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ティア・スタントの場合

初めて会ったのは、伯爵家のあの人の部屋だった。


 冒険者ギルドから依頼を受けて伯爵家に向かったのだが、気乗りはしていなかった。貴族からの依頼というのは、毛色の変わった女冒険者に手をだしてみたいから呼び出したとか、ろくに知識もないのに冒険者の真似事をしてみたいので冒険に付き合ってほしいとか、表に出さない貴族同士の揉め事(しかも大体どろどろしてるやつだ)をこっそり解決してほしいとか、ろくでもない依頼ばかりだったからだ。そのくせ態度は尊大で、能力もないのにやけに偉そうな奴ばかりだった。恩義あるエーブ先生の頼みと、依頼主に歳が近いからというギルドからの無理矢理の押し付けがなければ絶対に受けなかっただろう。


 だから、その時も、最低限の義理を果たしたら適当に断ろうと思っていたのだ。


 だが、部屋で待っていたのは十歳の可愛らしい少年だった。銀髪に、整った顔立ちの、利発そうな少年。おおかた、伯爵家のお坊ちゃんが冒険者に憧れて魔法のお勉強をしようと思ったのだろう。そう思った。

 その少年の魔力を見るまでは。


 六歳年下のその少年は、その当時で既に私を超える魔力量だった。貴族のくせに、冒険者の技術である身体強化を実戦レベルで瞬時に行うと、彼は我流でそれを身につけたことを告げた。確かに、荒削りで魔力量頼りの身体強化ではあったが、この歳でこの才能……。自分の十歳の時など身体強化どころか攻撃魔法すらろくに出せなかったというのに。


 貴族だから……、血筋が……、幼い頃から鍛錬できる生活環境が……、羨望と少しの嫉妬が、頭の中で彼の凄さの理由を捻り出そうとしていたが、彼の置かれた環境と修練を聞いてそんなものは吹っ飛んでしまった。

 

 二年間、意識を飛ばしながらの常時身体強化。それだけの修練を行いながら、加護持ちの弟に勝てなければ廃嫡の末、辺境送り。彼自身はそれしか口に出さなかったが、辺境で平和に暮らせる可能性は低いだろう。反乱を起こさせないための辺境送りだ、住居、資金、行動範囲、あるいはその全ての制約は避けられないだろうし、最悪幽閉や暗殺ということもあり得る。それなのに、彼は弟を憎むでも、拗ねるでもなく、朗らかに、真摯に弟子入りを依頼をしてきた。


 女冒険者として理不尽な目に遭う事も、貴族の嫌なところもそれなりにみてきた私には、彼のまっすぐさが眩しかった。年少者への同情も勿論あったのだけれど、私はこの、頭の回転は速いくせに後ろ暗い手段を全く考慮しようともせずに、困難な道を大真面目に歩もうとする少年を気に入ってしまった。


 その場で弟子入りを了承して幾つかの改善点を伝えたが、口頭の説明だけで吸魔を使うセンスにまた驚かされた。力押しで行っていた身体強化を、必要な場所に強化を割り振ることで無駄なく魔力をつかうことができることを教えると次の日には使いこなしていた。周囲の魔素を取り込むことで相手の魔法の威力を落とせること、魔力の圧縮、魔力の探知による行動予測、彼は教えた事を乾いた砂が水を吸うように吸収した。


 天才を育てる喜びもあった。領民のために努力する姿を見て、報われてほしいとも思った。あるいは、親に売られて家族というものを喪失した自分の子供時代を重ねていたのかもしれない。貴族とは思えないほど人のいい、女冒険者などにまで分け隔てなく接する彼にしばらくはつきあってみてもいいとおもった。


 まさか、六年以上の付き合いになるとは思わなかったが。 


 二年も経てば私に教えられることはほとんどなくなった。他の冒険者の魔法使いを紹介して、時節トレーニングに付き合う、その程度だ。むしろ私の方が、彼に魔法の制御を教わって五節の魔法を撃てるようになったくらいだった。

 

 仕事としてはこれで終わりでも良かった。伯爵家の後継につてができた。報酬も十分すぎるほどもらった。一介の冒険者としては文句のつけようがない。

 潮時だろうと思った。


 ちょうどその頃、知り合いづてに仕事の依頼が来た。どこぞの商家が大規模な隊商の護衛隊を創設するので、隊員の育成のできる高ランク冒険者が欲しいということだった。死のリスクは少なく、任期は長い。転職先としてこれ以上は望むべくもなかった。


 もともと女冒険者の行く末など碌なものではない。ギルドの職員あたりに滑り込めれば上々、手に職を持って冒険者を引退するものや、家庭に入れるものなどごく僅かだ。なにしろ物心のついた時から冒険者以外のことはやったことがないのだ。


 貴族とは魔法の種類が違うのでお抱え魔導師などというゴールも滅多にない。殆どは、冒険中に死亡か、取り返しのつかない怪我をして引退。貯めた金を食い潰して終わり。行く末は物乞いか犯罪者か娼婦だ。

 

 そもそも、こんな浮き沈みの多い職業で貯蓄がある者の方が珍しい。私もそろそろ真面目に先々のことを考えなければならない時期だった。伯爵家をやめて、商家に雇われよう。そう考えて、レスティ様に会いに行った。


「おはようございます。ティアさん。今日は氷魔法と土魔法で圧縮の度合いを比較してみようと思います。手伝ってもらえますか?」


 二年経っても、レスティ様は雇われ冒険者の私の事を「ティアさん」と呼ぶ。先生と呼ばれるのを私が辞退した結果の妥協点なのだが、弟子入りをしたからには敬意を表するのは当然なのだそうだ。仮にも伯爵家の跡取りに「さん」付けで呼ばれるのは中々に面映ゆかったが、嬉しくもあった。レスティ様にこういう呼ばれ方をするのは貴族のご令嬢などを含めても私だけなのだ。些細な、でも確かに存在する「特別感」を私は名前を呼ばれるたびに確認して、悦に入るのだった。欲を言えば、ティアと呼び捨てで呼んでほしい気持ちもある。でもそれは、エレミア様やフローレンス様が呼ぶ「ティア」とは違う、甘い関係の混じった呼び方で、だ。そこまでを望むのは贅沢というものだろう。今は、このささやかな特別感を大切にしておこうそう思っていた。


 これも、今日で終わりか。少し寂しく思う。


 レスティ様は、私が最高強度で作り出した魔力防壁に、圧縮比率を変えた氷弾と石弾をぶつけて何やら確認している。魔法との相性で威力は変わるのでどの程度なら実戦レベルなのかを確かめているのだろう。

 

 後半、レスティ様が本気で圧縮し始めたら私の魔力防壁は紙のように破られた。相変わらず規格外だ。

 自信失くすなあ。


「ありがとうございます。やはり、相性の良い氷魔法の方が威力が上がりますね。土魔法は地形を変える場合などはいいですが射出系にしてしまうとロスが多い。長丁場だと戦況に響きそうです」


「レスティ様。私、役にたってますかね?」


 あんまりにも実力差を見せつけられたので、ふむふむと一人納得しているレスティ様に、つい質問してしまった。


「ええ⁉︎ ティアさんが役に立ってなかったら伯爵家に役に立ってる人材がいなくなってしまいますよ。いつも感謝しています」


 素で返事が返ってきた。しかも高評価だ。えへん。まあ、魔法の訓練だけでなく、市中の噂を集めるだの、地域ごとの物価の調査だの、領内における魔物の出現率だの、ギルドとの繋ぎだの結構私も仕事はしているのだ。役にはたっていると思う。ただ、それは私でなくてもできる仕事なのだ。


「では、私がいなくなったら困りますか?」


 だから、つい、あさましい質問をしてしまった。


「ええ、それは大弱りですよ。2年前にギルドに紹介されたのがティアさんだったのは本当に、僥倖だと思ってます。だから、これからもこの可愛い弟子を助けてください」


 レスティ様は、軽口だと思ったようだ。軽い調子で返事を返してきた。


「ふふふ。じゃあ、居てあげます。しょうがないですね」


 こちらも、軽い調子で返す。表情に出さないように。こんな軽口でも、心が躍ることを悟られないように。




 結局、商家の仕事はその日のうちに断った。斡旋してくれた顔見知りの女冒険者には随分心配されてしまった。


 伯爵家の跡取りと縁ができたといっても、加護持ちに勝てる訳がない。辺境送りになれば巻き込まれるかもしれないのだから早めに手を引いて安定した職についた方がいい。貴女は実力もあるし信用できるから優先してこの話を回している。こんないい話はそうそうない。そもそも貴族と冒険者は住む世界が違うのだから入れ込まない方がいい。


 本当に私の事を心配してくれたのだろう。客観的に見れば言ってる事はもっともだと、私も思う。でも、もう、そういうわけにはいかないのだ。


 なんとか断って、帰路に着いた。

 後悔はしていない。

 気付いてしまったのだ。身分の違う、歳下の少年に、叶うはずもない想いを抱いてしまったことに。


「仕方ないじゃない……」


 月も見えない暗い夜の石畳に、囁くように言葉を落として、宿に帰る。


 


 どこからか、この顛末が耳に入ったのだろう。レスティ様が、正式に伯爵家のお抱え魔法使いとして契約しないかという話を持ってきた。


「いや、これはティアさんに甘えてしまって申し訳ありません。俺はティアさんを高く評価しています。五節魔法まで使える実力も勿論ですが、柔軟な発想も、技術力の高さも。将来的に領内の戦力を強化しようとしたら必ず冒険者の技術が必要になります。ティアさんは教えるのが上手い。俺の事情抜きに我が領に必要な人材だと思っています。正式に今の待遇のまま伯爵家に仕えませんか? 期限はなし。と言っても俺が廃嫡されるとどうなるかわからない話ではあるんですが」


 恥じるように頭をかきながら、申し出るレスティ様。元々待遇はいいのだ。これが期限なしだと商家よりも更に好条件ではある。廃嫡という落とし穴はあるけれど。わかっていることとはいえ、わざわざそれを付け加えるあたり、本当に律儀だ。


 律儀で、誠実で、真面目で、先見の明があって、そして朴念仁だ。


 にこやかに応える。


「お断りしておきます。レスティ様、私、伯爵家の妾として余生を過ごすつもりですので、お抱え魔法使いにしてくれるよりは、手を出してくださる方がありがたいです。私、役に立ちますし、一生懸命働きますよ」


 レスティ様は目を白黒させていた。ちょっといい気味だ。これでもギルドではしょっちゅう声をかけられていたのだ。少しは意識してもばちはあたらないと思う。

 



 こうして私は、レスティ・ウォーディアスの護衛兼右腕に収まった。


 あれから四年。

 アルナード様に勝利して正式に伯爵家後継として認められたレスティ様は益々忙しくなる。政治的な事はフローレンス様が、家中の事はエレミア様が支えるだろう。


 だから私は、戦いの時だけは彼を支えていこうと思う。

 彼はこれからも己の才覚と研鑽で、私には思いもよらない危機を切り抜けていくのだろう。

 でも、決して、万能でも無敵でもない。あの甘さと歪な才能には隙も多い。私にできることは、その隙を致命的にしないことだ。彼の側で、彼を支え、助け、護る。それが、私の使命。


 この想いは、報われなくていい。

 北方に来た。今日も彼の隣で戦う。



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