episode.07
森の大樹の根元に佇む小さなあばら家は、森の魔女ハルが住む魔女の家だ。
やってくるのは行商のセルソと、騎士兵、後は年に何回か両手で収まる程度の個人的な客。
そして、副団長だ。
灰息の被害以降、カレン騎士団からの依頼で仕事が回ってくるようになったので、騎士兵が定期的に薬を取りにやってくるのだが、副団長のレイがここを訪れるのはそれが目的では無い。
なぜならレイは、自分が休みの日に限ってやってくる。
火を焚かなくとも暖かくなってきた森は確かに居心地は良いのだが、わざわざこんなボロ屋にやって来なくても良いのにと思う。
代わる代わるやってくる騎士兵は、レイがここに居る日と鉢合わせると必ず「ええ!?副団長!?」と驚いてみせる。
その度にレイは何食わぬ顔で「よう」と片手をあげて応えている。
今日もどうやらレイは非番のようで、当たり前のようにハルの家にいる。
恐ろしい事に、何度もそれが続けば人は慣れる。
ハルもレイがいる事を気にしなくなってきていて、黙々と仕事に勤しんでいたのだが、ちょっと肩が凝ってきたので休憩にしようと筆を置いた。
空になっていた自分のコップにお茶を注ぎ、ついでにレイのコップにも注ぎ足す。
本当に、慣れとは恐ろしい。
ハルは手持ち無沙汰を紛らわすようにお茶を飲みながら落書きをした。肩が凝ったから筆を置いたのに結局筆を持ってしまっている。
「お前はよく絵を描くな」
「癖というか、なんというか…」
いつの間にかレイの視線は本からハルの手元へと移っている。
「全部お前が描いたのだろう?」
それは壁の落書きの事を指しているのだろう。
「趣味みたいなものです」
「そうか。良く出来ていると思う」
「………あ、ありがとうございます」
やはり褒められるのはいつまでたっても慣れない。
「あの…退屈じゃないですか?こんな森の奥ではやる事も無いですし」
「別にそうは思わん。お前の手元を見ているだけで中々面白いからな」
さっぱり分からない、とハルは顔を顰めた。
ハルにとって筆は商売道具だ。毎日見ているし面白くも何とも無い。
レイが腰から下げてくる西洋刀剣の方が興味深い。
黒色の鞘に収められていてレイに良く似合うそれは、いつもハルの家に着くと、ドゴンと重そうな音を立てて近くの壁に立てかけられるのだ。
「騎士の皆さんは、休みでも剣を持ち歩くのですか?」
レイはハルの視線に気づいて壁に立てかけられていた剣に手をかけた。
「そうだな、基本的には。有事なんていつ起こるか分からないし、実際、休みのようで休みじゃない感じだ」
「重そうですね」
ハルの言葉と相反するように、レイはそれを片手で軽々と持ち上げると、ドンとテーブルに置いた。
「これは重い方かもな。軽いのが好きなやつもいるが俺にはこっちの方が合ってる。こればかりは完全に好みだからどちらが優れているという話でも無い」
へえーと思いながらハルは鞘に描かれた模様をまじまじと眺めていた。
「………面白いか?」
「はい、筆を見るより断然。凄いですねこんな重たいものを操るなんて」
「そんなに重くもない」
「筆より軽いわけは無いです」
それはそうだとレイは押し黙った。
「いつか副団長がこれを扱う姿を見られる日があれば良いんですけど」
「なぜだ?」
「かっこいいだろうなと思って」
ハルがこぼした言葉に他意は感じられないが、かっこいいが指すのは自分なのか剣なのかレイには分からなかった。
なぜならハルの視線は完全に剣に囚われていたからだ。
もし剣の事を指していたならちょっと悔しいし、自分の事だと言われても妙な気分になる。
つまりこのかっこいいが何を指すのかを追求するのは答えがどちらであれレイにとっては分が悪い。
騎士団の武闘大会の事を教えてやっても良いし、何なら今外で振るってみせる事も出来なくは無いがその気にはならなかった。
「人を傷つける物だぞ、これは」
「違いますよ。護るものです。…剣も、魔法も」
力は時に人を傷つける。魔法も剣も同じだ。ハルは己の魔法を絶対に誰かを傷つけるものにはしないと、自分と死んだ母に誓っている。
レイの剣もきっと、多くの人を護ってきたと分かる。
未だ刀剣に目を奪われているハルを見て、自分の口角が無意識に上がっているとレイは気づいた。
「そういえば兵士たちがお前の話をしていた」
あからさまに話題を変えると、ハルは顰め面で顔を上げた。
「…醜女だという話でしょうか」
「違う」
「で、では依頼品に不備が!?」
「いいや?」
「………それ以外に何を話すと言うんですか」
「お前の自己評価は相変わらずだな」
依頼品を取りに来る騎士兵達とは物の受け渡しと、挨拶程度に言葉を交わすくらいで、何かの話題になるような事はしていない。
「木登りがどうのと話していたんだ」
「ああ!」
そう言われると心当たりがある。前に騎士兵がここを訪れた時、ハルは木の上にいた。
小さい時から時々登る。多分、というか絶対その話だろう。
「いやほんと、お恥ずかしい所を見られました」
「木に登っていたからか?」
「いえ。ローブが引っかかって降りられなくなった所を見られまして」
「………どうしたんだその後」
「助けてもらいました。ははは」
ローブを着たまま登ったのが間違いだった。あと兵士の姿を見て慌てたせいでもある。
まさかそんな話だとは思わなかったのか、レイは深くため息をついた。
笑い話にならなかったかちくしょう。
「ローブは脱いでから登ります」
「そういう問題か?……まあいい、気をつけてくれ」
「はい。」
笑ってもらえなければただの醜態なので恥ずかしい。
どうかこの話を聞いた他の兵士達の間では笑い話になっていますようにと願わずにはいられなかった。