episode.03
灰息の被害から6日がたったこの日のハルは、森の小さな家でせっせと働いていた。
回復薬やら何やらとにかく物資が足りていないと、日替わりで知らない騎士兵が訪ねてくる為だ。
報酬にと現金を置いていかれるのだが、ハルとしては現金より現物支給してほしい。紙とか食べ物とか。
「はぁ………」
流石にちょっと疲れていると自覚はあるけれど、客が来るのだから休むわけにもいかない。
今日も夕方まで働き、夕日が世界を染める頃、一息つこうとハルは椅子に腰を下ろしていた。
あんなに感謝されるなんて…。
あの日、少々強引ではあったけれど、副団長の容態を安定させたハルはその後、彼を慕う騎士兵にこれでもかと感謝された。
おまけに凄い凄いと褒められた。褒められるなんて母が生きていた時以来な気がする。
ハルは特別に凄い事をしたわけでは無い。魔術師ならあれぐらい出来るし、たまたまその場にハルが居合わせたと言うだけだ。
でもあんなに言われてしまうと、柄にも無くやりがいなんてものを感じて頑張らざるを得ない。
コンコンコンッと小さな家にノック音が響く。
今日はもう既に回復薬のお迎えは済んでいるし、であれば別件の客人だろうかとハルは重い腰を上げた。
「はい」
ギイッと音を立てて扉を半分ほど開けると、そこに居たのは意外な人物だった。
「森の魔女殿だな。カレン騎士団、レイ・ダルベルトという。先日の礼がしたく伺った」
「………はあ」
わざわざこんな所までですかい、とハルは曖昧な返事をしながら扉を開けた。
正装とまではいかないだろうが、騎士服に身を包み、きっちりしている。
ハルの小さくておんぼろな家には全くもって馴染んでいない。
「どうぞ」
招いてみた物の、今のハルの家にはもてなす物といえばお茶ぐらいしか無い。
レイはハルの家に一歩踏み込むと、あたりをキョロキョロと見渡した。
「結界か何かか?」
「はい?」
レイに背を向けていたハルは、なんの事かと振り返る。レイは不思議そうに壁一面に描かれたハルの落書きに目を向けていた。
流石に天井にまで広がっているとはまだ気づいていないらしい。
「ああ、ただの落書きです。この家には妙な魔法は掛かっていないので、心配しなくても閉じ込めたりはしません」
「そんな心配はしていない」
「……そうですか」
お茶を淹れてテーブルに出すと、レイはおもむろに椅子に腰掛けた。ギチッと音がして壊れないかと心配になるが、椅子にもプライドがあるのか頑張ってレイの体を支えている。
「案外普通に喋るんだな」
「はい?」
「あ、いや…。あの日はもっと縮こまっていただろ」
そりゃそーだろう。心当たりはある。
あんな場面に初めて直面して、身を硬くしない方がおかしいとハルは思う。
もしレイが初めての仕事でも昨日のような堂々たる態度でいたと言うのなら、完全におかしい人認定だ。
「………あまり、人前には出ないので」
レイはお茶を一口飲んで、「そうか」と短く返すと、ピッと背筋を伸ばした。
「本題だが、先日の協力、大変感謝する。聞いているかもしれないが、あれだけの被害で死者が出なかったのはお前達魔術師の協力があってこそだと思っている。俺個人としても、お前には世話になったようでありがたく思う」
頭を下げられるとそれはそれで緊張する。偉い人のようだし。
「い、いえ…。お役に立てたのであれば、良かったです…。でもその、余計なお世話かもしれませんけど…あまり無茶はしない方がいいと思います。みなさん、すごく心配していたので」
「…ああ、弁明のしようがない。以後気をつける」
「何か、私で出来る事があったら、またお声がけください」
「良いのか?森の魔女は人嫌いだと聞いていたが」
街に出なさ過ぎてそんなことになっているのか。嫌いなのは人では無くてタイヤなのだけれど。
…いやでも、前世は人嫌いだったし、間違いとも言い切れないだろうか。
「魔女殿?」
「あっ!いえ!すみません…。あー、その…問題ないです」
質問の答えになっているか?なっているよな?とハルは心の中で慌てた。心の中だけには留まっていなかったかもしれないが。
そんな様子を見たからか、それとも違う理由からかは分からないが、レイはこの時初めてハルの前で笑ってみせた。
………!?
何かおかしかっただろうかと、胸が高鳴る。
「そうか。それは心強い。」
「こころ、づよい………?」
「お前の魔術師としての腕は部下の間でも評判だった。特にオリンドは間近で見ていたからか、太鼓判を押していた」
「ええっ!?」
ひ、評判…?……太鼓判!?
ハルはごく普通の魔術師だ。全く役に立たなかったとは思わないが、普通だ。そんなに評判なものか。
暫くおどおどして、そしてハッとした。
お世辞だ!
こういう時、褒められ慣れていないと判断が出来なくて困る。
と言っても今世でのハルは母親に褒められた事はあるのだけれど、前世の記憶を合わせても、男の人に褒められると言うのは過去に経験がない。
反応に、困る………!
「えっ…とー………普通ですよ」
「そうか。今度お前の魔法を拝見してみたいものだな」
「あ、はは…」
そんなに凄い物ではないんだけどな、とハルは苦笑いを浮かべた。
「長居してしまったな。悪い、そろそろ失礼する」
そんなに長く居座られたとは思っていないが、太陽は更に傾き始めている。
立ち上がったレイを見上げて、発光石を持たせようと思いつく。日が暮れる前には街まで行けるだろうが、光を失った森は危ない。
「あ、良かったら明かりをーーーーー」
ぐらりと視界が回った。右手をテーブルに付き、左腕はレイに掴まれてハルは転ぶ事は免れたが、その距離の近さにドキッとして呼吸が浅くなる。
「す、みません……ローブを踏んでしまって…」
「なあ」
「そうだ、発光石を渡そうと思って」
「お前」
「ちょっと待ってくださいねすぐ持ってきます」
「おい」
すぐに離れようと思って言葉を紡いでも、レイが左腕を離してはくれず、鼓動が速くなる。
なぜならハルは今…
「お前、熱あるな?」
「………………………まさか。はは」
レイの険しい顔は、指揮をとる副団長のそれよりも更に恐ろしく、鬼のようだった。