困ることがよくありましたので、レスティ兄様や私がこっそり教えてあげたり、フォローしておりました。昔から、何度「アル兄様は私がいないと全然ダメですね。もっとしっかり勉強してください」と言ったかわかりません。その度にアル兄様は頭をかきながら「わりいわりい、エレミアには頭があがんないな」と笑顔を浮かべて見せるのです。私はその申し訳なさそうな、でも少し甘えた笑顔が大好きで、レスティ兄様に頼んでアル兄様のお助け係を独り占めさせてもらっていました。
まったく困った「人たらし」です。
アル兄様とレスティ兄様が模擬戦を行うので、それを見ていた私の中では、魔法とはこういうものだという認識ができてしまいました。加護持ちと最高の魔法使いですもの、普通な訳がないのですけど。
けれど、ずっとこの二人の戦いしかみていなかったんですもの、勘違いするのも無理ないと思います。
オマケにレスティ兄様は魔力の圧縮、形態付与を当たり前のように行なっているのです。同年代の御令息が誇らしげに二節や三節の魔法を披露するのを見た時の私の気持ちがわかっていただけるでしょうか。平静なふりをして称賛の言葉を紡ぎ出したあの時の自分を褒めてあげたいです。
大体、もう一人の我が家の魔法使い、ティアにしたって五節魔法の使える一流の魔法使いにして冒険者なのです。私が、魔法使いは皆がこのレベルで使えると勘違いしても仕方がないことでしょう。そもそも私も三節の魔法までなら使えるのです。
アル兄様が加護に目覚め、家中が割れてからは、先々どうなってしまうかわからないという不安がありました。割れたと言っても実際は実際は1:50くらいでアル兄様派が多かったです。それくらい、加護持ちを後継者にするというのはこの国では当たり前のことでしたので。
アル兄様が魔法が使えないこと、レスティ兄様が八歳で四節魔法を使える天才であったこと、父の後押し、それでようやく後継が留保されている状態でしたが、当時、父は実子に甘いと随分と責められたそうです。
レスティ兄様はその辺りの事情について、私の耳に入らないように気を遣ってくれていましたが、限度というものがあります。
幼いながらに私は、自分がいつ今の立場から転がり落ちてもおかしくない状況であること、それがレスティ兄様次第であること、兄様がそうならないように必死で努力していること、私に心配させない為にそれを隠していること、を理解しました。
だから私も、少しでも兄様の力になれるようにと王国法を学び、魔法を覚えることにしたのです。事細かく事情に合わせて制度を運用するのはお兄様のに遠く及びませんが、既存の法制度を覚えるだけなら私でもできます。魔法に関しては、幸い目の前で魔法の天才と言われる兄が毎日のように研鑽しています。兄が大好きな、そして未来がない私が真似事をしても、誰も強く止めようとはしませんでした。
戦場に出るわけでもない貴族の御令嬢が魔法など学んでも、通常はなんの役にも立ちません。私も魔獣と闘おうなどとは考えていませんでした。ただ、1人になった時に、自分の身を守れる強さくらいは身につけておいてもいいだろうと思っただけです。
「兄様、わたしにも魔法を教えてください」
そう伝えたら、お兄様は少し驚いた後に、何も聞かずに魔法の基礎を教えてくれました。
自分が廃嫡された後の事を私が考えているのがわかったのでしょう。「貴族の令嬢が魔法など覚える必要がない」など、本来なら嗜めるであろうはずの言葉もありませんでした。むしろ、小さな妹にそんな事を考えさせている自分の不甲斐なさを責めているようでした。兄様は私に甘すぎるのです。
「エレミアは風属性と相性がいいな。興味があるのならティアさんが風魔法が得意だから教わるといい」
兄にそう伝えられた私は、ティアに魔法の使い方を教わりました。
私は兄上と違い天才ではありませんでしたから、魔法を使えるのは三節までです。ティアは修練すれば四節も習得できると言ってくれましたが、流石に貴族の令嬢が四節魔法を使う機会はないだろうとそこまでで辞めてしまいました。
大体、普通に生きていくのであれば、護身用の「風壁」や「風刃」に「風弾」、「風縛」あたりで充分です。私が四節魔法を使わなければならない状態に陥っていたら、残念ですがおそらく手遅れでしょう。
ティアが冒険者の魔法を教えてくれたので、「温風」や「遮音」、「水球」など、ちょっと変わった魔法も使えます。これは実際かなり有用でした。何よりも、離れた会話を耳にするための「収束・風道」は、子供の私には教えてくれない様々な事情をと思惑を知るのに充分な成果をあげてくれました。
幼い頃から、家中でも社交界でも人の裏側を見てしまった私が多少捻くれたのは仕方ないと思います。
実際、色々と耳に入るであろう立場でありながら、捻くれずに、領地経営に魔法に、体術に、あれほど真面目に取り組んでいるレスティ兄様をみていなければ私はひどく歪んだ人間になっていたでしょう。私より苦しい場所にいるはずなのに、寸分たりともそれを表に出さない兄を、私は心から尊敬して、敬愛しています。廃嫡されたら私を巻き込んでしまうという理由で、あれだけの自己研鑽をなしている姿をみてきたのです。家族の中で、兄だけが特別な位置にいるのは仕方ないと思います。
もう一人の兄、アル兄様も、我欲に満ち溢れた親族の思惑を受け、己自身も家督が手に入る位置にいながらも、全くレスティ兄様を疎む事もなく、むしろ尊敬して慕っているのがわかります。この聡明で優しい兄と、単純だが人のいい義理の兄に私は随分と救われました。
そのティアは、もう六年もレスティ兄様に仕えています。彼女は冒険者にしては粗野なところがなく、美人で、頭の回転が良く、腕も立つという、私の周りの傑物の一人です。伯爵家の使用人にもファンが多く、彼女が来たときは使用人が浮かれています。まあ、スタイルいいですものね。しなやかな身体つきに少し垂れ目の、言われなければ冒険者などとは思いもよらない柔らかい雰囲気に明るい笑顔。殿方が夢中になるのもわかります。うらやましいですわ。
彼女はレスティ兄様の先生でもあり、私の魔法の師匠でもあり、伯爵家のお抱え魔法使いでもあり、執務を補佐する兄様の右腕でもあります。
魔法関連や市井の情報はともかく、今では伯爵家の事務仕事まで手伝っているのは凄い事です。彼女、貴族では無いのですよ。やはり、愛の力なのかしら。いい加減、兄様もティアに手を出せばいいのに。
はたからみていても焦ったいくらいティアはあからさまに兄様の方が好きなのに、身分が違うからとアプローチしようとしませんでしたし、兄上は兄上でそんなティアの様子に気づいてもいませんでした。
私? 魔法の鍛錬をしているだけの兄様にあれだけ見惚れていたら気付きますとも!
まあ、廃嫡を防ぐための努力などで大変なのはわかりますが、私、ちょっとティアが可哀想で見ていられませんでした。ある時から吹っ切れたのか、「お妾さんにしてくださいね」などというようになりましたが、それはそれで、兄上は、先行きが不安な自分の未来に巻き込むわけにはいかないなどと考えているようでした。
いいから、巻き込みなさいませ!
兄様のことは大好きですし、尊敬していますし、私の為に苦労をかけていて申し訳ないと思っているのですが、この件ばかりは全面的にティアの味方です。そばにいられるだけで幸せとばかりの健気な姿を六年も見てきたのですよ! それはもう幸せにならなければ嘘じゃないですか! 条件のいい商家の就職を蹴って我が家に残ったと聞いた時は健気すぎて流石に寝台で枕をかかえてジタバタしてしまいました。
父上も第二夫人をもらっているのですし、ティアなら文句はございません。フローレンス姉様も、その辺の有象無象の貴族の子女と比べれば、実力があり、護衛にもなり、レスティ兄様を愛していて、政治に口を挟むこともないティアを歓迎しています。
大体兄様の性格からしてフローレンス様とティアを抱えたら三人目まで手がまわることはないでしょう。ここで、言ってしまえばライバルになり得ないティアが恋人の座をいとめるのはフローレンス姉様にとっても得策なのです。
北方行きの副官に、フローレンス姉様と一緒にティアを押し込みましたけれど、進展するでしょうか。これで何もなかったら兄様とティアを1週間ほど同じ部屋に閉じ込めるくらいしないといけなくなってしまいます。
流石になんとかしてくださいましね。お兄様。




